【292】 ちょっと甘い時間  (くにぃ 2005-08-03 00:31:07)


「ゆ〜みちゃん、いっしょに帰ろ!」
「ぎゃうっ!せ、聖さま。やめてくださいよ、いつもいつも」
放課後、今日は一人で帰るところを、校門を出るとすぐに聖さまが後ろから抱きついてきた。
「あっはは。祐巳ちゃんが相変わらずいい反応するから、楽しくてやめられないんだよ〜ん」
「去年なら校内だったからよかったですけど、路上でこんな事してたらいつか通報されますよ」
「大丈夫よ。私が祐巳ちゃんと仲良しだって、リリアンの全員が知っているから通報する子なんかいないって」
「いますよ。私のお姉さまとか」
「ははは。確かに祥子ならやりかねないわね」

「それにしても何でいつも私が一人で帰る時は必ず現れるんですか」
「んー、それはね、祐巳ちゃんの甘いにおいに誘われるから」
そう言って聖さまはクンクンと鼻を鳴らして祐巳の顔の当たりの匂いを嗅ぐ。
「もう、聖さまったらやめてください。私だって去年から少しは成長したんですからね」
「えー、そうなの。お姉さんはいつまでも無垢なままの祐巳ちゃんでいて欲しいのに」
「その方が遊び甲斐があるから?」
「ははは。まあそういうことにしておきましょ。ところで今日は車で来てるの。だからうちまで送ってあげる」
そう言われて気がつけば、少し離れた場所の路肩には聖さまの辛子色の愛車が止めてある。

「いえ、せっかくですけど結構です。いろいろな意味で危ないですから」
祐巳はにっこり笑って、しかしきっぱりと拒否する。
「あ、ひどいなあ。もう随分運転うまくなったのよ。だから大丈夫。試しに乗ってみてよ」
「運転が上手になったのは知ってます。でもこの間なんて、なんか変な所へ入っていこうとするし」
「ああ、あの時はどこも軒並み満車で、結局どこにも入れなかったんだよね。いや、何とも残念無念」
少しも悪びれることなく聖さまは応える。
「そんなわけですので、やっぱり一人で帰ります。ごきげんよう」
「まあまあ、今日は変な所はやめておくから。そうだ、パフェおごってあげるから。これでどう?」
「えっ?」
甘いものに目がない祐巳は、パフェと聞いて一瞬反応してしまった。

「ははは。祐巳ちゃん、やっぱり君は素直でかわいいね。お姉さんは安心したよ。じゃ行こ行こ」
「でも帰りに寄り道するのは校則違反だって、聖さまだって知ってるでしょ」
「……今日はうちに帰っても誰もいないの。それに加東さんもバイトだとか言って遊んでくれないし。こんな一人ぼっちの私を祐巳ちゃんまで放り出すの?」
わざとらしくションボリと寂しそうな演技をする聖さまに負けて、祐巳はため息を一つして同意する。
「分かりましたよ。寂しい聖さまにしばらくお付き合い致します。それと」
聖さまの耳に口を寄せて小声で。
「パフェは学校から遠い所のお店でお願いします」
「はっはっは、了解。じゃあ行こうか」
聖さまはそう言って車の助手席のドアを開けて祐巳を招いた。



「今日はごちそうさまでした」
「どういたしまして。私も祐巳ちゃんとお話しできて楽しかったし」
行く時は渋々といった感じだったはずなのに、一緒に時を過ごせばやっぱり楽しい。家の前に聖さまの車が着いた時には、このまま別れるのが何だかちょっと寂しいような気になっている祐巳だった。

車から降りがたい気分の祐巳は聖さまに言う。
「よかったら上がってお茶でも飲んでいきませんか? 母が聖さまのファンで、前から一度お会いしたいって言ってますし」
「う〜ん、そうだな。それはまたの機会にしよう。そうすれば祐巳ちゃんがまた会ってくれるから」
「そんな事しなくても、いつでもお付き合いしますよ。それよりこのままお礼もせずに帰しちゃったら私が母に叱られます」
「うれしいこと言ってくれるね。じゃあお礼はいつものようにここへ」
そう言うと運転席の聖さまは自分の左頬を指さす。

「もう、しょうがないですね」
実は車で送ってもらった時のお礼として、聖さまの頬にキスをするのがいつの間にか当たり前になっていた。最初のうちはお姉さまや志摩子さんの顔が浮かんで随分躊躇したものだが、こんなのただのスキンシップ、気にするほどの事じゃないよ、と軽く言う聖さまに乗せられて何度かするうちに、祐巳自身もいつしかそう思うようになっていた。

「じゃあ」
辺りをきょろきょろと見回して人影がないのを確認すると、祐巳はいつものように目を閉じて聖さまの頬にチュッと。
しようとした刹那、聖さまが急に首を左に回して祐巳の正面を向いた。そのため左頬に触れるはずだった祐巳の唇は聖さまの唇に触れてしまった。

驚いて目を開いた祐巳に、聖さまは笑いながら言う。
「大変結構なものをいただきました。思った通り祐巳ちゃんの唇はパフェのようにとっても甘かった」
「ひどいっ! 私、初めてなのに!」
そう言って両手で口を押さえる祐巳に、聖さまはさっきとはうって変わって真面目な顔で。
「ごめん。そんなにいやだった?」
その言葉に祐巳はうつむいて首を横に振った。
「……違うの。……いやじゃないからいやなの」
「祐巳ちゃん……」
祐巳の頬に聖さまが手を触れようとした瞬間、祐巳は助手席のドアを開けると勢いよく飛び出した。
「ご、ごめんなさい。今日はありがとうございました。さよなら」
そう言い残すと玄関に飛び込んでいった。

玄関の外では動き出した聖さまの車の音が次第に遠ざかり、やがて聞こえなくなった。しかし祐巳の心臓の音はなかなか収まりそうにない。



「ちょっとやり過ぎちゃったかな。この次はさすがに警戒されちゃうだろうなあ。でも面白かったし、まあいいか」
帰りの車の中、笑いながら聖さまがそんな独り言を言っていたのを、祐巳はもちろん知らない。


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