【2896】 半ば強引にとっておきの甘い物  (柊雅史 2009-03-16 01:37:07)


「紅薔薇のつぼみっ! これ、どうぞ!!」
 マリア様へ朝のお祈りを終えた瞬間に、そんな掛け声と共に目の前に突き出された赤い小箱を、祐巳は反射的に受け取っていた。
「え?」
 驚きに目を丸くして顔を上げると、ぴょこんと頭を下げた相手が「それでは失礼します!」と叫んで、脱兎の如く逃げ出すところだった。
「え……ちょ、ちょっと……!?」
 声を掛けるも相手の背中は、あっという間に人ごみに消えてしまった。赤い小箱を手に、祐巳は呆然と立ち尽くす。
「な、なんだったんだろう……?」
 首を捻りつつ、とりあえず受け取った小箱を確認する。危険物の類ではもちろんない。どこかで見たことのある包装紙だな、と首を傾げ、ほどなく駅前デパートのお菓子屋さんの包みだと気が付いた。
 となれば、中身はお菓子の類だろう。山百合会への差し入れか何かだろうか――そう思いつつ、とりあえず小箱を鞄にしまう。放課後、山百合会のみんなと頂くことにしよう。
 折りしも、ホワイトデーが間近ということで、デパートでもホワイトデーフェアを開催していた。いつにも増して美味しそうなクッキーやキャンディーが並んでいたから、ちょっぴり包みの中身にも期待してしまったりして。
 デパートで見かけたお菓子を思い出して、祐巳の頬が思わず緩む。
 そんな祐巳の背中に、そっと人影が複数近付いていた――


     †   †   †


「ごきげんよう……」
「あー、来た来た。祐巳さん、ごきげんよう!」
 薔薇の館に着くまでの道中で色々とあり、若干疲弊した祐巳が扉を開けると、待ち構えていたように近くにいた由乃さんが、悪戯を思いついた子供のような顔で挨拶をしてきた。
 なんとなくイヤな予感がして尻込みしそうになる祐巳だけれど、由乃さんの向こう側に瞳子の姿を確認して踏みとどまる。同級生で同僚で親友の由乃さんを相手に、へっぴり腰で対応する姿を妹に見せるのは、お姉さまとしては避けたいところだ。
「な、なぁに、由乃さん? 何か良いことでもあった?」
「随分と今日は鞄が膨らんでいるのね、祐巳さん?」
 祐巳の問いには答えず、言いながら祐巳の鞄に手を伸ばす由乃さんに、祐巳は「なぜそれを!?」と思いつつ背中に鞄を隠した。
「おや。何か鞄を見られて困ることでも?」
「そんな、困ることなんて。別にないよ。でもホラ、プライバシーだよ、プライバシー」
 しつこく手を伸ばしてくる由乃さんから、体を使って鞄をガードする。扉の前でぐるぐる回りながら攻防を繰り広げる祐巳と由乃さんを、瞳子がテーブルから冷めたような目で見ているのが、ちょっと胸にグサッと来た。
「……お姉さま」
 しばしぐるぐると戦いを繰り広げていると、瞳子が呆れたような口調で声を掛けて来た。
「瞳子は別に、その鞄から何が出てきてもなんとも思いませんから。そんなところで子犬か何かみたいにじゃれていないで、奥へお入りになってください」
「こ、子犬……」
 言いえて妙な瞳子の台詞に、若干ショックを受けたところで、由乃さんの手が祐巳から鞄を奪い取る。由乃さんとの鞄取り合戦に負けてしまったわけだけど、瞳子の口ぶりからして祐巳が鞄を死守しようとした理由を既に知っているようだったので、それ以上の抵抗はやめておいた。
「最初からおとなしく渡せば良いのに。それと瞳子ちゃん、誰が犬よ、誰が」
 瞳子の子犬発言は、言い返せば祐巳と同じことをしていた由乃さんにも当てはまるわけで。由乃さんは軽く瞳子に文句を言った。
「ま、良いわ。今重要なのは、こっちよこっち」
 言いながら由乃さんがテーブルまで祐巳の鞄を持って行き、えいやっと鞄を広げて逆さにする。いや由乃さん、いくらなんでもそれは酷い扱いじゃないだろうか。
 思わず内心で突っ込んだ祐巳の眼前で、鞄の中身――教科書やノート、ペンケースがテーブルに広げられる。
 そしてそれを埋め尽くすような、カラフルな箱や紙袋、巾着袋がドサドサとテーブルに広げられた。
「さすが祐巳さん」
 唸るように由乃さんが積まれた箱や袋を見て頷く。
「その人気もさることながら、ここまで受け取り続けるそのボケボケっぷりが尋常じゃないわ」
「し、仕方ないじゃない。最初は山百合会への差し入れかと思ったんだもん」
 ちらちらと瞳子の様子を伺いつつ、祐巳は反論する。
「そりゃね、私も最初は同じこと考えたわよ。でも、普通は3回も続けば変だなって思うじゃない? それを、これだけもらい続けるなんて。それともまさか、事情を知りつつ受け取ったとか?」
 由乃さんの問いに、それを聞いた瞳子の眉が一瞬ぴくっと動く。それを確認して、祐巳はぶんぶん、と首を振った。
「違うよ! それは本当に、差し入れだと思って受け取っただけで! ホワイトデーのお返しだと知ってたら、さすがに遠慮したってば!」
 そうなのだ。この大量の箱や袋の山は全て、ホワイトデーのお返しだったのである。


     †   †   †


 とりあえず祐巳が受け取ったお返し30個に、由乃さんが取り出した3個の包みを加え、総勢33個のお返しがテーブルに並べられた。
 ちなみに志摩子さん提供のお返しは0個。志摩子さんは最初の1個目でプレゼントの趣旨に気付き、さすがに受け取れないと断ったそうだ。
 相手の子には申し訳ない気もするけれど。一月前のバレンタイン宝探し企画で運営委員会が準備した小さな参加賞のチョコレートのお返しとして、こんな立派なお返しを受け取るというのは、さすがにマズイ気がする。
「誰が言い出したことかは分からないけど、言いだしっぺは中々どうして、面白い着眼点の持ち主よね」
 包みの一つを手に取りつつ、由乃さんが言った。
「まさか参加賞のチョコレートをもらったのだから、ホワイトデーのお返しを渡す権利と義務がある、だなんて。中々やるじゃない」
 中々接点のない山百合会のメンバーに近付くための、少々強引な大義名分。妹のいない由乃さんは別として、祐巳や志摩子さんに理由もなくプレゼントを渡すのは、妹の存在を考えると中々出来るものではない。
 そうして二の足を踏んでいた生徒にとっては、参加賞のチョコレートとはいえ、チョコレートをもらったと言う事実は、確かにホワイトデーにお返しを渡すと言う理由になりうる。最初にそれを思いついて、お返しを準備した子は中々の発想力の持ち主だ。
 とはいえ、それをもらう方は困ってしまう。繰り返すが、渡したのはあくまで参加賞の一口大のチョコレートなのだ。こんな、デパートで売っているような立派なお返しをもらってしまうのは、さすがに気が引ける。これがお返しではなくただの差し入れだったら、逆に問題はなかったと思うのだけど。
 渡す方には理由になる「お返し」という大義名分が、逆に受け取る方には受け取れない理由になってしまうのだ。
 だから志摩子さんも、お返しを断る時にはちゃんと「差し入れとしてなら受け取るから」と伝えている。多分、ホワイトデーを過ぎた頃には、大量の差し入れが山百合会に届くことだろう。乃梨子ちゃんという妹の存在に遠慮して、若干数は減るとしても。
「とにかく、受け取ってしまったものは仕方ありません。名前のあるものは後でお礼を言いに行けば良いと思います」
「それもそうね。とりあえずメッセージカードとかが入ってないか、手分けして確認しましょ」
 瞳子の提案に由乃さんが応じ、早速包みの一つに手を伸ばす。さすが、令さま宛てのチョコレートをリストアップするのが毎年恒例の作業になっているだけあって、祐巳に渡された包みを開けるのにも躊躇がない。
「まぁ、チョコレートは山百合会と新聞部が用意したものだし、構いませんよね」
 由乃さんに続いて乃梨子ちゃんが言い訳するように呟いてから、開封作業に取り掛かる。それを合図に、5人で手分けしての開封作業が始まった。なんとなく包みをビリビリと破いて開けるのは申し訳ないから、丁寧に包装紙を開けていくので、33個ともなると結構な量になる。
「お姉さまも……どうしてここまで鈍いんですか……」
 ボソッと呟いた瞳子の台詞には、さすがに言い訳も何も思い浮かばなかった。


     †   †   †


 とりあえず包みを全て開けたところで、乃梨子ちゃんと瞳子が準備してくれた紅茶で一息入れることになった。
 お茶請けには早速、33個の中からクッキーのセットを1つ拝借することに。名無しのお返しが半分ほどあった内の1つである。
「それにしても、もらう方の対策を考えなかったのは盲点だったわね。渡す方は色々と考えてたのに」
 由乃さんがクッキーを摘まみながら言う。確かに相手にホワイトデーに何を渡そうか、とは考えたけれど、イベント参加賞のお返しをもらったらどうしようか、とは考えなかった。
「放課後は真美さんたちも呼びましょうか。チョコレートは新聞部の方たちも準備してくれたのだし」
 志摩子さんの提案に祐巳も由乃さんも頷く。恐らく渡す方も「みんなで食べられるように」と考えたのか、33個もあるお返しは、どれもそこそこのボリュームのあるお返しだったのだ。これを山百合会だけで消費するのは、中々しんどいことになりそうだ。
「それに今度は『せっかく準備したのだし、思い切って』という理由で、差し入れを持ち込む人もいると思うし。早く食べないと、ダメになっちゃうのは申し訳ないもんね」
 そんな由乃さんの予想は多分間違いない。由乃さんも志摩子さんも10人前後のお返しを断ったそうだから、それとほぼ同数の差し入れ予定が待っているのである。しかもその数は、昼休みとか放課後には更に増える可能性が高い。
 まぁ、祐巳としては美味しいお菓子が食べられるのはありがたい――のだけど。
 もぐもぐとクッキーを咀嚼しながら、祐巳はそっと隣で黙々とクッキーを口にしている瞳子の様子を盗み見た。
 ごくごく普通の表情で、お茶を楽しんでいるように見える――けれど。女優の瞳子の表情ほどアテにならないものはないわけで。
 祐巳が瞳子の立場であれば、仕方ないとは思いつつも、決して喜ばしいことではない現状なのは間違いない。例えば、祥子さまが誰かに『ホワイトデーのお返し』を、30個ももらっていたら、どんな事情があっても無関心ではいられないだろう。
 増してバレンタインの時にはまだ、瞳子とは姉妹になっていないわけで。瞳子も祐巳もチョコレートを互いに渡していない。だから祐巳も瞳子にはお返しは用意してないし、瞳子も祐巳にお返しは用意していないだろう。
「――なんですか、お姉さま?」
「うん……ごめんね、瞳子」
 祐巳の視線に気付いた瞳子の問いかけに、祐巳は素直に謝っておいた。
 謝るようなことかどうかは分からないけれど――でも、志摩子さんのように最初から気付いて上手く対処していれば、という思いもある。
「別に……謝って頂くことではありません」
 言いながら、つんとそっぽを向く。やっぱり若干、ご機嫌斜めのようだった。
「……そ、それに。お姉さまも忘れているようですけども」
 そっぽを向いたまま、床においていた鞄に手を伸ばしつつ、瞳子が言う。
「この状況ではアレですけども。少々言い出しにくいことですけれど」
 鞄の中から綺麗にラッピングされた小さな箱を取り出して。
 それをずい、と祐巳の方へ差し出しながら、瞳子が言った。
「瞳子も……参加賞のチョコレートをもらいましたから。お返しする権利と義務があるのですわ!」
 リボンで作った紅薔薇の飾りが付けられた小さな小箱。
 もしかして、こんな大義名分を考え出した最初の生徒は……なんて。そんなことを思いつつ。
「ありがとう、瞳子」
 お返しは受け取りません、と言いつつも。
 このくらいの例外なら、みんなもきっと見ないフリをしてくれるよね……。













「でも、瞳子ちゃん。私の籠からチョコ持ってかなかったっけ?」
 由乃さん……そこも見て見ぬフリをしようよ……。



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