【2964】 約束の地由乃の姉  (bqex 2009-06-05 22:48:42)


幻想曲シリーズ

※注意事項※
登場人物が天に召される描写があります。
パラレルワールドを題材にしています。
連載で【No:2956】→【No:2961】→【これ】→【No:2975】→【No:2981】→【No:2982】→【No:2996】→【No:3010】→【No:3013】→【No:3015】→【No:3020】(完結)になります。
以上を踏まえて、お読みください。



 暗くなり始めた通学路を由乃は令ちゃんと2人で手をつないで走る。
 令ちゃんが言った。

「由乃は走れるようになったんだね」

「うん」

「走れるんだ」

 また、その言い方がしみじみとしている。
 この世界の由乃は手術に失敗して死んでしまったのだから走るなんて事滅多にしなかったはずだ。
 でも、由乃は走れるようになった。その状態が嬉しくて、しょっちゅう走ってるから、しょっちゅう転んで、たまに今日みたいにギンナンまみれになるくらいに大変な事になるのだけれど。

「だって、こうやって令ちゃんと一緒に並んで歩いたり、走ったりしたくて手術したんだもん」

「由乃……」

 令ちゃんってばウルウルとした目で由乃を見ている。

「私は一方的に背負ってもらったり、庇ってもらったりするだけの関係が嫌だったの。対等に自分の足で歩いてみたかった。そして、令ちゃんにもそういうのに慣れてほしかったのに……それなのに令ちゃんたらっ!」

 令ちゃんのスピードが落ちる。由乃もスピードを落とす。

「大事な大会前なのに平気で部活サボったりして、いつもいつも由乃の事盾にして強がってるだけで、じゃあ、由乃のいなくなった令ちゃんってどうなっちゃうの? って思ってた」

 令ちゃんの足が止まった。由乃も止まる。

「本当に由乃がいなくなったら引きこもっちゃって。ばかよ。それで何か解決したの? 後を追って死ぬ事すら出来なかったでしょう? あ、誤解しないでよ。私は令ちゃんに後を追って死んでくれなんて全然思ってないわ。そんな事したら三途の川で絶対に追い返してやるんだからっ!」

「うん」

「私はね、強くて優しい令ちゃんは好きよ。でも、強さや優しさを勘違いしている令ちゃんは嫌。現実逃避して学校にも行けなくなったヘタ令ちゃんなんて論外っ!」

 ごめん、と呟くように令ちゃんが謝る。

「明日からはたとえ一人でも学校に毎日通うのよ。いい? こっちの世界の死んじゃった由乃は毎日マリア様と一緒に令ちゃんの事見てるんだから」

「……うん」

 そう。由乃は令ちゃんの事を毎日見ているはずだ。
 令ちゃんが学校に行かずに引きこもるようになったのを歯がゆく思いながら、時折訪ねてくる江利子さまにブツブツ言いながら、そして、突然現れた別の世界の由乃にびっくりしながらちょっと嫉妬したりして今もずっと見てるはずだと思う。

(由乃、一週間経ったら返すから、その間令ちゃんを借りるね)

 由乃は再び歩き始めた。令ちゃんも一緒に歩く。
 リリアンの背の高い門をくぐり抜けた時にはもう生徒は見えなかった。
 緩やかなカーブの銀杏並木を進むとマリア様のお庭の前に出る。
 そこで足が止まる。
 マリア像の前で令ちゃんと由乃は並んでお祈りする。
 お祈りを終えて由乃が令ちゃんの方を向く。

「支倉令さま」

 由乃は改まって言った。
 令ちゃんが由乃の方を向く。

「妹にしてください」

 由乃はそう言って頭を下げた。
 令ちゃんは黙っている。
 しばらくそうやって我慢していたが耐えられなくなって由乃が頭をあげると令ちゃんはもじもじと何か言いたそうな顔をしている。
 あれ?

「嫌だった?」

「ううん、まさか」

 令ちゃんはすぐに首を振った。

「じゃあ、どうして?」

「……ロザリオが、ない」

 姉妹の契りを結ぶにはロザリオが必要だ。
 これを受け取ればリリアンの中では皆が姉妹と認めてくれる。
 逆にロザリオがなければ姉妹とは認めてくれないのだ。

「部屋に置いて来ちゃった?」

「ううん、そうじゃなくて。出棺の時に由乃の首にかけちゃったから……」

「ああ、そういう事」

 由乃は妙に納得できた。
 死んでしまって柩に横たわる由乃に令ちゃんが号泣しながらロザリオをかけて「天国に行っても由乃は私の妹よ」なんてロマンチックな事を言っちゃってる姿まで想像できてしまった。
 やれやれ。
 由乃はポケットを探った。出てきたのはダークグリーンの色石がついた、令ちゃんが由乃の肌に似合うと選んでくれたロザリオだった。

「これをかけて」

 由乃は一歩近付いて令ちゃんにロザリオを渡す。

「あ、はい」

 受け取りながら令ちゃんは渋い顔になる。由乃は一歩下がって元の立ち位置に戻る。
 1年前から令ちゃんの時間は止まっているから鮮明に思い出してしまったのだろう。
 確かあの時はブチギレて顔に叩きつけてやったんだけど。こっちの由乃はそこまでキレなかったのかもしれない。

 令ちゃんは深呼吸して左右の手でかけやすいよう鎖を大きく広げた。
 由乃も改めて一歩前に出た。
 初めての時は手に握らされたロザリオ。
 令ちゃんがゆっくりと由乃の首にかけてくれた。
 改めてロザリオを見る。
 不意にウルっときた。
 自分のポケットから出したものなのに。変なの。

「薔薇の館に行こう」

 令ちゃんの手にしがみつく仕草の途中で目に溜まったものをぬぐうと薔薇の館に向かった。
 令ちゃんは上履きに履き替え、由乃はその辺にあった雑巾で上履きを拭く。ギシギシと鳴る階段を上がって、ビスケットの扉を開いた。

「お待たせ」

 祐巳さん、志摩子さん、祥子さま、乃梨子ちゃん、中の人が一斉にこちらを見る。

「令!」

 祥子さまが由乃の脇をすり抜けるように令ちゃんに抱きついた。
 令ちゃんはギンナン臭い由乃に抱きついていたから相当ギンナン臭くなってるはずなのに、祥子さまはそのギンナンの匂いが大嫌いなはずなのに、構わず抱きついて人目もはばからずぽろぽろと涙を流している。

 祐巳さんの目からも涙が溢れる。
 志摩子さんもそっとハンカチで目元を抑えている。
 乃梨子ちゃんはそんなみんなを見てウルウルしている。

 約束の1時間はとっくに過ぎていた。
 なのに、誰も帰らないでみんなずっと由乃と令ちゃんの事待っていてくれていた。
 こんなにいい仲間がいるのに、令ちゃんってばどうして学校に来られなかったのか。
 本当にばかなんだから。

 間もなく守衛さんに促され、家に帰る事になった。
 道すがら令ちゃんは明日から毎日学校に来ると祥子さまに何度も約束させられた。

「ごきげんよう」

 みんながバス停に向かって歩き始める。

「ごきげんよう」

 由乃と令ちゃんは家に向かって歩き始めた。

「……ったく、令ちゃんてばみんなをあんなに心配させて」

「ごめん」

 令ちゃんがまた謝る。

「令ちゃんってば謝ってばっかり。もう、謝るのはいいから、次からどうするとかこうするとかはないの?」

「……毎日学校に行きます」

「それでよろしい」

 何だかわからないけれど、このやり取りが妙に可笑しくなって由乃は笑いだした。令ちゃんも同じらしく笑いだした。大笑いしながら、最後には涙まで流して家に着いた。
 楽しい涙だから、これはいいや。



 家の前にはお母さんが立っていた。

「由乃っ!」

 お母さんが抱きついてきた。

「もう……もう……なんだかよくわからないけど、ギンナンみたいな臭いさせて帰ってきて……」

 お母さんはそう言ったきり泣きだした。

「あ、あの……私は別の世界からちょっとだけ来た由乃で、あと6日半で元の世界に帰っちゃうし。あ、ギンナンは銀杏並木で転んじゃって──」

「それでも、由乃は由乃でしょう?」

 泣きじゃくりながらお母さんが言う。

「まあ、それは、そうだけど……」

 お母さんは泣いている。
 お母さんにしてみたら死んだ娘と1年ぶりの再会なのだが、こっちは今朝も普通に顔を合わせて普通にいってきますと別れただけなのでどうもテンションが違う。

「由乃っ!」

 後ろから声がする。これは、お父さんだ。
 お父さんがそのまま後ろから抱きついてきた。
 両親にサンドウィッチにされるように抱きつかれて身動きがとれない。

「由乃っ! なんか変な臭いするけど、おかえり。由乃ぉ……」

「私は別の世界からちょっとだけ来た由乃であと6日半で元の世界に帰るのよ。臭いは転んだ時に着いたギンナンの臭いってだけで──」

 説明したところでお父さんもお母さんもどれだけわかっているのやら。

「由乃ちゃん!」

 うわ、隣の家から伯母さん(令ちゃんのお母さん)が泣きながら出てきて抱きついてきちゃった。

「なんかギンナンみたいな臭いするけど、よく帰ってきたわね」

 大人3人に抱きつかれた女子高生が1人。しかも大人はわんわん泣いてる。
 これ、見た人は一体どんなふうに見えてるんだろう。
 参ったなあ。

「臭いはいいから、説明させて。私は別の世界から来た由乃で──」

「由乃ちゃん!」

 あちゃー、伯父さん(令ちゃんのお父さん)まで出てきたよ。
 ラグビーのスクラムだか何だかわからない謎の集団と化している。

「私は別の世界の由乃で、この世界の由乃じゃないのよ〜!」

 そんな由乃の叫びを無視して島津、支倉両家の家族は門の前で抱きついて大泣きしている。
 しかもギンナン臭をプンプンさせて。
 ああ、ご近所さまはなんて思うのかしら、トホホ。



 由乃はギンナン臭い制服を脱いで先にお風呂に入る事になった。
 服はこちらの由乃の物を借りてもいいというのでお言葉に甘える事にした。
 制服はクリーニングに出しても帰る頃には間に合うだろうから、そうする事にする。

 こちらの由乃の部屋に入ると、1年前、手術の前に片づけた時の状態になっていた。
 机の上に1年の時のクラスメイトの寄せ書きと花、遺影が飾られていた事が大きく違うが由乃のいた世界とそう変わらないのが有難い。

 由乃は遺影に手を合わせる。

(令ちゃん以外にもいろいろとお借りします)

 逆の立場だったらどう思うだろうか?
 「仕方ないわね。でも、令ちゃんにあんまりベタベタするんじゃないわよ」ってところか。

「あ……」

 替えの下着を用意しようと引き出しを開けて思い出す。
 この1年で由乃はちょっと成長した。
 剣道部に入って運動なんかするようになったから筋肉だってついているはず。
 果たして、手術前のか細い身体に合わせた衣類が無事に入るのだろうか?
 試しに身につけてみる。

 ……ピッタリでした。

 私の成長はこんなもんか。
 いや、全然成長してないじゃん。
 泣けた。
 由乃はがっくりと落ち込んで泣いた。



 翌朝。
 由乃は目覚めた。
 昨夜は両親及び支倉家の面々から質問攻めにあったが、途中からお酒の入った大人たちは脱落し、うまい具合にお開きになってくれた。
 さて、今日はどうするか。

 ノックの音と共に令ちゃんが入ってきた。

「由乃、いつまで寝てるの」

「……」

 令ちゃんってば、制服を着て、髪はバッサリと、いつものベリーショートに整えてさわやかな笑顔で目の前に立っている。
 いつの間に。

「髪、切った?」

 何から言っていいのかわからないからそんな事を言ってしまった。言ってから、これは話題のない相手に振るベタな質問だな、と反省する。

「うん。夕べお母さんに手伝ってもらって。さ、それより早く行かないと」

 令ちゃんが手をつかんで由乃を起こす。

「どこへ?」

「学校に決まってるでしょう?」

 さも当たり前というように令ちゃんが言う。

「学校!? ちょ、ちょっと待って」

 由乃は慌てた。

「何を言ってるの? 昨日人の事をさんざん言ったでしょう?」

 呆れたように令ちゃんが言う。

「そうじゃなくって、この世界の由乃は死んでるんだよ? 私はあと6日で帰っちゃうんだよ? そんな人間が学校に通えるの?」

 そう。リリアンの名簿どころか戸籍だって死亡扱いになっているはずだ。

「叔父さんが何とかするって言ってた。さ、それより着替えないと」

 お、お父さんが!?
 何を考えてるんだ、お父さん!

 驚く由乃を尻目に令ちゃんはクローゼットからこちらの世界の由乃の制服を取り出した。

「着替えさせてあげようか?」

 令ちゃん、それは仕返しのつもり?
 制服をひったくるとやけくそになって着替え始めた。
 ワンピースの制服はほとんど傷みがない。
 心臓の持病があって慎重に生活していたから制服が傷むような真似はしなかった。
 元気な体を手に入れてからは走りまわり、山百合会の仕事は率先して行った。
 その分制服は傷んでしまっていたのだ。
 さらに取り出したスクールコートは新品同様だった。2、3回着ただろうか? 覚えてもいない。
 ピカピカに磨かれた革靴。
 白い上履き。
 昨日の上履きはギンナン臭くて耐えられないが、お母さんが綺麗にすると請け負ってくれた。

 下に降りて行くとお父さんが待っている。

「お父さん! 私は別の世界の由乃であと6日でこの世界からいなくなっちゃうのよ。そして、この世界の由乃は死んじゃってるの。現実を見つめて」

 お父さんにとっては辛い現実だが、受け入れてもらわないわけにはいかないのだ。

「由乃。これも親孝行だと思ってほしい。6日間、お父さんとお母さんにつきあってくれればいい」

 お父さんは頭を下げた。

「お、お母さんまで!? ねえ、私はこの世界の由乃じゃないんだよ。死んだ人間が学校に行くなんて、おかしくない?」

 お母さんが現れた。

「由乃は普段、平日はリリアンに通ってるんでしょう?」

「そりゃあもちろん」

「どんな世界だって、リリアンがそこにあって、リリアンに通っている由乃がここにいるなら、それは通わないと」

 無茶苦茶な、なんて無茶苦茶な理論なんだ。

「さあ、由乃行くぞ」

 お父さんの言葉にお母さんが用意していたお弁当を渡してきて、令ちゃんが由乃の鞄を持って、もう、逃げられないように手までつかまれて、由乃は学校に連れて行かれた。



「……信じられない」

 いくら死んだと説明しても本人がそこにいれば動かぬ証拠。
 由乃は「あってはならない手違いで死んだ事になっていた」事になり、無事(?)リリアンに通う事が許された。
 元の世界では2年生なのに、休学した事にされてしまったので1年菊組に放り込まれた。
 ちなみに令ちゃんは休学から復帰したので2年菊組に戻された。

 うわ〜、あと6日間、大丈夫だろうか?

続く【No:2975】


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