※なんか変です
ノートに斜線が引かれていたあの小笠原祥子を妹にした日、水野蓉子は下校中に黒服を着た集団に囲まれた。
「な、何なの!?」
「あなたがお嬢さまの……」
黒服の一人が呟く。
「とにかく、来てもらおう」
普通の女子高生の自分ではかなわないと判断した蓉子は大声で助けを求めようとした。しかし、それよりも早く気絶させられ、車に押し込まれた。
蓉子が目を覚ますと、それはどこかの別荘のような建物で、ベッドに寝かされていた。
部屋には先程の黒服達が見張りのように距離を置いてこちらを見ている。
黒服の一人が扉を開けると年配の男性が現れた。
「な、何?」
「リリアン女学園高等部2年椿組水野蓉子さん、紅薔薇のつぼみとも呼ばれていて、今日、小笠原祥子にロザリオを渡して姉妹となった。間違いありませんね?」
年配の男性は静かに蓉子に語りかける。
「……もし、私が別人だって答えたら、あなた、どうする気?」
「電気ショックで記憶を飛ばします。何、ちょっとした副作用で脳細胞が半分ぐらい使い物にならなくなってしまいますが、気にしないでください」
さわやかな笑顔で年配の男性は言う。
「き、気になるわよっ! 水野蓉子で間違いないから、変な事しないで」
「そうでしょう。仮に間違いがあっては、この部屋にいる全員の記憶を飛ばしてクビにしなくてはなりませんよ」
年配の男性はそういうと正体を明かした。
自分は小笠原祥子の祖父で、周りの黒服は小笠原家の家族を守る護衛だと言う。
そういえばちょっとだけ祥子に似ていない事もない。
「いや、大変に失礼しました」
祥子の祖父は深々と頭を下げる。
「で、その祥子さんのお祖父さまが何の用でしょう?」
「祥子は小笠原家の一人娘。その立場ゆえに幼少期より『いろいろと』狙われているのです」
誘拐されそうになったりしたとでもいうのだろうか。由緒正しいお金持ちの娘には平民にはありえないドラマチックな日常があるのかもしれない。
「リリアンに通うようになってから、行き帰りなどは護衛が祥子に気づかれぬよう守ってきました。祥子一人であれば何とかなりますが、あなたもとなるとさすがに手が回らないのです」
祥子を妹にしてしまった瞬間にその『いろいろと』に巻き込まれても仕方がないという事か。
「ははあ、では、それなりに覚悟を決めてほしいと?」
お姉さま方の引いた斜線にはそんな意味もあったのかもしれない、と蓉子は今さらながら思う。
「いえ、そうではなくて。自分が守られて姉であるあなたに何かあっては祥子はとても苦しむでしょう。ですから、ご自身の身を守るために、一流の兵士となるべく訓練を受けていただきたいのです」
何を言い出すんだ、このジジイ、と言いたかったが一応祥子の祖父らしいので我慢した。
「訓練期間は下校時間以降登校時間までで、家にはしばらく帰れませんが、ご両親には裏から手を回します。訓練場所は地下の施設を利用しますので、一般人には学習塾に通ってるようにしか思われません。講師陣にはソマリアからイラクまでを渡り歩く歴戦の傭兵やら、成功率ナンバーワンのスナイパーやらを用意してあります」
なんて手回しのいい。
「ちなみに、拒否するとどうなるんですか?」
「拒否したり、誰かにしゃべったりしたら電気ショックで記憶を飛ばします。何、ちょっとした副作用で(以下略)」
それはすでに相談ではなかった。蓉子に選択の余地はないのだ。
蓉子はその日を境に地獄の訓練を受ける事になった。
始めは体力づくりで、制服などは一見普通のものだが軍人のフル装備並みの重さのある素材で、それを身につけさせられて日常的に体力づくりをさせられた。夜は兵器の扱い方、護衛や軍人としての知識、爆発物の処理、応急治療などを学び、やがて体力がつくと実技と称して格闘技やら射撃訓練をさせられた。
24時間監視下に置かれ逃げる事も出来ない。多少寝不足気味でも祥子も聖も江利子もお姉さまたちも蓉子は勉強に打ち込んでいるというくらいの認識しかないようだ。
夏休みに突入し、訓練が終日となると、不眠不休でのサバイバル、パラシュート降下など精鋭部隊の兵士並みの訓練をさせられた。技術的にさまざまな乗り物を操縦する事も出来るようになり、年齢的に取得可能なバイクの免許を貰った。
そして。
「よく、ここまで耐えた。キミはこれで一流の兵士だ」
教官から認められ、以降は自宅から通うことを許された。
数ヵ月ぶりに家に帰ったが、両親は相当脅されているらしく、何も言われなかった。
花寺の学校祭、体育祭、修学旅行とスケジュールをこなし、学園祭の準備期間がやってきた。
山百合会はフル稼働し、帰る時間もイレギュラーになった。
そんなある日。祥子と二人で作業に集中し、気付くと他のメンバーは帰ってしまっていた。
バス停に着くと、最終便はもう行ってしまったみたいだった。
「あー、ついてないわね」
「電話をかけて、家の者を呼びましょう」
祥子が提案する。
「携帯持ってるの?」
「携帯は持ってませんが、近くのコンビニに行けば公衆電話があるでしょうし、無くても借りる事が出来るでしょう。お姉さまもご一緒に」
本当は平気なのだが、断って変に怪しまれるのもどうかと思い、祥子の行為に甘える事にして、コンビニに向かう。
だが、そこにはいわゆる暴走族と呼ばれる集団がたむろしていた。
無視して通り過ぎようとすると囲まれる。
「ねえ、こんな時間まで何してたわけ?」
「俺たちと遊んでかない?」
ニヤつくいかにも素行と頭の悪そうな男たち。
やれやれ、訓練の成果が試されるというわけか。と蓉子は祥子に伸びた手を素早くつかむとひねりあげた。
「いっ! てててえっ!! 何をしやがるっ!!」
「祥子、店の中に入ってて」
プロの手ほどきを受けた蓉子はあっという間に彼らを倒していく。
だが、人数が多く、蓉子の手の回らなかった者が祥子を捕まえるのを防ぎきれなかった。
「きゃっ! 何をっ!!」
かなわないと見た彼らは無理やり祥子を乗せて車で逃走した。
蓉子は即決した。
「借りるわよ」
カバンの中に「念のため」入れておいた銃を取り出すと、止まっていた暴走族の物らしいバイクにまたがり蓉子は車を追った。
素早くタイヤを撃ち抜き、車に追いつくと、窓をたたき割り、ロックを外して暴走族を引きずり下ろし、奥に乗せられていた祥子を救出する。
「乗って」
祥子は無言でうなずくと蓉子の後ろに乗り、蓉子にしがみつく。
敵は意外としつこかった。
かなわないとわかっているのに、集団で追いかけてきたのだ。
「あ〜、このバイク目立つからな」
「蓉子さん!」
やっと追い付いてきたのか、黒服たちを乗せた車が隣を走っていた。
「祥子はお任せした方がいいかしら?」
「そのまま小笠原邸へお願いします! ここは我々が引きつけます」
黒服は初動ミスを取り返すべく、暴走族を一蹴する気らしい。
「いいわ」
それにしても、派手なバイクに銃、もし自分が日本の警察に捕まったらどうするつもりなんだ、いや、小笠原グループなら何とかしてしまうのか。何とか出来るなら、暴走族も自分たちで何とかしろよ、と心の中で突っ込みながら蓉子は小笠原邸に向かった。
路地を通り、住宅街を抜け、小笠原邸が見えてきた。
ところが、そこには黒服とは思えない、むしろ暴走族と思われる男がバイクにまたがり待ちかまえている。
「役立たずね」
黒服は全員電気ショックだな、そう思いながら蓉子は一旦バイクを止めると銃を構えた。
男がバイクを走らせこちらに向かってくる。
有効射程に入り、蓉子は冷静に引き金を引いた。
タイヤを撃ち抜き尚も男が向かってきたので、男にもお見舞いした。
男が動かないのを確認すると蓉子はそのまま小笠原邸に入った。
連絡を受けた黒服と祥子の祖父が待っていた。
「さすが蓉子さん。よくぞ祥子を守り抜きました。合格です」
「合格……って、まさか」
「その通り! これはあなたの最終訓練です。あなたにはこれから祥子の側でその腕をふるっていただきたいと思っています。ちなみに、あの暴走族はこちらでお願いした傭兵で……」
「いい加減にせんか、ジジイ!」
もう、祥子の祖父という事を忘れて蓉子は突っ込んでいた。鍛え上げられた鉄拳で。
その日以来、蓉子は祥子の身に危機が迫っているという情報が流れるたびに祥子の祖父の連絡を受け、祥子を守るというハードな日々を送るようになった。
今日もリリアン女学院の校舎の屋上でライフルを構えながら静かにその時を待っている。
校門のあたりが騒がしくなる。
ツインテールの少女が銃を構え、祥子をかばいながら必死に黒服の車まで逃げようとする。少女は訓練中の身で頑張っているが、守り切れてはいない。
蓉子は引き金を引いて、祥子の安全を確認するとそのままツインテールの少女のところへ向かった。
「まだまだね、祐巳ちゃん」
「蓉子さま。あっ! もしかして、さっき助けてくれた銃撃は」
蓉子はにやりと笑った。
「とりあえず、あのジジイを殴りに行きましょうか」
蓉子は自身の後継者である祐巳に向かってそう言うと歩きだした。もう、自分もこの子も戻れないな。と思いながら。