【2982】 黄薔薇姫突撃するはずが半端ないくらいに脱線  (bqex 2009-07-18 00:32:23)


幻想曲シリーズ

※注意事項※
登場人物が天に召される描写があります。
パラレルワールドを題材にしています。
連載で【No:2956】→【No:2961】→【No:2964】→【No:2975】→【No:2981】→【これ】→【No:2996】→【No:3010】→【No:3013】→【No:3015】→【No:3020】(完結)になります。
以上を踏まえて、お読みください。



 令ちゃんが喧嘩!?
 こりゃあ、掃除なんかしてる場合じゃない!
 ホームルームだってもどかしい。
 やっと掃除の時間になって由乃はちょっとだけ失礼して令ちゃんの様子を見に行くために教室を勢いよく出た。

「あ、由乃さん。そっちじゃなくって──」

 笙子ちゃんの声を無視して由乃はダッシュした。
 掃除は後でやるってば。間に合えばだけど。

「ちょっと、由乃さんってば!」

 とにかく令ちゃんの一大事。何が何でも馳せ参じなくては!
 高田馬場に向かう堀部安兵衛の如く、由乃は走る! 走る!
 2年菊組の教室では掃除が始まったところだった。

「あのっ」

 入口付近にいた生徒に声をかけた。

「あら、由乃さん。令さんなら今掃除に行ったところよ。それより、あなたはもう、掃除終わったの?」

 由乃の事はいいからっ!

「令ちゃ、いえ、お姉さまが大変な事になったって聞いたものだから、心配で、心配で。何でも、喧嘩とか?」

 一生懸命猫を被って「お姉さまを案じてやまない可憐な妹」として質問する。

「ああ、あれは大した事じゃないのよ。いや、ちょっとした誤解というか。でも、もう解決したから大丈夫」

 由乃はまわれ右して戻ろうとする彼女の袖をつかんだ。

「その、ちょっとした誤解のあたりを教えてほしいのだけど」

「お姉さまに聞けばいいじゃない」

 笑顔で彼女は由乃の手を離す。

「あなたに聞いてるのよ」

「世の中には知らない事の方がいい事もあるし、そもそも、姉妹だからって何でもかんでも話さなくてはいけないのかしら?」

 こっちはそれが目的で来てるというのに、なんてムカツク女なんだ、こいつ。

「姉妹だからこそ、何でもかんでも話せるんじゃないかしら?」

「じゃあ、本人に聞いてちょうだい。悪いけど、私も掃除しなくちゃいけないから」

 そう言って彼女は立ち去った。
 ムカツク。ムカツク!
 本当はあんたが令ちゃんの喧嘩相手なんじゃないのっ!?
 ああ、そう考えるとここにいる生徒がみんなムカついてきて、令ちゃんがどこに掃除に行ったのかを他の生徒に聞く気にもなれなかった。
 とにかく、2年生が掃除をしそうな所でも回ろうかと思って歩き始めたところで声をかけられた。

「あら、由乃さん」

 途中で会ったのは志摩子さんと桂さんだった。
 2人とも掃除に向かう途中らしい。

「由乃さん、久しぶり。うわあ、本当だったのね」

 桂さんが嬉しそうに由乃の手を取る。桂さんとは昔クラスが一緒になった事があるのだ。

「とは言っても、もう4日ぐらいでいなくなっちゃうんだけどね」

 つい、愛想良く答えてしまう。

「ええっ? そうなの? どこか行っちゃうの? 外国に治療とか? こんなに元気そうなのに? 残念ねえ。令さまも復帰したのに。そういえば、令さまもご病気だったんだって?」

 病気って事になってたのね、令ちゃんってば。由乃が死んだショックで泣いて引きこもってましたとは、そりゃ、言いづらかろうけれどもさあ。

「え、ええ。私は私の事で精一杯だったから、詳しく知ってるわけじゃないんだけど」

 曖昧に微笑んで志摩子さんに目で合図する。

(早く桂さんを連れていって)

 志摩子さんはこくんと頷くと言った。

「桂さん、私先に行ってるわ。積もる話もあるでしょうからごゆっくり」

 違うわあっ!!
 外してほしいと勘違いした志摩子さんはスタスタと行ってしまった。
 掃除サボってまで、なんで桂さんと2人でお喋りしなきゃいけないわけ? ちょっと考えたらわかりそうなものじゃない。
 銀杏並木はいつか壊滅させてやるっ。
 桂さんは周囲を見回すと、急に声をひそめて言った。

「ねえ、聞きたい事があるんだけど、正直に答えてくれる?」

「……答えられる事ならね」

 いったい、桂さんが何を聞きたいのか由乃は分からない。

「由乃さんって、本当に1年前まで病弱で、死亡説まで流れちゃった由乃さん、本人なの?」

 おずおずと桂さんが尋ねる。

「本人よ」

 本当はウソ。
 1年前まで会っていた由乃は死んでいて、私はパラレルワールドから来たんだけど、信じてくれなさそうな人にはそれは言わない。

「じゃあ、私と2人だけの秘密って覚えてる?」

 由乃のカンが正しければ、死んでしまったところからこの世界と由乃のいた世界が分岐している。
 ならば、死ぬ前に起きた事は同じく起こっているはず。

「去年、私が具合が悪くて保健室に行った時、保健室にいた桂さんは──」

「す、ストップ!」

 桂さんが慌てて由乃の口をふさいだ。
 まあ、誰が聞いてるかわからないこんなところで言うべき話じゃないし。
 あの時の事を由乃は令ちゃんにすら言っていない。言うほどでもなかったから。
 本当に2人だけの秘密なのだ。

「やっぱり本物なんだ」

「あら、本物だって確認したくて聞いたの? 私はてっきり桂さんがカミングアウトしたくて言って欲しいのかと思ったわ」

 ニヤリと笑いが出てしまう。

「そ、そんな! あれだけは勘弁して!」

 由乃もあまり喋りたくないので、あの件は黙っておいてやろう。

「ごめんなさい。実は今日の昼休み、2年菊組に行ったら、菊組の生徒が令さまに『由乃さんは元気すぎるけれど、彼女は本物なの? イメージが違いすぎるんじゃない?』って聞いてたから、つい」

 今、さらっといろいろ気になる事を言わなかった?

「桂さん、昼休みに2年菊組にいたの?」

 由乃は気付くと桂さんの腕をぎゅっと握っていた。

「ええ。テニス部の人に用があって」

 人生万事塞翁が馬。桂さんと無駄にしゃべってたのが無駄でなくなった。

「ねえ、令ちゃ、いや、お姉さまが喧嘩したって本当?」

「喧嘩? ううん。だから、その『本物なの』って聞かれた時に、たまたま令さまが立ったのだけど椅子が大きな音を立てて倒れたのよ。そしたら、その『本物』って聞いた子が、令さまが怒ったと思って慌てて謝って、令さまがいいって言って終わった。それだけだけど」

「はあ〜」

 由乃は、気が抜ける、というか、腰が抜ける、というか、とにかくその場にへたり込みそうになったが、桂さんの腕を握っていたおかげで、なんとか立っていた。

「だ、大丈夫!?」

「は、はは……」

 なんて間抜けな由乃。
 よく考えたら、あの令ちゃん相手にあの2年菊組の生徒が喧嘩をするなんて事、ありえないのだ。そうなのだ。リリアンはこういうところじゃないか。

「なんだか、気が抜けたわ」

「そう? じゃあ、私、そろそろ掃除に行かなくちゃ」

 桂さんはそう言って立ち去った。
 何やってるんだ、由乃。
 本当は掃除に戻るべきなのだろうけど、そういう事をする気にもなれない。
 悶々とした状態で気がつくと薔薇の館に向かっている。
 このまま薔薇の館に行って令ちゃんと鉢合わせするのは嫌だった。
 令ちゃんは由乃が訪ねていった事を聞いているだろうから、あれこれ聞くだろうし、そうしたら、由乃はきっと憎まれ口を叩いてしまうだろうし。そして、わかっていても多分、そうなるだろうし。
 途中の図書館で本でも眺めて頭を冷やそうと思った。



「あ」

 思わず声をあげた。
 声をあげたのは、向こうだったか、こちらだったか。
 なんでこんな時に会っちゃうのだろう。

「菜々」

 思わず名前を呼んでいた。
 だ・か・ら、こっちじゃ知り合いでも何でもないのにっ!
 由乃のばかばかばかばかっ!

「ああ、一昨日の」

 菜々がここにいるのは図書館が中等部と高等部の共通の施設だからで不自然ではない。
 不自然ではないんだけど、なんで、このタイミングでここにいるのか。菜々に非がないとは分かっているのだが、つい、そんな事を考えてしまう。

「大丈夫でしたか? ええと──」

「島津由乃。シマは日本列島の島。ヅは天津甘栗の津。ヨシは自由の由。ノは乃木大将の乃で、染井吉野のヨシノじゃないから。呼ぶ時は由乃って、下の名前で」

「由乃さま」

 にっこりと笑顔で呼ばれてドキッとした。
 なかなか可愛いじゃないか。

「ええ。制服は替えがあるし、この通り」

「そうでしたか。実はちょっと気になってはいたんですよね」

「え」

 こっちの世界の菜々も私の事を気にしてくれているのか、と由乃はちょっと上機嫌になる。

「制服はべっとりとギンナンで汚れてるし、上履きのまま外に出ていくし。あの人、大丈夫なのかなって……あ、失礼しました」

 あー、そういう意味ですかい。
 由乃はコントならガクッとコケていたに違いないが、図書館での普通の会話なので、必死に耐えた。
 向こうじゃロザリオ落とした人、こっちじゃギンナンの人。
 どっちにせよロマンチックとは程遠い出会いだよ。ふん。

「あの、何かありました?」

「何かあったように見えるんだ」

 由乃は苦笑した。
 こっちの菜々も由乃のちょっとした事に気づいてしまうのか。それとも祐巳さんの百面相が感染したのか。

「いえ、きっと気のせいですよね。私の」

「気のせいじゃない」

 由乃は話し始めていた。

「私はね、別のパラレルワールドからやってきた島津由乃で、あと4日ほどで帰ってしまうの」

 はあ、と不思議そうに菜々は由乃の顔を見つめる。

「こっちの世界での島津由乃は1年ぐらい前に死んでしまっていて、で、そのせいかどうかは知らないのだけど結構ズレがあって。たとえば、私の大切な人が、引きこもりからやっと脱出したり。私の親友が、向こうじゃ妹がいないのに、こっちじゃ妹を作っていて、その妹にロザリオを返されてたりするわけ。まったく、いろいろ大変なのよ」

 少し考えてから、菜々が聞いてきた。

「で、由乃さまはどうしたいのですか?」

「え?」

「由乃さまは、こちらの世界に不満があるんですよね?」

 菜々は鋭い。

「不満というか、なんというか」

 そう、祐巳さんが瞳子ちゃんにロザリオを返されて、それが原因で祥子さまとぎくしゃくしている世界に令ちゃんを一人で置いていかなきゃいけないなんて。出来ないとわかっていても向こうに連れて行きたいくらいだった。

「その、ズレとやらを修正して向こうの世界と同じにしてしまいたいのですか?」

「いや、それは望んでない」

 きっぱりと言った。
 由乃は向こうの世界で最善になるように、もう、後悔しないように生きてきた。
 向こうの世界は向こうの世界なりに愛している。
 でも、向こうの世界は理想ではない。非常に残念な事に。

「でも、この世界を変えようとはしてるんですよね?」

「変えたい、というか……」

 ここで由乃は困った。
 由乃は、いったい何をしにここに来たのだろう?
 当初の目的からずいぶん脱線して、今は祐巳さんと瞳子ちゃんの心配なんかしてるけど、本当は……

 令ちゃん。

「私は、令ちゃんには楽しく元気に過ごしてほしい」

 ここは令ちゃんの隣に由乃がいない世界。

「この世界に私はいないし、これからいなくなっちゃうけど、この世界で頑張ってほしい」

 その世界で令ちゃんが頑張っていくために必要なもの。

「だから、令ちゃんには、一人でも生きていけるくらいに強くなってほしい」

 そして、令ちゃんを支えてくれるもの。

「そして、令ちゃんの支えになってくれる、山百合会の仲間がみんな幸せで、元気で、楽しければ、それがいい」

 どちらが欠けても令ちゃんはまた引きこもってしまうだろう。
 まとまらない考えを実際口に出してみると、この世界での残り4日間でやりたい事がいっぱい浮かんできた。たった4日じゃ足りないくらい。
 でも、令ちゃんのため、みんなのため、限られた時間でより効果的に、今できる事はなんなのか。

「私は、令ちゃんが一人でも平気なくらい強くて、山百合会のみんなが幸せで、元気で、楽しいなら何も変えなくてもいいと思う。でも、そうじゃない。そうじゃないから、何かしなくちゃと思う」

 それまで黙って聞いていた菜々が言った。

「由乃さまならこの世界を変えられますよ」

「何を言ってるんだか。私はそんな大した存在じゃないわ」

 由乃は苦笑した。
 この子は、本当に何を言ってるんだか。ありがたくも、勇気づけてくれようとしてるんだろうか。
 しかし、菜々は大真面目に言う。

「由乃さまなら変えられますよ。だって、由乃さまの世界とここの世界にはズレがあるんですよね?」

「ええ」

「それって、そのズレの分だけ確実に世界に影響を与えていたって事ですよ。由乃さまはかなりのズレが生じるほど世界に影響を与えられる人ですもの。変えられます」

 菜々は目を輝かせる。
 なんだか、本当に尊敬されてるみたいで、くすぐったいような、凄くいい気分になってきた。

「そ、そう?」

「由乃さま、この世界の変えたいところはどこですか?」

 菜々はストレートに聞いてくる。

「とりあえず、今解決出来そうなのは祐巳さんの問題かな」

 由乃は自然に答えていた。

「じゃあ、世界を変えに行きましょう」

「えっ?」

 由乃は理解できずにうろたえた。

「その人の問題を解決したら世界が変わるんですよね?」

「……たぶん」

「そして、由乃さまはそれを望んでいる」

「それは、そうだけど。でも、ちょっと待って。これは小学生の喧嘩とは違うのよ」

 これは姉妹の問題なのだ。だから、2人を助けてやりたくても、手を貸せるところに来るまでは黙って見てるしかない。
 なのに、菜々は。

「詳しい話は後で。さあ、行きましょう」

「菜々も!?」

 由乃は思わず聞き返していた。

「もちろん、お供します。世界の変わる瞬間に立ち会うって、私、決心しました。どこへだってくっついていきます」

 パワフルに菜々は言い切った。
 なんてすごい子なんだ。菜々は。

「で、どちらに?」

 唖然とする由乃に向かって菜々は聞いてきた。

「どちらって?」

「しっかりしてください。その、祐巳さまのいるところはどこなんですか?」

 ど、ど、ど、ど、ど……どえらい話になってしまった。
 もう、これは令ちゃんどころじゃない。
 坂を転げ落ちるチーズのようにゴロゴロと由乃は脱線していくのを感じた。

続く【No:2996】


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