【3072】 お願いだよ  (パレスチナ自治区 2009-10-03 00:24:40)


ごきげんよう。
今回は祐巳ちゃんのお部屋のぬいぐるみの視点でお送りします。
時期的には2年生になってからレイニー、パラソルのあたりです。

よう!俺はワルだ!
福沢祐巳っていう女の子の部屋にいるシロクマのぬいぐるみだ。ここに来たのは三年くらい前だ。
大きさはランドセルくらいだ。
そんなことより今日はかなり憂鬱だ。
なんでかって?
今日は半年に一度の『お風呂の日』だからだ。
お風呂って言っても、俺たちのお風呂は『洗濯機』っていう名前の兵器だけどな。
あれ、嫌いなんだよ…たっぷり張った水に放り込まれて、洗剤をしこたま掛けられて、グルングルン回されて…想像しただけで吐いちまいそうになるぜ。
俺たちはみんなこの日が嫌いなんだ。クロネコのシャーリーもこの日ばかりは祐巳ちゃんの事が嫌いだって言ってるし、ズーラシアから来た珍獣オカピのオッピーも、テディベアのマリアも、ひよこのピーちゃんもみんな同じ意見だ。
ただ、マンボウの野郎とUSJから来たジョーズとクジラのクーちゃんはこの日が大好きなんだ。変わった奴らだ。
唯一、これを免れることが出来るのは一番の古株、テディベアのジョナサン(通称ジョナ爺)だ。
祐巳ちゃんが幼稚園の頃からこの家にいる。古くなって捨てられそうになった時、祐巳ちゃんは号泣してジョナ爺を守った。それから、ジョナ爺を時々繕ったりしている。
祐巳ちゃんは、本当に優しい子だ。だからみんな祐巳ちゃんの事が大好きなんだけど…
「さあ、みんな〜!お風呂の時間ですよ〜」
うわぁ…遂にこの時間が来ちまった…
ジョナ爺はこれには関係無いので、うたた寝をしている。畜生!人ごとだと思いやがって!
はぁ…腹をくくるか…

既に洗濯機には大量の水が入っている。
“はぁ…いやね…”
シャーリーが重たいため息を吐く。
“ぼく、逃げたいよう”
オッピー、それはお前だけじゃねえよ…
“ピー…お水怖いッピー…”
確かに…足がすくむぜ…
“わ、私はお風呂に入らなくたって綺麗よ!祐巳ちゃん、気付いていないのかしら?”
マリアの奴、ナルシストめ…
そんな俺たちをよそに、
“早く入ろう!早く!!”
“どっちが早く泳げるか競争だ!!”
“うーん…半年に一度の楽しみ…”
なんだこいつら!!
改めて言うぞ!変わった奴らだ!!

「行ってらっしゃーい!」
祐巳ちゃんが俺たちを水の中に入れる。
う、うわーーーー!!冷てえ!!
ごほ!!げほ!!せ、洗剤だ!苦しい…

ウイーン!!
目が!目が回る!!助けてくれ!!!お願いだ!!

“もっと早く回れーーー!”
“そうだ!そうだー!!”
おめえら、うるせえよ!!

………

数十分経った。今度は干されている。
ぽかぽかして気持ちいい。
“ふう…これで半年はお風呂に入らなくて済むわね”
“そうだね〜。お日さま気持ちい〜”
“眠くなってきたッピー…”
“はぁ…体がまだ重いわ。早く水分が抜けてほしいわ”
“俺、まだ目が回ってるぜ…”
“あんた、修行が足りないわね”
“仕方ねえだろ?俺の気持ちわかってくれよ…”
“まあ、そうね。わたしだってここに来たばっかの頃は大変だったもの”
“どうしてだっピ?”
“月に一回、お風呂の日があったから”
“それ、辛いわね。私だったら逃げちゃうわ”
お風呂の後のこのまったりとした時間は嫌いじゃない。
我ながら現金だとは思うがな。
お風呂大好き組の連中ははしゃぎすぎで既に夢の中。
こんな時間を味わえるのは、この仲間と、その輪に俺を加えてくれた祐巳ちゃんのおかげなんだ。
だから俺たちは祐巳ちゃんが大好きなんだ。

だから、祐巳ちゃんの悲しそうな顔なんて見たくなかったのに…

最近の祐巳ちゃんはなんだか元気がない。
少し前は『のりこ』っていう名前のこの話をよくしていた。
その前は『おねえさま』だ。最近もそうなんだけど、その人の話をする祐巳ちゃんは幸せそうで、恋をする乙女、そのものだった。
だけどこの頃の祐巳ちゃんは彼女の話をしていると悲しそうな顔をする。
大丈夫なのかな…
祐巳ちゃんがこうなったのは『とうこ』って名前の子が出始めた頃だ。
どんな人なのかは知らないが、許せねえ…
それより『おねえさま』は祐巳ちゃんを守ってはくれないのか?そっちも許せねえ!

ある日の日曜日、今日の祐巳ちゃんは『おねえさま』と遊園地でデートの筈だ。
時計と見るともう起きなくちゃいけない時間だ。
祐巳ちゃんってばいつまで寝ているのかな?早く起きないと遅刻しちゃうよ!
大好きな『おねえさま』とのデートなんだから遅刻できないよ!!
数か月前の『バレンタイン』の時のデートの日なんて、嬉しすぎて眠れなくて何度も起きたりして、あんなに楽しみにしていたのに…
どうしたんだよ、祐巳ちゃん…

コチコチコチ…

ついには『おねえさま』と待ち合わせの時間になってしまった。
すると、祐巳ちゃんのお母さんが部屋にやって来た。
「祐巳ちゃん、もう時間、過ぎちゃってるわよ!早く起きなさい!!」
しかし、祐巳ちゃんは反応しない。
「祐巳ちゃん!!」
「……。今日は中止になったから…」
ようやく反応した祐巳ちゃんは明らかに元気がない。
こんな祐巳ちゃんを見るのは辛かった。
…?そういや、この間も中止になったとか言ってなかったか?
『おねえさま』、どうしてなんだよ!祐巳ちゃんを蔑にしてまで大事な用ってなんだ?!
守れない約束なら始めからするなよ!!
「どうして…お姉さまは何も話してくれないのかな…」
お母さんが出て行った部屋で悲しそうにつぶやく祐巳ちゃん。
既にその瞳からは大粒の涙が落ちていた。

祐巳ちゃん、お願いだから泣かないでくれよ…俺たちまで悲しくなっちゃうよ…
俺で涙を拭いてくれてもいいから、泣き止んでくれよ!

しかし祐巳ちゃんは俺を抱きしめたまま、さらに激しく嗚咽し、涙を流し続ける。
俺はぬいぐるみだ。それをまざまざと思い知った。
所詮はぬいぐるみ。俺がどんなに叫んだって、その声はぬいぐるみ仲間にしか聞こえない。
それが凄く辛い。
畜生!
畜生!!
畜生!!!
俺は祐巳ちゃんに抱きしめられていることしかできないなんて!!
何とかしてあげたいのに!!
祐巳ちゃんに恩返ししたいのに!!
結局、祐巳ちゃんは疲れて寝てしまうまで、泣き止まなかった。

“……わたしたちって何も出来ないのね…”
“せめてぼくたちの声が聞こえたらいいのにね”
“こんなのってないわよ…優しい祐巳ちゃんがこんな悲しい顔をするなんて…”
“『おねえさま』、何をしているっピ?ピーは『おねえさま』を許さないっピ!!”
“まあ、そんなこと言ったって意味ねえけどな…”
“ぷくぷく…”
“シュー…”
“私達には……祐巳ちゃんのそばにいる…だけで精一杯…”
祐巳ちゃんの悲しみに押されて俺たちは打ちひしがれていた。
その時、ジョナ爺が口を開いた。
“お前さんらがそう思っているだけで、祐巳ちゃんには十分だよ”
“ジョナ爺、どういうことよ?”
“クーが言ったように、わしらは祐巳ちゃんのそばにいることしかできないが、それだけで十分なんだよ”
“それだけ?”
“そうだよ。それと、わしらの言葉は祐巳ちゃんには聞こえないが、祐巳ちゃんにはそれを読み取ってくれる、そんな力を持った子だよ。よく気の利く、いい子だからね”
“それは同感だっピ”
“お友達もよく助けているし、しっかりした強い子だよ。だからこそ、そんな祐巳ちゃんを癒してあげるのがわしらの役目だよ。一緒にいるだけで、わしらは役目を果たしているんだよ。祐巳ちゃんならきっと乗り越えることが出来るからね”
ジョナ爺は祐巳ちゃんの事をよく分かっているので、俺たちは安心した。
そうだ!祐巳ちゃんなら大丈夫だ!
俺たちにはそんな祐巳ちゃんを信じてあげることしかできないが、それで十分なんだ。

でも、日に日に辛そうになっていく祐巳ちゃんを見ているのは辛かったし、どうすることもできないのも、やっぱり辛かった。
耐える日々が続いていた。
早く元気になってくれ!祐巳ちゃん!!

事態は最悪に陥った。
ある雨の日、祐巳ちゃんはついに帰ってこなかった。
“祐巳ちゃん、どうしたのかしら…”
“探しに行きたいのに…”
“も、もしかして…死んじゃったとか!”
“あんた何言ってるのよ!!そんなわけないでしょ!!”
“そうだぷく!!祐巳ちゃんはそんな子じゃない!!”
“キシャーーーー!!次変な事言ったら食っちまうからな!!!”
“ぴー…悪かったっピ…”
“でも…そう思って…しまうのも…わかる…”
“そうだよな…祐巳ちゃん、大丈夫だよな…”
この日はジョナ爺が口を開くことはなかった。
祐巳ちゃんの事を心から信頼してるんだな…
ジョナ爺をみならって俺たちもただ祐巳ちゃんを信じて、黙って待つことにした。

早く!
早く帰って来てくれよ、祐巳ちゃん!!

………

少しして祐巳ちゃんは『おねえさま』と仲直りしたようだ。
以前のように明るい笑顔をしている。
何はともあれ一安心だ。

「みんな、お留守番よろしくね!!いってきま〜す!!」
今日も明るい笑顔で部屋を出て行った祐巳ちゃん。
祐巳ちゃんの笑顔はこの部屋に住んでいる俺たちの特権だ。
毎日俺たちを抱きしめ、幸せそうにしてくれる祐巳ちゃん。
その時、俺たちも幸せだってことを祐巳ちゃんはきっとわかってくれている筈だよね。
だから俺たちは世界で一番幸せなぬいぐるみだ。

ありがとう、祐巳ちゃん

あとがき
なんだこれは…なお話ですね。
このお話の主人公、ワルは実際に私が持っているシロクマのぬいぐるみです。
変な名前ですが、こいつを見ると何となく和みます。
オカピ、ジョーズ、マンボウもいます。
彼らをお話に登場させることが出来て満足です。
ここまで付き合ってくださってありがとうございました。


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