【2985】 サービス満点乃梨子神十字架背負い  (bqex 2009-07-20 01:08:49)


 ごきげんよう。
 私はこの辺の人間の言葉でいうところの死神、もしくは天使というものである。
 肉体から離れた人間の魂を回収し天国と地獄の境目まで運ぶのが私の仕事。そこから先は別のものが担当しているので詳しくは知らない。
 回収する時は、魂が離れる前から対象となる人間について、その瞬間に立ち会う。
 魂を放置させたい存在が、どうせ肉体と離れてしまうのだからと「ちょっかい」を出してきたりして、何らかのハプニングで肉体と魂が予定より早く離れてしまう事があるからだ。万が一放置したり、回収に失敗すると大変な事になってしまうので絶対にそれは避ける。その事に仕事の比重が置かれていると言ってもいい。

 私が次に担当する人間が決まった。藤堂志摩子さん、予定寿命十六歳である。



 私は人間界にあるいくつかの拠点の一つにやってきた。
 私を出迎えたのは人間名を二条菫子という死神で、人間界に50年留まっている。
 私はそこで二条乃梨子という人間名と彼女の親戚という設定を貰った。人間界にいる時は人間の格好が一番便利なので、対象の側にいても不自然ではない人間に化ける事にしているのだ。

「あなたと親戚という事になるわけ?」

 私は確認する。

「そう。私はあんたの祖父の妹、大叔母という事になる。呼び方は、私はあんたをリコと呼び、あんたは私を菫子さんと呼ぶ。大叔母だけど、友達のような関係という事にしておいた。何かと便利だろう」

 菫子さんは人間から見て私より50年くらい年上に見えるであろう姿になってしまっているが、実際は同い年である。

「そうかもね」

 別に3カ月くらいの事なのだが、人間としてこの世界にいる時にぼろが出ないようそういった細かい設定を決めておく必要がある。

「あと、面白そうだから、リコは仏像好きが高じて受験に失敗してリリアンに通うという事にしたよ」

 菫子さんはくすくすと笑う。ちなみにリリアンとは対象の藤堂志摩子さんが通っているリリアン女学園高等部の事を指す。

「失敗したのはあなたの方でしょう」

 私は冷ややかな目で菫子さんを見た。

「ふん、リコは失敗っていうけどね。私は後悔なんかしちゃいないよ。それと、菫子さん、だろう?」

 呼び方を間違えたのを指摘してさらに嬉しそうに笑う。

「わかったよ、菫子さん」

 プイ、と私は背を向けた。

 菫子さんのように失敗した場合、ペナルティとして人間には見えないが、オデコに「ダ」という文字が浮かび上がり、そのまま人間界で過ごす羽目になる。
 「ダ」という文字が浮かんだ状態で人間界で過ごすと、人間と同じ速さで歳をとっていく。一定の歳をとってしまった死神は転生してまた1からやり直さなくてはならない。人間界でたった50年過ごしただけで、普通の500年分の歳をとってしまうのだ。
 ちなみに「ダ」の意味は「ダメ死神」という意味で、堕天使のダ、ではない。

 私はもちろん今までに失敗などした事がない。
 何故、失敗などしてしまうのか、私にはわからなかった。



 私はリリアン女学園高等部の1年生として学校に通い始めた。
 対象の藤堂志摩子さんは2年生なのだから、通常はクラスメイトになるべきなのだが、リリアン女学園高等部にはスール制度というものが存在し、上級生と下級生が特別な1対1の関係を築くという制度があり、スールになれば仕事がしやすかろうという菫子さんのアドバイスに従った結果である。
 放課後、クラスメイトを振り切って、藤堂志摩子さんを探す。
 肉体と魂が離れかかっている時の微妙な気配をたどって、小走りに駆けていく。
 次の角を曲がったところに、藤堂志摩子さんはいるはずだった。

(……そこだ!)

 一気に曲がる。
 瞬間、息をのんだ。

「──」

 銀杏が林立する木立の中でただ1本、大きく枝を広げた染井吉野が花を咲かせている。
 その下に、マリア様が立っていた。
 何て美しい光景なのだ。
 表現する言葉もない。
 やがてマリア様は視線に気づき、優雅に振り返って言った。

「この桜も、見頃は今日まで。一人で見るにはもったいなかったから、お客さまが増えて丁度よかったわ」

 よくよく見れば、そこにいたのは今回、私が担当する藤堂志摩子さんだった。

「あまりに桜がきれいで、忘れてしまったのかしら?」

「えっ?」

「言葉」

「……たった今、思い出しました。ご、ごきげんよう」

「ごきげんよう。よかった、せっかくご一緒したのに、お話しできないかと心配したわ」

 2人は小さく笑った。

「あの、毎日いらっしゃってるんですか」

「ええ。桜が咲いてからはだいたい。この木に誘われて。綺麗な桜は他にもたくさんあるわ。でも、この木のように特別に引き付けられる事はないの。どうしてなのかしらね」

 志摩子さんは桜の枝を見上げて、独り言のように言った。

「銀杏の中にただ一本、独りきりなのに、こんなにきれいに咲けるから……?」

 私の呟きに、志摩子さんは少し驚いた顔をして言った。

「そうね。本当にあなたの言うとおりだわ」

 それから、2人はしばらく散りゆく桜のその中に立っていた。

 こうして私たちは出会った。

 それから、偶然を装って、志摩子さんの実家に遊びに行ったり、2人が出会った桜の木の下でお喋りしたり、お節介な志摩子さんの仲間にだまし討ちに遭って、志摩子さんの秘密を打ち明ける羽目になったり。

 いつの間にか、私は志摩子さんが好きになっていた。

 他愛のないお喋りも、一緒のバスで帰る時間も、死神にとっては一瞬の出来ことなのに、大切で、かけがえのない時間になっていた。

 私は、志摩子さんの隣にいるだけで幸せな気分になっていた。
 偶然廊下ですれ違っただけでも嬉しかった。
 一分一秒でも長くそれを味わいたくなっていった。

 皮肉なものだ。
 志摩子さんはもうすぐ肉体と魂が離れてしまう。
 そして、それを回収して運ぶのは私なのだ。
 その事を思い出す度に胸が締め付けられるように痛む。
 こんな嫌な思いは初めてだった。



 時間はあっという間に流れ、当日がやってきた。
 その日、私は志摩子さんに頼まれ、薔薇の館で手伝いをする事になっていた。
 もちろん、頼まれなくたって今日は1日中くっついているつもりだったのだが。
 あと数時間で志摩子さんの魂を回収するのだが、この数時間が最も注意を払わなくてはいけない時間帯であり、多少神経質になっていた。
 何度もその瞬間を迎えていたはずなのに、今日の私はおかしかった。
 そして、ハプニングが起きた。

「乃梨子ちゃん、その『志摩子さん』という呼び方、どうにかならないものかしら?」

 このリリアンという場所は他の学校とは幾分違いがあった。上級生に『さま』をつけろとか些細なところが随分違っていた。

「こういうことは志摩子がちゃんと躾けなければならないことよ」

 私はかっとなった。普段はうまく謝ったり、やり過ごしたりできるのに、今日は違った。

「大きなお世話です」

「なんですって? 志摩子、あなたからも注意なさい。この、何も知らない下級生に」

 そのヒステリックな言い方が、私の頭に血を上らせるポンプとしてフル稼働してしまった。

「えっ、でも……」

 オロオロする志摩子さんが更にそれを加速させる。

「だから、どうして志摩子さんを持ち出すんですか?」

「ほらまた。『志摩子さん』じゃないでしょう? 『志摩子さま』!」

「喧嘩してる時にあげ足とらないでください」

「喧嘩!? 冗談じゃないわ! 私は後輩の指導をしているの。一年生のくせに、三年生と同列に並ぶつもり?」

「くせに、って。たかだか歳が二つ違うだけじゃないですか」

「学生時代の二つは大きいの」

「年功序列反対!」

「もうやめて!」

 志摩子さんが大きな声で割って入った。私は黙った。
 祥子さまは今度は志摩子さんにプレッシャーをかけ始めた。私をとるか、仲間をとるか。
 志摩子さんには酷な選択だったようで、泣きそうになって飛び出して行った。
 私は志摩子さんを追っていった。
 魂が肉体を離れる時間が迫っている。



 志摩子さんは2人が出会った桜の木の下にしゃがんでいた。

「本降りになったら、風邪ひくよ」

 私は自然とそう言っていた。
 間もなく魂と肉体が離れる予定の人間に、である。

「私、今日わかった事がある。志摩子さんて、欲張りなんだ。それで、誰にも嫌われたくない」

「そうよ」

 志摩子さんは目の前の雨に視線を向けて言った。

「だから、欲しがらないように生きてきたんだね。一度手に入れちゃうと、手放すのが怖くなるから。でも、志摩子さんにはあの人たちが必要なんだよ」

「だからって、あなたを切り捨てろだなんて言わないで」

「言わないよ。志摩子さんには私も必要だ、って自惚れているもん」

 志摩子さんと向き合った。安心させるように私は微笑みかけた。

「このロザリオを私に貸して」

 志摩子さんの右手首にかかっているロザリオを指して、私は言った。

「えっ、貸してって……」

「志摩子さんにとって、それはとっても大切なものなんだよね?」

 志摩子さんはじっとロザリオを見つめて考えている。

「でも、私にとってはこんなのただの飾りだよ。ロザリオの重みのわからない私ならきっと肩も凝らない。しばらく私に貸すと思って、ロザリオを外して軽くなってもいいんじゃない?」

「ロザリオをあなたに貸す?」

「そう、数珠みたいに」

 志摩子さんは手首からロザリオを外してまた何か考えているようだった。

「まだ、迷ってる?」

「私の妹になれば、あなたは山百合会のメンバーになる。さっきみたいな事が、また──」

「大丈夫。私はうまくやっていけると思う。私、紅薔薇さまのこと別に嫌いじゃないよ」

 実際の好き嫌いはともかく、とにかく志摩子さんに安心してほしかった。
 志摩子さんは私の言葉で最後の迷いをふっ切ったようだった。ロザリオの鎖を左右に大きく広げて持ち直す。

「かけていいのね?」

「志摩子さんが卒業するまで、側にくっついて離れないから」

 首にロザリオがかけられる。
 同時に志摩子さんが私によしかかるように倒れた。

 ひどい熱だ。
 この熱のせいで志摩子さんの魂は肉体から離れてしまうのだ。

 何を迷う必要がある。
 私は行動に出た。



 私は志摩子さんを連れて、保健室に駆け込んでいた。
 保健室には先生がいるものなのだが、たまたま不在だった。
 私はびしょびしょに濡れた志摩子さんの制服を脱がせて、タオルで拭いた後、毛布でくるんで、ついでに薬を飲ませた。
 そして、保健室から教室にダッシュした。
 自分のロッカーから体育着を取り出すとそのまま保健室に戻る。

「志摩子さん、とりあえずこれを着て。サイズが小さくて、ごめんね」

 志摩子さんが頷く。
 私の体育着はサイズが合ってはいなかったが、ないよりマシだった。
 制服を乾かしている間に先生が帰ってくる。
 私は必死に今の状態を説明した。
 先生が慌てて志摩子さんの額に手をあてる。

「とりあえず、熱は下がっているみたいね」

 私は胸をなでおろした。
 先生が連絡を取ってくれ、志摩子さんは家の者に連れられて車で帰った。



「志摩子さん、大丈夫かな」

 家で私はぼんやりとしながら呟いていた。

「大丈夫に決まってるじゃないか」

 菫子さんがニヤリとしながら言う。

「何を根拠に?」

「リコのオデコに書いてあるもの」

 はっとして私は鏡で自分の顔を見た。
 オデコにはくっきりと「ダ」と書かれている。

「あああ、志摩子さんの魂が路頭に迷ってしまった!」

 志摩子さんの魂を回収する予定をすっかり忘れて看病して、家族に引き渡して……己の愚かさを呪った。

「おや、リコは知らないのかい? 死神手帳を見てごらん」

 菫子さんに言われるまま、私は手帳を開いた。
 そこにはこう書かれてあった。

『藤堂志摩子 予定寿命八十六歳』

「……どういう、こと?」

 菫子さんが笑いをこらえきれないというように体を震わせながら教えてくれた。

「回収する予定の魂を肉体から切り離したくないと思ったら、つまり、心の底から助けたいと思ったら、死神の裁量で寿命を延ばしても構わないのさ」

「はあっ!?」

 初耳だった。

「ただし、伸ばした寿命の分だけその死神は対象の人間を見守るために人間界に留まらなきゃいけない。その手帳に任意の歳を書きこめばそれだけ寿命が延びる。最大限、死神が人間界にいられる限界までだけどね。たまに、『うっかり書き忘れて』助けちゃうマヌケな死神がいるけど、そういった場合は自動的に最大値がかきこまれてしまうんだよ。おや、70年も伸ばしたのかい? 大サービスだね」

 うっかり書き忘れたマヌケな死神の私は死神としての残り時間の全てを志摩子さんに捧げてしまったのだ。
 何が、「志摩子さんが卒業するまで、側にくっついて離れないから」だ。一生、側にくっついて離れられなくなってしまったではないか。

「あーっ」

 私は「ダ」と書かれたオデコを机にくっつけるように突っ伏した。



 翌朝。

「ごきげんよう、乃梨子」

 志摩子さんは昨日の処置が良くて、一晩寝ると全快したようだった。

「あなたのおかげよ。ありがとう」

 笑顔で、ぎゅっと私の手をとってくる。
 志摩子さんの笑顔を見ているうちに、何か、もう、いいかなって私は思った。
 だって、こんなに幸せになれる笑顔をあと70年もみつめていられるのだから。


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