【3123】 ちょっと抜けてる風に吹かれる道  (RS 2010-01-17 22:34:23)



 花寺学院との劇の練習は、土曜日の通し稽古を残すだけとなった。
 祐巳は練習があった昨日と同じように、乃梨子ちゃんと二人で高等部の敷地を歩いていた。
 今日は、お出迎えのためではなく、学園祭直前のこまごました打ち合わせや確認のために、校内のあちこちに行くことになっている。
 体育館での用事を済ませたあと、グランドで活動している運動部のところに向かってのんびりと歩いた。
 祥子さまと志摩子さんは、薔薇の館で学園祭実行委員会と打ち合わせ。令さまと由乃さんは剣道部のミーティングが終わり次第駆けつける予定なので、それまでの外回りはつぼみの二人の担当だ。
 瞳子ちゃんの演劇部復帰は、本当のところはすべてがスムーズではなかったらしい。
 でも、復帰後の演技がすばらしいことや本番がせまっていることもあって、降板騒ぎのことを今さら蒸し返す人もいないらしい。乃梨子ちゃんには祐巳のお陰だなんて言われたけど、たいしたことはしていない。演劇部員の一年生は当然として、ほかにもごく一部にいきさつを知っている人がいるそうだけれど、基本的に丸く納まったようだから結果オーライだ。

「次はグランドだよね?」
「はい。グランドで活動しているクラブと打ち合わせを済ませた頃には、先生が戻られているはずなので、運動部用に特別教室から運び出す机と椅子の数を再確認。その後、部室に鍵をかけないで帰ったクラブを警備員さんに確認して、警告文を配布。それから、薔薇の館に戻って昨日の稽古で傷んだ劇の小道具の修理です」
 書類も見ないで、まるで秘書みたいに乃梨子ちゃんがこたえてくれる。志摩子さんはいいな。でも、志摩子さんだったら予定は全部頭に入っているだろうから、こんなことは乃梨子ちゃんに聞かないだろう。志摩子さんといるときの乃梨子ちゃんは、秘書というよりはボディガードなのかもしれない。二人ともまじめでしっかりしてるから、白薔薇さんはまじめ姉妹だな。

「ねえ、校舎に入らないで直接グランドに行こうか?」
「ここで校舎に入らないと、ほんの少しですけど、遠回りになるのでは?」
「へっへー、それがそうでもないんだな」
「えっ?」
「陸上部もランニングに出てるクラブも、校舎に近い側じゃなくて通り道に近い側に荷物を置いていて、人もそっちに集まっているのよ」
「あっ、なるほど。グランドに出てからそちらに行くより、このまま道なりに向かった方が近くなるんですね」
 一年前まで帰宅部だったから、グランドのどの辺で運動部が活動しているかなんとなく記憶に残っている。乃梨子ちゃんは、帰宅部の期間は短かったし、掃除が済んだらすぐに帰っていたそうだ。当然、それはクラブ活動が始まる時間の前だったはずで、白薔薇のつぼみになってからは、薔薇の館を出る頃にはクラブ活動も終わっているから、放課後の様子についてはそんなに詳しくないだろうという予想は当たったみたいだ。

「乃梨子ちゃんは、クラブ活動やってる時間に学園の中を歩いたこと、あんまりないでしょう?」
「はい。帰るときはバスが混まないうちにって、走ってバス停に行ってましたから」
「混んでいても、みんなリリアンの生徒だから、痴漢は出ないと思うけど」
「混んだバスが嫌いなんです」
 志摩子さんと仏像が好きというのは知っているけれど、乃梨子ちゃんが何かを嫌いというのは珍しい。
「このごろは、私たちが帰るときのバスも混んでますよね」
「うん。みんな学園祭の準備で残ってるからね」
「クラス展示の準備なんでしょうけど、一度に乗れるのかなってくらいバス停にいることがありますよね」
 そんなことから始まって、去年の一年桃組のクラス展示のことや今年の一年椿組のクラス展示のことを話しながら歩いた。いわゆる世間話だ。話の続きで、乃梨子ちゃんが瞳子ちゃんのようすを話してくれた。
「このごろの瞳子は、からかい甲斐があるんですよ」
「乃梨子ちゃんが、瞳子ちゃんをからかってるの?」
「はい」
 なんだかうれしそうな声で答えが返ってきた。
「演劇部の劇に復帰したことをちょっと冷やかしたら、といっても仄めかしただけなんですけどね。瞳子ったら、照れちゃって照れちゃって」
 照れてる瞳子ちゃんか――。すぐに想像できなかった。
「瞳子ちゃんが照れてるところって想像つかないんだけど、どうなるの?」
「ツンツンするんです。瞳子って、照れると怒ったみたいに見えるんですよ」
「怒ったみたいに?」
 ふーん。
 怒ったみたいなところは、すぐに想像できた。何度も見ているからかな。
「……じゃあ、あのときも照れていたのかな?」
「え、いつですか?」
「体育祭のとき、午後の部の前にフォークダンスがあったでしょう。そのときに男性役の列に瞳子ちゃんがいて、一緒に踊ったんだけどね」
「はい」
「あ、その前に可南子ちゃんがいたの。それで、そのときも瞳子ちゃんはなんだか怒ってるみたいだったの」
「ああ、なるほど」
「わかる?」
「男性役の方の列に入ったはいいけれど、目の前に可南子さんがいたと」
「うん」
「そして、自分より先に祐巳さまと可南子さんが踊っていたと」
「うん」
「それで、瞳子は怒ってるみたいだったと」
「うん」
「それは……」
「それは?」
「瞳子は怒ってたんですね」
「えーーーーっ!? じゃっ、じゃっ、じゃあ――」
「嘘です」
「もーーーっ! 驚いた」
「すみません。まあ、そのときにどんなお話をされたかは知りませんが、そのシチュエーションでは、瞳子は照れてたとしか思えません」
 そう断言されても、あのときどんな話をしたかはもう忘れている。人数があわないから、とか何とか言ってたような気がするだけだ。
 それを言うと、乃梨子ちゃんは口に手を当てて大声で笑うのをこらえるような仕草をした。ちょっと息が荒くなったから、本当に笑いたかったのかもしれない。
「ほんと、瞳子ってかわいいとこありますね」
「乃梨子ちゃん、声が笑ってるよ」
「うっふっふ。想像するとおかしくて」
「何を?」
「祐巳さまと瞳子がフォークダンスしてて、瞳子がツンツンして照れてるところを想像すると……」
「想像すると?」
「祐巳さまがいる列に入ってしまうと、絶対に一緒に踊れないですよね。タイミングを見計らってたんでしょうね。可南子さんに先をこされたと思ってたかもしれませんよね。それでも、祐巳さまと踊れる列に滑り込むように混ざっていく瞳子を……その縦ロールがピョコピョコしてるところを想像したら、もう……」
 書類を入れた紙袋を持ち上げて顔を隠すようにしたのは、笑い声が漏れないようにしているつもりなんだろうけど、クッ、クッ、クッと苦しそうな笑い声が聞こえてくる。
「乃梨子ちゃん、笑いすぎ」
「あー、すみません」
「あとね、修学旅行のおみやげ渡すときもそうだったような気がするわ」
「瞳子におみやげですか?」
「うん。あ、もちろん可南子ちゃんにもあげたわよ。二人に渡すとき、ブスッとしてたからあれもそうだったのかな。今思うと耳が赤かったから、照れてたのかもしれない」
「絶対そうですね」
 笑いが収まらない声で乃梨子ちゃんが答えるので、こっちまで笑いそうになってしまう。
「由乃さんだったら、照れたときは普段以上に乱暴になるから、それはそれで分かりやすいんだけどな。ものや人をっていうか、令さまをバンバンたたくから」
「黄薔薇さまはたいへんですよね」
「ほんと。でも剣道で鍛えてるからだいじょうぶよ。きっと」
「由乃さまにたたかれても大丈夫なように鍛えたんじゃないんでしょうけど……体は鍛えておくものですね」
「そのとおりね。そういえば、お姉さまも照れるとそうだわ。怒ったみたいに見えるの」
「ああ、分かります。二人はなんだか似てますよね。瞳子は、わたしだったらムッとするようなときでも、澄ましてたりしてますからね。紅薔薇さまもそんな感じがします。実際はどうなんですか?」
「あー、似てる。もう、ほんとにそっくりだわ」
 それを聞いて、乃梨子ちゃんが大きく頷いたような気がした。
「祐巳さまはそのままですもんね」
「えーっ? それって、ほめてる?」
「そうです。思ってることがそのまま伝わるからいいんです」
 何かを宣言するみたいに言うんで、それがなんだかおかしかった。
 笑おうとしたら、すうっと気持ちいい風が吹いてきた。秋風なんだけど冷たくなくて、さわやかな風。そんな風が吹く道を世間話をしながら歩くのって、気持ちいい。

「乃梨子ちゃんはあんまり変わらないよね。いつも落ち着いてるっていうか」
「私だって照れることはありますよ」
「そうかなあ」
 乃梨子ちゃんが照れてるところ。乃梨子ちゃんが照れてるところ……。
 思い出そうとしても、いつもクールな乃梨子ちゃんしか浮かんでこない。ふつうなら照れちゃうようなときの乃梨子ちゃんは……。
 そういう場面の乃梨子ちゃんは全部志摩子さんと一緒だ。
 ピンと来たのがうれしくて、ちょっと大きな声になった。
「わかった! 乃梨子ちゃんは志摩子さんがいると照れるんだー。志摩子さんのことだと照れるんだ」
「ちょっ、祐巳さま。声が大きいです」
 立ち止まった乃梨子ちゃんは、祐巳の口をあわててふさごうとするまねをした。
「あははー、ごめん。でも、分かっちゃった。乃梨子ちゃんは志摩子さんといると照れるんだ」
 声はちょっと小さくしたけど、からかうつもりじゃなくて、 当たりだったのがうれしくてぴょんと跳ねてしまった。乃梨子ちゃんは「まったく、もう」って顔してた。
「祐巳さまだって、紅薔薇さまがいると照れるどころか、デレ期しかないギャルゲーのヒロインみたいにデレデレじゃないですか。まわりが恥ずかしいくらいにデレちゃってますよ」
 乃梨子ちゃんに早口で言われて、ほめられてるような気はするけれど、何を言われたのか分からない。『デレ期』とか『ぎゃるげーのヒロイン』とか。多分、『デレ』というのは『照れ』の比較級か最上級なんだろう。『ヒロイン』はわかる。『ぎゃるげー』は、祐麒が『ぎゃるげー原作のアニメ』と言ってたことがあるから、聞いたことはある。けど、意味まではわからない。帰ったら聞いてみることにしよう。
「えー、そっかなあ?」
 分からないことは置いておいて、とりあえずそう言ってみた。
 すると、乃梨子ちゃんは、さっきとは打って変わって重々しい感じで言った。
「そうですよ。私たちはそれでいいんです」
 目的地に着くのとほぼ同時に、世間話に結論らしきものがでた。
 私たちはこれでいい、と。


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