「共闘は、ここまでね」
「え?」
志摩子の言葉に、祐巳は目をしばたたかせた。
『真・マリア転生 リリアン黙示録』【No:2856】から続きます。
「最初から、魔王の召喚を阻止するまでという話だったでしょう?」
確かに、それを目的とした共闘だった。召喚自体は阻止できなかったが、召喚された魔王を倒したところで当初の目的は達成されたということだ。
「それで、祐巳さんはこれからどうするの?」
あいかわらず、天使もかくやという笑顔で続ける志摩子。
もっとも、ここ最近は天使というものにあまり良いイメージを持てないでいる祐巳だったが。
「この間の続きをする?」
空気が、張り詰める。
志摩子は笑顔のままだというのに。
祐巳は慌てたようにぶんぶんと首を横に振る。
『この間』、志摩子に会った時は祐巳自身なんだかわからないうちに戦闘状態に入ってしまった。召喚したケルベロスが志摩子の気配に反応して、あるいは引きずられるようにしかけてしまったが、祐巳としては単に逃げたいだけだったのだ。
今の消耗しきっている志摩子を前にしても勝てる気がしなかった。何より、志摩子と戦いたくなどないのだ。
「それじゃあ、もう一度聞くわ。こちらに来る気はない?」
こちらに、とはすなわちロウに加担しろということだろう。
祐巳は、今度はゆっくりと首を横に振る。
「正直に言うとね、まだよくわからないんだ。自分がどうするべきか」
「そう、でも迷っている時間はもうあまり無いと思うわ」
志摩子は呟くようにそう言った。
「志摩子さんは本当に、その、メシア教が正しいと思ってる?」
「……どういうことかしら?」
「だって乃梨子ちゃんはニュートラルだよね。メシア教の目指す千年王国って、ロウの、その中でも選ばれた人だけが住まう楽園だって聞いてるけど。本当にそれでいいの?」
「最終的に誰が選ばれるのか私にもわからないけれど、乃梨子の働きはそれに見合うものだと私は思っているわ」
祐巳が視線を向けると乃梨子はそっと視線を逸らした。乃梨子にとって志摩子はほぼ絶対的な存在だ。だが、志摩子と共に行動することで乃梨子がロウ化していくことはあっても、心からロウの、メシア教の考え方に賛同することはないだろう。乃梨子にとって大切なのはあくまで志摩子であってそれらではないからだ。
「悪魔が跋扈しヒトを襲う現状を良しとするわけではないのでしょう?」
「うん。それはそう。でも救われるのがロウの、選ばれたヒトだけなんて、それ以外のヒトが切り捨てられるなんて、納得いかない」
「アクマと一緒になってヒトを襲う側にまわっている人間というのもいるのよ。そういった、裁かれるべきヒトもいる。ある程度の選別は仕方ないと思わない?」
「そんなの、志摩子さんらしくないよ」
「……」
祐巳の拙い言葉に、志摩子が何か言い返そうとした時。
どーん、という音と振動が、唐突に伝わってきた。
「な、何?」
一人慌てる祐巳を見てか、ふっと、志摩子のまわりの空気から張り詰めたものが消える。
「……たぶん、カオスの増援だと思うわ。乃梨子?」
珍しくヨソを向いていた乃梨子が志摩子に向き直る。
「はい、おそらくトラップにかかったんだと思います」
頷いて、志摩子はわずかに目を細めた。
「私は様子を見て来るわ。祐巳さんはどうする? 行けばカオスと接触することになるかもしれないけれど」
「う、うん、私は帰るよ。早く帰らないと瞳子も心配するだろうし」
もっと話したいことはあったけれど、潮時だ。と祐巳は思った。
「そう。それではごきげんよう」
そう言って、志摩子はあっさりと踵を返した。一見無防備そうなその背中を見送って、祐巳は大きくため息をつく。
とにかく疲れた。何より、早く帰って瞳子の顔が見たかった。
「ごきげんよう、ロサ・フェティダ」
「……ロサ・ギガンティア」
突然現れた志摩子に対して、由乃は驚くよりもむしろ納得していた。
そう、そういうこと。
「やっぱり、志摩子さんか」
「やっぱり?」
由乃の言葉に、志摩子は怪訝そうに首を傾げた。
「この罠のことよ!」
え? そっち? 魔王の方じゃないんだ!? そりゃあ、天使に取り囲まれている現状は問題だけれども。と、同時に同じようなことを思ったのは乃梨子と菜々だ。
一瞬きょとんとした志摩子は
「私じゃないわよ」
そう言って苦笑に近い笑みを浮かべた。
志摩子達が来た時には、既に多くの罠が設置されていた。立ちふさがるアクマは雑魚ばかりだったが、それでも多少の時間のロスにはなったし、これみよがしなトラップには閉口させられた。
属性に反応して作動し、アクマを呼び寄せる罠のいくつかを見て志摩子は思った。罠を作動させた段階で進入は知られただろう。カオスの増援を呼ばれても面倒だ。
「罠自体はもとからあったものよ。私はカオスの属性に反応して天使を出現させる罠に変えるように指示しただけだわ」
作業自体は後から来た増援部隊に乃梨子から指示を出させ、もともと魔王召喚を阻止するために動かすつもりだった増援の天使をそのままトラップに転用した。厳密に言えば、その際に追加された罠もあるのだが、細かいところまでは志摩子も聞いていない。
「……菜々?」
「ですから、『天使が湧いて出る』ような罠は仕掛けないと言いましたよ?」
「やっぱりもともとはあんたか! なんで先に言っとかないのよ」
「私は侵入者除けのトラップを仕掛けておくように指示しただけで、具体的に1つ1つを把握していたわけではありませんし、そもそも一部の物理トラップ以外はカオスには反応しないはずだったので」
菜々とて全ての罠を把握していたわけではない。せいぜい8、9割というところだがそれは黙っていた。
「ふん」
由乃も身内の諍いをあまり見せるのはどうかと思ったのか、志摩子に向き直る。
「うまく罠にはめてしてやったりと思っているんでしょうけど、ひとつだけ計算違いがあるわよ」
「……何かしら?」
「それはね」
右手を前に突き出すと同時に左手を大きく後ろに引いた。
「私が」
ぎちり、と肉体が軋む。
「島津由乃だってことよ!」
次の瞬間、溜め込まれた力が反動を付けて開放される。
立ち塞がる天使。かざした盾に当たる。貫通! 天使の盾も鎧も体も突き破り、そのまま突進。進路上にいた天使。粉砕。突破。貫通。貫通。貫通。
あっというまに包囲網の一角を力ずくでこじ開ける。
その様子を見て驚いた表情を浮かべていた志摩子は……
「ふふふ」
笑った。
「何がおかしいのよ!」
「ごめんなさい、深い意味はないのよ。ただ、由乃さんらしいなと思って」
「どういう意味よ?」
「別に由乃さんが来ると思っていたわけではないの。カオスの増援があった場合の足止め、時間稼ぎくらいのつもりで、それもはまってくれれば儲けものくらいのつもりだったのだけれど……」
志摩子はなぜだか楽しそうだった。
「ここまでしっかりと罠にはまった上で、それを力ずくで噛み破るなんて、なんだか……、とても由乃さんらしいなと思って」
後ろでうんうんと頷く菜々。
「なんだかすごく馬鹿にされてる気がするんだけど」
「そんなつもりは無いのよ。ただ、そう思ったというだけで。ところで、」
そこで一旦言葉を切ってから、志摩子は続けた。
「菜々ちゃんが置いてきぼりだけどいいのかしら?」
「あっ」
天使に包囲されていても平然としていた由乃の顔に、初めて焦りの色が浮かぶ。
慌てて振り返ってみれば、由乃が開けた穴の後をたどるように、菜々が同じ技を使って突破を図っていた。
「菜々なら大丈夫だと思ってたわよ」
なんとかたどり着いた菜々に慌てて言い繕う由乃。菜々はちょっと恨めしそうに由乃を見ていた。
「由乃さまは私より志摩子さまの方が大切だということがよくわかりました」
「そ、そんなわけないでしょう。菜々の方が万倍も大事よ」
ずれた会話を始めた黄薔薇姉妹をヨソに、志摩子は状況を確認する。天使の数はまだ多いけれど、既にドミニオンを倒し、包囲を突破した由乃にとっては既に雑魚の群れに過ぎないだろう。
今回は魔王召喚を阻止する為であって魔王との戦いは予定外だったし、黄薔薇さまとぶつかる予定も無かった。どちらも可能性はなくはないがごく低いと思っていたことだ。
こんなことなら大天使クラスを配置しておけばと思わないでもなかったが、志摩子の権限で自由に動かせる戦力は通常の天使までであり、大天使を自由に動かせるわけではない。ロウの勢力の中での志摩子の立場は(少なくとも地上においては)大天使とほぼ同格だった。
ちなみに、志摩子はメシア教を導く立場ではあるが厳密に言えばメシア教徒ではなく、大天使達がそうであるようにメシア教の上位にいる存在だ。
「由乃さん、今日のところはお互いこれまでということにしない? 魔王は倒してしまったのだし、これ以上進む意味も無いでしょう?」
「確かに来た意味無くなっちゃったけど、このまま帰ったらそれこそ何しに来たんだかわからないじゃない? せっかく久しぶりに会えたんだしね」
そう言って、由乃は物騒な笑みを浮かべると、先程と同じように右手を前に突き出しながら左手を後ろに引く。
「志摩子さん!」
血相を変えて前に出ようとする乃梨子を制して、志摩子はゆらりと前へ出る。
でも、と言いかけた言葉を乃梨子は飲み込んだ。先の魔王戦で志摩子が消耗し尽くしていることを、わざわざ相手に教える必要も理由も無い。
一方で菜々は由乃の動きに目を見張る。この短時間に3回目。必殺技の大バーゲンだ。
直後。突進する由乃。志摩子の姿がゆらりと揺れた。
かわされた!?
その傍らを掠めるように通り過ぎながら、由乃は驚きを禁じえないでいた。
来るのがわかっていても避けられない。そう言われた由乃の攻撃を、志摩子はかわして見せたのだ。
さすがは白薔薇さまというべきか。やはり一筋縄ではいかないわね。
驚きははしたものの由乃にショック自体はさほど無かった。どちらかといえば感嘆と称讃に近い感情がある。
むしろショックを受けていたのは菜々だったかもしれない。ドミニオンを筆頭とする天使の群れとの戦いの直後、というより最中だったから多少のダメージや疲労による影響はあるのだろう。いつもほどのキレがなかったようにも見えた。
一撃必殺。
それが由乃が理想とする戦闘スタイルだ。
今でこそ圧倒的な戦闘力を誇る黄薔薇さまではあるが、もともと心臓を患っていたせいで体が弱く体力の無かった由乃にとって、長期戦というのはその性格もあいまって(なにせ好きな言葉は『先手必勝』だ)そもそも想定外だ。短期決戦。それを突き詰めて一撃必殺へと向かったのは当然の帰結だったとも言える。
先手必勝一撃必殺。相手に攻撃の余地さえ与えず一方的に叩き伏せるのが由乃の戦い方だった。
一方で、抜き打ち気味に放った志摩子の反撃の一撃も空を切っていた。空振りした由乃は突進の勢い落とさず志摩子の側を通り過ぎたからだ。
由乃もそれなりに消耗しているようではあるが、魔王戦で消耗しつくしている志摩子とは比ぶべくもない。
それでも戦えば圧倒的に不利かといえば、実はそれほでもないと志摩子は思っている。黄薔薇は剣での戦いを好むがゆえに。そして万能型といってもいい志摩子の本領は、実のところ魔法戦ではなく近接直接戦闘にあったからだ。
白薔薇は防御型といわれてはいても、乃梨子と志摩子では一見して戦い方が全く違って見える。
防御力が高く、相手の攻撃を二刀で受けきる乃梨子は文字通り防御型といっていいが、相手の攻撃を避けることが基本の志摩子は防御力そのものにはリソースをふっていない。尋常ならざる(異常の域と言ってもいい)回避能力の高さこそが志摩子の真骨頂だった。
また、攻撃力もそれほど高いというわけではないが、相手の攻撃を躱しざまに放たれる一撃はそのほとんどがカウンターになり、また急所を的確に狙う技術は一撃で致命傷になりうる。
つまり、回避率、クリティカル率共にほぼ100%という、敵にまわすと非常に厄介な特性を持つ志摩子だった。ゲームならコントローラーを投げ付けているところだ。
「由乃さん、今日のところはこれくらいにしておかない?」
もう一度だけ、志摩子は由乃にそう言った。