「由乃さん、今日のところはこれくらいにしておかない?」
「む?」
志摩子の言葉に由乃はわずかに顔をしかめた。
『真・マリア転生 リリアン黙示録』【No:2934】から続きます。
「やる気無さそうね」
攻撃をかわした時のまま由乃に正対するでもなく半身を向けていた志摩子を見て、由乃はつまらなそうに構えを解いた。
えっ、と小さく声を上げたのは菜々だ。乃梨子も声こそ出さなかったが驚いたのは一緒だった。
ああ、驚いてる驚いてる。菜々の顔に意外そうな表情が浮かんでいるのを見て由乃は密かに苦笑する。ここであっさり退くような黄薔薇さまこと島津由乃だとは思っていなかったのだろう。それは由乃自身もそう思う。
由乃が突進し、志摩子の側を通り過ぎた結果、白薔薇姉妹を黄薔薇姉妹で挟む形になっていた。
志摩子が由乃を正面に見ずに体を横に向けたままなのは、菜々の後ろからの攻撃を警戒して、というわけでは、たぶんない。
それなら同じつぼみである乃梨子を背後に充てればよい話だ。菜々では乃梨子を簡単に突破することはできないだろうし、よしんばスピードで抜いたとしても、今度は後ろから乃梨子に襲われることになる。それ以前に、菜々が後ろから志摩子に打ち込んだとしても、間違いなく手厳しい反撃が行われるだろうことを由乃はほぼ確信していた。
だから志摩子のその姿勢は菜々に対する防御の為でなく、むしろ菜々への攻撃を考慮している、という風に由乃には見えた。
白薔薇姉妹を挟む形というのは一見挟み撃ちに最適なようにも見えるが、それはそれぞれの戦力が同等以上の場合だ。
見方を変えれば、分断されて各個撃破に適した形になったと見ることもできる。志摩子と乃梨子が由乃に向かって来た場合はいいが、菜々に向かわれた場合、由乃がフォローに入る前に菜々が墜とされる可能性は無視できる程低いとも思えなかった。
「乃梨子」
由乃の様子を見た志摩子は乃梨子を促すと、由乃の方にゆっくりと歩みだす。同時に軽く指を打ち鳴らすと、周りにいた天使たちがその場から消えていった。
志摩子にしろ由乃にしろ、敵を前にしてひどく無造作な動きをすることがある。が、それで隙ができるわけではないということもお互いにわかっていた。
「菜々はそこにいて」
一瞬反応しかけた菜々を制して、由乃もあわせるように志摩子にの方に向かって歩き出す。間に志摩子を挟みつつ外側に少し距離を取って乃梨子が進む。
距離が詰まり、触れ合わんばかりに接近する由乃と志摩子。
由乃の右手に一瞬だけ力が入る。空気が張り詰めた。が、それだけだった。
すれ違う。
「ではごきげんよう、由乃さん」
「……ごきげんよう」
不機嫌そのものの声で応じ、由乃は菜々のもとに歩み寄る。
振り返りもせずにその場を離れていく白薔薇さまの背を見送る菜々は不服そうだった。
その表情を見た由乃は逆に少し機嫌を直す。他の人にはわかりにくいだろう菜々の表情がなんとなくわかるようになってきたことが、由乃にはちょっと嬉しかったりする。
「魔王戦の後でかなり消耗していたようですし、チャンスだったのでは?」
「……だからよ」
菜々の言葉に由乃はわずかに逡巡した後、苦笑してこたえた。
「消耗しきった状態の志摩子さんを倒しても面白くないでしょ。万全の状態の志摩子さんを叩きのめして上から見下ろしてやらないと」
その気持ちは菜々にもわからないではない。が、まともに戦ったらかなり苦戦するだろうことは想像に難くない。
もともと、志摩子の戦闘力は突出している感があった。由乃が黄薔薇さまになりその差は縮まり今も追い付きつつあるが、スペック的にはおそらく志摩子の方がまだ少し上だ。
それでも由乃が負けるとはもちろん思わない菜々ではあったが。
「ちょっと意外だったね」
「?」
乃梨子の言葉に首を傾けて見せて先を促す志摩子。
なんでこう、いちいち仕草がカワイイかな志摩子さんは。などと思いつつ乃梨子は先を続ける。
「黄薔薇さま、もっとごねるかと思ったんだけど、あっさりと退きましたね」
「菜々ちゃんはかわいいのね」
「は?」
話の繋がりが見えずに乃梨子は混乱する。っていうか何それ何なに志摩子さんは私より菜々ちゃんみたいなこが好みってこと?
「あの時、私が菜々ちゃんの方を攻撃したらと思ったのでしょうね、由乃さんは」
志摩子自身は、そのつもりがあったわけではない。ただあの時点での由乃との戦闘は可能であれば避けたかったのも事実だ。だから由乃が仕掛けてきた場合、菜々側から突破するというのも考慮していた。あれはそういうことだった。
「……あ、ああ」
そういうことですか。由乃さまにとっては菜々ちゃんはという意味で。
「それはそれで意外な気もするけど」
「そう? 私はよくわかるけれど」
そう言うと、志摩子は乃梨子を見て微笑んだ。
「そ、そうですか」
「ええ、そうよ」
いや、志摩子さんならわかるけど。あの黄薔薇さまが、というのが意外なわけで。というかそこで乃梨子を見て微笑むのは反則じゃないですか志摩子さん。
などといつものごとくな乃梨子だったが、その一方で。
穏やかな笑みを浮かべながらも、志摩子は心中全く穏やかというわけでもなかった。
祐巳の言ったこと。
千年王国。乃梨子がどうなるのか。
全く考えていなかったわけではない。いや、なるべく考えないようにしていたのかもしれない。
神の御名のもと選ばれた人々の千年王国を築きあげる。
メシア教の掲げる、争いの無い平和で平等の世界、すなわち千年王国の建国という思想。それ自体には心から賛同する。
けれども。選ばれた者のみという部分に志摩子は当初から多少のひっかかりがあった。
一神教的教義のメシア教は、一般的にはキリスト教母体だと思われているが、その内実はどちらかといえばユダヤ教色が濃い。
選ばれた者以外は労働に従事すること自体が救いになるという考え方に代表されるような強烈な選民思想や、メシア願望などはその典型だ。
敬虔なクリスチャンであった志摩子は、敬虔なクリスチャンであったがゆえに、メシア教そのものに全幅の信頼を寄せきれないでもいた。
降臨した大天使ガブリエルを疑うことなどはそもそも考えられない。
しかし、たとえ御使いの介入があるとはいえ、メシア教も所詮は人の創った組織だ。その思想が完璧に神の御心に沿うものなのかどうかはヒトの身には理解しきれるものではない。それは志摩子こそが理解できていないという可能性でもあるわけで。
乃梨子がもし………その時自分はどうなってしまうのか、志摩子自身にもまだわからなかった。
さて、こちらは最近なんだか影が薄いような気がする紅薔薇姉妹。
祐巳はわりとピンチというか窮地に陥っているような気がしていた。
目の前には愛すべき妹であるはずの瞳子が、目を吊り上げて祐巳に迫っている。眠っている間にこっそり出かけたのがそんなにお気に召さなかったのか。………まあ、普通は怒るよね。
「心配かけたくなくて」
「何も言わずに出ていかれたら心配しますよ!」
「ごめんなさい」
思わず謝ってしまう祐巳。
「でも手紙置いてあったでしょう」
「手紙ってこれのことを言ってるんですか?」
瞳子は手にした紙切れをひらひらさせらる。手紙の文面はこんな感じだった。
ちょっと魔王の召喚場所に行ってきます。
すぐに戻るので心配しないでください。
「そうそれ!」
「これを読んで何を安心しろというんですか。コンビニに買い物に行くんじゃないんですよ!」
祐巳が何か言うたび瞳子の怒りのボルテージが上がっていく。
「私はそんなに頼りになりませんか? 信用できませんか?」
「そんなことないよ。凄く頼りにしてるよ。それに、妹を信用してないわけないじゃない」
「じゃあどうして! 何も言ってくれなかったんですか!?」
「言ったら反対されるかなーって」
「当たり前です!」
どうしろと?
「今は動かない、が正解の選択肢だったんです。そう言ったはずです」
「でも魔王とかが復活したら……」
「まだ時間的には余裕があったはずですし、どうせ白薔薇さまも動いたのでしょう。他に働きかけるとか、手の打ちようは他にいくらでもあったんですよ」
「……そうなんだ」
さすがにちょっとショックをうけたらしい祐巳。
「だいたい、全てお姉さまが1人で決めて1人で行動するのなら、私がいる意味なんて無いじゃないですか!」
「そんなことない! それは違うよ瞳子」
祐巳はそこだけは強く否定に出た。
「瞳子はいてくれるだけで凄く支えになっているし、瞳子がいてくれるから、私は頑張れるんだよ」
「そんなこと……それって精神面だけで、実質的には役に立ってないということですか?」
「それこそそんなわけないじゃない。今回だって瞳子の魔法の特訓のプログラムのおかげでなんとかなったようなものだし」
「……やっぱり危なかったんですね」
「いや、そういう意味じゃなくてね……」
しゃべればしゃべるほど深みにはまっていく気がするのは何故だろう。
「瞳子が心配だったんだもん」
「……」
「……」
可南子は生暖かい視線を2人に送っていた。
はたから聞いていると、単なる惚気にしか聞こえないのは気のせいだろうか。
こほん、とひとつ咳払い。ハッとしたように2人が可南子の方に視線を向けた。
「終わりましたか?」
「終わったって、何がですか?」
瞳子の声が少し上擦る。
「瞳子は心配し過ぎだよね、可南子ちゃん」
「私も心配はしましたけど」
「ご、ごめんなさい」
「いえ、私の場合は目の前で盛大に取り乱している人がいたので、それを見たら逆になんだか落ち着いてしまって」
「あー、あるよね。そういうことって」
「お姉さま、何嬉しそうな顔してるんですか!?」
「うえ? いや、心配かけてごめんね?」
「………本当ですよ」
あ、と祐巳は思う。その表情を見てはじめて本当にすまない気持ちになった。
「ごめんね」
「もういいです。終わったことですし、……でも次はありませんから」
「え?」
次は無いって何が無いの? 次にやったらどうなるの?
祐巳の混乱をよそに瞳子は既に可南子に話を向けていた。
「だいたい、誰がそんなに取り乱していたというんですか」
「別に誰がとも言ってないけれど」
「他にいないじゃない!」
「他にもいるじゃない、ほら、あの…………………………私を回収してくれた人とか」
「……………ああ、あの……、アノヒトはずっと眠っていたじゃないですか」
「……桂さんのこと?」
「「それです!!」」
祐巳は苦笑する。
「大変だったらしいから寝かせておいてあげて」
「「別にこちらから用はありませんから」」
なぜかこんな時には息が合う瞳子と可南子。何気に酷いよ2人とも。
一応仮にも祐巳の友人なのに。
「なんですって?」
一旦落ち着いたところで、祐巳が試しに言ってみたことに対する瞳子の言葉がそれだった。
「由乃さんともちゃんと話してみたいなあって言ったの」
「危険過ぎます」
今度は即答。
実力的には2人の薔薇さまに少し差を付けられている祐巳である。
今回だって非常に危険だった。想定外の志摩子との遭遇。無理矢理召喚されてしまった魔王。いずれも単独で当たって戦闘になりでもしたら勝ち目は薄かっただろう。ましてやこんどはあの由乃と会うなどと、正気かと。
「志摩子さんの方が危険が少なかったと思う?」
「……………」
志摩子に氷付けにされた経験を持つ瞳子としては微妙な問いだった。
法と秩序を重んじるロウは一見理性的で話が通じ易いように思えるが、天使にしろメシア教にしろ、考えを異にするものには容赦がない。
志摩子にしても穏やかなようでいてひどく頑固な一面がある。不完全体とはいえ魔王をサックリと消滅させたあたり、敵に容赦ないのも危険度も実証済みだ。今回は運よく戦闘を回避できたが、スペック的にも志摩子の方が由乃より上かもしれないのだ。
だからといってあの由乃の方が安全だとは、間違っても言えない。結局のところ。
「どちらも危険です」
ということになる。
「我侭だなあ」
「何がですか! 使い方おかしいですよ」
相変わらず、話し合いの席では傍観を決め込む可南子の前で、いつものじゃれあいに突入する2人だった。