【3025】 秘め事  (パレスチナ自治区 2009-08-13 23:46:57)


ごきげんよう。【No:3023】の続きです。
今回は久しぶりに途中で視点が変わります。

『…このまま、このまま、松原祐沙でいさせてください』
そう言い残して福沢邸から逃げて来た。
全てが神の悪戯。
そう結論付けるしかほかなかった。
わたしは自分を愛してくれた人を怨むことができる人間ではない。
今まで一方的に恨み続けてきたが、わたしはそれ以外何をしたのだろう。
両親がかつてしたことは全てわたしや祐巳の事を愛しているからこそ。結果はどうあれ、深く愛してくれていたのは分かった。
孤児院もしかり。わたしを赤ん坊の時から面倒を見てくれていた。それ故の行動だったにすぎない。
0歳のころから面倒を見ていたら情が移り、手放せなくなってしまうのは人の性。
地球上でもっとも子供に愛情を注ぐ動物、それが人間である。
そしてお母さん。5年しか一緒に居なかったがたくさんの思い出をくれた。たくさんの愛情を注いでくれた。
わたしは…?今までしてきたことは…?
ただ自分の境遇に胡坐を掻いて、何もしていなかったではないか。
していたこととすればさっき言ったように周りを怨んでいただけだ。
両親にだって自分から連絡すればこんなことにはならなかった筈だ。
一つだけよかったとすれば、お母さんのような素敵な女性を一人さみしく…ではなくそばにいて看取ってあげれた事だ。
情けない…ただ情けないだけだ…
きっと今のわたしは『福沢』も『松原』も名乗る資格など無いだろう。
わたしは変わらなければならない。
だから今だけは…マリア様のせいにさせてもらおう。
『お母さん』と『お母さん』。二人は同じ『マリア様の庭』に通っていた。
そんな二人を見守り続けることができなかった…そういうことにさせてもらおう。
わたしが『福沢』にも『松原』にもふさわしくなれるまで…

鏡を見ながら自分の髪をそっと撫でてみる。
今の髪はお母さんが天に召されるまで、そして今現在に至るまで伸ばしてきたものだ。
お母さんが最後に触った髪。そして祐巳が初めて触った髪。
大好きな二人が触った髪。
それだけで嬉しくなってくる。それと同時に悲しくなってくる。
わたしはたくさんの不義理を犯してきた。
もうこれ以上は許されない。
祐巳にはひどい事を言ってしまった。それでもわたしに、わたしだけに笑顔を向けてくれた。
その笑顔にいつか、いつの日にか答えるために…
もう一度撫でる。
これで最後にしよう…
もう過去に縛られるのは終わり。
その戒めとして…

わたしは髪を切った。

孤児院に居た頃、チビどもの髪はわたしが切ったいた。
先生に教わりながら段々身に付けていった、わたしの隠れた特技だ。
それが今、役に立っているのは皮肉かそれとも神の悪戯か…

髪が元に戻るときには、今よりも素敵な女の子になっていることを願って…

それでもすぐに立ち直ることなんてなかなかできないわけで、何とか隠すぐらいしかできなかった。
もしかしたら恋歌さんや紀穂さんにはばれているかもしれない。
気を遣わせてしまって申し訳ないが、そんな彼女たちをより愛しく思え、何よりそれが嬉しかった。

この他にも悩みがあった。
それは古文のレポートだ。
クラス全体のテストの成績が悪かったばっかりに冬休みの前だというのに宿題として出されたものだ。
レポート用紙10枚以上じゃないと受け付けないと言われている。
ちなみに論文形式でもいいとの事なのでわたしはそっちにすることにした。
試験休み、冬休みを返上してやらなければならない宿題がわたし達のクラスは他のクラスより多くなった。
それもかなり厄介な奴。
おかげでほんの少し、気を紛らせることができた。
宿題なんかでそんな風になった奴なんて空前絶後、わたしくらいだろう。
わたしだって本当は宿題なんて大嫌いなんだから…

試験休みでほとんど人がいない図書室。
独特の雰囲気があって結構好きだ。
この場所でお姉さまと愛を育む生徒はそれなりに多いと聞く。
勉強を教えてもらったり、一つの本を二人で読んだり…
羨ましいな…
祐巳は祥子様とそういうことをしたりするのかな?
わたしの大切な祐巳。かけがえのない『もう一人のわたし』。
きっと祥子様と素敵な関係を築いていくことだろう。
ただそんな祐巳を、一方的に傷つけてしまったのはわたしの最大の枷。
………
だめだ…最近はこんな事ばかり考えてしまう。
さっさと宿題を始めてしまおう。

「……く!なんでこんな高い所に置いてあるのよ!」
『万葉集』の事が書いてある本を数冊見つけたが、一番良さげな本は椅子を使っても、そこからさらに背伸びをしても届かない所にあった。
「なによ!ここは女の子が通う学校よ!ジャイアント馬場なんて来ないんだから!!」
もう少し本棚の高さを加減しなさいっての!!
ものさしを使ってみたが、本には届くもののうまく引っかからない。
所詮ものさしなど線を引いたり長さを測る以外に使い道なんてない。
「役に立たないわね、あんたって…」
それでもわたしはものさしを使って本を取るのに夢中になっていた。

「ねえ、貴女」
「ひゃあ!」
いきなり声を掛けられバランスを崩してしまった。
このままでは足を捻るかもしれない。
床にぶつかる衝撃を覚悟しながら心の中ではいきなり声をかけた人物に悪態をついていた。

が…

いつまで経っても固い衝撃は訪れることはなく…
むしろ柔らかい物に包まれている。

「よかったわ。私が声を掛けたせいで怪我をされたら夢見が悪かったわ」
「………!!」
誰かに抱きしめられていた。
「ごめんなさいね」
「……いいえ」
わたしは突然の出来事に何も出来ず、ただこの少女にしばらく抱きしめられていた。

数分か数十分か…過ぎた。
「あの…もうそろそろ…」
「ごめんなさいね、もう少しだけ…」
「…はい」
「……やっと貴女を捕まえることができたわ」
「え?」
「ずっと機会を伺っていたんだけど、貴女と接点は無かったから」
「そうですね…でもわたしなんて…」
「ふふふ…やっぱり貴女は『紅薔薇の蕾の妹』に最も似ていて、最も似ていない存在ね」
「……そうですか。でもどうしてわたしを知っているんですか?」
「それはね、貴女は気にしていなかったのかもしれないけど、祥子さんに妹が出来た直後に、その…『祐巳ちゃん』にそっくりな子が入って来たってことで話題になったのよ」
「……知らなかったです」
「そうよね。貴女は周りを拒絶しているように見えたから…」
「………」
「私が貴女を初めて見たのは音楽室」
「あ…」
「部室に行ったあと、忘れものに気付いて取りに行って帰ってきたら素晴らしい演奏をしているじゃない。でもそれが途中で終わってしまったから不思議に思って急いで音楽室に戻ったわ」
この人は…
「そしたら貴女がピアノの椅子に座って泣いていたのよ」
「貴女は…音楽室の女神様…」
「女神様?私が?」
「はい…凄く綺麗な人に泣いているところを見られて焦りました」
「どうして?」
「だって…」
「ふふふ…可愛いわね」
さらにギュッと抱きしめてくる。
彼女の規則正しい鼓動と、優しい温もり、柔らかさを感じて…
「すみません…そろそろ……」
「どうして?」
「なんだか…ね…むく……な……」
「あらあら…しょうがないわね」

彼女に抱きしめられ、安心して緊張が解けたわたしは……

……………

彼女に出会ったのは『黄薔薇革命』の直前だった。

「はあぁ、お弁当箱を教室に忘れるなんて…」
教室に忘れた弁当箱を取ってきて音楽室に戻っている時だった。
「……あら?誰かが音楽室にいるみたいね」
部員の子かしら?ずいぶん早いわね。でも私も人もことは言えないか。
音楽室に一度行って教室に戻って…ってくらい余裕があるんだから。
そんなことより音楽室から聴こえてくるピアノの音だ。
美しく繊細でどこか物悲しいその旋律…
早く確かめたかった。
だから禁止されているのに廊下を走った。
途中、白薔薇様とすれ違ったような気がしたがどうでもよかった。
早くしなければ…
しかしあと少しというところで演奏が止んでしまった。
「どうしたのかしら?」
そう呟いて音楽室に入ると…

「……もっ、い…しょ…に…いてほ…しかった…のに……」

「は…」
天使が泣いていた。少なくとも私はそう思った。
目の前にいるのは天使。翼の折れた天使。
窓から入ってくる秋の物悲しい光を浴びて、その天使は泣いていた。
美しく手入れされた鍵盤に彼女の涙が落ちる。
その涙の一つ一つまで美しいと思った。

しかしよく見てみると天使は私と同じ制服を着ていて…
見とれている場合ではない。
何とかしてあげなければ…

「貴女、どうしたの?そんなに泣いて」
彼女は私に気付いていなかったのか、びっくりした様子でこちらを向いた。
なんだかその仕草が可愛くて、どうにかして捕まえておかなければと思った。しかし…
「…な、なんでもないです」
「なんでもなくないでしょう?私でよければ話して頂戴」
「いいえ、結構です。ちょっと悲しくなっただけですから…」
そう言い残して彼女は逃げるようにして音楽室を後にした。
「ちょっと、待って…」
聞こえてなかったのかもしれない。振り返ることもせず彼女は居なくなった。

それから彼女は図書室で見かけるようになった。
最初は一人でいることが多く、今にも消えてしまいそうで。
でも周りを完全に拒絶していて…その光景は凄く悲しかった。
少しすると育ちのよさそうな美人と可愛いを足して2で割ったような女の子と来るようになった。
少しずつ儚さが消えていっていたので安心した。
一緒にいる子には『祐沙さん』と呼ばれていた。可愛い名前だ。
『祐沙ちゃん』に話しかけたかったが、接点が無かったのでちょっと勇気が無かったのが情けない。
『黄薔薇革命』で学校中が揺れた時、クラスメイトの霧子さんもその波にのまれて可哀そうだった。大好きな妹にロザリオを返されてしまったからだ。
見ていられないほど痛々しかった。が、それは長続きしなかった。
霧子さんの妹がクラスメイトに叱咤されて、もう一度スールになってくださいと謝ってきたからだ。
叱咤した子は『祐沙ちゃん』という名前だと言っていた。その子には凄く感謝しているとも言っていた。お礼までしに行ったらしい。
凄い子だと思った。
薔薇の館に乗りこんで、『黄薔薇の蕾の妹』にまで説教したようだった。
彼女はこの学園を愛しているんだ…
その事が凄く嬉しかった。

最近は「いばらの森」が噂になっていたが、私は彼女の方が気になっていた。
図書室に現れる度、彼女を眺めていた。もちろん誰にも気付かれないように。
試験が終わり、休みに入ったが、彼女はクラスの連帯責任のペナルティに勤しんでいた。
そんなある日、彼女は『紅薔薇の蕾の妹』と会話していた。
何やら押し切られたみたいで困惑していたが…
その次の日、つまり今日彼女が背負っている負の感情がまた大きくなっていた。
可愛らしいツインテールもなくなっていて驚いてしまった。
もう躊躇していてはだめだ。
私に何ができるのかはわからないが…

「なによ!ここは女の子が通う学校よ!ジャイアント馬場なんて来ないんだから!!」
古文のスペースの方から祐沙ちゃんの声がした。
ちょっと機嫌が悪いらしい。
行ってみると、手にしたものさしに文句を言っていた。
「役に立たないわね、あんたって…」
ちょっとやさぐれている彼女も可愛かった。
そしてまたものさしを使って高いところの本を取ろうと一生懸命になっている。
「………可愛いわ…」
凄く可愛かった。いけないわ…図書委員として助けてあげないと…
これがきっかけで彼女と接点が持てる。

「ねえ、貴女」
後ろから声を掛けたが…
「ひゃあ!」
彼女はびっくりしてバランスを崩してしまった。

何とかしないと!!
無我夢中で彼女を抱き留めた。
そのまま少しの間、会話することもなく、祐沙ちゃんを抱きしめていた。

……………

抱き合ったまま少し会話をした後、祐沙ちゃんは眠ってしまった。
もしかしたら寝不足なのかもしれない。
彼女をソファーまで運んで寝かせてあげた。膝枕をしてあげた。
なんて可愛い寝顔なんだろう。
目尻にはうっすらと涙が浮かんでいる。
いやな夢でも見ているのだろうか。
少しでも祐沙ちゃんに安心してもらいたくて彼女の手を握ってあげた。

「め…がみ…さま…」
ふふふ、寝言言ってるわ。
きっと女神様は私のことよね。
「大丈夫よ、私はここにいるから…安心してね、祐沙ちゃん」
「………ひ…とりに…しな…いで…」
『ひとりにしないで』か…
よっぽど辛い事があったのね。
大丈夫だから。貴女さえよければずっと一緒にいてあげるから…
それにしても、女神様か…
「そんなこと言って、攫っちゃうわよ?可愛い天使さん…」
私はそう呟いて祐沙ちゃんのおでこにそっとキスをした。

ふぅ…リリアンを出ていくうえでもうひとつ心残りが出来てしまったわ…

あとがき
祐沙ちゃんのお話もいよいよ佳境です。
ちなみにこの頃、祐巳ちゃんは「いばらの森」でも大活躍。
お疲れ様、祐巳ちゃん。
目いっぱい背伸びする女の子、可愛いですよね。しかも届かなかったら…
このありえない設定のお話は(たぶん)あと少しで終わりなので、もうちょっとお付き合い願います。


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