マリア様がみてる「リトル ホラーズ」(2009年7月1日発売予定。一部地方で多少異なります)を盛り上げようとしてから回ったSSです。
【No:2967】を先に読むとより分かりやすくなっています。
志摩子は由乃さんと薔薇の館の会議室の外の廊下で向かい合っていた。
由乃さんが言う。
「伝統ねえ」
「そうよ」
菜々ちゃんが新年度の委員会の資料の原稿を職員室にコピーを取りに行って原本を忘れてしまったのを口実に、志摩子は山百合会伝統の『おしおき』を決行するために由乃さんを扉の外に引っ張ってきたのだ。
『おしおき』の手順は妹の失敗を姉の責任として姉を廊下に出す。廊下に出された姉は何かをされているような大声を出し、妹にそれを聞かせ、妹に姉が厳罰を受けているように思わせる。
何かすると自分だけの責任ではないという事をわからせる事、姉が自分のために身を呈して守ってくれるって実感を持ってもらう事が目的なので、この『おしおき』は薔薇の館の正式な住人になった時に決行される、洗礼というか、ドッキリのようなものだ。
この『おしおき』の内容は自分の妹に『おしおき』をする段になって初めて明かされる。
「『おしおき』は本人にやらないと意味がないでしょう? 聞いている菜々ちゃんにとっては自分の失敗でお姉さまがひどい目にあわされているなんて一番の『おしおき』だと思わない?」
志摩子の言葉に由乃が答える。
「そうかしら? あの子なら『あっ、お姉さまが楽しそう』くらいにしか思わないんじゃない?」
「そんな事はないでしょう?」
「いや、あの子はイマイチわからないところがあるから。悲しいけれど」
由乃さんはやれやれ、というように肩をすくめる。
「あ、でも、思い出した。確か薔薇の館にきてすぐの頃、江利子さまのお気に入りのカップ割っちゃった時に、江利子さまが令ちゃんの事、ネチネチ責めてこうやって外に連れ出した事があったわ。でも、その時さ、私の中では初めてゴングがカアァーンって鳴った時でもあるのよ」
「ゴング? ボクシングとかの?」
「そう。自分だけの責任がどうのとか、姉に守って貰ってるとかそんなの一切思わなかった。ねえ、だからこの『おしおき』って効果ないんじゃない?」
「そ、そうかしら?」
自分の時を思い返す。
パソコンでタイプした誤字を責められて、お姉さまが蓉子さまに引っ張って行かれて、悲鳴のような声が聞こえて、真っ赤になった蓉子さまとニタニタわらうお姉さまが……あれ?
えーと、乃梨子の時は……「志摩子さんという呼び方どうにかならない?」「大きなお世話です」「喧嘩の時に上げ足とらないでください」「喧嘩じゃないでしょ!? 1年生のくせに3年生と同列に並ぶつもり」「年功序列反対!」で飛び出して、乃梨子が追ってきて……いや、これは違う。
あら、乃梨子の時はなんだったかしら?
「じゃあ、この話はこれでおしまいね」
由乃さんはそう言う。
「ちょっと待って。一応やりましょうよ。手伝ってあげるから」
「何言ってるのよ、やらないって言ってるじゃない。それに、手伝うって何?」
「え、いや、それは──」
志摩子は乃梨子が何故責められたのかは思い出せなかったが、その後の事はしっかりと覚えていた。
「ところで、志摩子さんは『どっち』に種明かしされたの?」
不意に由乃さんが聞いてくる。
「えっ!?」
「今、手伝うって言ったけど、種明かしされたあとくすぐるとか、何かされたんでしょう? で、話を総合すると乃梨子ちゃんを妹にした時に薔薇の館にいて『おしおき』の内容を知っているのは令ちゃんと祥子さまじゃない?」
さすが、名探偵由乃さん。
「志摩子さんには怒らないから正直に言って」
由乃さんは気づいている。
そう、あの頃祥子さまは祐巳さんと気まずくて『おしおき』どころではなかった。
しかし、志摩子に怒らなくても帰って令さまに当たり散らすのはお気の毒な話だった。
「……忘れたわ」
「ふーん。言わないなら、『おしおき』はなしね」
「どうしてそうなるの?」
志摩子は咄嗟に由乃の手をつかんだ。
「離してよ、やらないって言ってるでしょう?」
「やりましょうよ」
「やめて!」
「そんな事言わないで!」
2人でもみ合いになる。
情けない事だが志摩子は学校に入ってから体育の授業にちゃんと参加してきたのに、体育の授業に参加して1年半くらいという由乃さんと互角ぐらいだった。
「きゃあっ!!」
バランスを崩して2人でバタンと倒れる。
志摩子が由乃さんを下敷きにしてしまう。
由乃さんは頭をぶつけたらしくて涙を流している。
「……!!」
視線を感じて階段の方を見ると瞳子ちゃんがひきつった表情で2人を見て、目が合う直前にバタバタと逃げるように階段を下りて行った。
「ねえ、今の、誤解されたんじゃない?」
由乃さんがそっと言う。
「何を?」
「薔薇の館で髪を振り乱して黄薔薇さまを襲う白薔薇さま」
「えっ!?」
思わぬ答えに志摩子は心臓が爆発しそうなくらいにびっくりした。
「ところで、いつまで人の上に乗っかってるわけ? とっとと降りて頂戴」
「ご、ごめんなさい……」
志摩子は飛び退く。
由乃さんはさっさと中に入る。
志摩子もそれに続く。
ぐったりとした表情なのは志摩子の方だった。
菜々ちゃんはポーカーフェイスだし、乃梨子は由乃さんを睨んでいるし、祐巳さんは「あれ、志摩子さんは仕掛け人で、由乃さんが『おしおき』される人だよね?」って顔をして志摩子と由乃さんを交互に見ている。
どうしよう。
瞳子は何度も同じ言葉を心の中で繰り返していた。
この子羊達の庭に、乙女の園に、『そういう趣味』をお持ちの方がいるという残念な噂を聞かなかったわけではない。
それは仲睦まじい姉妹の姿を曲解した者や残念な者の流した根拠のない噂と一笑に付してきた。
しかし、見てしまった。
それも、あの、全校生徒を導く生徒会長が、リリアン女学園のアイドルが、親友のお姉さまが、お姉さまの親友が、である。
どうしよう。
数分前、演劇部が早く終わり、瞳子はいそいそと薔薇の館に向かった。
久しぶりにお姉さまのそばでお姉さまのためにお仕事ができる。
そう思いながら幸せそうににやけた顔を引き締め薔薇の館の扉を開く。
「離してよ、やらないって言ってるでしょう?」
中に入ると黄薔薇さまの声がする。
「やりましょうよ」
今度は白薔薇さまの声。2人は何をやっているのだろう?
ちょうど階段の上の辺りから聞こえてくる。
「やめて!」
「そんな事言わないで!」
お2人がもめている?
お2人の姿が見えた時、白薔薇さまが黄薔薇さまを押し倒したのだ。
えっ!?
興奮した様子の白薔薇さま。
うるんだ瞳で抵抗むなしく屈した黄薔薇さま。
と、瞳子は、瞳子は、見てはいけないものを見てしまいましたあぁーっ!!
向こうに気づかれる前に慌てて階段を駆け下り、外に出て、マリア様の前に来てしまった。
どうしよう。
お姉さまは無事なのだろうか?
妹になる前の過去の事だとしたら、どうしよう。
いや、お姉さまに限ってそんな事は……あああっ! お姉さまにそんな事聞くわけにはいかないし、それに、お姉さまだって真実を話すとは限らない。そもそもトラウマになっていたら傷口をえぐってカラシを塗り込むような事になってしまう。
お姉さまをとりあえず信じよう。
乃梨子は大丈夫なのだろうか?
乃梨子!
なんていう事!
瞳子は乃梨子のために良かれと思って、白薔薇さまと姉妹になれるよう微力ながら(主導的に)お手伝いしてしまった。
そして、もう1年近くも隣にいる。
乃梨子は、もう、あの白い悪魔の手にかかってしまったのかもしれない。
たまに熱気を帯びた視線で白薔薇さまを見つめていたのはそういう事だったのね、乃梨子。
マリア様、哀れな乃梨子をお救いください。
でも、本当にそっちにいっちゃってたら巻き込まないでね、乃梨子。
志摩子はあれ以来、瞳子ちゃんに誤解を解こうと会話のきっかけを探していた。
(マリア様、きっかけ、きっかけでいいんです! どうか、私に誤解を解くチャンスを下さい)
しかし、瞳子ちゃんは視線すら合わせてくれない。
瞳子はあれ以来、志摩子さまの顔をまともに見る事が出来なくなってしまった。
(ああ、どうしよう。なんか私の事を見てますわ……はっ! まさか、次のターゲットは私!?)
以来、瞳子は志摩子さまと極力2人きりにならないように努めた。
そして、誤解の解けないまま時が流れていくのであった。