「捕獲作戦を考えましょう!」
由乃からの唐突な提案に、祐巳と志摩子は反応できなかった。
「・・・ちょっと。聞いてる?」
再度問いかけてくる由乃に、祐巳はなんとか答える。
「いきなり何?」
祐巳が戸惑うのも仕方なかった。昼休みに、たまには三人で昼食を食べようと中庭に集まり、お弁当を広げていたその時に、由乃は何の前触れも無く先ほどの発言をしたのだから。
「だから捕獲作戦よ!」
「・・・・・何の?」
志摩子もやっと口を出せた。
「ランチよ」
「ランチ?」
オウム返しに志摩子が言い、軽く首を傾げる。
『ああ、ゴロンタの事?』
祐巳と志摩子の声が重なった。
「・・・・・・・・・何で二人ともそっちの名前が定着してんのよ。まあどっちでも良いわ。そのゴロンタの事よ」
「・・・・・・由乃さん。お弁当が足りなかったなら私のやつ分けてあげるから」
「誰が猫なんか食べるのよ!!そうじゃなくてね・・・」
「由乃さん」
「何?志摩子さん」
「三味線屋にメス猫を連れて行っても、買い取ってくれなかったわよ?」
「三味線にもしない!!・・・・・・・・・・・・・・・・くれ“なかった”?」
「じゃあ、何のためにゴロンタを捕まえようというの?」
「志摩子さん今過去形で・・・」
「理由を話してくれないと協力はできないわよ?」
「いやだから、なんで過去形で・・・」
「ねえ?祐巳さん。そうよね?」
「え?・・・う、うん」
「・・・・・・・・・もういいや。深く追求しても気分の良い話は出てこないだろうし」
「そ、それで、何でいきなりゴロンタを捕まえようとか思ったの?」
祐巳も志摩子の話を追求したくなかったので、話を元に戻した。由乃はそれを受け、先ほどより少し落ち着いた口調で話し始めた。
「狂犬病の予防注射してあげようと思って」
「・・・・・・猫なのに?」
「昨日テレビで見たんだけどね?狂犬病っていうのは海外じゃ狂水病って呼ばれてて、ほとんどの哺乳類に感染するのよ。もちろん人にもね。ついでに言うと、今、飼い犬の間では、狂犬病はほぼ絶滅しているの。むしろ輸入動物のフェレットなんかの方が予防接種を義務付けられてなくて危ないらしいの」
「・・・・・・へえ〜知らなかった」
「でね?飼い犬と違って屋外に出る生活している猫や野良犬のほうが感染の確率は高いんだって。感染源の動物に直接出会って噛まれる可能性が高いから」
「確か唾液感染だったわね」
「志摩子さん、良く知ってるわね。まあ、そんな訳で、ゴロンタにも予防接種をと思ったのよ。こんなにリリアンに馴染んでる猫が、ある日突然倒れたりしたら悲しいでしょ?」
「そっかぁ・・・・・・別にオナカ減ってた訳じゃなかったのね」
「・・・祐巳さん、あなた私のこと何だと思ってるのよ」
「じゃあ、捕まえてみる?」
「志摩子さん、居場所に心当りある?」
「心当りと言うか・・・」
「言うか?」
「さっきから由乃さんの後ろにいるのだけれど」
「早く言ってよ!」
由乃は立ち上がり、後ろを振り返った。すると確かに由乃の真後ろにゴロンタが寝そべっていた。
「うわ、ほんとだ。気付かなかったわ」
「でも、どうやって捕まえるの?」
「そうね・・・・・・」
作戦1:エサで釣る
「ほ〜ら、美味しいお魚だよ〜。おいで〜」
由乃は自分のお弁当に入っていた鮭の切り身をチラつかせながら呼びかけるが、ゴロンタは寝そべったままこちらを見ているだけだった。
「おかしいなぁ。魚なら飛びつくと思ったんだけど・・・」
「その鮭、由乃さんが料理したの?」
「ううん、令ちゃんが・・・・・・って祐巳さん、今のどーゆー意味よ?」
「いや、実は美味しくないのかと思って」
「ああ、それで私が料理したのかと思ったんだ・・・・・・って失礼ね!」
「・・・オナカが減ってないのかも知れないわね。よく、昼休みに餌付けしている人がいるから」
「あ、もう満腹なのか・・・」
由乃は残念そうに鮭を弁当箱に戻した。
「と言うか私がさっきチクワをあげたから・・・」
「早く言いなさいよ志摩子さん!」
作戦2:オモチャで釣る
「何かゴロンタの興味を引きそうな物持ってる?」
「お弁当しか持ってきてないよ・・・」
「私もよ」
「そうよね・・・猫じゃらしでも生えてないかな?」
「あ!由乃さんの三つ編みなんか興味持ちそうじゃない?」
「どうやって使うのよ・・・頭振りながら寄ってったら逃げ出しちゃうんじゃない?」
「切る?三つ編み」
「切らないわよ!って何でナイフなんか持ってんのよ志摩子さん!」
「デザートのリンゴを剥こうかと・・・」
由乃は志摩子の弁当箱を覗いてみた。
「・・・・・・・・・・・リンゴなんか入ってないじゃない」
「そう言っておけば怪しまれないかと思って」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もういい」
作戦3:実力行使
「待ぁぁてぇぇぇ!!」
業を煮やした由乃は、ゴロンタを追いかけて全力疾走し始めた。周りでは、食事中の生徒達が怯えて逃げたり「まあ・・・・・・由乃さんとうとう・・・」などと可哀そうな目で見たりしていたが、由乃は気付かずに、ゴロンタを追いかけて銀杏並木のほうへと駆けて行ってしまった。
「元気だなぁ、由乃さん」
祐巳はそんな由乃を見送りながら、お弁当をつついていた。手伝う気はさらさら無いらしい。
「オナカが減れば戻ってくるわ」
志摩子がさらっとヒドイ事を言っているが、
「そうだね」
祐巳が同意してしまったので、その場には由乃をフォローする人間はいなかった。
作戦失敗
「はぁ、はぁ、はぁ、・・・・・・・・・見失っちゃった」
数分後、由乃は肩を落として戻ってきた。
「猫が本気で走れば、普通の人間では追いつけないわよ?」
「はぁ、はぁ・・・・先に・・・・・はぁ・・・言いなさいよ」
由乃はグッタリと座り込んでしまった。
「まったく・・・無駄な体力使っちゃったわ。・・・・・・しかも祐巳さん昼寝してるし・・・」
由乃は恨めしそうに祐巳を睨んだ。
「・・・・・・・あれ?!」
眠っている祐巳の横を見ると、ゴロンタが寄り添うように眠っていた。
「この子、祐巳さんには警戒心が無いらしいの。よくこうして一緒にお昼寝しているのよ?」
「じゃあ、最初から祐巳さんに頼めば・・・」
「すぐに捕まえてくれたわね」
「・・・・・・・・・・早く言いなさいって何回言わせるのよ!!」
「ごめんなさい。聞かれなかったものだから」
絶対わざとだ。力尽きた由乃はそう思いながら、ばったりと倒れこんでしまった。
後日、ゴロンタはすでに聖によって予防接種済みである事が発覚し、由乃はもう白薔薇家には心を許すまいと誓ったらしい。