「激闘!マナーの鉄娘」
すでにマナーからはほど遠いところまで来ている気がしますが…
(最終章その2・静かなる戦争)
目の前にドサリと置かれたワイシャツの山。
どれもこれも、これでもかというほどシワが寄っている。
「家事マナー5種競技、第1回戦。アイロン早掛け対決!」
どこで情報を聞きつけたのかリリアンから中等部、高等部の生徒たちが駆け付け、
ドンドンパフパフと鳴り物入りで応援している。
(蓉子さま、どういうことなんですか!)
(…あとで江利子を取り調べれば?すべては彼女の思惑なんだから)
当の江利子はどうしていたのかというと。
「まさかこんなことになるとは…」
もともとは江利子のちょっとした好奇心から始まったこの勝負。
いつも偉そうにしているちあきの鼻をちょっとだけへし折ってやれたらなぁ、という、
風船の中のヘリウムガスよりもなお軽い気持ちだったのだ。
ちあきがここまで独裁者様だったとは。
しかもこんな噂がある。
ちあきはすでに美咲を次期世話薔薇総統に決めていて、そのための教育を施している。
抜け目ないことに、現在の1年生の中で次期ユーゲントとして活躍しそうな生徒と面談し、美咲を支えてやってほしいという内容の話をしているということだ。
そこへアンチ山百合会・アンチユーゲント派を名乗るレジスタンス・ローズなんてものも出始めたのだから、さしもの江利子でも手に負えない。
「私絶対ユーゲントに殺されちゃう。ことによっちゃレジスタンスにもやられるかも」
「まっ、しょうがないわね。自分のまいた種だからね」
「いいんじゃありませんか?『振り回される』という立場も味わってみるのも」
聖も令も、江利子には一片の同情も寄せなかった。
「制限時間は2分、用意、スタート!」
太鼓の音がボンと響き、しわだらけのワイシャツとの格闘が始まった。
「蓉子選手はただいま5枚、ちあき選手は6枚!ちあき選手わずかにリード!」
用意されたワイシャツはなんと100枚。
それを制限時間2分でどこまでアイロンがけできるのか。
まだ始まって30秒もたっていないはずだが、目にもとまらぬ速さでシャツのしわがのびてゆく。
わずかでもシワが残ればその分マイナスになる。
ここはどうしてもパーフェクトを目指さなければ。
(なかなかやるじゃないの、ちあきちゃん)
(それはどうも。だてに私も主婦してませんよ)
目線だけで一触即発な会話を交わしながら、黙々と腕を動かし続ける。
シャツの山はみるみるうちにふくれあがり、ついに…
「ちあき選手、50枚目」
いったい1枚何秒でプレスしているのか。
ちあきの手にはまったく迷いがない。
今会場に響くのは、アイロンが布地の上をすべる音と、スタッフの枚数コール、あとは実況中継のみである。
「さあここまでちあき選手も蓉子選手もまったく互角!
現在のところ…62枚目に入りました!
2人ともまるで表情が変わりませんが、おっとここで、蓉子選手がラストスパートをかけてきましたっ!」
このままでは勝てないと踏んだのか、蓉子がアイロンがけのスピードを上げてきた。
(悪いわね、この勝負は私たちがもらうわ!)
あっという間に85枚目に入る蓉子。
この時点でちあきはまだ81枚目。
このままのペースで行けば蓉子の逃げ切り勝ちだが…
「あっ!」
指をやけどしてしまった。
通常ワイシャツは中温、当て布なしでアイロンがけするものだが、
どういうわけか高温、スチームあり設定になっていたのだ。
(なぜ気付かなかったのか…)
後悔の念がさらに指の痛みを強くする。
そういえば、前日に最後の調整をしていたとき、会場前で何人かのリリアンの生徒たちとすれ違ったが、なんとなく様子がおかしかった。
あれは、もしかして…
(司会者側にユーゲントかレジスタンスがいて、アイロンの設定を変えたとしたら…)
十分ありうることだ。
もともとこの勝負の言いだしっぺは江利子だが、勝負にのってきたのはちあきだ。
自前の組織を持っているのだから、それを使って綿密なリサーチをするはずである。
アイロンに細工を施すのもそのときにやればいい。
レジスタンスが犯人ということも考えられるが、それならちあきのアイロンも細工するはずである。
ちらっと見たところちあきのアイロンは中温、ドライ設定のままだ。
(ということは…)
蓉子の眉間に深いしわが寄った。
何も知らないちあきはここを勝負どころとみてペースを上げ始めた。
95枚目に入って、あと5枚になったとき。
(…うそでしょう?)
指をやけどしたはずの蓉子が、まるで何事もなかったかのようにアイロンをかけている。
しかも先ほどよりペースも上がっている。
思わず蓉子のアイロンを見ると…
(設定が…戻っている!)
いったいいつ戻したのだろうか。
確かに高温、スチームありにしておいたはずなのに。
あまりの動揺にアイロンを動かす手つきも思わず鈍る。
蓉子はそこを突いてきた。
そして。
「終わりました!」
高々と蓉子が右手をあげた。
その横でアイロン台に突っ伏すちあき。
長い長い判定の後…
「アイロンがけ100枚対決、優勝は、水野蓉子選手!」
拍手と歓声に笑顔で応える蓉子に、ちあきはキリッと強い視線を向けた。
「ユーゲント使ってアイロンの設定を変えてまで勝ちたかったのにね」
余裕の表情を向けるかつての紅薔薇さまに、震える声で反論するちあき。
「確かに卑怯な手だったかもしれません。でもまだすべてが終わったわけじゃない。
負けたなんて、私は認めません!」
「あらあら、ずいぶん気の強いこと。涙まで流して」
そう言われて初めて、ちあきは自分の目から涙が出ているのが分かったが。
「泣いてなんて、いません!」
それ以上蓉子の顔を見ていたくなくて、ちあきは足早に次世代たちのもとに戻って行った。