【2829】 だいどんでん返し何の気遣いもなく見てみぬ振り  (朝生行幸 2009-02-03 23:28:57)


「祐巳さん、じゃんけんブルドッグしよう!」
「ごきげんよう……ってはい?」
 恒例の挨拶も抜きで、薔薇の館に姿を現した紅薔薇さま福沢祐巳に、満面の笑みで詰め寄ったのは、黄薔薇さま島津由乃。
「何なの? じゃんけんブル……?」
「じゃんけんブルドッグよ」
 祐巳の問いに、由乃が答えるには。
 じゃんけんブルドッグとは、じゃんけんをして一度勝ったら相手の片方の頬をつまみ、連続してもう一度勝ったら両頬をつまんで、「たてたてよこよこまるかいてちょん」と引っ張る遊びだ。
「まぁ平たく言えば、負けた相手の頬をぷにぷにつまんだり突っついたりするだけの、罪のない遊びよ」
「へ〜。まぁいいけど」
 何となくウサンクサイものを感じなくもないが、特に断る理由もないので、とりあえずは付き合うことにした祐巳。
「じゃぁ行くわよ。じゃーんけんポン!」
 由乃はパー、祐巳はグー。
 勝った由乃は、相手の右頬をつまんだ。
「はい行くよ。じゃーんけんポン!」
 由乃はチョキ、祐巳はパー。
「私の勝ちね!」
 無邪気に喜ぶ由乃の姿を見ていると、三年生になったんだからもう少し落ち着けよと思う反面、これも彼女の持ち味なんだろうなと、微笑ましく思えるのも事実。
 これからも長く付き合う相手だ、祐巳は、少なくとも遊びぐらいは、そんな由乃の思うようにしてあげようと、リリアンには似つかわしくない仏心を出したのだが……。
 ──甘かった。

「行くわよ! たーてたーて!!」
「痛ぁ痛い痛い!!」

「よーこよーこ!!」
「痛いってば、出る、何か出る!!」

「まーるかいて!!」
「止め、痛ーい!!」

「ちょん!!!!」
「あぎゃーーーーーー!!!!」

 ぷにぷにつまむどころか、渾身の力を込めて、相手の頬を思いっきり引っ張りまくった由乃。
 誰かが先日の卒業式で出した大声を彷彿させるような叫び声を上げた祐巳は、テーブルの上に突っ伏して悶絶状態。
 何しやがんだこの雌猫と思いつつも、あまりの痛みに顔も上げられず、声も出せられない。
 そこに、
「ごきげんよう」
「乃梨子ちゃん、じゃんけんブルドッグしよう!」
「いきなりですね。まぁいいですけど」
 次いで姿を現した白薔薇のつぼみ二条乃梨子にも、じゃんけんブルドッグを挑んだ由乃。
 乃梨子はどんなものか知っていたようで、特に聞き返すこともなく応じる。
 中学までは共学校に通っていた乃梨子だ、知っていても当然だろう。
 もっとも、女の子同士でやるような、大人しいタイプではあるが。
 やめろー、相手にするなー。
 と祐巳は思ったが、同じ目に遭う仲間が増えて欲しいというやや黒い思いもあって、結局は止めなかった。
 で、結果。
 祐巳と同じように、テーブルに突っ伏す乃梨子の姿がそこに。
 続けて紅薔薇のつぼみ松平瞳子、白薔薇さま藤堂志摩子も、哀れなるかな餌食となり、都合四人がテーブルの上で頬を押さえて、涙目で由乃を睨みつけるばかり。
 志摩子が勝負を受けたとき、乃梨子は何としてでも止めようとしたのだが、祐巳と瞳子が両側から腕をガッシリ握って阻止したため、それは適わなかった。
 チョーシに乗っている由乃は、時に信じられないような突貫力を発生させることがあり、しかもそれはどうでもいいような場合に限って最大限に発揮される傾向にある。
 今がまさにその時だ。
「もうみんな弱っちぃわねぇ。誰か私の頬もぷにぷにしてよ」
 そのセリフに、「泣かすぞこのアマ」と、新生山百合会で最高の団結力が生じる。
 しかし、同じ手段──じゃんけんブルドッグ──で相手に勝たなければ、何の意味もない。
 残念ながら、今の祐巳たちにはそんな気力はなく、由乃に勝てそうな生徒はここには──。

「ごきげんよう。遅くなりました」

 ──いたー!!
 最後の希望が現れた。
「菜々、じゃんけんブルドッグをしよう!」
「はい? 何ですかじゃんけんブルドッグって」
「それはね」
 祐巳たちにしたのと同じ説明を、黄薔薇のつぼみ有馬菜々に説明する由乃。
 菜々は、入学したばかりの一年生でありながら、既に薔薇さまたちに匹敵する、『最凶の新人』と目されている。
「へー、それは面白そうですね」
「でしょでしょ、さぁ勝負よ」
「受けて立ちましょう」
「それじゃ!」
「っと、ちょっと待って下さい」
 相手の返事も待たずに、クルリと背を向けた菜々は、手の甲にしわを作って見るという、じゃんけんの前に行われる100%全く完全に無意味な儀式を行った。
 が、菜々の目は、手の甲には向いていなかった。
 彼女は、祐巳、乃梨子、瞳子、志摩子と順番に目配せすると、ニヤリと口元に笑みを浮かべたのだ。
((!?))
 四人は、同時に菜々の意図が読めた。
 恐らく菜々は、これから何をするのか解った上で、すっ呆けてみせたのだろう。
 頭の回転が速い彼女のことだ、その単語と祐巳たちの状態から、即座に状況を理解出来たハズ。
 流石は「面白そう」という理由だけで由乃の妹となった人物。
 敵に回すと底抜けに恐ろしいが、味方になったらなったで不安になるけど頼もしい、そんな一年生はそうも居まい。
「では始めましょう」
「よっし、行くわよ! じゃんけんポン!」
 由乃が勝ち、菜々の右頬がつままれる。
「じゃんけんポン!」
 菜々が勝ち、頬が解放される。
 そのまま一進一退の勝負が繰り返され、見ている側はハラハラドキドキ。
 現在、菜々が由乃の片頬をつまんでいる。
 次のじゃんけんにも菜々が勝てば、彼女の勝利となる。
 数十回に及ぶ勝負で緊張が最高潮の中、睨みあってコール。
『じゃんけんポン!!』
 由乃はグー、菜々は──。
 パーだった。

「負けたー!?」
 絶叫する由乃。
「さて、私の方が、お姉さまの頬をいろいろアレ出来るんでしたよね?」
「ええ、そうよ。まさか負けるとは思ってなかったけど、負けは負け。さぁ、好きなだけプニプニしなさい!」
「じゃぁ遠慮なく」
 改めて、由乃の両頬をつまんだ菜々。
「あー、柔らかいですね、お姉さまの頬って」
「そうでしょそうでひょわ」
 語尾が変に歪む。
 何故なら。

「とぅわーてとうわーて!!!」
「ひょ、わわ、痛やや止め痛!!!」

「ゆぉーこゆぉーこ!!!!」
「な、や、痛いってなぎゃや!!!!」

「むぅわーるくぅわいて!!!!!」
「あーがーなーぎゃーわーあー!!!!!」

「ちょん!!!!!!」
「めぎょろわりゃーーーーーーーー!!!!!!」

 渾身の力──非力な由乃よりも圧倒的に強い力──で、頬を引っ張られたから。
 薔薇の館、二階会議室。
 菜々を称える拍手の音が、床の上で痙攣している由乃は放置したままで、盛大に鳴り響いていた。

 由乃の頬は一週間、ずっと赤いままだったという……。


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