【2815】 動きだす危なっかしい乃梨子と  (MK 2009-01-11 00:48:42)


作者より:メインタイトル『もこもこしてたりする柔らかくてびっくりわっか的ビデオ』
       【No:2709】→【No:2712】→【No:2716】→【No:2721】→【No:2733】
      →【No:2736】→【No:2748】→【No:2752】→【No:2769】→【No:2806】の続きです。
今回は少しだけホラー?…ですかね。



「…どうして」
 先程出来た沈黙を破ったのは祐巳さま。私は無言で次の言葉を待つ。
「どうして、そう思ったの?乃梨子ちゃんは」
 祐巳さまは、私のビデオそのものが『呪い』だと結論づけたきっかけになったものを聞いているようだった。心なしか躊躇いの表情が伺える。
「そうですね…」
 目を覚ます前の朧気になった記憶を掘り起こしながら私は答えた。
「ビデオの中で何かを見てしまったことと、襲われた時に感じた感情のようなもの…ですかね」
「何か?…感情?」
 当然のように見事に疑問符を飛ばしながら、祐巳さまが聞いてきた。
「はっきりとは覚えてないんですけど、ビデオに映っていたものと相手の感情のようなもの…としか言えないです。ごめんなさい」
 自分がもう少し覚えていれば真実に近づいたのだろうと思うと、申し訳なく思ってしまう。
「いやいやいや、乃梨子ちゃんが悪いんじゃないって」
「…ありがとうございます。でも…」
 以前にもこんなやりとりがあったっけ。
「そういえば、映っていたことってあの猫の映像とか赤い文字の他に何かあったの?」
 私の暗い主張を遮るかのように、祐巳さまが内容について聞いてきた。その『赤い文字』という言葉に、頭のどこかで引っかかるものを感じる。

 ずきん。
「つっ…」
 その引っかかりが何なのか、記憶の糸を手繰り寄せようとすると、それを拒否するかのように鋭い頭痛が走った。
「大丈夫?乃梨子ちゃん」
「はい、何かビデオのことを…つっ」
「そんなに無理しなくてもいいから。きっと思い出したくないことなんだろうし」
「はい…」
 とは言ったものの、思い出さないことには伝えることも出来ない。私は頭痛に眉をしかめながら、記憶の奥底を覗こうとした。

 ずきん、ずきん。
「あうっ…」
「乃梨子ちゃんっ」
「…だ、大丈夫、です…」
「大丈夫って、乃梨子ちゃん。そんなに額に汗かいてるし、無理しちゃだめだよ」
 心配そうにハンカチを私の額に当てる祐巳さま。
 いつの間に、と思うくらいそのハンカチは私の汗で湿り気を帯びる。
「ね」
 一息ついて顔を上げる私に、その一言と共に笑顔を向ける祐巳さま。
「…はい」
 志摩子さんとは違うけれど。志摩子さんとは違う笑顔だけど。志摩子さんとは違う言葉だけど。
 志摩子さんと同じように私を包み込んだように感じた。



 くつくつくつくつ…。
 台所に響く、お湯が温まる音。
「…ふう」
 材料を一通り切った私から漏れる微かなため息。その左手の人差し指には絆創膏。
 いつもなら料理をしている時は心が弾んでいるはずなのに。
 役者と脚本家と演出家、それに監督が作り出す作品に心を躍らせるはずなのに。
 その心はここには無かった。
「…ふう」
 お姉さまはどうしているだろうか。
 乃梨子はどうしているだろうか。
 私はどうなるのだろうか。
 心だけ別の部屋にいる気分だった。
「…はあ」
 昨日のようにならなければいいけれど。
 お姉さまが傷つかなければいいけれど。
 乃梨子を傷つけなければいいけれど。
 そういった思いを抱えたまま、私は立ち止まっていた。
「………」

 くつくつくつくつ…。
 お湯が温まる音だけが響く場所で。



「時間…そういえば」
「ん?」
 落ち着いた乃梨子ちゃんが、顔を上げるとそう呟いた。その視線の先を見ると規則正しく時を刻む時計の丸い姿。
「…私がビデオを見ている間は、確か時間がそのまま過ぎていたんですよね」
 時計を見つめながら独り言のように話す乃梨子ちゃん。少しだけ、その獣になった姿に見とれてしまったり。
 いけない、いけない。乃梨子ちゃんは真剣に悩んでいるのに。
「え、そうなの?」
「ええ。確かビデオを見始めた時に確認したのが十二時でした。祐巳さま達が帰ってきたのは何時くらいだったのですか?」
「えっと…確か一時前くらいだったと思う」
 少しだけ記憶の糸を手繰って目的のものに辿り着く。乃梨子ちゃんの姿に動転していたとは言え、だいたいその位だったと思う。
「それなら、やはりビデオの流れる時間は普通通りだということになりますね」
「なんで普通通りだったんだろうね。今までは時間の流れが速くなっていたのに」
 一日の一部分だけでも自分の時間が周りに取り残されてしまったら。思い浮かべて、すごく怖い感覚に少しだけ身震いした。

 周りの時間が速く動くってことだから…祐麒の歳が追いついて、お姉ちゃんじゃなくて妹になっちゃう?となると、祐麒を「お兄ちゃん」と呼ばないといけなくなるのかな?いやいや、祐麒も「祐巳」って呼び捨てにしていることだし…いや、時々は「姉ちゃん」って呼んでいるから、やっぱり「兄ちゃん」もしくは「祐麒兄ちゃん」かな?

 などと見当違いのことを考えていたのは僅かの間。乃梨子ちゃんの次の言葉に、現実に戻される。
「やはり時間を早める必要がなくなったからじゃないでしょうか」
「必要がなくなった?」
「はい、呪い発動まで五日。その時間そのものを短くするしかけだったんじゃないかと…」
 少しだけ自信なさげに話す乃梨子ちゃん。実際に体験したから分かった答え、だけど記憶が曖昧で呪いをかけた本人でもないから断定も出来ないし…という感じ。
「うーん、その場でそのまま呪いかける、とか出来そうだよね。それが無かったのは…?」
 自分でも少しだけは予見出来る質問を口に出してみる。本当はそこまで最悪なことを出来る人(かどうかは分からないけれど)がいるなんて考えたくもないけど。
「…そうですね…」
 乃梨子ちゃんは私を見て、少しだけ躊躇いをみせた。恐らく考えていることは同じかな、と思う。ただ乃梨子ちゃんも信じたくは無いらしい。
 私は微かに笑って見せた。乃梨子ちゃんが少しでも落ち着くといいけど。
「呪いのビデオそのものが増える為の時間、または瞳子みたいに巻き込まれる犠牲者が増える為の時間、あるいはビデオを見てしまった人が恐怖に苛まれる時間、もしくは…」
「もしくは?」
「それら全てを狙ったものかと」
 乃梨子ちゃんの、今は大きな耳が少しだけ下がったように見えた。自分で言った言葉に自分でショックを受けたような、そんな仕草だった。
「大丈夫?」
「え?…ええ。無理に思い出していたというより、推測しただけですから」
 そう言うと乃梨子ちゃんはにっこり笑うと、立ち上がろうとしていた。
 どうしたのかな?と思っていると、顔に出ていたらしく乃梨子ちゃんが少しだけ照れた様子で答えた。
「あ、少しお腹が空いたので台所でつまんで来ます」
「あ、うん」
 さっきのことで瞳子にも話したいんだろうな。
 そう思って乃梨子ちゃんを笑顔で見送ろうとした瞬間。

「あっ!」
 変化した体に慣れてない為か、乃梨子ちゃんがバランスを崩して倒れてきた。
 咄嗟に腕を伸ばして支えようとしたけれど、座った姿勢じゃ支え切れるはずもなく。
「きゃあっ」
「わ、わわっ」
 むぎゅ。
 なんか前にもこんなことがあったなー、とか思いながら乃梨子ちゃんの下敷きになっていた。幸い、テーブルは離れていたし乃梨子ちゃんが使っていた座布団の方に倒れたので頭は打たなかったけど、軽く息が詰まってしばらくぼうっとなってしまった。
 乃梨子ちゃん、あったかいなーとか不謹慎なことをぼんやり考えていたのは一瞬のことで、すぐに現実に引き戻されることになった。
「お姉さま、乃梨子っ」
 優しくも厳しい妹の声で。



 くつくつくつくつ…。
「…ふう」
 時計と鍋と怪我をした指と。目線で何度か往復した後、何度目かのため息を吐いていた。
 考えているだけじゃ、乃梨子のあの体も、お姉さまや私の呪いも元に戻ることはないけれど。
 そう考え込んでいる私の耳に、慣れ親しんだ声が物音と共に、静かな澱んだ空気を追い払うかのように台所に飛び込んできた。

「きゃあっ」
「わ、わわっ」
 どてんっ。

 …お姉さま、乃梨子!?
 その、ただ事ではない音に私は弾かれるように乃梨子の部屋に向かった。
 脳裏に浮かんでいたのは昨日の由乃さまの家でのこと。私が席を外している間に、由乃さまの鋭い爪がお姉さまの頬を切り裂いていた。
 注意してなきゃだめだと決めたのに。
 例えそれが親友でも。
 悪意がなかったとしても。
 本能というモノがちょっかいをかけることは重々分かっていたはずなのに。
 先程の親友を裏切った気持ちが、怖いと思ってしまった気持ちが、そのことを忘れさせてしまっていたなんて。
 急ぐ私は、料理の最中であることも忘れて部屋に飛び込んでいた。
 その手にしていた物も忘れていた。



「お姉さま、乃梨子っ」
 部屋に鋭い声が響く。
 どきどきどきどき。倒れたショックか、自分の胸から速い拍動が伝わるのが分かる。
「う、ううん…」
 普通通りに、前の様に立とうとして手足の重量のバランスの変化、足裏の感触の違和感などが重なって、思わず倒れた。
 祐巳さまが支えようとしていたけれど、座った状態で人一人を支えられる訳もなく倒れてしまった…とそこまで把握して、自分の下敷きになってしまった祐巳さまのことを思い出した。
「祐巳さま、大丈夫ですか」
「あ、うん。大丈夫、大丈夫」
 慌てて祐巳さまの上から体をどかすと、急に起こさないように注意しながら声をかける。
 と、いつもの明るい声が返ってきた。
 ほっとした所で、部屋に響いた声の主のことを思い出して振り返る。
「あ、とう…」

 どくんっ。
 自分の心臓が跳ね上がるのが分かった。
「…こ」
 部屋の入り口の所でかなり心配そうな顔で、こちらを見つめる瞳子。料理の最中に跳んで来たらしく、その手には包丁が握られていた。
 問題はそこではない。包丁に驚いた訳ではなく、それから漂ってきた魚の匂い。

「お、お姉さま。大丈夫ですか」
「うん、乃梨子ちゃんがバランス崩して倒れてきただけだよ。大丈夫、大丈夫」
 ひらひら、と私の隣で手を振りながら瞳子に答える祐巳さま。
 その答えに、ほっとした表情で近づいてくる瞳子。

 どくんっ。
 近づいてくる肉の匂い。
 切った魚が新鮮だったのか、海の匂いに混じる血の臭い。

「瞳子、それ」
「え?…あ。置いてくるのを忘れてました」
「瞳子ったら、ふふふふ…」
「お、お姉さま」
 祐巳さまの指摘に、手にしていた包丁に気づいた瞳子がテーブルに包丁を置く。

 どくんっ。
 普段なら『生臭い』の一言で済ますような、しかも普段なら殆ど感じることのない匂いを、私ははっきりと感じていた。
 だけでなく、その中に混じる僅かな血の臭いを嗅ぎつけていた。
 魚ではない、その臭いを。

「乃梨子ちゃんは大丈夫?」
「………え?あ、ああ、大丈夫ですよ。祐巳さま、済みません」
「あ、ううん。いいよ、いいよ。まだ慣れてないんだもんね」
「…大丈夫?乃梨子」
「うん…」
 少しぼうっとした私を心配そうに見つめる祐巳さまと瞳子。
 なんでもないことを示すために微かに笑ってみる。こういうのはくすぐったいけど。
 と、共に私は少し平静を取り戻す。

「瞳子、指どうしたのっ」
 ツインテールを揺らしながら起き上がった祐巳さまが、声を上げて指さす先には瞳子の…絆創膏が巻かれた指。
「あ、ちょっと包丁で切ってしまって。消毒したから大丈夫です。ですから、そんなに大きな声を上げないで下さい。お姉さま」
「あ、うん…」
 そう縦ロールを揺らしながら瞳子は、しかめっ面をしながら腕組みをしてみせた。
「それよりも…」

 どくんっ。
 再び鼓動が跳ねる。
 自分では必死に押さえようとするけれど、悲しいかな、意識はすぐに目的のモノに移る。

「乃梨子…」
「…う、うん?」
 内心を必死に押さえつけながら、瞳子に返事をする。
「あの、その…ごめん。乃梨子」
 ごめん?何?瞳子なにかしたっけ?
 いきなりと言えばいきなりの謝罪に、私は疑問符を飛ばしながら意識を瞳子に向けた。
「さっき、私…逃げてたから。…乃梨子から」
「あ、ああ。…うん」
 先程の涙はそういう意味もあったのか、といつもよりも数段理解の遅い頭で納得していると。
「お姉さまも、さっきは乃梨子を任せてしまって…ごめんなさい」
「あ、ううん。私はいいよ、瞳子。仲間なんだから、ね」
 振り返って、祐巳さまにも謝る瞳子。

 どくんっ。
 目の前を通る瞳子の縦ロール。
 目の前には瞳子の白い首筋。
 必死の抵抗も空しく、抑えた意識が表層へと溢れようとしていた。

「瞳子…」
「どうしたの?乃梨子」
 振り返る瞳子、再び目の前を通る縦ロール。
 血色の良い顔で、『何?』とばかりに笑う瞳子。

 どくんっ。
 今なら分かる。志摩子さんの気持ちが。
 私の目の前の柱に爪を立てた志摩子さんの気持ちが。
 これは…抑えられるものじゃない。

「どうしたの?乃梨子」
 再び聞きながら、顔を近づける瞳子。
 もう、腕を伸ばさなくても届くくらいに近い。
 私の意識が注がれているモノがより一層近づく。
「さっきは、ごめんね。瞳子」
 言いながら私は、手に力が入るのを感じていた。
「はいはい。人のことを小さいとか、ち、小さいとか言ってくれたけど、まあいいわよ…もう」
 その声を聞きながら、一旦は入った力を抜きながら息を吐く。

 どくんっ。
 抑えるんじゃなく、解き放つモノなんだ。
 そう実感しながら、目的のモノに意識が戻る。
 知らずに、目の端が細く鋭くなっていた。

「ホント…」
 再びこめられる力。
「…ゴメンネ」
 そう言いながら、私は腕を伸ばしていた。

 瞳子の、特徴的な、縦ロールが、舞った。




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