『ハローグッバイ』ネタバレありです。
卒業式の翌日の放課後。
薔薇の館の前で乃梨子ちゃんがオロオロしながら立っていて、私の顔を見るなり涙を浮かべて駆け寄ってきた。
「由乃さま!」
乃梨子ちゃんが泣きそうになっている。
乃梨子ちゃんは強い子だ。
敵が現れたらそれが上級生であっても敢然と立ち向かうし、困難な障壁であっても知恵と勇気で克服してきた、味方になれば千人力の志摩子さん御自慢の妹だ。
その彼女が泣きそうになりながら目の前にいる。
「ど、どうしたの?」
私は聞いた。
「お姉さまが……祐巳さまが……」
乃梨子ちゃんに引っ張られて私は中に入り、階段を上った。
「だから、それは──」
「でも、だからと言って──」
次第に聞こえてくる声は祐巳さんと志摩子さんのものだった。
あの2人が言い争っている!?
温厚な子ダヌキ祐巳さんと、のほほん老猫志摩子さんは言い争いというものから最も遠い部類の人たちである。
その2人が言い争いをしていて、乃梨子ちゃんはどうしていいかわからなくなったのだろう。
「どういうつもりなのっ!! 祐巳さん!!」
志摩子さんの怒声が扉の向こうから聞こえてくる。
乃梨子ちゃんがびくりと体を震わせて、私の腕にしがみついてきた。
志摩子さんがこれほど大きな声を出して怒るなんて、祐巳さん、あなたは何をやったんだ。
扉をそっと開けて中の様子をうかがう。
信じられない──
そこには仁王立ちした志摩子さんと、その前でベソをかいている瞳子ちゃん、そして、床に正座してうつむいて小さくなっている祐巳さんがいた。
「いい? 今までの事を思い出して頂戴。令さまにロザリオを突き返した『黄薔薇革命』の時は表になっただけで短期間で13組の姉妹が破局したわ。その後は破局した姉妹がヨリを戻しただけではなく、密かに憧れていた上級生を呼び出して姉妹の申込をする逆指名ブーム。由乃さんが周囲にどれだけ影響力がある人だったか忘れてしまったの?」
志摩子さんが低い声で言う。
「そして、今回の事。もし、高等部の生徒が中等部の生徒にロザリオを渡す青田買いがブームになってしまったら、もう収拾のつかない事になって……教職員が姉妹制度の撤廃に動いたら……」
興奮した瞳子ちゃんが割って入った。
「ロ、白薔薇さま! お言葉ですが──」
「ごめんなさい!! 私が全部悪かったっ!!」
何か言おうとした瞳子ちゃんを無視して祐巳さんは大きな声で謝ると土下座をした。
「お姉さま!! お姉さまは悪くなんかありません!」
瞳子ちゃんがヒステリックに叫ぶ。
「瞳子! 聞きなさい!」
負けじと祐巳さんが頭をあげて叫ぶ。
一瞬沈黙する。
「確かにあの時菜々ちゃんを呼び出して儀式をしようとしたのは由乃さんだったかもしれない。でも、由乃さんがためらったのに、最終的に菜々ちゃんにロザリオをかけさせたのは私だもの。私に責任があるのよ」
祐巳さんからは何か覚悟のようなものが伝わってくる。
「お姉さま……」
瞳子ちゃんが祐巳さんを見つめながら後ずさった。
「祐巳さんは自分の非を認めるのね」
志摩子さんが確認するように言う。
「志摩子さん、私はどんな罰でも受けるわ。瞳子と姉妹の解消をしろとか、死んでほしいとか、100万円払えとかは無理だけど、私にできる事ならば何でもするわ。なんなら、紅薔薇さまを辞めたって構わない」
「な、何言ってるのよ!? 祐巳さん!!」
もう、我慢できなくなって、しがみついていた乃梨子ちゃんを振り払い、私は中に飛び込んでいた。
「紅薔薇さまを辞めるですって!?」
バンッ! と踏み込み中の3人を見回す。
「どうして祐巳さんが紅薔薇さまを辞める必要があるのよ!」
「これは、けじめよ」
祐巳さんが静かに言った。
「何のけじめだって言うの!? 私が中学生にロザリオを渡した事? それは私の勝手だし、祐巳さんには関係のない事じゃない!」
「由乃さん」
志摩子さんが静かに言った。
「あなたは自分の影響力をまるでわかっていない。高等部にいる妹を持ちたいけれども希望の相手が中学生という事で諦めたり、我慢していた人たちが、由乃さんの真似をして中学生にロザリオを渡すのがこれから流行るわ。そうなってからでは遅いのよ。誰かが何らかの形で責任を取る必要があるの。わかるでしょう?」
その静かに言い含めるような口調は私の逆鱗に触れた。
「良くわかったわ! でも、祐巳さんが責任を取って紅薔薇さまを辞めるなんて絶対に間違ってる! 責任は全部私にあるわ!! 祐巳さんは関係ない!! けじめをつけろと言うならけじめをつけるし、辞めろというなら私が辞める!! だから、祐巳さんを責めるのはやめて、言いたい事があるなら私に言いなさいよ!!」
私は志摩子さんに詰め寄った。
「今一度、確認するわ。由乃さんはこの件は全て自分の責任だと、この件に祐巳さんは関係ないと、そう言うのね」
志摩子さんは私の目を真っ直ぐ見つめてそう聞いてくる。
「そうよ」
私が答える。
「自分でけじめをつけると?」
「しつこいわね! ええ、出来る事ならば何だってしてやるわよ!」
私はイライラしながら志摩子さんの問いに答える。
「じゃあ、由乃さんにけじめとしてやってもらいましょうか。ねえ、紅薔薇さま?」
微笑みながら志摩子さんが祐巳さんの方を見た。
「ええ、白薔薇さま。私は関係ないから、由乃さんにね」
ニヤリと笑いながら祐巳さんが立ち上がった。
あれ、これは……
「けじめとして今年の新入生歓迎会の余興は黄薔薇さまの担当という事で」
「決まりね」
祐巳さんと志摩子さんがそう言った。
おい、こら……
「皆さん、お茶が入りました」
乃梨子ちゃんがテーブルにお茶を並べている。
いつの間に。
薔薇の館の前で泣きそうな顔をしていたのとは別人で、いつものクールな乃梨子ちゃんに戻っている。
「ありがとう」
皆が席に着く。
祐巳さんと瞳子ちゃんが視線を合わせてニヤニヤしている。
「……つまり、みんなグルになって私に新入生歓迎会の余興を押し付けたってわけね」
先程とは違う怒りが込み上げてきた。
「あら、黄薔薇さま、あなたはご自身でけじめをつけるとおっしゃったではありませんか?」
瞳子ちゃんがしれっと言う。
お前か、お前が3人に演技指導したんだな?
「そうだ、そろそろ呼ばないと」
祐巳さんが扉を開けると真美さんが立っていた。
「ど〜も。ばっちりレコーダーに録音しました」
証拠を押さえられている。ここまで計画的とは。
「なんで真美さんまでいるのよ!?」
「それは新入生歓迎会で、歓迎される新入生をアシスタントには出来ないからです」
祐巳さんがわざとらしく丁寧に言う。ああ、憎たらしいーっ!
「あ、由乃さん、菜々ちゃんとの姉妹成立は4月になってからと記事には書いてもらう約束になってるから安心して。青田買いが流行って収拾がつかなくなったら大変だもの」
志摩子さん、フォローになってない……って、いうか、私達の事は新聞部に売約済みなのかっ。
「では、早速新入生歓迎会の打ち合わせを始めます」
「こらーっ!!」
そこから先は泣いても笑っても誰も許してはくれなかった。
私は後2か月弱の間に新入生の前で、可愛い妹の見守る前で、一人で余興をしなくてはならなくなった。