【2939】 獣の群れが登場なのですよ  (海風 2009-05-04 02:26:00)



内容は関係ないけどオフ会推奨SS
微妙に長いので注意してください。







 一言で言えば、人間を丸呑みにできそうな巨躯の鳥。
 だが全身は柔らかな羽毛ではなく、柔軟性のなさそうな硬質の鱗で覆われ。
 頭は猛禽よりも、獣よりも獰猛で。

『ギャーーーーー!!』

 ファンタジーで言うところの飛竜が、成人男性の胴回りほどもありそうな二本足で、雄たけびを上げながら全身を駆って暴れ回る。
 一片の無駄もない筋肉の塊が、鉄すら凌駕しそうなほど硬い鱗鎧を纏って向かってくる。
 さながら軽トラックが明確な敵意を抱いて突進してくるようなものだろうか。

「なあユキチよ」
「なんだ小林」
「俺はガッカリしたよ」
「何が」
「なんで休みの日にまでおまえとゲームしなきゃいけないんだ」
「……遊びに来たおまえが言うなよ」

 小林正念が操る女性キャラが、すれすれで飛竜の突進をかわす。飛竜を挟んで対極にいる福沢祐麒扮する男性キャラが爆走して後を追う。

「俺はな、ユキチ。一つの夢を持っていた」
「あ? 夢?」

『アォォォォ!?』

 走り込んできた祐麒の巨大な剣の一撃が、飛竜の巨大な尻尾を切り飛ばした。少々悲しげな悲鳴を上げる飛竜は、一度は大きくよろめくも、すぐに態勢を整える。

「祐巳ちゃんと一緒にゲームするって夢だよ!」
「……そんな夢見るなよ……」





 ――モンスターハンディング。通称MH。
 それは、今や空前のブームを起こしているゲームである。
 15才以上推奨のゲームであるにも関わらず、下は小学生から上は社会人まで、こぞって狩りに夢中になっている。
 世間的にはお坊ちゃま校で通っている花寺学園でも、やはり流行はやってきていた。
 そして。
 生徒会長である福沢祐麒も、生徒会の一人である小林正念も、このゲームにハマッた者達である。
 ちなみに彼らがプレイしているのは、携帯ゲームの最新版だ。





 ここは福沢家。祐麒の部屋。
 ベッドサイドに座って携帯ゲーム機を握っている祐麒と、机の椅子に座って同じく携帯ゲーム機を手にしている小林。
 よく晴れた休日に過ごす高校生にしては、少々アレな風景である。

「俺はさぁ」
「あ?」

 飛竜を相手に大立ち回りをしながら、二人は淡々と会話を交わす。

「一度でいいからこのゲームで女の子と楽しく遊びたい。そしてその白羽の矢を祐巳ちゃんに立てた」
「勝手に立てるな」
「だからおまえの家まで来たんだ」
「帰っていいぞ」
「とか言いながら、ユキチだって本当は夢見てるんだろ?」
「なんのことだ」
「『きゃあ。こんな大きな敵倒せないわ』」
「……その裏声は祐巳の真似か?」
「大丈夫ですよ、祐巳さん。この小林先生があなたをお守りいたします」
「先生っておまえ……」
「『小林くんステキ! いいえ正念さん! 祐巳と結婚して!』……ってなるわけだ」
「なるかバカ野郎」

 失笑ものの寸劇だが、まあ、しかし、祐麒も思うことはあった。

「祐巳とゲームか……」

 やってみたい、と思わなくもない。小林の寸劇ではないが「祐麒すごーい」と感心の眼差しで見られ、そして頼られるのは悪くない。
 だが、内容が内容である。
 このMH、名前の通り、プレイヤーがモンスターを狩るゲームである。人間より力も大きさも圧倒的に勝る凶暴なモンスターを、知恵や経験でもって狩猟あるいは捕獲するのが目的だ。
 剣のような刃物や金槌、弓、鈍器扱いに近い巨大な笛、銃、猛毒や麻痺毒も駆使し、場合によっては麻酔で強制的に眠らせた挙句に爆弾で派手に爆破することだってある。
 モンスターの血だってドバドバ飛び散る。肉を断ったり鱗を破壊したり頭を潰したりもする。そして狩ったモンスターから皮だの爪だのを剥ぎ取り、武具を整えるのだ。
 このゲームは狩りである。生きるためにモンスターを狩猟し日々の糧にする、そんなゲームだ。
 ゲーム慣れしていない高校生の普通の女の子が遊ぶには、少々不向きだろう。もちろん女性ゲーマーを否定する気はないが。
 当の祐麒だって、このゲーム初プレイでの感想は「なんか野蛮だな」だった。
 
「これはたぶんやらないと思う」

 ごく希に祐麒の部屋に遊びに来てゲームをする祐巳だが、ジャンルは至って健全なものばかり。リアルに考えると血生臭い限りのRPG全般くらいが最上限だ。当然リアルに考えてなどいないだろう。
 勧める気もさらさらないが、勧めたところで興味も抱かないだろう。なんせ相手はお嬢様学校に通う女の子。蝶よ花よ……とまでは言わないが、祐巳だってそれなりに純粋培養されているはずだ。

「そこをおまえが口八丁で騙し騙しやらせて目覚めさせるんだろ!?」
「無茶言うなよ。――おい、そろそろいいんじゃないか?」
「だな」

 祐麒たちはちくちく攻め立てていたモンスターを放って逃げ出し、場所を移動した。
 巣に先回りして、罠を張って待つために。




 一狩り終わって、祐麒と小林はやれやれと休憩に入る。

「なあユキチよ。真剣に考えてみないか?」
「なにを」

 どこまで真剣なのかわかりかねる小林を見やり、祐麒は面倒臭そうにさっき運んできたオレンジジュースを煽った。もうすっかり氷が溶けていた。

「祐巳ちゃんにMHやらせる方法だ」
「……マジで言ってるの?」
「マジだマジ。大マジだ」

 面倒な奴が面倒なことを言い出した。祐麒は面倒そうに伸びをした。

「内容的に無理だろ」

 モンスターのグラフィックや大自然の光景はとてつもなく綺麗で見惚れるほどだが、内容は生き抜くのに必死だった原始時代を連想させるような狩猟がテーマだ。
 まあ、しかし。
 それも最初の内だけで、慣れてくると石槍や石斧を力任せに振り回していたような原人が、極限まで無駄を省いた繊細なハンターの動きに昇華される。
 ただのアクションゲームなのに、経験を積むごとに、一つ一つの動きが芸術の域にまで達する。
 その辺もこのゲームの魅力だろう。

「リリアンの生徒に勧められるゲームだと思うか?」

 だがそれでも狩猟がテーマだ。ゲーム内とは言え、生き物の命を露骨に奪うことが大前提にあるのだから、やはり「万人に勧められるか」と問われると否と答えるべきだ。

「だからこそだろ」
「だからこそ?」
「確かにリリアンは女子校だ。それもお嬢様校だ。それは俺も認める、ああ認めるとも。そんじょそこらの女子校生とは違う存在だとも」

 一人うなずきながら小林は続けた。

「だがどうだ? リリアンを卒業してしまえば、そこはもう隔たりの存在しない世間の荒波が渦巻く黒い社会だぜ? お嬢様の毒になりそうなものばかりが溢れているドス黒い社会だぜ?」

 今のおまえこそリリアンにとって一番の毒みたいだがな、と祐麒は思った。目付きとか。誰かを騙すことしか考えていない三流詐欺師の目をしている。贔屓目に見ても結婚詐欺師の目だ。

「世の中は綺麗事だけじゃない。日々食う肉だって、誰かが育て、殺したものだ。そして大元を辿れば巨大な食物連鎖に人間も組み込まれている。強者が生き残り、弱者は糧になる。その縮図がこのゲームにはある!」
「……そうか?」
「いいか!? 人生は戦いだ! 強者が弱者を食らう理は、平和な日本で今なお廃れてはいない! 優れた者は優遇され、劣る者は淘汰されるのだ! どんなに奇麗事を並べようともそれが真実! 疑うなら受験ってシステムや就職難のニュースを思い出すんだな!」
「小林」
「なんだ!? わかったのか!? 俺が言いたいことは伝わったか!?」
「おまえが直接祐巳を説得してみたら?」
「断る。女の子にこんな乱暴なゲームを勧めた空気の読めない野蛮な奴みたいに思われたくない」

 ツッコミどころ満載だが、祐麒はあえてツッコまなかった。だって面倒だったから。

「だいたいユキチ」
「なんだよ。まだなんかあるのか」
「俺の壮大な野望は、それだけに留まらない」

 「野望」と来たか。さっきは「夢」と言っていたはずだが。徐々に内包されていた欲望が剥き出しになってきた。

「まず祐巳ちゃんを陥落させる。するとどうなる?」
「どうなる?」
「そう! 祐巳ちゃんの影響を受けて、あの志摩子さんや由乃さんまでゲームを始めるわけだ!!」
「……始めるか?」

 しらーっとした祐麒の視線など意に介さず、小林は夢見心地で窓の外を見詰めた。妙に哀愁を感じさせる漢の目をしていた。なぜだろう。くだらない話なのに、くだらない話でしかないのに、浪漫を語る男とはなぜこうも無駄に輝くのだろう。

「……女の子たちが、しかもアイドルやグラビア顔負けの美少女たちがキャッキャウフフとゲームに興じる光景……いいと思わないか?」
「…………」

 祐巳はともかく、あの藤堂志摩子や島津由乃も参加してキャッキャウフフとゲームに興じる光景。

「……そうだな」

 ――なるほど、なかなか来るものがある。
 ゲームはひとまず置いておくとして、やはりうら若く可憐な乙女たちが楽しそうに遊んでいる様というのは微笑ましい。そしてその場に自分も混ざりたいと思うが、汚れなきそこは汚れのないままにしておきたいとも思うジレンマ。乙女の園に無粋な男など存在してはいけないという気もするし、男として一緒にいたいと願わずにもいられない。
 男心だってそれなりに複雑なのだ。

「いいな」
「だろ?」
「ああ。いい」
「じゃあ、おまえがやることははっきりしたな?」
「今度は雪猿でも狩る?」
「異存はないがそれは俺の期待する答えじゃない!」




 しばしの小休止を経て、二人はまたゲームに興じる。画面には美しい雪化粧の大自然が広がっていた。

「話の進め方次第なんじゃないか?」
「なにが」
「『やだー。このゲームこわーい』って言ってたあのアリスだって、今では骨の髄までどっぷりだ」
「おまえ声真似すごく似てないな。無理に似せようとしなくていいぞ」
「細かい事はどうでもいい。問題は、俺達は果たしてアリスにこのゲームをやるよう勧めたりしたか、という点だ。もちろん勧めてなどいない」
「そうだな。――掃除するからボス頼む」
「了解」

 雪原の台地に、立ち上がれば三メートルにもなろうという白い毛並みの大猿と、人ほどもありそうな猿が数匹入り乱れている。
 その渦中に祐麒・小林が操るハンター達が、混乱するほど複雑に、驚くほど大胆に、そして紙一重の動きで剛毅にして慎重に大立ち回りを繰り広げた。
 そこには暴力がある。暴力しかない。
 だがそれ以上に、二人の洗練されたテクニックと先読みと経験が、本物の狩人のように息衝いていた。
 これこそが、ただの野蛮なゲームとは一線を隔すポイントなのかもしれない。

「いわゆる『岩戸の前で飲めや歌えや作戦』が意図せず成功したのだ」
「……まあ、言わんとしてることはわかるが」

 ちなみに同生徒会の高田鉄はあまりゲームに興味がなさそうだ。明日のプロテインとカッチカチな上腕二等筋に浮かぶ血管が気になってしょうがないのだろう。

「じゃあ、おまえのやることはわかったな?」
「ここに祐巳を呼べってか?」
「おいおい、よせよ。健全な男子高校生二人が部屋にこもってゲームやってるような光景、女の子に見せられるわけないだろ?」
「それは同感だ」

 こんな自堕落というか、ゲームに夢中になっている姿、あまり見られたくない。
 一緒に遊ぶにしても、今の自分達の中に誘う――というのはなしだ。女の子に色々あるように、男の子にだって色々と準備があるのだ。いきなりは困る。

  コンコン

 なんて考えている時に、乾いたノックの音が二回。

「――祐麒ー?」

 びくっ!
 いきなりは困ると思っていた矢先、いきなり祐巳の声がやってきた。男達は震えた。だがハンターとして狩りは続行している。もはや本能としか言えないくらい、身体が……指先が勝手に動いている。

「ど、どうしたー?」
「アリス来てるよ。通していい?」
「あ、頼む」

 そして足音は遠ざかった。

「……おまえアリスにも声掛けたの?」
「声を掛けた、というか、昨日なぜかおまえの家に集まろうって流れになってた。普通に」
「なってた……本人に断ってから来いよ」
「なに、おまえが不在だったら堂々と祐巳ちゃんと遊べるってだけだから――あ、ちょ、何してるのユキチ!?」

 聞き捨てならない小林の言葉には、ゲーム内で「蹴とばす」という形で反撃しておいた。キックされて動きを強制的に止められた小林キャラは、巨大猿に殴り飛ばされ、ゴミのように飛んで雪原をごろごろ転がっていった。

「こんにちはー」

 アリスの声に「おう」「開いてる」と男らしく応える。アリスこと有栖川金太郎がやってきた。





 一狩り終えて、のんびりと三人顔を付き合わせる。

「え? 祐巳さん達にゲームやらせる方法?」

 細やかな気遣いができるということだろうか、アリスはジュースとお菓子を持ってきた。小林は手ぶらだったが。

「そう。おまえだって期待してたんだろ? 祐巳ちゃんとMHできるかも、って」
「……無理なんじゃない? 内容的に」

 アリスは祐麒と同意見のようだった。というか常識的に考えて無理だろう。

「最初は嫌がってたおまえも、この世界に入ってきたじゃないか」
「それは、毎日二人で楽しそうに遊んでたから、気になって」
「だろ? つまりそういうことなんだよ」
「じゃあ、祐巳さんを私達が遊んでるところに呼ぶの?」
「おい、よせよ。ユキチと同じこと言うなよ。健全な男子高校生二人とちょっと微妙な奴が三人して部屋にこもってゲームやってるような光景、普通の女の子に見せられるわけないだろ?」
「なによ微妙って。失礼しちゃう」

 むくれるアリスは確かにかわいい。だが残念なことに奴は男だった。ミニスカートからにょきっと生えている綺麗としか言いようがない生太股も残念でたまらない。

「でも、祐巳さんにゲームやらせるだけなら、簡単なんじゃない?」
「「マジで?」」

 声を揃える男二人に、ちょっと微妙な奴が「マジで」と笑った。

「『光の君』経由で祥子さまにやらせて、そこから祐巳さんに」

 確かにその流れなら、無理なく祐巳にMHをやらせることができるだろう。
 だが大きな障害が三つある。

「柏木先輩、ゲームやるか?」
「『一緒にゲームやりませんか?』ってユキチがちょっと恥ずかしそうにもじもじしながら誘えば、嫌な顔はしないわよ。だって光の君だもの」
「それは先輩じゃなくて俺が嫌な顔をする選択だ」

 うんざりする祐麒の抗議は、軽やかに無視された。

「問題は、祥子さんにこれをやらせるってところじゃないか?」
「光の君が祥子さまに『これ、仲の良い人と一緒に遊ぶと面白いんだよね』と伝えれば」
「なるほど、祥子さんは自然と祐巳ちゃんと遊ぼうとするってわけか!」
「自然……とは思えないんだが」

 また祐麒の抗議は無視された。

「でもそっちの方法より、由乃さんを落とした方が早い気もするのよね。きっと由乃さん、『うわグローい』って言いながら結局楽しむと思うの」
「ああ、由乃さんらしいな。それ」

 祐麒も「それはあるな」と思った。周りを気にせず大太刀を振り回す様が目に浮かぶようだ。そして呆気なく返り討ちに遭うまでがデフォだ。由乃には勇み足を掬われる様がよく似合う。

「でも、由乃さんにやらせるのは簡単かも知れないけど、由乃さんに勧めるのが難しいかも」
「どうして?」
「私達はユキチの友達でしょ? だから、私達が由乃さんと連絡を取るには、ユキチから祐巳さんを通すパターンが一番自然だと思うの。個人的に連絡を取ると由乃さんに警戒心を与えるわ。勘も鋭いしね」

 話の流れはわかった。

「警戒心というか、最初から理由を話せばいいんじゃないか?」

 由乃に勧める理由は、花寺の男どもが一緒にゲームして遊びましょうと誘っているからだ、と。

「やだ、ユキチったら。ガッつくと女の子に逃げられちゃうゾ☆」

 拳を頬に当てた妙に可愛らしい仕草で、アリスは祐麒の頬をツーンと突付いた。
 確かに可愛らしい。
 だが、可愛らしいところが余計むかついた。――男心も複雑なのだ。

「ユキチ、書くもの借りるぞ」
「え?」
「この小林少年が、数学的検地から祐巳ちゃんにゲームをやらせる方法を計算する。これ借りるぞ」

 小林は、デスクの上のカップに立ててあるボールペンとメモ帳を取り、本当に何事か書き始めた。まさか本気で数学的検地とやらで方法を割り出そうというのか。

「ねえねえ」

 驚き慄く祐麒の袖を、アリスがくいくい引っ張る。

「クエスト進めたいんだけど、手伝って?」

 すがるような上目遣いも、小首を傾げる仕草も可愛い。だが非常に残念ながら奴は男だった。




 ちょうど一狩り終わったところで、小林が「よし」と振り返った。

「できたぞ! 完璧な計算がな!」

 数学に不可能はない。数字は宇宙をも推し量る。――などというちょっとアレな論は当然無視するとして。

「方法は?」
「この魅惑の数列、緻密でありながらどこか乱れた人妻のような方程式……そう、俺はあのアインシュタインを越え――」
「だから。祐巳にゲームやらせる方法は?」

 放っておくと本気でヤバそうだったので、祐麒は特に興味もないが聞いてやることにした。

「俺の計算では、今日の晩飯の後に、祐巳ちゃんが俺の話題でユキチに声を掛ける確率を90パーセントにして」

 いや無理だろ。アリスならまだわかるがおまえの話題は出ないだろ、と祐麒は思った。言っても無視されそうだから言わないが。

「更に祐巳ちゃんからゲームの話題を出させさえすれば、あとはトントン拍子で進むと出た」

 どうだ、と小林は得意げな顔で言い切った。対する祐麒とアリスは、なんだか可愛そうな生き物を見る哀れみの表情。

「……さ、アリス、続きやろう」
「うん」

 可愛そうに、奴は数字という悪魔に魅入られてしまった。だがそれでも友達なのだ、責めはすまい。

「おい無視かよ。……ははーん、おまえら俺の天才的計算術に嫉妬してるんだな?」

 可愛そうに。末期か。 

「すまん、小林……」
「え? なにが?」

 祐麒は謝らずにはいられなかった。なぜ数字に狂い始めた友のことを気付いてやれなかったのか。止めてやれなかったのか。こんな体たらくで友達だなんて笑わせる。
 だが、狂ってしまった今となっては仕方ない。
 せめてそうなってしまった今でも、交友関係を保つことしか祐麒にできることはないのだ。

「……なんかよくわからんが、おまえらが本当に言いたいのは、どうやって祐巳ちゃんが俺の話題を出す確率を90パーまで高めるのか、ってところだろ?」
「「お」」

 驚いた。二人して驚いた。狂ったとばかり思っていたのに、まさか正常だったとは。…………いや、逆にそっちの方が問題があるような気もするが。

「まあ俺に任せろよ。魔法の言葉を使うだけで思いのままさ……ちょっと行ってくる」
「え、おい!」

 止める間もなく、小林は祐麒の部屋を出て行った。恐らく祐巳に魔法の言葉とやらを伝えに言ったのだろう。

「……小林くんって、時々光の君よりすごいね」
「……そうだな。無駄にすごいよな」
「……でも、なんか不気味ね」
「……そうだな。“魔法の言葉”って響きもなんか怖いしな」

 「止めなくて良いの?」というアリスの真っ当すぎる問いに、祐麒は不気味な“魔法の言葉”より「無理に止めて今度はこっそり動かれるよりはマシだと思う」という、自分の預かり知らない方法による被害拡大を心配していた。その、例の数学的検地とやらで、変な言動を止めて余計変な言動を取らせるよりはいいだろう、と。

「まあさすがのあいつも、さすがにそこまでおかしなことは言わないだろ。さすがにさ」

 妙に喉が渇くせいでジュースをお代わりしつつ、祐麒は冷静を装う。「さすがに」と三回も言っていてその自覚がない辺りに隠し切れない巨大な不安がモロ見えだ。

「まあ、さすがにね」

 精神状態が怪しい祐麒を前に、アリスとしては適当な相槌を打つしかなかった。
 だって小林もユキチもどっちも、友達を信じているから!
 だから「どう転んでも自分に迷惑は掛からないからどーでもいいやー」と思っていたり、棚ボタで女の子グループとゲームできるかもしれないという淡い期待をしていたりするわけでは決してない。

「それよりユキチ」
「……それより?」

 ニッコォォォォと、もはや天使の微笑みとしか言えないアリスの笑み。ああコレが男であることがここまでいらつくとは驚きだ、と、見慣れているはずの祐麒がチラッと思ってしまうくらいだ。

「私、『迅竜の延髄』が欲しいなぁ☆」

 健全な男子高校生なら、まず間違いなく心揺れるだろうおねだり攻撃だ。だが日本中の圧倒的ガッカリを無駄に集めて濃縮したくらい残念なことに、それは「女の子のおねだり」ではなく「男の子、それも同級生のおねだり」だった。これが相手をあの筋肉野郎・高田鉄辺りに置き換えただけで鳩尾に鈍く効くような。
 祐麒は目を逸らした。
 もはや直視に耐えない。
 見ていたら、ものすごく嫌な胸のときめきを感じてしまいそうだったから。。
 ――ちなみに『延髄』とは、ゲーム内のアイテムである。

「お、迅竜行くの?」

 早々に戻ってきた小林を混ぜ、少年達はゲームに興じる。もちろん祐麒は「祐巳に何を吹き込んだ?」と何度も聞いたが、小林は「夕飯まで秘密」としか言わない。
 そして一時間もすれば、祐麒は小林の企みなど、すっかり忘れてしまっていた。




 それを思い出したのは、友人達が帰って少しのんびりして、夕飯時に家族が集まった時だった。

「……何?」
「ううん、別に」

 姉が、祐巳が、妙にこちらを見る。観察する。しかもなんだか嫌な感じでニヤニヤ笑いながら。
 嫌な予感なする。とても嫌な予感が。
 ともすれば、あのわかりやすい先輩がろくでもないことを考えている時のような笑みだ。まったくもって「別に」では片付けられない顔だ。
 だが、下手に突っつくのも、怖かった。
 特に、今一緒にいる両親に知られたくない類の話だったら。いらぬ恥を掻かされそうだ。
 いったい小林は、祐巳に何を吹き込んだのか。
 “魔法の言葉”とはなんだったのか。
 九文字の悪魔に魅入られた友人の計算では、すでに、夕食後に姉が小林の件で自分に声を掛ける確率が90パーセントになっているはずなのだ。
 ありえないとしか思えない内容による90パーセントという、ほぼ確実と置き換えて差し支えない未来が、だいたいあと5分ほどでやってくる――もはや現実でありながら悪夢と認定して良いのではなかろうか。

「ごちそうさま」
「あ、祐麒、待って」
「何」
「小林君のことで――」

 今まさに、九割だった悪夢が、確率を越えた現実となって展開された。




 小林が囁いた“魔法の言葉”は、あっけなく判明した。

「もう。そういうことならお姉ちゃんに言ってくれればいいのに」

 食卓を離れソファに移動した二人……というか弟は強引に姉に連れられて来たのだが、妙に馴れ馴れしく姉は言う。ニヤニヤ笑いながら。似合わないのにお姉さんぶりながら。

「そういうことって?」
「由乃さんとゲームしたいんでしょ?」
「……」

 しばし固まった祐麒は、内心「あれ?」と首を傾げた。――普通だ。普通すぎる。これが“魔法の言葉”だと言うのか。
 だが、安心するのは早かった。

「いやー、知らなかったなー。てっきり祐麒は志摩子さんみたいな物静かな女性らしいタイプが好みだと思ったのに」
「……好み……?」

 だんだん見えてきた。嫌な現実が。

「で、いつからなの? いつから由乃さんのことを?」
「ちょっと待て」

 由乃さん。
 ゲーム。
 知らなかった。
 志摩子さんみたいな物静かな女性。
 タイプ。
 好み。
 いつから。
 どれもこれも聞き覚えがありすぎる、逆に言えば目を逸らす間がないほど至極わかりやすいキーワード達。それも数は多くない。
 小林が考えた“魔法の言葉”とは、年頃の乙女を興味津々で動かしてしまう内容の類だったのだろう。
 もちろん、嘘だ。そんなことはない。
 いつもなら一笑に伏して部屋に帰りたいところだが、ここで曖昧なまま済ませると被害が拡大する恐れがある。特に「気を利かされて知らないところで物事を動かされる」というありがた迷惑なうっかりミスは断固避けたい。うっかりミスが多い姉だけに油断などできない。
 幸い今は姉しか知らない状況だ。大丈夫。まだ大丈夫だ。

「あ、あのな、祐巳。小林から何を聞いたのかは……まあ薄々わかるけど、それは嘘だ。そのような事実は一切ございません」
「何政治家みたいに回りくどく言い訳してるの? 照れなくていいじゃない。わかるよ、確かに由乃さんは可愛いから」

 いかん。姉が姉モードに入っている。うっかりが多いくせに弟の面倒を見ようとしている。しかも呆気なく嘘に踊らされている。

「で、ゲームってどんなゲーム? ゲームでいいところを見せて『祐麒先生かっこいい!』と言わせたいとか言わせたくないとか聞いてるよ?」

 ――小林あの野郎!! 自分の願望をさも人が言っているかのように伝えやがって!!――祐麒は頭の中で、五往復半の往復ビンタで奴に取り付いた悪魔を祓ってやった。本体にもダメージがあるかもしれないが仕方ない。奴と悪魔はあまりにも同化しすぎている。……あれ? 奴こそすでに悪魔?

「まあ落ち着け祐巳。とりあえず俺は由乃さんに懸想してない」
「だから隠さなくていいって」
「いや、だから」
「やっぱり姉としては心配だったんだよね。柏木さんのアブノーマルへの誘い、アリスの純粋無垢な誘惑、そして高田君のマッスルボディへの憧れ……プロテインの香りに誘われて身も心も……」
「最後おかしい。色々おかしいけど最後が特におかしい」
「実際どうかは知らないけれど、生徒会という狭い交友関係のみに限定したって、あまりにもアブナイ世界が身近にありすぎてない?」

 ……なんだか反論できなかった。
 考えてみれば、周りは変な奴ばかりだった。あの小林がまともに思えるほどに個性的な連中が多すぎる。
 というか、なんであんな濃い連中しか側にいないんだろう――だが悪い奴らじゃないというところに奇妙な縁を覚えた。

「そんなアブノーマルの誘いを日々必死に断り続けるけなげな弟のために、姉としてはやっぱり手を貸したいな、と!」
「そんな語尾強く言っても言い切らせないぞ!? 俺は断じて“必死”に断ってなどいない! それじゃ本音ではアブノーマルの世界に入ろうか否か心揺れてるみたいじゃないか!」
「違うの?」

 ぶっとばしたくなるほどキョトンとした姉のタヌキ顔。
 ……いかんいかん、感情的になるな。
 相手はあくまでも善意なのだ。決してバカにしているわけでもからかっているわけでもない。ただただ純粋に心配しているだけなのだ。
 知らず握っていた拳を解く。いつの間にか手に浮いていた汗を、ジーンズのパンツでごしごし拭う。なんだか嫌な汗が出っ放しだ。
 そんな明らかに挙動不審な弟に、姉は「はっきりしないなー」と不満顔。

「なんなのよ祐麒は。由乃さんじゃ不満なの? 柏木さんがいいの? お姉ちゃん、アリスなら百歩譲るつもりはあるよ?」
「だから色々おかしいだろ! はっきり言ってるだろ、どれもないんだよ!」
「そっちこそおかしいでしょ!? 由乃さんもダメ、柏木さんもダメ、アリスもダメって……あとは高田君のマッスルボディしかないじゃない! ……ハッ、まさか、もう……!?」
「もう、なんだ!? 何そのこの世の終わりみたいな顔!?」
「お、おかあさーん!」
「呼ぶなーーーーー!!!!」




 嫌がる姉を無理やり部屋に連れ込む。両親に聞かせるにはあまりにも複雑かつ精神をえぐりそうな展開が見えているので、場所を変えることにしたのだ。

「もういい! もう由乃さんが好きなことでいい!」

 誤解は解けない。
 うっかり者の姉は、心配性の姉は、変に理解がある姉は、善意の人である姉は、気を回して言葉通りに受け止めてくれない。
 悪意がないところに悪意を感じる――“魔法の言葉”もとい“悪魔の言葉”は、ここまで人を狂わせるのか。

「…………」

 いや、天然の暴走なんて元からか。「ほーら見なさい、全部お見通しなんだからね」と言いたげな、姉の得意げな顔を見ていたら、なんか気が抜けてしまった。
 とにかく高田のマッスルボディに魅了されている、なんて最悪の誤解をされるよりは、あの島津由乃のことが好きだ、と誤解されている方が男としても個人的にもよっぽどマシだ。実際花寺にもファンは多いのだから。というか、リリアンの山百合会のメンバーなんて、女っ気のない男子校にとってはアイドルに等しいのだから。

「で、いつから? やっぱり一目惚れ?」
「待て! とりあえず、俺が……俺達がやりたがっているゲームを把握しろ! 話はそれからだ!」

 祐巳をその辺に適当に座らせて、件のゲームの説明書を渡し、その隣に携帯ゲーム機を持って座る祐麒。

「モンスター……ああ、なんか名前は聞いたことあるかも」
「え?」

 なんとなく意外だ。お嬢様校に通う姉が知っているとは。

「リリアンで流行ってるのか?」
「ううん。ただ、ファンはいるみたい、って話を聞いたことはあるよ。いつだったか“あんな野蛮なゲームをやるなんてはしたないですわ”って瞳子が言ってた」

 まあ、それがリリアン生として正常な反応のような気はするが。

「いいか祐巳、今からおまえは少々残酷なモノを見るかも知れない」
「え……バ、バイオハザード的な……?」
「いや、ホラーじゃない。不条理なゾンビも出ない。ただ、生き物を狩るってだけだ」
「生き物を、狩る……ああ、ハンディングって書いてあるもんね」

 案外冷静なのは、まだピンと来ていないからだろう。

「よく見てろよ」

 ――「あっ」とか「うわあ」とか「血が……血がぁっ」とか「痛い痛い痛い」とか呟いていた祐巳は、ゲーム開始五分で立ち上がった。

「それ怖い!」
「だろ? 俺は……俺達はこのゲームを一緒にやりたいんだ」

 どうだ。いくら善意の姉でも、いや、善意の姉だからこそ、こんなものを人に勧められはしまい。

「い……一応話してはみるけれど、期待しないでよね!」
「え!?」

 言葉の意味を正しく理解する前に、祐巳は祐麒の部屋から素早く抜け出していた。

「い……一応話す……?」

 そのフレーズに胃に来るような不安が押し寄せたものの、まあ、大丈夫、普通のリリアン生には受け入れるに難しい……いや由乃さんは普通のリリアン生ではない……いやいやアレもアレで純粋培養されたお嬢様だ、大丈夫大丈夫……でもなんか胃に来る……
 ――取り留めのないことをつらつら考えつつ、しかし祐巳を追って更なる説得をしなかったのは、正直もう疲れたからだった。




 一週間後、「リリアンでMHが流行り始めたらしいよ」という噂を聞いた時、祐麒は特に驚きもしなかったとか。
 あとなぜか小林が、悪魔祓いと称して五往復半のビンタをされたとか。





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