【3013】 貴女のいない世界で  (bqex 2009-08-04 00:56:45)


幻想曲シリーズ

※注意事項※
登場人物が天に召される描写があります。
パラレルワールドを題材にしています。
連載で【No:2956】→【No:2961】→【No:2964】→【No:2975】→【No:2981】→【No:2982】→【No:2996】→【No:3010】→【これ】→【No:3015】→【No:3020】(完結)になります。
以上を踏まえて、お読みください。




 もし、信号が黄色だったら? ──注意して進む。
 赤だったら? ──自己責任で進む。
 白だったら? ──自分の色に染めながら進む。
 黒だったら? ──手探りで信じて進む。
 茶色だったら? ──汚れをかわしながら進む。
 玉虫色だったら? ──その時の気分で。でも、たぶん進む。
 じゃあ、青だったら? ──決まってる。真っすぐに先頭を切って進むのだ。



「ちょっと待ったーっ!!」

 壇上で説明していた祐巳さんがこちらを見る。
 由乃は素早く列から離脱し祐巳さんめがけて駆け出していた。

 蔦子さんが気づいてこちらの方に駆けてくる。

「笙子ちゃん、頼む!」

「えっ!?」

 声をあげたのは蔦子さんだったか、笙子ちゃんだったか。とにかく、飛び出してきた笙子ちゃんが蔦子さんにタックルする。不意打ちで蔦子さんはそのまま笙子ちゃんと一緒に倒れる。

「失礼!」

 由乃は2人をひょいと飛び越える。

「待ちなさい!」

 立ちはだかるのは細川可南子ちゃん。こっちの世界でもでかい。いや、こっちの方がでかいのかもしれない。
 右にかわそうとするが、素早く回り込まれそうになり、それならばと由乃は左にターンするが、可南子ちゃんはバスケで鍛えた身のこなしで、切り返してさっとついてくる。

「ごめん!」

 由乃は身を低くして、素早く可南子ちゃんのスカートを掴むと思い切りまくりあげた。

「きゃあっ!!」

 慌ててスカートを抑え込む可南子ちゃん。それより素早く由乃はスライディングで可南子ちゃんの足元をくぐりぬけると立ち上がり、前だけ見て駆け出す。
 新聞部の皆さんがあちこちに立っているものの、昨日の約束通り中立を守って手出しはしてこない。
 壇の下で待ちかまえている乃梨子ちゃんがこちらに向かってくる。
 しかし、由乃はあと一歩で意外な敵に捕まった。
 後ろから音もなくぴったりくっついてきていた、松平瞳子ちゃんである。
 後ろから抱えられるような格好となり、由乃は両腕の自由を奪われた。

「くっ!」

 由乃は首を激しく振って抵抗する。
 三つ編みおさげが鞭のように瞳子ちゃんに襲いかかる。
 しかし、標準装備の盾ロールが三つ編みの衝撃を次々と吸収する。

「そんな事したって、放さないわよ!」

 まさに攻防一体の盾ロール、攻撃に転じてドリルでやられたら、防御というものを知らない由乃はまずい事になる。
 ならば、と、由乃は体重を後ろの瞳子ちゃんに預け、正面に来た乃梨子ちゃんの体を駆け上がるかのように足を動かす。

「うわっ!」

 蹴られて吹っ飛ぶ乃梨子ちゃん、負けじと裏投げというか、バックドロップで由乃をしとめようとする瞳子ちゃん。
 しかし、不幸にも加勢しようとして瞳子ちゃんの背後にたどりついた可南子ちゃんが死に体の由乃を救った。
 由乃の体が宙に浮きあがり、足が弧を描いて見事に可南子ちゃんにサマーソルトキックを決めたのだ。

「きゃあぁ!」

 不安定な体勢になり、瞳子ちゃんはそのまま沈む。
 1年椿組トリオ、撃沈。
 由乃は脱出すると、一気に壇上の人となった。

「由乃っ!?」

 令ちゃんが、ぽんっと壇上に現れた。
 しかし、それを祥子さまが制した。
 どういう事かはわからないが、作戦継続。由乃は叫んだ。

「福沢祐巳さんっ!」

「はいっ!」

 フルネームで呼ぶと祐巳さんは緊張したように返事をした。

「私は、祐巳さんが好きっ!」

 由乃の顔から火が出て耳まで赤くなる。
 つられて祐巳さんの顔も赤くなる。
 講堂中の人が二人に注目する

「私は1年生で、しかも、今、お姉さまのロザリオが首にかかっていない。そして、今祐巳さんには妹がいない。これって条件が揃っていると思わない?」

 講堂中から「えっ!?」「まさか!?」と声が聞こえてくる。

「よ、由乃さん!?」

 祐巳さんは目をぱちくりさせて、裏返った声でそれだけ言うのがやっとで、あとは口をパクパクさせている。

「私は祐巳さんさえよければ、今ここでもいいと思ってる」

 一歩前に出る。
 「略奪」「逆プロポーズ」という言葉が聞こえてきた。

「え、ええええっ!?」

 祐巳さんは見事に動揺して固まってしまった。

「私の事は好き? それとも嫌い?」

 由乃は一気に攻める。

「それは、その……好きではあるけれども、でも……なんというか……」

 祐巳さんはオロオロして、ただでさえ煮え切らないのが輪をかけてぐずぐずになってしまった。

「どうしたの? 言いたい事があるなら、はっきりして」

「そんな風に見た事はないし、だからと言ってその……」

 人よりちょっぴり短い堪忍袋の緒を持って生まれた由乃のイライラは頂点に達した。

「ええい、ウジウジウジウジと! 言いたい事ははっきり言えっ! たとえどんな経過でも、選挙で生徒の代表として選ばれた人間がどうして自信を持ってものが言えないっ! そんな事だから妹に愛想を尽かされたんでしょっ!」

 びしっ、と由乃は祐巳さんを指差した。
 講堂が静まり返った。 

「人の心は家と同じよ。『友達の部屋』、『お姉さまの部屋』、『妹の部屋』って感じの部屋がいくつもあって、その部屋にそれぞれの思いを住まわせるの。なのに、祐巳さんの家はがたがたで、住むにはとても頼りないから、『こんなところには住めない』って妹が逃げてった。それが今の祐巳さんよ」

 祐巳さんは黙って由乃を見つめている。

「そりゃあ、我を通して人を不快にさせたり、傷つけることだってあるわ。でも、そんなの怖がってたら一歩も前に進めないでしょう? 不快にさせたり、傷つけたりしたらちゃんと謝って、やり直したっていいじゃない。好きなら好き、嫌いなら嫌い、それの何が駄目なの?」

 由乃は祐巳さんを見つめ返す。

「そ、それは……」

「そもそも、祐巳さんにとって妹なんてどうだっていい問題なの?」

「そ、そんな事! わ、私は瞳子ちゃんの事──」

「言いたい事があるなら本人に言いなさいよ! それに、妹に『ちゃん』なんて付けるなっ!」

 由乃は祐巳さんの肩を抱いてくるりと瞳子ちゃんの方を向かせると、そおれっと前に押し出した。
 とととっと祐巳さんは前に出て、壇から落ちそうになるのを堪える。

「とっ、瞳子っ」

 真っ赤になって、力いっぱい名前を呼ぶ。
 講堂中の視線が別の二人に移る。
 呼ばれた本人は、由乃と祐巳さんとのやり取りの間に乃梨子ちゃん、可南子ちゃんと一緒に復活してじっと祐巳さんを見ていた。

「あ、あのっ」

 呼び捨てにして呼びかけたはいいが、祐巳さんの頭の中はまだまだ混乱しているらしくて後が続かない。

「……やっと、呼び捨てにしてくれましたね」

 さすが出来た妹だ。
 瞳子ちゃんは静かにそう言って祐巳さんにフッと笑いかける。

「祐巳さま、いいえ、お姉さま。今までのご無礼お許しください」

 瞳子ちゃんは演劇部で鍛えた講堂中に響く声でそう言って90度に頭を下げた。

「ううん、瞳子。私こそ謝らないと。ごめん。駄目な姉で本当にごめん!」

 祐巳さんも頭を下げる。
 がばっ、と体を起して瞳子ちゃんは言った。

「お姉さま」

 祐巳さんが頭をあげる。

「もう一度私を妹にしてくださいませんか?」

 祐巳さんがうなずいて手を差し伸べる。

「おいで」

 呼ばれるまま瞳子ちゃんが壇に上がってくる。
 祐巳さんの制服のポケットからロザリオが出てくる。祥子さまから貰ったあれだ。
 瞳子ちゃんが膝を曲げて頭を少し下げる。
 両手にかけられて大きな輪になったロザリオを祐巳さんが縦ロールに引っかからないようにかけていく。
 静かに祐巳さんが両手を離して、瞳子ちゃんが膝を直す。

「2本目の紅薔薇と紅薔薇のつぼみに拍手を」

 いつの間にかマイクの前に立っていた志摩子さんの声にかぶるように講堂中から拍手が起こる。
 中には感動して泣きだす生徒もいた。
 ちらりと壇の下を見ると乃梨子ちゃんが大泣きしていて、可南子ちゃんが困ったようにハンカチを差し出していた。

「祐巳さん、おめでとう。瞳子ちゃんも」

 由乃は心から祝福した。

「ありがとう。由乃さん」

「ありがとう」

 二人は笑っている。

「全校集会はこれで終わりですが、その前に一つだけお話があります」

 志摩子さんの声がする。

「これは私の個人的な話ですが、私の家は仏教の寺です」

「えっ!?」

 きゅ、急に何を言い出すんだ志摩子さん!?
 講堂中の人が今度は驚いて志摩子さんを見ている。

「私自身はキリスト教の信者で、この事について悩み、ずっとこの事を隠し続けてきました。そして、この事が知られたらリリアンを去ろうとさえ思っていました。しかし、寺の娘がキリスト教の信者であってはいけないという事はない、隠している事はないと言ってくれる人たちに出会い、もう、隠すのをやめる事にして、今、こうして皆さんに告白しました。でも、私自身は何も変わりません。今後ともよろしくお願いします」

 再び講堂中から拍手が起こる。
 いつの間にか移動してきた乃梨子ちゃんが志摩子さんの手を握っていた。



「乃梨子ちゃん、さっきは蹴り飛ばしてごめんなさい」

 生徒の退場を見送りながら由乃は乃梨子ちゃんに詫びた。

「まったくですよ、もう」

 乃梨子ちゃんは蹴られたタイのあたりをなでるようにして言う。

「瞳子の件が丸く納まらなかったら4の字固めくらいはお返ししましたよ」

「うわっ! それは勘弁」

 乃梨子ちゃんが笑ったので由乃も笑った。

「志摩子さん、それにしてもどうして急に告白する気になったの?」

 祐巳さんが聞いている。

「由乃さんの話を聞いて、父に確認してみたの。本当に檀家と賭けをしていたんですって」

 志摩子さんが苦笑する。

「その時に、どうして私に家の事を口止めしたのかを聞いたの」

「お父さんはなんて言ったの?」

「人間の喜び、楽しみ、悲しみ、怒り、憎しみ、苦しみ、そういったもので悩む人のよりどころになるのが宗教だから、まずはそういったものを知る事が大事で、家がどうこうという事とは別の次元の話で。家の事はどこかへ置いておいて、友達を作って、普通の女の子がするような事を一通りやって、その中にあるいろいろな事を感じなさいって」

「それで?」

「そして、その上で宗教の道を志したいというのであれば、仏教だろうがキリスト教であろうがそんな事は些細なことだから、『言うな』と言ったのは家の事はあまり考えなくていいって意味だったって」

「じゃあ、言っちゃっても構わないって?」

「ええ。そして、それを乃梨子に相談したら、いいんじゃないかって言うから」

 微笑みながら志摩子さんは乃梨子ちゃんと見つめあう。

「なるほど。これで仏像デートも大っぴらにできるってわけだ。このっ」

 由乃は乃梨子ちゃんの肩に肩をぶつける。

「別に。私は志摩子さんの意思を尊重しただけです」

 プイっと横を見る。
 あれ? 今……

「ありがとう。由乃さんの話がなかったら告白しようだなんて思わなかったわ。告白して、こんなに気持ちがすっきりするなんて」

 志摩子さんが満面の笑みで由乃の手を取る。

「私は、たまたま口が滑ったって言うか……いや、口が滑ったと言えば、今、乃梨子ちゃん、『志摩子さん』って言ったよね?」

 乃梨子ちゃんがカシカシと頭をかく。

「由乃さんが令さまの事を『お姉さま』って呼ばないで『令ちゃん』って呼んでいるのを聞いて、学校では『お姉さま』、それ以外は『志摩子さん』でって。私もその方が嬉しいから。でも、まだ慣れてないのよね」

 志摩子さんに暴露されて真っ赤になって乃梨子ちゃんはこっちを見ていた。
 からかってやりたいが、乃梨子ちゃんにはさっき蹴とばした借りもある。
 武士の情けで黙っていてやろう。

「じゃあ、先にマリア像のところで待ってて。ちょっと用があるから」

 由乃は一人駆け出した。



 由乃がマリア像の前に行くと昨日の夕食前の電話の相手、鳥居江利子さまが輝かしいおでこと笑顔で待っていた。
 その前には仲間たち、祐巳さん、瞳子ちゃん、祥子さま、乃梨子ちゃん、そして令ちゃんがいて、ちょっと外れたところにカメラを持った蔦子さん、それに寄り添う笙子ちゃんがいる。

「ごきげんよう。遅れてごめんなさい」

 微笑みながら現れたのは、祥子さまのお姉さまの水野蓉子さま、蓉子さまに手を取られて現れた聖さま、その後ろに志摩子さんが控えていた。

「いや、志摩子がどうしても一緒に写真を取りたいから来てくれって大学に押しかけてまで言うから」

 志摩子さんが呼びに行かなきゃ来ないつもりだったんですね、聖さま。ここの姉妹っていうのも独特だが、今はそれどころじゃない。

「江利子さま、本日は来てくださってありがとうございます。ごきげんよう、蓉子さま。お忙しい中ありがとうございます、聖さま」

 由乃はぺこりと頭を下げる。
 全員がごきげんようといえいえとが混じった頬笑みを返してくれる。

「蔦子さん、笙子ちゃんもありがとう。でも、皆さん。写真を取る前にちょっとだけ由乃に時間をください」

 蔦子さんは軽く手をあげて、他のみんなは小さくうなずいて答える。

「令ちゃん」

 令ちゃんは不思議そうに由乃の後ろを見つめていた。
 令ちゃんだけじゃなくて、他の仲間も。
 由乃の後ろには菜々がいた。

「見てて」

 由乃は菜々の方を見た。
 菜々はちょっと不安そうに由乃を見た。
 昨日、中等部に行って、世界を変える覚悟があるなら今日の放課後時間がほしいと菜々に言っておいた。
 具体的な話はしなかった。
 そして、今日菜々は黙ってついてきてくれた。
 由乃はポケットから「勇者の剣」、ダークグリーンの石のついたロザリオを取りだした。

「ああっ! 由乃さん、さっきロザリオ持ってないみたいな事言ってたじゃない!」

 祐巳さんが思わず声をあげる。

「首にかかってない、とだけ言ったじゃない。それに、私は姉がいないとも、祐巳さんに私を妹にしてくれとも言った覚えはないけれど?」

「う……」

「わかったら、黙って見てて」

 改めて由乃は菜々と向き合う。
 何故、わざわざ「勇者の剣」を買ったのか?
 もちろん、今向こうの世界の制服のポケットに入っているロザリオは向こうの世界の菜々の首にかけるからだ。
 では、今由乃が両手で輪を作って持っているロザリオはどうするつもりなのか?
 もちろん、こうするつもりだ。

「菜々」

「はい」

「前に言ったかもしれないけれど、私はこの『島津由乃が死んだ』世界の人間じゃなくて、『島津由乃が死ななかった』世界の人間で、あと2日、月曜日の午後には私が望もうと望むまいと『島津由乃が死ななかった』世界に帰されてしまう存在なの」

 周囲から「えっ」という声が上がる。
 菜々は黙って由乃を見つめている。

「それだけでも条件を満たしていないのに、さらにこっちでは私は高等部1年生で、あなたは中等部3年生。本来ならば申し込む事なんて出来ないんだけど、でも、どうしても私は私のお姉さまに妹を紹介したかった。だから、有馬菜々さん、私の妹になってくださいっ」

 言った。
 言ってしまった。
 ボールは向こうにある。
 その場にいる全員が菜々に注目する。

「あの、由乃さまの妹になったら、その、きれいなロザリオをもらえるんですか?」

 由乃はドキリとした。

「あなた、向こうの世界のあなたと同じ事を言うのね」

 それは、向こうの世界で菜々と初めて会った時に言われた台詞だったからだ。

「それは、たぶん根っこの部分では同じ人間だから、ではないでしょうか」

 それだから由乃はこっちの世界の人達の事を信じてここまで行動出来たのだ。でも、同じ事を考えていただなんて。まだ返事をもらってないのに嬉しくなってくる。

「そうね。でも、こんな時にばか正直に言わなくたって」

 由乃の事はあくまでロザリオのおまけなんですか、そうですか。
 まあ、こっちじゃ4日前に会って、ちゃんと話をしたのが一昨日、トータルで3時間も話したかどうかだから、そんなところで判断するしかないのだろうけれど。

「でも、ちゃんと言わないと怒られてしまいそうですもの」

 本当に菜々はよくわかっている。

「あなたはこのロザリオがほしい?」

 由乃は菜々に聞いていた。

「ええ。とてもきれいで、欲しくて欲しくてたまりません。そんな理由でお受けしてもいいのでしょうか?」

 やっと由乃が投げたボールが返ってきた。
 しかし、それは由乃が予想していた諾否ではなかった。
 予想外だった。
 このままロザリオを渡す?
 ロザリオのおまけは嫌だって断る?
 由乃は……

「……は?」

 ロザリオを自分の首にかけた。

「菜々、世界を変えたかったら自分でも動かないと。本当に欲しいなら、私からこのロザリオを奪い取ってみなさい!」

 なんでそうなるの? 申し込んでいたのは由乃(さん又はちゃん)でしょう? とその場に居合わせた仲間たちがポカンとした表情になる。

「はいっ!」

 嬉しそうに菜々が答えて由乃に飛びかかる。

「おっと」

 由乃はひらりとかわして仲間のところに飛び込む。

「菜々ちゃん、こっち!」

「菜々ちゃん、頑張れ!」

 みんなは何故か笑いながら菜々に声援を送る。
 こっちだって簡単にロザリオのおまけにはなりたくない。
 聖さまの周りを回ったり、江利子さまを盾にしたりしてしぶとく粘る。
 菜々の手が伸びてくるのをバックステップでかわすつもりが、、がしっと両肩を掴まれた。
 あっ、と思った時は遅く、菜々にロザリオを取られてしまった。

「おめでとう!」

「やったね、菜々ちゃん!」

 歓声をよそにふり返る。
 目があった志摩子さんが首を横に振っている。
 じゃあ、誰だ?

「由乃さん、かけてあげないの?」

 お返しとばかりに祐巳さんが言ってくる。

「わかってるわよ、もう」

 菜々の手からロザリオを取ろうとすると今度は菜々がさっとそれをかわして言う。

「今度は由乃さまの番です」

「な、なんですって!?」

 その場にいた全員が爆笑した。
 菜々が駆け出す。
 何故こっちが追いかけなくちゃあならないんだっ!

「いい子だからよこしなさいっ!」

 振り向いて菜々はにやりと笑う。

「由乃さん、右!」

「頑張れ、頑張れ!」

 追う方と追われる方、逆になって、瞳子ちゃんの周りを回ったり、蓉子さまを盾にする菜々に手を伸ばす。
 ひょいと憎らしくよける菜々、ああっ! もう!!
 勢いよく、体当たりするぐらいの勢いで飛びかかって、菜々の手からロザリオを奪い取ったが、勢い余って、マリア様のお庭の池に一直線に体が向かっていく。

「うわあっ!」

「由乃っ!!」

 あわやというところで令ちゃんが由乃を抱きかかえて事なきを得た。

「もう、いいかげんにして」

 令ちゃんが怒る。

「まあ、いいじゃないの」

 江利子さまが笑いながら令ちゃんの肩に手を置く。

「じゃあ、菜々」

「はいっ」

 由乃は菜々と向かい合う。
 菜々が頭を下げる。
 そっとロザリオをかけて由乃はゆっくりと手を離した。

「令ちゃん」

 由乃は令ちゃんの方を見て言った。

「私がいなくなったあと、菜々の事を任せられるのは令ちゃんしかいないと思ってる。菜々の事、よろしくお願いします」

 由乃は頭を下げた。

「令、責任重大よ? これじゃあ引きこもってはいられないわね」

 くすくすと笑いながら江利子さまが言う。

「……わかりました」

 令ちゃんが静かに言う。

「菜々。私はあとちょっとでいなくなっちゃうけど、でも、私があなたのお姉さまだって事は変わらない事実なんだからね!」

「はいっ」

 菜々は元気よく返事をした。

「由乃ちゃん、やってくれたわね」

 祥子さまが声をかけてきた。

「まったく、今日は令にドッキリをしかけて由乃ちゃんがいなくなった後も学校に来るように仕向けようとしたのに」

 えっ!?
 狙いは由乃じゃなかった!
 そうか、だからあの時祥子さまは何か感じて令ちゃんを止めてくれたんだ。
 あの時令ちゃんを止めてくれなかったら作戦は失敗していたかもしれない。

「祥子さま、いろいろとありがとうございました」

 由乃は頭を下げた。

「その言葉は早いわよ。月曜日までいるんでしょう?」

 祥子さまは笑った。

「はい」

 由乃が返事をすると祥子さまが由乃の肩に手を置いた。
 ああ、さっきの手はこれだったか、と思った。

「じゃあ、そろそろ写真撮りまーす」

 蔦子さんが声をかける。

「じゃあ、黄薔薇ファミリーから」

 由乃は令ちゃん、江利子さま、菜々とマリア像の前に並ぶ。

「どうやって並びますか?」

 令ちゃんが聞く。

「うーん、じゃあ、令は菜々ちゃんの後ろ、由乃ちゃんは私の前、『おばあちゃんと孫』で」

 江利子さまはそう言って由乃の肩に手を置いた。
 フラッシュが光る。

「よかったわね、江利子」

 蓉子さまが江利子さまに声をかけていた。
 こっちの世界では、令ちゃんは引きこもって、由乃は死んでいたから、江利子さまは卒業式の時、妹たちのいない写真を取った事になる。
 半年以上遅れての黄薔薇ファミリー揃っての記念撮影は、たった今加わったばかりの菜々も入った4人での写真になった。
 くるりと江利子さまが向こうを向いた。
 江利子さまを見ている蓉子さまの表情で、江利子さまがどんな顔をしているのかわかってしまった。

「次は紅薔薇ファミリーで。めでたく元の鞘に収まりましたの記念撮影よ!」

 ちょっとハイテンションな祥子さまがそう言って祐巳さんと瞳子ちゃんを引っ張ってくる。
 蓉子さまが嬉しそうに瞳子ちゃんの頭をなでていた。

「白は何もないの? じゃあ、ノリリンのファーストキスを頂く記念とかはどう?」

 聖さまが乃梨子ちゃんに迫る。

「馬鹿言ってるんじゃなーいっ!!」

 乃梨子ちゃんの叫びが響く。
 志摩子さんは嬉しそうに笑っている。

 学年別に、全員で、由乃と一人一人。
 みんな次々と写真に納まった。
 由乃は蔦子さんに自分の分は2枚ずつ欲しいとお願いした。
 向こうの江利子さまに自慢して、調子に乗って没収されるつもりだった。



 写真撮影が終わって、お開きになった。

「ごきげんよう。由乃ちゃん、向こうでも元気でね」

「ごきげんよう。今日は楽しかった」

「ごきげんよう。じゃあ、ね」

 こちらの蓉子さま、聖さま、江利子さまとは今日が最後だろう。

「ごきげんよう」

 由乃は手を振ってこたえた。

「ごきげんよう」

 残りのメンバーはバスに乗って帰る。
 こちらは月曜日に会えるだろう。

「ごきげんよう」

 由乃はいつものように令ちゃんと歩いて家に向かう。

「まさか、由乃が妹を作るなんて」

 ぼんやりと令ちゃんが言う。

「折角、妹を作ったのに帰っちゃうんだ」

 令ちゃんはため息をつく。

「言ったでしょう? 私の力じゃどうしようもないのよ。まあ、かぐや姫は月に帰るもんだと思ってよ。それに、菜々は向こうにもいるから、向こうでも菜々を妹にする」

 実は全然そんな段階じゃないけれど、でも、一度は菜々は由乃の差し出した手を取ってくれたのだ。もう一度もきっと大丈夫。その時はもっと格好よく渡そう。

「そっか」

 令ちゃんが呟くように言う。
 風が通り抜ける。
 ぶるっと震える。

「じゃあ、私が向こうの世界に行っちゃおうかな」

 令ちゃんが突然言う。由乃の足が止まる。

「やっぱり無理かな。あ、それに、向こうの世界には私がいるのか」

 令ちゃんが笑いかける。

「ねえ、むこうではどんな感じなの? もし、由乃が生きていたら私とどんな風にすごしていたの?」

「いないよ」

「え?」

「向こうに令ちゃんはいないよ」

「え」

 令ちゃんが固まる。

「私が殺したんだ」

続く【No:3015】


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