作者より:メインタイトル『もこもこしてたりする柔らかくてびっくりわっか的ビデオ』
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→【No:2815】の続きです。
あらすじ:呪いのビデオにより、抵抗も空しく獣の混じる姿になってしまった乃梨子。
その姿で尚も真実に迫ろうとするが、獣の本能とも言える衝動が乃梨子を襲う。
その想いのままに乃梨子は瞳子に腕を伸ばすのだった。
Caution!! このお話にはグロテスクな表現は一切入っていません。
安心してお読み下さい。…あれ?
私は動けなかった。目の前で瞳子に爪が迫っているというのに。
私は乃梨子ちゃんが瞳子に腕を伸ばすのを視界に入れながら、別のことに気を取られていた。
私は目的のものに腕を伸ばそうとしていた。
私は動けなかった。目の前に乃梨子の爪が迫っているというのに。
私は乃梨子が私に腕を伸ばすのを理解しながら、動けずにいた。
私は乃梨子を見つめながら、動けなかった…いや、動かなかった。
私は動いていた。目の前の瞳子に何度も手を伸ばしていた。
私は最初の一薙ぎで瞳子が動かなくなったのを確認しながら、何度も何度も目的のモノに腕を伸ばしていた。
私は瞳子を見つめながら、瞳子を見てはいなかった。
私は文字通り子猫のような無邪気な心で、ボールを追いかけるような純粋な気持ちで、積もり積もった雪の上に初めての足跡を付けるような興奮の中、真っ白な半紙に墨汁をぶち撒けるような背徳感と共に、一心不乱に同じことを繰り返していた。
そう、つまりは。
じゃれていた。
てしてし、てしてし。
ゆやんよやん、ゆやんよやん。
一薙ぎ毎に揺れる縦ロール。
「の…乃梨子。」
てしてし、てしてし。
ゆやんよやん、ゆやんよやん。
一薙ぎ毎に乱れていく縦ロール。
「乃梨子」
「んー?」
てしてし、てしてし。
ゆやんよやん、ゆやんよやん。
私はそれに見とれながら、尚も腕を振るっていた。
「乃梨子っ」
「っ!」
てしっ。
ゆやん。
私の手が離れると、その余韻を残すように瞳子の縦ロールが揺れて、おいでおいでと誘っているように見え、私は名残惜しく思いながら空を掻くように手を動かした。
「そんなにするから私の髪が乱れてしまったじゃないのっ…そ、そんな、耳を下げて見つめてもだ、駄目よっ」
瞳子は私を軽く睨むと、抗議を始めたが直ぐに顔を赤くしてそっぽを向いた。
軽く涙目なのは、軽い興奮で爪が出ていたからだろうと思う。動かなかった理由も恐らく、動いたら爪に当たりそうだったからだろう。
ちょっと悪いことしたかな。
顔が赤いのは…なんだろう?変なの。
「…?」
「…っ」
そう疑問に思いながら、首を傾げて瞳子を見つめていると此方を伺うように振り向いた瞳子と目が合った。
そして再び顔を赤らめてそっぽを向く瞳子。やっぱり変なの。
「ん?」
よく見ると瞳子の両手が所在なさげにわきわきと動いている。
所在なさげと言うよりは目の前に触りたい物があるのに触れないという感じかも知れない。
私のような猫の衝動に襲われたならともかく、である。
目の前のもの、目の前のもの…ねえ。
頭の中を疑問符で一杯にしながら、瞳子のお姉さまである祐巳さまに尋ねようとそちらに視線を移すと、祐巳さまが…居なかった。
「あれ?」
瞳子の縦ロールに夢中でじゃれている間に移動したのは直ぐ分かったので、探そうとしたところ、急に変な感覚が襲ってきた。
さわさわさわっ。
「ひゃっ」
思わず変な声を上げてしまってから、その感覚が襲ってきた方に目を遣ると案の定、祐巳さまがそこに居た。居て、私の足の裏…を触っていた。
「なっ、ななななな、何してるんですかぁっ」
「…にくきゅう」
見ると祐巳さまは、陶然とした表情で黙々と私の足の裏のいわゆる肉球を触っていた。
ふにふにふにふに。
「やっ、ちょっ、まっ、ゆっ、祐巳さまっ」
「…にくきゅう」
ふにふにふにふに。
慌てる私の声が届いてないのか、執拗に肉球を触り続ける祐巳さま。
足の裏をくすぐる訳ではなく押しているだけなので、くすぐったいと言うわけでは無いけれど…何か恥ずかしい。
「瞳子ぉ〜」
「………乃梨子」
自分のお姉さまが、目の前に自分がいるのに親友にちょっかいを出しているのだ。怒り出すに決まって…。
「…耳触っていい?」
いなかった。
うなだれる私を、了承と受け取ったのか触りだす瞳子。
もふもふもふもふ。
ふにふにふにふに。
もふもふもふもふ。
ふにふにふにふに。
困った。どうしよう。そう思いながらも少しだけ抵抗を試みる。
「あ、あの…祐巳さま…」
「乃梨子ちゃんは、小さい子猫がいたら触りたい?」
「へ?…あ、はあ」
「だよねっ」
もふもふもふもふ。
ふにふにふにふに。
もふもふもふもふ。
ふにふにふにふに。
「と、瞳子…」
「乃梨子は、ふかふかの新しい毛布があったら触り心地試してみたい?」
「は?…うん、まあ」
「そうよねっ」
もふもふもふもふ。
ふにふにふにふに。
もふもふもふもふ。
ふにふにふにふに。
ダメだ…。
私が小さい子猫?私がふかふか毛布?
…ありえないっ。発想がありえないっ。
私が知っている自分像とそれらを重ね合わせて、その違いに頭を抱えそうになる。実際は頭を抱えられない状態だけれど。
因みに今の体勢はというと、座り込む私の後ろから瞳子が抱きすくめるようにして私の耳を触っていて、半ば力が抜けたように投げ出された足の肉球を祐巳さまが触っているという格好になっている。
…と、自分の思考が良い具合に茹だって来るのを感じていると、思わぬ所から救いの音色が聞こえてきた。音色と呼ぶには程遠いものではあったが。
じゅわっ、じゃわわわわっ、しゅー。
「なに?何の音?」
「台所の方から…」
「…あっ」
はっとしたように瞳子が短く声をあげて体を離して立ち上がる。
「どうしたの?」
「お鍋…かけっぱなしだった」
そう答えて、瞳子はどたどたっと慌てて台所の方へと出ていった。
「鍋…」
ふにふに。
「祐巳さまっ」
「あ、ごめんごめん。あはははは」
「大体…」
「ん?」
先程から疑問に思っていたことを口に出してみることにした。
「瞳子に私の爪が届きそうだったのに、なぜ止めなかったのですか?」
自分のことを棚に上げていることは承知の上での質問。
横目からちらりと見えただけだけれど、祐巳さまは確かに私が瞳子に腕を伸ばしているのを確認しながら、それを危険だとは思わずに私の方へ来ていたのだった。
「ああ、それはね。知ってたからなの」
「知って、いた?」
「うん、まあ由乃さんの家でね。同じように由乃さんが私の髪にじゃれてきてね」
つい、と自分のツインテールの片方に触れる祐巳さま。どこかくすぐったそうな表情で。
「流石に驚いちゃって、動いた拍子にがりっと」
継いでガーゼを張ってある顎のラインに指が触れた。少し恥ずかしそうに。
「それを知っていたから止めなかった、と?」
「まあ、乃梨子ちゃんが瞳子を傷つけないって信じてたこともあるけど、ね」
えへへ、と屈託無く笑う祐巳さま。全く軽く信頼を口にしてくれるものである。こっちが恥ずかしくなるくらいに。
「そう、ですか」
本当に恥ずかしい。自分が一番信じられないなんて。
「そういえば、乃梨子ちゃんは志摩子さんの家でそういうこと、無かったの?」
「…あ」
志摩子さんが私に爪を振るった訳。そのことに思い当たる。
よくよく思い出してみれば、なんということも無かった。
翻ったスカート。落ちてきた綿埃。
『猫は動く物に反応します。特に子猫は相手を確認することなく動くので注意しましょう』などと、どこかのペット飼育のいろはに出てきそうな注意事項が頭をよぎる。
さらに住職の頭が思い浮かんで、思わず吹き出しそうになる。
志摩子さん…じゃれてたんですね。そうなんですね。
猫ってボールとか光る物にも反応しますもんね。
「…っ…。はいっ…ありました…っ」
あんまり、と言えばあんまりな種明かしに脱力しながら、笑いを堪えているという奇妙な状態に陥ってしまった私に、何を勘違いしたのか祐巳さまは。
「あ、うん。辛かったら思い出さなくていいから。ね」
なぜか慰めるような口調で言葉を返していた。
もちろん、私は笑いを堪えるのに必死で祐巳さまの顔を見られなかった。
くつくつくつくつ。
とんとんとんとん。
台所から、空腹感を煽るようなリズムが聞こえてくる。
「そういえば、その尻尾ってやっぱり感覚あるの?」
「え?尻尾…ですか」
言われて振り向くと、やはり見慣れない尻尾がスカートの裾から覗くように見えている。
ああ、バランスを崩した一因はこんな所にあったか、と思っていると祐巳さまが文字通りの猫なで声で尋ねてきた。
「ねえ、乃梨子ちゃん…」
「だめです」
「何も言ってないよー」
「だめです」
「…分かった」
分かった、と言いながらそのわきわきしている両手は何ですか。祐巳さま。
くつくつくつくつ。
とんとんとんとん。
「何と言うか…不思議なんですよね」
「不思議?」
気を取りなおして、先程の質問に答えることにした。
しかし、上手く表現出来るか自信がなく、私は言葉を探すように答え始めた。
「今まで尻尾が無かった感覚が残っているから、気持ち悪いと言えば気持ち悪いんですけど」
「けど?」
「今までも尻尾があったような自然な感覚でもあるんですよね…。上手く言えなくてごめんなさい」
「あ、ああ、いいって。謝らなくていいってば…」
わたわた、と慌てる祐巳さまの様子につられて笑っていた私は、次の祐巳さまの行動に直ぐには反応することが出来なかった。
「…それにしても不思議だよねえ…あ」
祐巳さまの手には灰色に黒い縞の入った獣の尻尾。
尻尾は、と言うと私の尾骨の続きのように生えている。
もちろん、もとの下着やスカートに尻尾の為の隙間などあろうはずもなく。要は下着からはみ出すように尻尾は生えていた。
その尻尾を祐巳さまが無造作に持ち上げたのだから。
「きゃああああああああっ」
思わず悲鳴を上げた私を誰が責められよう。
ぐつぐつぐつぐつ。
目の前にある鍋が茹だっている。中につみれや白菜を入れて。
「はい、お姉さま」
「ありがとう、瞳子」
甲斐甲斐しく器によそっていく瞳子に、にこやかに受け取る祐巳さま。
先程のことが無かったかのように。
私はその様子を眺めながら少しだけ悩んでいた。
私の悲鳴に部屋に飛び込んできた瞳子が烈火の如く祐巳さまを怒って、祐巳さまがそれに平謝りするという『微笑ましい』光景を目の当たりにした自分としては安心すべきことなのだけれど。
因みにテーブルについて椅子に腰掛けている今、尻尾は椅子の隙間から垂れ下がっていたりする。
「はい、乃梨子」
「あ、うん。瞳子」
「…どうしたの?」
私の微妙な間に気づいた瞳子が、自分の分を注ぎながら尋ねてくる。
「いや、これ。持てるかなーって」
「あ、ごめんね。乃梨子ちゃん。気づかなくて」
瞳子の代わりに答えた祐巳さまが、何を思ったか私の分の皿を持って、その中から白菜を摘んで…。
「はい、乃梨子ちゃん。あーん」
「お姉さまっ」
自分のお姉さまが何をしようとしているか理解した瞳子は、慌てて止めに入る。
瞳子。肉球は良くて、『あーん』はダメなのね。
というより、瞳子。動転していて自分で何しようとしているか気づいてないでしょう。
ちょっと、瞳子。つみれにお箸を刺していたら、刺し箸って言ってね…。
目の前で、慌てている二人に私も悩み事を半ば吹っ飛ばされた形で、先程の『あーん』につられて、知らず知らずの内に僅かに『あーん』を実行していて。
そこに、瞳子が差し出したつみれが放り込まれる形になって。
「〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
私は声にならない悲鳴を上げていた。
私の少しの悩み事。
器を、この手で持てるかな、ということ。
箸を上手く扱えるだろうか、ということ。
それと、もう一つ。
猫舌になってないだろうか、ということ…だった。
「それじゃ、祐巳さま。瞳子。気をつけてね」
「うん、ありがとう。乃梨子ちゃん。またね」
「乃梨子。またね」
「…はい」
その後は和やかな昼食会、と言えば聞こえはいいけれどビデオのことに関しては何も進展しないままに時間が過ぎ、私は二人を見送ろうと玄関に出てきていた。
色々な感情を籠めての『気をつけてね』に、色々な感情が籠もった『またね』が返ってきて、リリアン生としては珍しい別れの挨拶が交わされた時、それは聞こえてきた。
にゃうーん。
「ん?」
「あら?」
「…仲間が来ないかな?」
「「…え?」」
瞳子までも反応した、その鳴き声が、私にはそんな泣き声に聞こえていた。
「…あ、いえ」
同時に聞こえてきた時刻を知らせるベルに急かされるように帰って行く二人を見送る私の頭の中には、こびり付くように先程の声が残っていた。
そして、数日後。
「ごきげんよう、ゴロンタ」
「ごきげんようなのネ」
私は以前のようにリリアンに通っていた。
猫に似た姿のままで。