【2782】 用意周到よーい、ドン  (朝生行幸 2008-11-10 01:34:17)


「菜々、私の妹になりなさい」
「それは構わないんですけど……」
「何よ」
「でも、二つ返事で受け入れても、面白くないですよねぇ? そうだ、ひとつ勝負と行きませんか?」
「勝負?」
「はい。由乃さまには、自らの力で、私を捕まえていただきましょうか」

 夕暮れの中庭で、新入生の有馬菜々に、ある意味高圧的に姉妹を申し込んだ黄薔薇さまこと島津由乃。
 しかし、やはり一筋縄では行かない相手のようで、菜々はある勝負を持ちかけてきた。
 彼女が言うには、四時から五時までの一時間、隠れる、或いは逃げ回る自分を、由乃一人で捕まえることが出来れば、姉妹の申し出を受け入れるという。
「とは言え、リリアンの敷地内全部だとあまりにも広すぎますからね。逆の立場でも、捕まえることは不可能でしょうから、この中庭のみに限定しましょうか。とにかく私はこの中庭からは出ませんから、由乃さまはなんとかして私を捕まえて下さい」
「もし捕まえられなかったら?」
「由乃さまには妹が出来ず、私にも姉が出来ない。ただそれだけです」
「断ったら?」
「私も断るだけですね。答は極めてシンプルです」
「……分かったわ。受けて立とうじゃないの」
「グッド! それじゃあと……四時まで一分ぐらいですか。時間を合わせましょう」
 互いの腕時計を確認し合い、アラームをセットする菜々。
「では、開始と同時にこの木の下で百を数えて、終わったら自由に行動して下さいね。では……スタート!」
 こうして、由乃対菜々の、かくれんぼだか鬼ごっこだか分からない、謎の勝負が始まった。

「いーち、にーぃ、さーん……」
 木の幹に腕を置いて、顔を伏せて数えだす由乃。
 それを見た菜々は、助走をつけてすぐ傍の校舎の壁に一発蹴りを入れ、三角飛びの要領で木の枝──由乃の真上にある──へ器用に飛び移ると、クルリと一回転して枝の上に立ち、更に高い枝までよじ登った。
「じゅーいち、じゅーに……」
 頭上でガサリと鳴った音と、木の幹を伝わる振動に、由乃は内心カチンと来たが、とりあえずルールはルール、そのまま数を数え続ける。
「きゅーじゅきゅー、ひゃーくっ!」
 数え終わると同時に、頭上を見上げた由乃の目に映ったのは、4m程の高さの枝に座って、足をブラブラさせている菜々の姿。
「ちょっと、卑怯じゃないのよ。降りてきなさい」
「この勝負は、由乃さまが私を捕まえられるか否か、それだけです。卑怯とか、汚いとか、そんなものは関係ありません」
「くっ……」
 そう、いかな理由があろうとも、結局のところは、自らの手で菜々を捕まえなければ意味がないのだ。
 既に数分が経過している。
 由乃は、無理を承知で木に登ろうとした。
 だが、木登りには、ある程度のコツのようなものと、それなりの力が必要。
 しかし残念なことに由乃には、木登りの経験が無い上、腕力も人並み以下。
 幹にしがみ付くのが精一杯で、とてもよじ登れたものではないし、菜々のように、枝に飛び移れるようなジャンプ力も無い。
 ゼーハーと、息切れすることしばし。
「そこを動くんじゃないわよ!」
 ビシと指差して、駆け出す由乃。
「どこに行くんですか?」
「脚立を借りてくるのよ」
「中庭からは出られませんよ」
「それは、貴女だけの話でしょ。私は自由に行動して良かったはずよね?」
 予期せぬ反論に、流石の菜々も言葉に詰まる。
「すぐ戻るわよ。そこで大人しくしてなさい!」
 由乃の姿は、あっと言う間に校舎の陰に消えた。

 脚立を担いで、大慌てで戻って来た由乃。
 特に使用目的に言及されることもなく、あっさり借り出しに成功したのは、やはり黄薔薇さまの肩書きが効いたためか。
 広げた脚立を木の幹に立てかけ、足を掛けながら頭上を見上げたその時。
「……あれ?」
 菜々の姿が見当たらない。
 木を一回りしながら探してみても、影も形もありゃしない。
「逃げやがったかアンニャロ〜……」
 まぁ当たり前の話だが、菜々が大人しく待っているハズもなく。
 時間は四時十五分を過ぎている。
 由乃は、植え込みやベンチ、手洗い場の陰など、身を潜めそうな場所を探しまくるが、相手はどこにも見当たらない。
 必死に探し回るそんな由乃の様子を、菜々は別の木の上から窺っていた。
 枝葉の多い木の、更に高いところにまで登っているため、ちょっと見上げたぐらいでは、しかも制服の深緑が図らずも迷彩となっているため、そう簡単には見付からない。
 由乃自身も、まさか別の木の上とはいえ、同じような場所にいるとは思っていないようで、ちらっと目を向けはしたものの、真剣に探そうとはしなかった。
「何処行ったのよアイツは!」
 由乃は、八つ当たり気味に、近場の木の幹にケリを入れた。
 たまたま菜々が居る木だったため、突然の揺れが襲いかかる。
 菜々は、少し慌ててしまった。
「もうこうなれば、行き先は一つね……」
 由乃が顔を向けた先には、見慣れた建物がどーんと鎮座ましましている。
 そう、それは“薔薇の館”だった。

 菜々が今居る場所は、館の裏手にあたる。
 館の陰に由乃が消えたのを確認すると、木からするんぱしと降り立ち、すぐさま相手の様子を館の角から窺った。
 入り口には、不用意に入ると発動するトラップを仕掛けておいたが、流石は由乃、きっと何か罠があるに違いないと、慎重に行動している。
 それを見届けた菜々は、その場からそっと立ち去った。
 一方、当の由乃は、警戒しつつノブを回し、ゆっくりとドアを細めに開く。
 頭上には何も見えないが、足元にはビニール製の太いロープ。
 体育祭などで、グランドと観客席を仕切る時に使うあんなやつ。
「ふっ、こんなトラップで引っ掛けようなんて、舐められたものだわ」
 ドアを大きく開き、ロープを跨いで脚を踏み入れた途端。

 ゴワーーーン。

 素敵な音を響かせて、金盥が由乃の脳天を直撃した。
「………」
 頭を押さえて、涙目で見上げれば、釣り糸のような細い糸がぶら下がっており、切れた片方は、内側のドアノブに結ばれている。
「菜〜々〜〜〜!!!」
 相手が潜んでいるであろう二階の会議室をキッと睨めば、そこには、一部始終を見ていたであろう菜々が、身を翻して部屋に入っていったところだった。
 逃がしてなるものかと、階段を駆け上がろうとする。
 しかし階段の上には、書類が入った段ボール箱やプラカード、バケツ、箒にモップ、何故か便所のスッポン等等、倉庫に仕舞っているはずのいろんな荷物が乗せてあり、足の置き場もないぐらい。
 もう四時半を回っているのだ、グズグズしているヒマは無い。
 とりあえず、壊れそうに無いものはペペイと投げ落とし、運べる重さの物はえっちら下ろしながら、最低限上るのに支障の無い隙間を確保して、四時四十五分、ようやく二階に辿り着いた。
「追い詰めたわ!……よ?」
 してやったりと思ったのも束の間、言葉が尻すぼみになる由乃。
 いつもの見慣れた室内には、そこに居るはずの菜々が居なかったからだ。
 窓の一つが開いており、吹き込む風が静かにカーテンを揺らしているだけ。
 その窓から外を見ても、当然相手の姿は見当たらず、菜々は二階から忽然と消えていた。
 この部屋で隠れられる場所と言えば、シンクの棚とテーブルの下のみ。
 しかし、棚にはいくら小柄とはいえ、人が入れるような広さはない。
「ここか!?」
 テーブルクロスをまくってみても、相手は居ない。
「どうなってるの……?」
 窓の外を見ながら、疑問を口にしたその時。
 廊下の方から足音が聞こえたかと思うと、ビスケット扉がバタンと閉まった。
「しまった!」
 シャレになっていることにも気付かず、扉に取り付き、ノブを回すが開かない。
 どうやら向こう側から押さえているらしく、力を入れて押しても、すぐに押し返してくる。
 何度繰り返しても同じで、無駄に体力を消耗するだけ。
 時間は四時五十分、あと十分を残すばかりだった。

 さて、外に居たはずの菜々が、いつの間にか二階に上がっていて、そして二階にいるはずなのに会議室から居なくなったのは何故だろう?
 答は簡単、由乃が持って来て、木に立て掛けたままだった脚立を利用したのだ。
 由乃が入り口の扉を警戒しているところで、素早く窓から会議室に侵入し、自分の居場所をアピール。
 そして階段の荷物を除けているところで、素早く窓から脱出する。
 その後、今度は入り口から侵入し、部屋の中で由乃が困惑している隙を突いて階段を駆け上がり、ビスケット扉を閉める。
 ギシギシ音が鳴るはずの階段も、今は多くの荷物が載っているせいで軋むことなく、気付くのが遅れてしまったのだ。
 由乃から、放課後に話があると言われた菜々は、紅薔薇さま福沢祐巳と白薔薇さま藤堂志摩子の許を訪れ、薔薇の館には1時間ほど遅れて来るように頼んでおいた。
 つぼみの二人にも、薔薇さまから伝えられているはず。
 そして、心置きなく必要な準備(罠とか階段の荷物とか)を整えて、嬉々として由乃を迎え撃ったと言う訳だ。

 呼吸を整え、相手の気が緩んだタイミングを見計らい、再び力を込めて扉を押す由乃。
 今度は押し返す力は無く、10cmぐらいまでは開いたものの、それ以上扉は動かなかった。
 見れば、積み上がった書類入り段ボール箱がつっかえになっており、いくら細身の由乃でも、この幅では外に出られない。
 時間がない、半ばヤケクソで扉をガンガン叩きつけると、所詮相手はただの紙、へこんで開くこと20cm弱。
 これならギリギリ通ると判断した由乃は、無理矢理頭と身体を捻じ込んで、なんとか脱出に成功したが、心に若干のダメージを受けてしまった。
 もしこれが志摩子だったら、『絶対に』通れなかっただろう。
 ここまで私を追い詰めるのかと、腹立たしい思いの由乃の眼前には、廊下の突き当たりに佇む菜々の姿。
 どうやら階段側へ逃げ損ねたらしく、袋小路で最早逃げ道は無い。
「とうとう追い詰めたわよ〜」
 もう逃がすものかド畜生と思いつつ、相手ににじり寄る。
 時間はもう、残り五分を切っていた。
「残念だったわねぇ、あと少しで逃げ切れたのに」
 しかし菜々は、追い詰められているはずなのに涼しい顔。
「ええ、本当に残念です。あと少しだったのに……」
「?」
 訝しげに眉を顰める由乃。
「残念ながら由乃さまには……」
 そんな彼女を横目で見ながら、手摺に両手を添えた菜々は、信じられないことに、ぽんとその手摺を乗り越えた。
「な……!?」
 唖然とした表情の由乃をその場に残し、スカートが捲くれ上がるのも気にせず、一階までヒラリと飛び降りた。
 まるで猫の様に軽やかに、シュタっと着地する。
「私を捕まえる事が出来ないからです」
 由乃を見上げてそう言った菜々は、箒やらチリトリやらが散乱している床を通り抜けて、入り口から顔だけを覗かせた。
「さて、あと数分しか残されていませんが、諦めますか? それとも……」
 挑発、そして焦りと憤りで冷静さを失ってしまった由乃は、慌てて階段を駆け下りようとした。
 しかし、階段は荷物だらけということを完全に失念していたせいで、ダンボールに躓いてしまい、そのまま階段の角度に沿って、まるでスキーのジャンプのように斜めに落下する。
(あぁ、私の人生はこれで終わるのね……)
 諦めにも似た考えが頭を過ぎる。
 と同時に、
(K点突破、できるかしら……?)
 といった、どうでも良いことまでが浮かんでは消える。
 スローモーションの落下の中、まもなく我が身を襲うであろう衝撃に備えるため、目を瞑って歯を食いしばった次の瞬間。
 なんだか柔らかく、イイ香りがするものが、由乃の身体を力強く受け止めた。

「大丈夫ですか?」
 一体どのくらい経ったのか、耳元で聞こえたのは、菜々の声。
 目をそっと開けてみれば、心配そうな表情の菜々が、由乃の顔を覗き込んでいた。
 その問いには答えず、再び目を瞑り、自分の額を相手の額に、こつん、とくっ付けると、
「……捕まえちゃった」
 小さな声で呟いた。
 無事だったらしい由乃に、菜々は安堵の溜息、そして。
「えへ、捕まっちゃいました……」
 敗北宣言。
 おでことおでこをくっ付け合ったまま、由乃が首に架かったロザリオを、菜々の首に架け渡したその時。
 菜々の時計が、終了のアラームを鳴り響かせた。

「うわ、何これ?」
「あらあら」
 気の抜けた由乃が、その場に座り込んでいたところに現れたのは、祐巳と志摩子の薔薇さま二人。
「お姉さま、立てますか?」
「あーうん、大丈夫よ。さて、それじゃ片付けますかねぇ」
 菜々の手を借りながら立ち上がる由乃。
 由乃に向けられた『お姉さま』という特殊な単語を聞いた紅薔薇さまと白薔薇さまは、思わず顔を見合わせたが、微笑んで頷き合うと、
「あぁ、私も手伝うよ」
「そうね、皆でやれば、早く終わるわ」
 散らかり放題だったが、何処に何があったかは菜々が一番よく分かっているので、十分もかからず片付けは終了した。
 会議室に移動し、いつもの席に座る薔薇さまたち。
 由乃は、いろんな意味で疲れているらしく、テーブルに突っ伏してダレている状態。
 菜々は早速、妹として、山百合会関係者としての初仕事、すなわちお茶の淹れ方を志摩子に教わっているところ。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、遅くなりましたわ」
 そこに、白薔薇のつぼみ二条乃梨子と、紅薔薇のつぼみ松平瞳子が現れた。
 ちょっと複雑な笑みの祐巳とダレ切った由乃を見て、何か言いたげなつぼみ二人だが、とりあえず落ち着いてから問い質そうと、姉の隣に腰を下ろす。
「どうぞ紅薔薇さま、白薔薇さま、瞳子さま、乃梨子さま」
 湯気と香りを立ち昇らせるカップが順番に置かれ、
「どうぞ、お姉さま」
 由乃の前に、菜々はカップを差し出した。
 それを聞いた瞳子と乃梨子は、なるほどそう言うことかと、納得しながら頷きあった。
 最早問い質す必要はない、早速新人が淹れたお茶に、二人は舌鼓を打つ。
 菜々が由乃の隣の席に着いて、しばらくの後。
「で、由乃さん、どうだった?」
 祐巳が、主語を省いて簡潔に問い掛けた。
 視線が集中する中、顔を上げた由乃は、大きく溜息を吐くと、
「ロザリオを貰った時は、全然ドキドキしなかったけど……」
 チラリと横目で菜々を窺う。

「あげる時は死ぬほどドキドキするだなんて、思いもよらなかったわよ!」


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