【3020】 貴方がいる世界で  (bqex 2009-08-10 00:26:15)


幻想曲シリーズ

※注意事項※
登場人物が天に召される描写があります。
パラレルワールドを題材にしています。
連載で【No:2956】→【No:2961】→【No:2964】→【No:2975】→【No:2981】→【No:2982】→【No:2996】→【No:3010】→【No:3013】→【No:3015】→【これ】(完結)になります。
以上を踏まえて、お読みください。



 今日、向こうの世界から着てきた制服を着て、向こうの世界から履いてきた上履きを持った由乃と登校し、マリア像の前で蔦子さんから写真を受け取った。
 あと数時間で由乃は『令の死んだ世界』に帰るのだ。

 昼休みの薔薇の館。

「でもさあ、あり得ないと思わない? 今日の占いのラッキーアイテムに『手裏剣』だよ? そんなの持ってる人なんてそうそういないと思わない?」

 由乃は湿っぽい空気を払うようにテレビの話題を持ち出すが、祥子、祐巳ちゃん、瞳子ちゃん、志摩子、乃梨子ちゃんはお通夜のように黙っている。

「仮に持ってたとして、それ持って学校なり会社なりにいったら、絶対に『お前は忍者かっ』って突っ込まれるよ。それって、全然ラッキーじゃないし」

「由乃さん」

 やっと祐巳ちゃんが口を開く。

「何?」

「やっぱり、どうしても帰らなくちゃいけないの?」

 全員の動きが止まる。

「言わなかった? これはもう私の意思云々ってものじゃないのよ」

 土曜日、菜々ちゃんにもそう言っていた。みんなもいたはずだが。

「ねえ、もし、パラレルワールドだとしたら、どうやってこの世界に来たの?」

 祐巳ちゃんが質問を変える。

「う〜ん、細かくは覚えてないんだけど、薔薇の館からこっちに送られて。一瞬、夢かな、とも思ったんだけど、祐巳さんが入ってきて、いきなり念仏唱えられた」

 由乃は思い出しながら言う。
 そんな事したんだ、祐巳ちゃんは。
 まあ、私もあの時夢か何かかと思ったもの。

「あの、いいでしょうか」

 乃梨子ちゃんが発言する。

「どうしたの?」

「私、『パラレルワールド』について、調べてみたんです」

 これは私が調べた範囲での私なりの解釈ですが、と前置きして乃梨子ちゃんは言った。

「『パラレルワールド』というのは何かのきっかけで分岐した並行世界で、たとえば、由乃さまの言葉を借りるのであれば、『由乃さまが死ぬ』事と『由乃さまが生きている』事のどちらが起こっても矛盾しない状態があります。その状態の時に、その世界の分岐となる何らかの『きっかけ』があって、その結果、私たちはたまたま『由乃さまが死ぬ』という方の世界の住人に、向こうの私たちはたまたま『由乃さまが生きている』世界の住人になってしまった、ここまではいいでしょうか?」

 祐巳ちゃんは難しそうな表情で乃梨子ちゃんの言葉を咀嚼し、祥子はすんなりわかったのか軽く頷く。

「うん。それは私も感じてた。こっちの世界がまるで『黄薔薇革命』からスパッと分岐したみたいって。『黄薔薇革命』以前に起こっていたり、私の起こした事に影響されない事はそのままなのよ。たとえば、志摩子さんの実家がお寺だったり、今やってるテレビドラマは向こうでも同じ内容をやってたりって感じで」

 由乃の補足になんとなく一同が頷く。

「パラレルワールドの説明はわかったわ。で、乃梨子ちゃんは何か言いたい事があるのでしょう?」

 祥子が促すと、乃梨子ちゃんが頷いて本題に入った。

「つまりですね、『パラレルワールド』が存在するならば、何らかの『きっかけ』があれば世界は分岐するって事じゃないですか。それならば、これから世界を分岐させる何らかの『きっかけ』を作って、『由乃さまがパラレルワールドに帰れなくなってしまった世界』と『由乃さまがパラレルワールドに帰ってしまった世界』をうまく分岐させる事ができたなら、うまくいけば私たちは『由乃さまがパラレルワールドに帰れなくなってしまった世界』の住人になれる。そう思うんです」

「待って、うまくいかなかったら私たちは『由乃さんがパラレルワールドに帰ってしまった世界』の住人になるかもしれないし、もっと別の何かが起こってしまうかもしれないじゃない」

 志摩子がそう言う。
 別の何かが起こる、それは確かに恐ろしい。

「でも、何もしないで由乃さんとお別れするよりはいいよ。こっちとあっちの世界の分岐って『黄薔薇革命』だったんでしょう? 戦争があったとか、そういう大袈裟な事じゃなくってさ。だったら、何かやろうよ。一生懸命に何かやって、駄目だったら駄目だったで受け入れよう」

 祐巳ちゃんが言う。

「まったく、あなたって子はそうやっていつもつっ走る。でも、今回はいいわ。やりましょう」

 祥子がそれに乗っかる。

「それで、具体的にはどんな事を?」

 瞳子ちゃんが聞く。

「それは皆さんと相談しようと思いまして」

「なんだ、具体的な作戦があるわけじゃないのね」

 乃梨子ちゃんの言葉にほっとしたように由乃が言う。

「あの」

 祐巳ちゃんが何かひらめいたようだ。

「とりあえず、手を握ったりして連れて行かれないようにするのはどうだろう?」

「あ、それは無理」

 由乃は笑って即座に否定した。

「だって、こっちに送られてくる時、祐巳さんたちが側にいて手をつかんでくれたけどこっちにきちゃったんだもの」

「そっか」

 がっかりと祐巳ちゃんがうなだれる。

「じゃあ、いっそ縛り付けてみたらどうでしょう?」

 瞳子ちゃんがとんでもない事を提案する。

「縛る!? 道具はどこにあるのよ?」

 ぎょっとした表情で由乃が聞き返す。

「庭の整備なんかに使う荒縄があったわ。針金や鎖なんかもあった気がするけれど」

 志摩子が答える。さすがは環境整備委員会……

「って、そんなもので縛る気!?」

 うっかり流されるところだった。一体、何の環境を整備してるんだ。
 一度環境整備委員会にはガサ入れが必要かもしれない。

「だって、手をつかんだくらいでは駄目なのでしょう?」

 静かに微笑む志摩子。いや、その微笑みがかえって怖い。

「待って、さっきの乃梨子ちゃんの説明だと、それでは足りないと思うの」

 祥子が考えながら言う。

「世界が分岐した『きっかけ』が『黄薔薇革命』だというのであれば、もっと、こう、学校全体を巻き込むようなエネルギーが必要ではないかしら?」

「さ、祥子さま!? 個人的な事情に学校全体を安易に巻き込まないでくださいっ」

 由乃が祥子に突っ込みを入れた。

「あら? 来季の令は黄薔薇さま、由乃ちゃんはそれを支える黄薔薇のつぼみ、ならば少なくとも来季の高等部の生徒にとっては関わりのある事ではなくって?」

 祥子はすでに由乃が残る世界のヴィジョンを描き始めている。
 そうならなかった時の落胆が心配だ。

「じゃあ、みんなでロザリオを返すんですか?」

 瞳子ちゃんが聞く。
 それじゃあ、土曜日の事が全部無駄になってしまう。

「それはこの前やったじゃない。それに今は逆指名ブームがきてるのに」

 乃梨子ちゃんが瞳子ちゃんに突っ込む。

「逆指名ブーム?」

 由乃が聞く。

「ええ。全校集会でのやり取りを見て感動した下級生から申し込むのが増えているそうです」

「まあ……」

 乃梨子ちゃんの説明に祥子が目を見開く。

「『黄薔薇革命』といい、今回の事といい、由乃ちゃんってエネルギーの塊みたいね」

「そ、それはけなされてるのですか?」

「ほめているのよ」

 真顔で祥子が言う。言われた由乃は釈然としないようだ。

「由乃さんに対抗できるエネルギー……あ」

 祐巳ちゃんが何か思いついたようだが、何故か、嫌な予感しかしない。

「江利子さまを呼んでみたらどうだろう?」

 どうしてだろう、こんな時に限ってお姉さまの名前が出てくる。
 みんな、お姉さまをなんだと思っているんだ。

「蓉子さまと聖さまのお力も借りて、学校中をパニックに陥れてはどうでしょう?」

「乃梨子ちゃん! どさくさにまぎれて何て事をっ!!」

 由乃が乃梨子ちゃんを叱りつける。

「落ち着いて、お三方だって今日は大学でそれぞれ授業というか講義を受けてるはずよ」

 志摩子が冷静に突っ込む。

「でも、リリアンかわら版の『黄薔薇革命』の記事を読む限り、それぐらいのエネルギーがありましたよ。あれは」

「あれは築山三奈子さまの記事の書き方が絶妙だったからね」

 ふり返るように祐巳ちゃんが言う。

「じゃあ、新聞部を巻き込めばよいのですわ」

 瞳子ちゃんがすかさず言うと、「いいね」「そうしましょう」とみんながあっさり同意する。

「な、何て事を!?」

「でも、新聞部は時間がかかるんじゃないかしら。由乃さんが帰るまでに間に合わないんじゃ駄目よ」

 志摩子がまた突っ込む。
 今日の志摩子は突っ込みに忙しい。でも、志摩子はたまに天然な事を言い出すから油断はならないのだけど。

「じゃあ、放送部にかけあって、三奈子さまと由乃さまのエネルギー体コラボというのはどうでしょう?」

 また瞳子ちゃんが余計な事を言い出す。

「賛成!」

「なんでそうなるのよっ!?」

 由乃が叫んだ瞬間、予鈴が鳴った。
 ここまでである。

「戻りましょう」

 由乃と私の事を思っていろいろ考えてくれるのは有難い話だが、由乃をこの世界にとどめておく事が正解とは思えなかった。
 だからといって、由乃が嫌いなわけでは断じてない。
 ただ、由乃は向こうの世界へ帰すべきだと思う。



 放課後。
 教室を掃除していると、バタバタと何者かが走っている。

「令さまっ!」

 飛び込んできたのは、ええと、笙子ちゃん、由乃のクラスメイトだった。

「どうしたの?」

「さっき、教室に薔薇さま方がやってきて、由乃さんを荒縄で縛って連れて行ってしまったんです。何だか尋常じゃなかったので」

「えっ!?」

 まさか、お昼の冗談のような話を実行してしまおうというのだろうか。
 その時、スピーカーから全校放送が流れてきた。

『ピンポンパンポーン。リリアン女学園の皆様、お掃除ご苦労様です』

「さ、祥子っ!?」

 祥子の声だった。驚いた事に「ピンポンパンポーン」も祥子が口で言っていた。

「みんな、ごめん!」

「あ、令さん!?」

 慌てて放送室にダッシュする。笙子ちゃんが付いてくる。

『山百合会プレゼンツ、特別生放送、《山百合事変を語る》をお届けします。インタビュアーは新聞部の築山三奈子さん、ゲストに島津由乃さんをお迎えしています』

『ちょ、ちょっと。これはどういうつもりですかっ! 人を荒縄で縛って、こんな放送始めるだなんて、どうかしてるんじゃないですかっ!!』

 由乃の叫び声が聞こえる。
 本当に縛られているのか。

『では、インタビューを始めさせていただきます。由乃さん、山百合事変解決の立役者として』

『三奈子さまもインタビューしてる場合じゃないでしょう!?』

『いろいろうかがいます。まず、山百合事変を知ってどう思われましたか?』

『こらあっ!! 人の話を聞きなさいっ!』

 ここで、放送室とは逆の方向に曲がる。

「令さま、そっちは──」

「わかってる! 先に行ってて!」

 見えてきた扉を開いて飛び込む。
 入ったのは職員室だった。

「先生! 鍵を!」

 先生たちは私の顔を見て驚いている。

「支倉さん……」

「鍵をっ!! 由乃が、由乃が大変な事になるんですっ!! 放送室の鍵を開けてくださいっ!!」

 先生は頷くと、合鍵を渡してくれた。
 受け取って、お礼もそこそこに飛び出して、放送室に向かう。
 放送室の前に一足先に駆け付けた笙子ちゃんが立っている。
 放送室の鍵を開ける。
 扉を開いた勢いに驚いて、祥子が振り返るが、それより先に目に入ってきたのは、縛られながら抗議している由乃の姿だった。

「令」

 祥子が立ちはだかる。

「由乃は返してもらう」

 掃除していてそのまま持ってきてしまった箒を構えて、祥子と向かい合う。

「わかってるの? 由乃ちゃんは──」

「邪魔するなら」

 竹刀のように箒を振ると祥子は一歩引いた。
 放送ブースに突入する。

「令ちゃん」

「放送はもう、終わり。さあ、行こう」

 観念したように、三奈子さんが由乃の縄を切った。
 由乃の手を取って、私達は走り出した。
 校内放送が聞こえる。

『緊急事態発生! なんと支倉令さんが、島津由乃さんを連れて逃走中です。見かけた方は、二人を放送室に連れ戻してください』

 祥子の声だった。
 何をたくらんでいるのかは知らないが、全校生徒から追われる事になってしまった。
 まさに、学校全体を巻き込んでしまったわけだ。

「由乃、どこなの?」

「何が?」

「向こうの世界に帰れる場所。やっぱり、薔薇の館?」

「うん。でも、どうして?」

 由乃が不思議そうに聞く。

「見てればわかるわよ。帰らないと大変な事になるんでしょう?」

「……やっぱり、令ちゃんにはわかっちゃうんだ」

 由乃は一瞬目を伏せた。

「ええ。帰る、帰るって言い続けてるのはたぶん決心が揺らぐだけじゃないって、結構前から気付いてた。だから、出来るなら私が一緒に行こうとも思った。それも駄目なんだろうけど」

 校舎を出ようとすると、志摩子に率いられた生徒たちが待ちかまえていた。テニスラケットを持っている生徒すらいた。

「由乃、ついてきて」

 箒を構えると、待ちかまえて飛びかかってくる生徒たちに次々と面と胴を入れ、テニスラケットが届く前に小手、面と連続で決める。

「桂さん!」

 志摩子がその生徒に駆け寄った。

「ごめん、やっぱり私じゃ無理だった」

 志摩子はそのまま置いておいて、ぴったりとついてくる由乃と一緒に校舎を出た。

「それで」

 先程の続きをしゃべり始める。

「もし、戻れなかったら、無理してこっちに来たわけだから、こっちの世界も、向こうの世界もなくなるって」

「由乃を連れてきた何者かがそう言ったのね」

「うん」

 なのに、お節介な生徒たちが次々と追ってくる。世界を分岐させる必要はないというのに。

 足元に何かが転がってくる。手裏剣だった。

「に、忍者!?」

「今日のラッキーアイテムですから」

 といって登場したのは竹ぼうきを構えた瞳子ちゃん、乃梨子ちゃんたちだった。

「1年生トリオ敗れたり! ラッキーアイテムを捨ててどうする?」

 由乃の言葉に一瞬1年生たちがたじろぐ。

「令さま、何を考えているんですか? 由乃さまが帰ってもいいんですか?」

 乃梨子ちゃんが聞いてくる。

「由乃を帰さない方が問題なのよ」

 箒を構えると、向こうがかかってくる。
 しかし、相手は素人、小手を決めると簡単に竹ぼうきを放す。
 竹ぼうきに持ち替えた後は簡単に倒せた。
 振り向くと、私の使っていた箒を構えて、由乃が瞳子ちゃんに面を決めていた。
 その構えや持ち方からして本当に剣道をやっていたんだなと、ちょっと嬉しくなった。

「お姉さま、令さま」

 菜々ちゃんが走ってきた。

「菜々」

「放送を聞いてきました。なんだか、大変な事になってるようで」

「とにかく、薔薇の館へ行こう」

 3人で薔薇の館を目指す。
 予感はあったが、薔薇の館の前には祐巳ちゃんと剣道部の面々が待ち受けていた。
 今度の相手は竹刀を持っている。

「令さま」

 祐巳ちゃんが口を開く。

「通して。もう、時間がないんだから。由乃を帰さないと」

「本当にそれでいいんですか?」

「ええ」

 私は頷いた。

「この世界の由乃の肉体はなくなってしまったけれど、由乃はずっと私と一緒にいる。だから、向こうの世界の由乃を向こうの世界の私に返す事に未練はないの」

「そうですか」

「わかったら通して」

 祐巳ちゃんは何も言わない。

「由乃」

 私が気を引くから。そう言うように私は竹ぼうきを構える。

「わかりました。降参します」

 祐巳ちゃんの言葉でその場にいた全員がさっと道を作る。

「じゃあ、行こう」

 由乃と菜々ちゃんを連れて薔薇の館に入った。

「由乃さん」

 祐巳ちゃんの声に由乃が答えた。

「ごきげんよう。祐巳さん」

 階段をギシギシいわせて、ビスケットの扉を開ける。中には誰もいなかった。
 ほっとして由乃の方を振り向く。

「由乃っ!?」

 見てぎょっとした。
 由乃の体が透けていた。

「由乃、体が──」

「うん」

 由乃の体がだんだん透明になっていく。こうやって向こうの世界に帰っていくんだ。

「お姉さまっ」

 菜々ちゃんが由乃の手を握る。

「菜々。ありがとう。これからは令ちゃんが菜々の事導いてくれるから」

 菜々ちゃんが何度も頷く。

「令ちゃん」

「由乃」

 どちらともなく抱きあって、ほぼ同時に、私たちは言った。

「ありがとう」

 最後に見たのは由乃の満足そうな笑顔だった。



「……帰ったのね」

 気がつくと、祥子が後ろに立っていた。

「ええ」

「ごめんなさい。あなたが本当に由乃ちゃんのいない世界でやっていけるかどうか、不安で試してしまったの。分岐させるっていうのは後付けだけど、本当に分岐するならそれはそれでいいとも思ったわ」

「大丈夫。由乃はずっと一緒にいるから」



 それから、私はちゃんと学校に通って、剣道部に出たり、薔薇の館に通ったりしていた。
 早いもので今日は由乃が死んで2回目のクリスマスである。
 薔薇の館でクリスマスパーティーを開く事になっていた。
 菜々ちゃんも呼んである。
 ミサが終わって、私はマリア像の前に立っていた。

「お待たせしました」

 菜々ちゃんが来た。

「行きましょうか」

「待って」

 私は手提げ袋から黄色の風船とヘリウムガスを取りだした。

「それ、声が変わるガスですよね」

 菜々ちゃんが言う。

「ええ。でも、こういう性質もあるのよ」

 風船にガスを詰めて膨らませ、紐をくくりつけると、風船が浮き上がる。

「お店で売ってくれる風船は、このガスが入っている事が多いのよ」

「へえ」

「これなら空の上の方まで飛んでいくでしょう?」

「ああ」

 納得したように菜々ちゃんは封筒を取り出した。
 表書きには「お姉さまへ」と書いてある。
 私も封筒を取り出す。表書きは「由乃へ」である。
 紐に私と菜々ちゃんの封筒をつけて、二人でそっと風船を放した。
 冬の空をゆっくりと黄色の風船が上っていく。

「雪だ」

 粉雪がちらり、ちらりと舞っていた。
 クリスマスカードをありがとう、と由乃が言っているようにゆっくりと雪が降ってきた。

「じゃあ、行きましょうか」

「はい」

 菜々ちゃんを連れて、薔薇の館に向かって歩き始めた。

 たとえ、実際につなぐ手がなくなってしまっても、心の中でしっかりとつながれた私と由乃の手を離す事は誰にも出来ない。

 由乃はこの世界にいて、私はその由乃を感じられる。

 由乃のいる世界で、私は前を向いて生きている。



-終わり-


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