【2984】 福沢家家訓暑い時はカレーが1番  (柊雅史 2009-07-19 16:02:55)


「おい、ユキチ。今お前なんて言った!?」
 昼休み。
 ついアリス相手に零した愚痴を聞きつけた小林が、祐麒に絡んできた。
「あん、もう! ユキチと話しているのに横から入ってこないでよぅ」
 もう、と頬を膨らませるアリスに、なんとなくゾクゾクと冷たい物を感じてしまう。
「悪いな、アリス。だが今のユキチの台詞は看過できねぇ」
 ぐっと祐麒の肩を掴み、小林がぐぐっと顔を近づけてくる。アリスが「きゃあ☆」なんて声を上げた。
「今お前、言ったよな? 家に両親がいないから、祐巳さんが夕飯を作ってるって!?」
「あ、ああ、そうだけど……これがまたひど」
「うおおおおおおおっ! なんだ、そのステキなシチュエーションは!? ステキ新婚家庭かコラ! お風呂にする、お食事にする、か!? どんなプレイだよ! どんなプレイだよ! アレか! 最近暑いから祐巳さんもついつい、素肌にエプロンの」
「死ねこの野郎っ!!」
 がくがくと祐麒の肩を揺する小林の妄想が暴走しそうになったのを察して、祐麒は容赦なく腹部にコークスクリューブローを叩きこんだ。
「おぐしおっ!」
 小林がごろごろと床を転がって口から何か零しつつひくひくするけれど、祐麒は生ゴミでも見るような目でそれを見下ろした。
「アホか」
「んもう、ユキチったら……でもでも、ユキチがそういうの好きなら、私もやぶさかでは……なんて! きゃ☆」
「アリス……お前もなぁ……」
 なんかもうカオスすぎる状況に、祐麒はついつい漏らしてしまった愚痴を後悔した。


 祐麒の愚痴は確かに現在両親が不在で、姉である祐巳が夕飯を担当している点にあった。
「ったく、小林のやつ……こっちは本気で悩んでるってのに……」
 間もなく夏休みという灼熱の帰路を、ハンカチで汗を拭きつつ突き進み、ぶちぶちと文句を垂れ流す。
「あぁ、くそ。こういう時こそ柏木先輩も脈絡なく登場して、夕飯でも誘ってくれりゃ良いのに。先輩が諸悪の根源なら、祐巳の怒りの矛先も先輩に無条件で向かうから万々歳なのに、こういう時だけ音沙汰なしなんだもんな。使えない」
 とりあえず内心の色々なものを、無関係の柏木先輩にぶつけておく。なんかスッキリした。柏木先輩も役に立つ時があるらしい。
 じわじわと蝉が鳴く中、柏木先輩をフルボッコし終えたところで、ついに自宅に到着する。
 今日も無事、家に着いてしまった。玄関の前に立つ、それだけで祐麒の繊細な胃がキリキリとエマージェンシーコールを叫び始める。
 だがしかし、祐麒の自宅はここしかない。帰るところも寝るところも、ここしかないのだ。
「ただいま……」
「あ、おかえり、祐麒〜」
 沈鬱な祐麒の声に、間延びした声が応じる。
「遅かったねー。外、暑かったでしょ? 居間なら冷房入ってるよ〜」
 言いながら台所から出てきたのは、言うまでもなく姉の祐巳。
「あぁ……ああぁあああぁ!?」
 返事をしながら靴を脱いぎ、顔を上げたところで祐麒の声が思わず裏返った。
「? どしたの?」
 お玉を手にきょとん、としている祐巳。
 水玉模様のエプロンから伸びる、意外と華奢な両手足。
 最近は暑いからと、家で愛用しているショートパンツとタンクトップという選択で、その上からエプロンを装着し。それを正面から目の当たりにすると、なんかもう小林が今わの際に垂れ流した妄想っぽく見えてしまう。
「ななな、なんでもない!」
「そう? あ、今日はカレーだよ。楽しみにしててね〜」
 首を振った祐麒に、祐巳は鼻歌を歌いながら台所に戻っていく。ホッと安堵の息を吐いてから、いやいや安堵の息っておかしいだろう、と祐麒はツッコミを入れた。
(小林、殺す。明日殺す! あいつが変なこと言うからだ……)
 ちょっとした殺意衝動を抱きつつ、祐麒は冷房の効いた居間へ向かった。
 台所からは、祐巳の鼻歌と食欲を刺激するカレーのスパイシーな香りが流れてくる。
(カレーか……確かに暑い日はカレーだよな)
 祐巳の口にしたメニューを反芻しつつ、祐麒の心がダークサイドに落ちていく。
 そう……祐麒が思わずアリスに愚痴を零したのは、祐巳の年頃の女の子としてどうかと思う油断っぷりに対して、ではないのだ。
 そんなもの、ここ数年ずっと見ているのだし、何度か注意もして無視されたので、もう諦めている。
 そんなことよりも、祐麒を悩ませる最大の問題が――

「ん、いい感じ。ここで隠し味を投入♪」

 祐巳が鼻歌交じりに言いながら、板チョコをドボドボとカレーに投入し始める。
 一枚、二枚、三枚、四枚……漂ってくるスパイシーな香りが、カレーのモノとは到底思えない甘ったるいものに変化した辺りで、祐巳はようやく「隠し味」の投入を止めた。
 隠し味にチョコを入れる、というのはよく聞く話ではあるけれど。
 全く、これっぽっちも隠れちゃいない。

「祐麒、できたよ〜! やっぱりあれだよね、暑い時にはカレーが一番だよね♪」

 祐巳が振り返り、嬉しそうに言いやがる。
 確かに暑い日のカレーは最高だ。だが断じて、これだけは言っておきたい。


 カ レ ー は チ ョ コ の 香 り な ん て し ま せ ん ヨ ?


 胃が、きりきりと痛む。
 毎晩続く、一食で血糖値がエマージェンシーになり兼ねない、言葉通りの激甘メニューを前にして。
 祐麒はただひたすらに、両親が早いとこ温泉旅行から帰ってきますように、と祈ることしか出来なかった。


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