【2828】 奇襲成功  (クリス・ベノワっち 2009-02-03 09:29:25)


【No:2825】の続き、逆行もの第2話です。


「紅薔薇さま!」
教室の入り口に立つ人物を見て、私はつい叫んでしまった。と同時に、今まで遠巻きに蓉子さまを眺めていた視線が私に集中する。そして、それは蓉子さまも同じで、今、蓉子さまの視線は私をはっきりと捕らえている。ああ、何て間の悪さだ。多分蓉子さまは志摩子さんを誘いに来たのだろう。せめて1日待てば良かった。
「志摩子さん、ちょっと一緒に来てくれる?」
「え?」
こうなったら説明するより早い。蓉子さまが志摩子さんを誘った直後に、私も一緒についていけばいいじゃないか。志摩子さんだって、一人で行くよりは二人の方が心強いはずである。『どうしたの祐巳さん』という目で訴える志摩子さんを連れ立って、私は蓉子さまの前に進み出た。
「ごきげんよう紅薔薇さま。あ、黄薔薇さまも!」
「ごきげんよう」
カメラを構えた江利子さまが私の挨拶に応じる。しかし蓉子さまは、『ごきげんよう』と言ったきり私の姿をじっくりと眺め回すばかりだ。なんだろう?と、私は自分の制服をチェックする。タイでも曲がっているのだろうか。あっ、まさか入学してからずっと制服に値札がついたまま、
「ごめんなさい。そうじゃないのよ」
顔を上げると、蓉子さまはクスクスと笑っていた。
「めずらしかったものだから」
「…めずらしい、ですか?」
何がだろう?まさか百面相とか。いやしかし、ここまで私はそんな素振りは…したか。身なりを気にした私に蓉子さまは『そうじゃない』と言ってたな。
「積極的に私達に話しかけてくる新入生が、よ」
「ああ」
なるほど。確かに入学間も無い新入生にとって、薔薇さまは憧れの存在である。恐れ多い、というのかな。
「だから、貴方はめずらしい。名前を聞いても良いかしら」
「福沢祐巳、です」
「ふむ、祐巳ちゃん、ね。で、もうお姉さまはいるの?」
尋ねながら蓉子さまは、持っていたノートに何やら書きこんでいる。なんだろう?
「いませんが…」
「そう。よかったわ」
そう言って蓉子さまは踵を返し立ち去ろうとする。え、ちょ、ちょっと待って。
「紅薔薇さま!」
「ん?…何かしら」
「あ、あの。山百合会のお手伝いをしてくれる人を探していらっしゃるのでは?」
「…まあ、そう言えない事もないけれど」
そうだよ。蓉子さまったら、もう。
「でしたらっ!」
私は、ずっと隣で成り行きを見守っていた志摩子さんを前面に押し出す。『きゃっ』と言う声が可愛い。
「こちらの志摩子さんはいかがでしょう」
「え?」
蓉子さまと志摩子さんの声が重なる。志摩子さんが非難がましい目で私を見てくる。まぁ当然だろうな。理由も解らず連れてこられた挙句、新入生にとっては近づきがたい場所である薔薇の館に放り込もうというのだ。でもね、志摩子さん。ここは譲れないんだ。志摩子さんには、何としても山百合会に入ってもらわないと。
「彼女を薦めるという事は、貴方は辞退する、という事?」
蓉子さまが聞いてくる。
「え?いえ、ぜひやらせて頂きたいのですが」
「はぁ?」
およそ蓉子さまらしからぬ声に、私はちょっと驚いた。何?私何か間違った事言ったのだろうか?蓉子さまは片手で頭を抑え続ける。
「ええと、貴方ね。何を言っているのか解ってるのかしら?」
「はい。出来れば二人とも一緒がいいです」
そこで江利子さまが笑い出した。
「いいわ。貴方最高」
「江利子」
蓉子さまが渋い顔でたしなめる。そして私に向き直り、呆れた様に話す。
「妹を二人持つなんて、聞いたことがないわ」
「妹?」
あれ?お手伝いの話だと思っていたけれど違うのだろうか。でもでも、聖さまの妹候補と言う事なら志摩子さんをスルーするはずがないのに。
「そうよ、祥子の妹。奥手な妹の為に、姉である私がこうして新入生のチェックを…」

『え?』

えええええぇぇーーっ!ちょ、ちょっと待って。祥子さまって、妹って。
「まぁいいわ。ええと志摩子さんだったかしら?貴方、お姉さまはいて?」
「いえ」
嗚呼、待って下さい蓉子さま。お願いですから私のライバルを増やさないで下さい。
「そう、じゃ写真を一枚撮っても良いかしら?」
「構いませんが」
淡々と進んでいくやり取りに、私はがっくりと崩れ落ちる。四つんばいに成った私に上から声がかかる。
「どうしたの?貴方」
「いえ、少々思うところがありまして…気にしないで下さい」
「そう」
そして、反省の海に落ちていった私には、その後何が起こっていたのかよくわからなかった。


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江利子に志摩子ちゃんの写真を撮ってもらいながら、私の心には、ある思いが膨れ上がっていった。
『福沢祐巳。この子が欲しい』
およそ新入生らしからぬ態度、薔薇さまの威光にも動じず、緊張する様子もない。かと思えば、突然変な事を言い出した挙句に自爆、そして沈没。
『面白い』
この子に会うまでは、『祥子の妹になれそうな子』を探していたのだ。この子は祥子に合うだろうか、相応しいだろうか、と。でも、それは違った。
『祥子が、この子の姉になったらどうなるのだろう?』
変わる。きっと祥子は変化する。それは確信にもにた想い。どうしてもこの子を祥子の妹にしたい。その為にはどうしたらいいか……。

「江利子、写真を撮って」
「え?」
祐巳ちゃんの写真、と私は続ける。未だ四つんばいで、打ちひしがれている祐巳ちゃんを私は示す。頭を垂れて、おそらく顔すら写らないはずだ、が。それこそが私の狙い。
「なるほど。了解」
さすが親友。よく解ってるじゃないの。祐巳ちゃんは、撮られた事にも気付かない様子で、そうして私達は取り敢えずその場を去ったのだった。


「見るだけでもいいのよ」
翌日。薔薇の館に来た祥子を捕まえた私は、ノートを祥子につきつける。
「見ても時間の無駄ですもの」
渋る祥子だったが、一歩も引かない私に折れてノートを開く。そこには数日かけて集めた新入生のリストがある。祥子の妹候補をリストアップした件のアレだ。しかし、そんな私の苦労など知らぬ顔で、祥子はページをパラパラと送る。おそらく祥子は読んでいない。読んでいるフリをしているだけだ。しかし視界には入る、私には勝算があった。少しの間、二人きりの薔薇の館にはページを繰る微かな音だけが響いて、やがてそれが止まる。
『勝った』
そう思った。間違いなく、これで祥子の脳裏には『福沢祐巳』という名が刻まれたはずだ。
「やはり、時間の無駄でしたわ」
ノートを閉じて立ちあがる祥子に、私は返す。
「そう、残念だわ」
内心のガッツポーズを抑え、私は、さも残念そうに溜息をつく。急く事はないのだ、祥子は祐巳ちゃんのページ以降を見る事すら、忘れてしまったのだから。
「もう失礼してもよろしいですか?」
「いいわよ。私はもうちょっと用事があるから」

そうして祥子の後姿を見送った数分後、私は待ちかねていたもう一人と会う。
「で、何の用?」
「貴方にもどうかしらって」
ノートを掲げ問う。
「くだらない」
「そう?」
「私は妹なんていらない」
「まぁ見るだけでも」
ね?とノートを渡す。聖は相変わらずノートを開かなかったが、私が二人分のコーヒーを淹れて戻ってくると、しかめっ面でページをめくっていた。
「ねぇ蓉子」
「何?」
「何でこの子、こんなポーズなの?」
「ああ」
笑い出しそうになるのを堪え、私は言う
「それはね、罠なのよ」
罠。そう罠だ。事実、二人ともそこで指を止めた。他のページは胸から上を正面から写した生徒達なのに、祐巳ちゃんだけは、がっくりと崩れ落ち四つんばいの全体写真だ。顔だって写っていない。
「ふーん」
罠に引っかかった事が面白くないのか、聖は特に反応を見せず、再びページを繰る。

そして、聖の顔から、余裕が消えた。

指は止まり、呼吸すら忘れたかの様に、聖の周りだけ時間が止まっていた。
『どうしたの』との私の問いも聞こえない様子だった聖の唇が、微かに動いた。

『藤堂 志摩子』

と。


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