【3015】 新しい道の始まり  (bqex 2009-08-06 01:30:31)


幻想曲シリーズ

※注意事項※
登場人物が天に召される描写があります。
パラレルワールドを題材にしています。
連載で【No:2956】→【No:2961】→【No:2964】→【No:2975】→【No:2981】→【No:2982】→【No:2996】→【No:3010】→【No:3013】→【これ】→【No:3020】(完結)になります。
以上を踏まえて、お読みください。



 バン、と銃で撃たれたような衝撃が全身に走った。
 カバンを落とした事すら気付かず、由乃が拾って渡してくれたが、それも何度か目の呼びかけでようやく気付いた。

「殺した、って……」

 やっとそれだけの言葉を絞り出した。

「こっちの世界と、向こうの世界って、『黄薔薇革命』を境に分岐しているみたいなの。こっちでは私は手術に失敗して死んじゃったけど、向こうではロザリオ返したその日に令ちゃんはトラックにはねられて死んじゃった」

 由乃は淡々と話す。

「即死だったって。私はその時すでに手術するって決まってたからショックを受けないようにって、お父さんもお母さんも令ちゃんが死んじゃった事内緒にして、入院させられて。令ちゃんと一緒に肩を並べて歩きたかったから頑張って手術したのに、終わったら令ちゃんはもういないって伯父さんに教えられたのよ。ばかみたい」

 由乃は私を見ながら自嘲した。

「入院中に祐巳さんを呼び出して、令ちゃんの事聞き出そうとしたら、口止めされてたらしくてオロオロしちゃって。それで令ちゃんに何かあったってわかったけど、まさか死んじゃってたとは思わなかった。せめて最期のお別れぐらいはしたかった」

 由乃は視線をそらさなかった。

「でも、事故でしょう? 由乃が──」

 最後まで言う前に由乃が言った。

「私が殺したの! 私がロザリオ返さなければ、令ちゃんはトラックの前に飛び出さなかったから、死ぬ事なかったんだもの」

 私は由乃を抱きよせていた。
 涙こそ流していなかったが、由乃は泣いているような顔をしていた。

「そんなの、由乃が悪いんじゃないよ。だって、私だってロザリオ返されたけれど、トラックにぶつからないで生きてる。由乃のせいじゃない」

 由乃は私に離してと言うように手でそっと体を押す。
 しかし、私は離さなかった。

「でも、向こうでは令ちゃんは交通事故で死んだっていうのは表向きで、私がロザリオを返したせいでショックで自殺したってみんなは思ってる。私が帰った後、令ちゃんが幽霊みたいに由乃と喧嘩した事を言って歩いたのを見たって人が大勢いて、その事がリリアンかわら版にも書かれてたから」

「ひどい……」

 何ていう筋違いな事を。何故、由乃のせいにするんだ。

「ごめん。私が悪かった。あの時ホームルームと掃除サボって無理に由乃について行こうとしたから。ロザリオ返されてぼーっとして歩いてたから。あの時由乃を怒らせて心臓に負担をかけたから、手術だって失敗して……」

 悪いのは私だ。
 私がちゃんとしていなかったから由乃を苦しめる結果になってしまったんだ。

「……」

 顔に由乃の手があたった。
 いつの間にか流れていた涙を由乃が指でぬぐってくれていたのだった。

「令ちゃん、最後のは違うでしょう? 手術の失敗はいろいろな原因が悪い方に重なったからだってお母さんが言ってた。だから、こっちの由乃が死んだ事に令ちゃんは関係ないよ」

「そんな事っ! だって、あの時由乃はあんなに怒って、走るなんて事しなかったのに走って行って……あの時の無理がたたって」

 由乃は私の口に指をあてた。黙って、という意味らしい。

「令ちゃん。よく考えてよ。手術の前に何度も検査したんだよ? 手術できないほど怒ってたら、手術は延期になったと思わない?」

 由乃が私を見上げながら言う。

「だから、令ちゃんは関係ない。それに、私は令ちゃんの事、嫌いになった事なんてないよ。ロザリオ返したって、令ちゃんの事が好きなのは全然変わらないもの」

 微笑んで由乃が言う。

「でも、そんな事考えて引きこもってたの? 本当にばかなんだから。私だって、令ちゃんが死んだってわかった時、いっぱい泣いたよ。でも、私は気付いたんだよ」

 真っすぐに見つめてくる由乃の目に吸い込まれそうになる。

「私たちは近すぎて、いつか離れてしまうって事に死ぬまで気付かなかったけど、たとえ離れ離れになっても私の心の部屋に令ちゃんはちゃんと住んでて、由乃が必要な時はちゃんと訪ねてきてくれるって」

「訪ねる?」

「歌だか何かであったでしょう? 人が死んだら風になったり、土になったり、星になったりってやつ。令ちゃんが死ぬまでそんなの嘘だって思ってたけど、死んでからはそうなんだって思えるようになった」

 由乃が一瞬目を閉じる。

「そう思ったら、令ちゃんはいつだって私の事見ててくれてるんだって思えてきて、いつまでもメソメソしてちゃいけないって。頑張って学校に通って、選挙にも出て。そうだ、私は向こうでは黄薔薇さまなんだよ。江利子さまには随分お世話になったわ。いろいろな意味で」

 意味ありげに由乃が笑う。

「こっちでは令ちゃんが黄薔薇さまでおそろいかなってちょっと思ったのに。まさか、学校に通ってなかっただなんて」

「ごめん」

「だから、もう二度と令ちゃんのせいにしないで」

 無言でうなずいた。何度も何度も。

「由乃も」

「ん?」

「私を殺したなんて言わないで。もし、由乃のせいで死んでいたなら、私もここにはいないはずだから。ロザリオを返されても生きてる支倉令はいるし、それに、私を殺した由乃が黄薔薇さまになんてなれないでしょう?」

 由乃はじっと考えるように私を見つめた後、小さく頷いた。
 落ち着いてきて、どちらともなく離れて再び家路をたどる。

「そうだ。明日の予定なんだけど」

 由乃が思い出したように言う。

「私、自転車に乗れるようになりたい。自転車に乗れたら、むこうの令ちゃんと一緒に走れるし」

 笑顔で由乃はそう言った。
 参った。これは大変な事になった。
 しかし、この流れで断る事は出来ない。
 夜、叔父さん達の許可が出て、明日は公園で由乃の自転車の練習に付き合う事になった。



「離しちゃ嫌だよっ!」

「うん。大丈夫だよ」

「ちょっと、なんで離さないのっ? ああ、もう」

 明けて日曜日。私と由乃は近所の公園にいた。
 朝ごはんを食べて、さっそく公園に向かって、一通り教えると、由乃が自転車にまたがってよろよろと漕ぎ出す。
 私は自転車の後ろをしっかりつかんでいて、由乃が「離さないで」というから手を離さなかったのに、怒られる。

「今、私は自転車に乗る練習をしているのよ? 『離さないで』って言っても離すのが当たり前じゃない」

「えっ、なにそれ」

「バンジージャンプの台から突き落とすなって言ったら突き落とす、熱湯をかけないでって言ったら熱湯をかける。そういうもんでしょ」

 心なしか威張って由乃は言う。

「それは、お笑いの世界でしょう?」

「自転車の練習の作法だってそういうものよ。『離さないで』は『離せ』よ」

 いつのどの作法なんだか。ああ、素直じゃない。

「はいはい。『離さないで』が『離せ』なのね」

 再び由乃が自転車にまたがって走り出す。

「離さないでっ!」

 パッと手を離す。
 ばたりと倒れる前に由乃が足をつく。

「もう! 今のは離しちゃ駄目でしょう?」

 また怒られる。

「ええっ、『離さないで』って言うから、離したのに」

「だから、『離さないで』ってちゃんと言ったじゃない」

「なによ、それ」

 離してほしい時も「離さないで」、離してほしくない時も「離さないで」。
 いったい、いつ、どうすればいいんだ?

「だから、スピードとか、揺れとか、なんか、そういうので見ててわからない?」

 わかりません、そんなもの。

「難しいよ」

 はあっ、とため息が出る。
 由乃はとっとと自転車にまたがり、私はまた後ろを抑える。

「だから、離さないでねっ!……ああっ、また違うって!」

 また、由乃の意思と違った事をしてしまったらしい。
 素直に、「離して」って言ってくれればいいのに。

「ああっ、まだ離さないでよっ!」

 しかし、これはきつい。
 あと1日と数時間で由乃はこの世界からいなくなる。

「離しちゃ駄目だってっ!」

 由乃曰く、望んでいてもいなくても関係なく、私のいない世界に強制送還される。
 自惚れでもなんでもなく、由乃にとって私のいない世界にどれほどの意味があるのか。

「駄目っ! 離さないでよぉー」

 出来る事ならば、由乃をこの世界に置いておきたい。
 この手を離したくなんかない。
 向こうに一緒に行って由乃とずっと暮らしたって構わない。

「まだまだだって! ここで離さないでっ!」

 向こうにだって、両親はいる。友達も、仲間もいる。
 現に、由乃は向こうで友達だった人達とうまくやっていた。

「離すのやめてっ!」

 なのに、由乃は離してほしいという。
 丈夫な体を手に入れたから、守らなくてもいいって。

「今離すんじゃないのっ!」

 でも、由乃を離すなんて出来ない。

「なんで、さっきじゃないのっ!? だから、離さないでって言ってるのにっ!」

 由乃は強い。
 私が泣いている間、学校に通って、選挙を勝ち抜いて薔薇さまになっていた。
 そして、妹も作ってしまった。

「ああーっ、もう、だからさっきから言ってるでしょう!? 離さないでってば」

 この手を離したら、由乃は遠くに行ってしまう。
 私は一人取り残されてしまう。
 そんなの……

「離さないでよっ!」

 でも、この1年、ずっと考えていた事があった。
 私にとって、由乃のいない世界にどれほどの意味があると言うのか?
 意味がないなら、何故、私は由乃の後を追わないのか?

「駄目駄目! 離しちゃ!」

 後を追わないなら、じゃあ、私は何をするべきなのか?
 私は、何のために生きているのか?
 そもそも、私の人生って何だ?

「離さないでっ!」

 手を離すと、それは絶妙なタイミングだったらしく、すっと由乃は自転車をこいでまっすぐ進んでいく。

「令ちゃん!」

 嬉しそうに由乃が振り返る。

「由乃、危ないっ!」

 慌てて由乃が前を見るが、真っすぐに、目の前の木に向かっていく。
 ブレーキをかけて止まってくれればいいものを、磁石に引きつけられるクリップみたいに向かっていって、激突して、引っくり返った。

「由乃っ!」

 由乃はゆっくりと起き上る。

「大丈夫?」

「う、うん」

 と言ったが、小さくイタタ……と由乃が呟く。

「どうして止まらなかったの?」

「だって、知らないんだもの、止まり方」

 いかにも由乃らしい言い方だ。

「ブレーキをかければいいんだよ」

「ブレーキかけたらさ、倒れない?」

「そういう時は、足をつけばいいんだよ」

 こんな風に、とやって見せる。

「そんなの、教えてもらってないもん」

 思わず頭を抱える。
 最初にやって見せたはずなのに、進むところだけはしっかり聞いていたのだろうが、止まる事なんて流していたのだろう。
 本当に由乃らしい。

「でも、今の調子でやればいいのね。じゃあ、もう一回」

 由乃はまたサドルに座った。
 「離さないで」からやり直しである。

「じゃあ、離さないでよっ!」

 再び由乃が手を離れて風に乗ったように走り出す。
 その時、頬に風があたった。

(由乃?)

 確かに、由乃を感じた。
 由乃は手を離れて、ずっと進んで行ってるのに。

(いや、これは)

 これはこっちの世界の由乃だ。
 マリア様と一緒に見守っていてくれている由乃だ。
 昨日、向こうの世界の由乃が教えてくれた、風になった由乃だ。

 由乃が死んで、私は初めて由乃を感じられた。

(由乃……)

 死んだ由乃は、ずっと私を訪ねてきたかった、本当は何度も訪ねてきたのかもしれない。
 しかし、私は引きこもって、ずっと由乃を感じる事が出来なかった。
 いや、拒否していたのだ。
 向こうの由乃に教えられなければ、私はこうしてこれから時折訪ねてくるであろう由乃に気付かなかったかもしれない。
 私は生きていていいんだ。
 私は自由にしていいんだ。
 私は由乃から手を離していいんだ。

(ありがとう、由乃)

 向こうの由乃といえば。

「やった! 止まれたよ!」

 今度はブレーキを踏んで、足をつく事に成功していた。

「うん。じゃあ、今度は曲がってみようか」

「曲がる」

「そうだよ。道路も行先も真っすぐだけじゃないでしょう? いちいち自転車降りて、方向転換して、また乗るの?」

「まさか」

 その後、何度も派手に転倒し、帰り道に私の愛車を門にぶつけて廃車にしてくれた。
 叔父さんが新車を買ってくれるというので黄色いのを選んだら、「帰ったらおそろいのを買う」って言って嬉しそうにしていた。
 料亭でさよならの会をやって、家に帰った。
 夜が明けたら、明日は由乃が帰る日だ。

続く【No:3020】


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