打ち上げ旅行【No:3082】【No:3083】【No:3088】【No:3108】【これ】【No:3152】【No:3165】(完結)
全員で移動したのは別館にある卓球場だった。
温泉宿が変わった時に無理だろうと思っていた者も多かったが、スタッフより卓球場を抑えるのに成功したと告げられた時は大いに盛り上がった。
──カコーン カコーン
ほとんどが初心者で、空振りしたり、明後日の方向に球を飛ばしたりしながら交互にプレーする。
「二人とも、手加減は無用よ」
不敵な笑みで由乃が対戦相手の志摩子と乃梨子に告げる。隣で祐巳が困ったように向こうの方を見る。
「あの、全然手加減してませんけど」
──カコーン
由乃のサーブは乃梨子の頭上を越えて飛んで行った。
「今の、なぜ打たない?」
「あの、せめて私たちの前に打ってください」
由乃の言葉に乃梨子が突っ込みで返す。
この四人の番になって由乃のサーブからという事にしたのだが、一度も白薔薇姉妹の前に球が飛んでこないのだ。
「由乃さん、替わりましょうか?」
志摩子が見かねて申し出る。
「結構よ」
不機嫌そうに由乃が答える。
──カコーン
由乃のサーブは天井に当たった。
目の前に落ちて来ればなんとかラケットに当てて返そう、と乃梨子は球を見つめて構えていた。
──コツン!
天井に当たった球は隣でプレーしていた祥子の脳天を直撃した。
運悪く、H先生の球をとらえた瞬間で、全く対応できずに、びっくりして頭を押さえながらあたりを見回している。
正面で見ていた江利子が爆笑し、隣のK先生も笑いをかみ殺している。
「ごめんなさいっ!」
由乃は素直に詫びる。
「別に大した事はないから気にする事はないわ」
そう言って祥子は許したのだが、隣の台のメンバーは、祐巳、聖、蓉子、瞳子に代わってしまった。
──カコーン カコーン カコーン……
慣れない卓球のダブルスに戸惑いながらなんとかラリーを続ける四人。
蓉子と瞳子の微妙なあたりに飛んできた球を打ち返そうと蓉子はラケットを持つ手を伸ばす。
──パフン
蓉子が捕らえたのは、入浴後に巻きなおした瞳子の縦ロールだった。
「ああ! ごめんなさいっ! 大丈夫? 怪我はない? 痛かったでしょう?」
蓉子は瞳子に謝りながら心配そうに聞く。
「大丈夫です。髪の毛に当たっただけですから。お気になさらずに」
その瞬間、聖が祐巳にしか聞こえない声で「さすが盾ロールだ」と呟き、祐巳が「そ、それは……」と慌てる。
当の瞳子は本当に縦ロール以外に被害がなかったようで、逆に蓉子を気遣う余裕すら見せている。
一方、隣の台では。
こちらもメンバーチェンジして、志摩子、菜々、令、乃梨子が打ちあっている。
──カコーン カコーン カコーン……
先ほどとは違って目の前にちゃんと球が飛んでくるので白薔薇姉妹も楽しそうに打ち返している。
その様子を交代して休んでいた江利子と由乃が見ていた。
「……あれ、巻きなおしますよね?」
「当然でしょう」
視線の先は気になって仕方がない縦ロールである。
「何の話をしてるんですか」
隣で休んでいた祥子が言う。
「わからない?」
江利子が視線を動かさないでそのまま聞く。
「大体はわかりますけど」
呆れたように祥子が言う。
「あんなものが珍しいんですか?」
祥子が逆に聞いてくる。
「あんなものって言ったわね。じゃあ、あなたはあれがいかにして形成されその形状を保持しているか知っているわけ?」
江利子が質問する。
「ええ。もちろん」
祥子はそう答えた。
そこで初めて江利子は祥子の方を振り向いた。
同じタイミングで由乃も祥子の顔を見る。
「な、なんですか?」
「その証拠をぜひとも見せてほしいものだわ」
江利子は表情を輝かせて言う。
「自分では上手くできませんが……どなたかヘアモデルがいればすぐにでも実演できます」
そっと逃げようとした由乃の浴衣の袖を江利子の手がしっかりと捕まえた。
「モデルですって、由乃ちゃん」
由乃は、やめろ、皆まで言うな。というように江利子を睨みつけるが、江利子は涼しい顔をしていう。
「今すぐモデルになってくれる奇特な人を連れてこないと」
あのドリルヘアにするためにはある程度の髪の長さが必要である。
現在のメンバーで条件を満たしている髪の長さの者は、瞳子(本人)、祥子(実演するためNG)、志摩子、そして由乃である。
由乃自身がモデルになることを避けるには、瞳子か志摩子を捕まえて説得するしかない。
瞳子なら理想的だが、あいにく卓球台の方で盛り上がっている。
申し訳ないが志摩子を、と思って卓球台の方を見ると、令たちとプレーしていたハズの白薔薇姉妹がいなくなっていて、両先生が令たちとプレーしている。
「あれ、志摩子さんは……」
「志摩子なら、さっき乃梨子ちゃんと一緒に抜けたよ。それより、交代しない?」
聖がラケットを差し出してくる。
声を出さず唇だけで由乃は「いつの間に」とつぶやいた。
「ああ、ごめんなさい。そろそろ時間ですって」
スタッフから伝え聞いて蓉子が全員に声をかける。
「お姉さま、思ったより汗をかいたのでもう一度お風呂に行きませんか?」
祐巳が聞いてくる。
「私は今はいいわ。遠慮しないで二人でいってきていいのよ」
そう言って祥子が祐巳と瞳子に微笑みかける。
赤くなった瞳子を祐巳が連行していった。
「お姉さま、汗かいちゃったので今度は露天風呂に行きませんか?」
菜々が由乃を誘う。
「そ、それはいい考えね」
「そうね。お風呂上りにやりましょう」
江利子は由乃にウィンクした。
由乃、このままの流れで瞳子か志摩子を捕まえなくてはドリル確定である。
その志摩子は、乃梨子の手を引いて廊下を歩いていた。
天気が回復し露天風呂が解放され、別館に向かってくる宿泊客とたくさんすれ違った。露天風呂は混んで大変だろうから、と二人は支度をして大浴場に向かった。
思った通り、大浴場の方は時間の割には比較的空いていて、今はゆったりと湯船につかっていた。
「濁り湯って中が見えないから気を使うわね」
うっかり乃梨子の手を踏みそうになった志摩子が言う。
「そう? 見えないから気を使わなくていいと思うけど?」
乃梨子が答えて笑う。
浴槽は窓に面していて、外からは見えないのだが、中からは景色がよく見える。
月が出ていて、一面の銀世界を明るく照らしていた。
それは幻想的な世界だった。
ぼんやりと二人は湯船につかってそれを眺めていた。
「私さ」
ポツリ、と乃梨子が話し始めた。
「京都に行って、雪に降られて帰れなくなった時ね、『雪なんか大っ嫌いだ』って思った『二度と雪なんて見たくない』って」
志摩子は静かに聞いている。
「でも、あれから一年ちょっと経って、こうして雪を見ても『嫌い』とか『見たくない』なんて思わなくて。自分がこうやってに静かに雪を見ていられるようになるなんて思わなかった」
外を眺めながら乃梨子はそう言って、続ける。
「今日も雪で予定が変わったでしょう? 一年前の私だったら、きっとイライラしたり、思い出してズン、と落ち込んだりしたと思う」
乃梨子は志摩子の方を見た。
志摩子は乃梨子の方を見て微笑んでいた。
「今日、もの凄く楽しかった。こんなに雪が降って全然予定どおりじゃないのに本当に。三月に行った遊園地も楽しかったけど、今日も本当に楽しい」
乃梨子が笑った。
「私も。楽しいわね」
志摩子も笑った。
「人って、変れるんだね」
「ええ」
乃梨子の言葉に志摩子が頷く。
「リリアンに入って、みんなに出会えてよかった。志摩子さんに出会えてよかった」
乃梨子は言った。
「私も乃梨子に出会えて本当によかったとよく思うわ」
志摩子が満面の笑みでこたえた。
二人で笑い合っていると、こそこそと声が聞こえてきた。
「ちょ、ちょっと、近いってば」「ここは公共の場ですし、これくらいの距離は普通ですって」「だって、二人の世界だよ。白薔薇が咲き乱れてるんだよ」「まあ、白薔薇を公共の場に撒き散らしてるなら環境整備しなくては」「あっちに行こうよ。目のやり場に困るでしょう?」「ここは女湯です。ご安心ください」「ある意味裸よりマズイって」「お姉さま、実は祐麒さんが化けてるんですか?」「そんなわけないでしょう」……
「何やってるんですか? 二人とも」
乃梨子が見かねて声をかけた。
「うわっ!」
白薔薇姉妹の予想通り、祐巳はびっくりしてのけぞる。
「祐巳さん、後ろの小母さまにぶつかるわ」
「ご、ごめんなさい」
祐巳がオロオロするのを見て白薔薇姉妹と瞳子は笑う。
「別に、祐巳さまに聞かせるための会話ではありませんが、二人だけで話したい事があれば、誰も来ないところで二人きりで話しますから、大丈夫ですよ」
「そうよ。それに見られて困るような事にはなっていないから安心して」
何をどう安心しろというのだ志摩子さん、というように祐巳は志摩子を見る。
「お姉さまのように、祐麒さんが化けたりしてないという事ですね」
瞳子が冗談を言う。
「なんと、祐麒くんが化けているかもしれないと? それは大変」
後ろから現れたのは聖だった。
「せ、聖さま!? どどどどど」
「そりゃあ、ここが女湯だから」
惚けて聖が答える。
「まあ、あれだけ汗をかいたら普通はお風呂に入るでしょう」
横から声がして、見ると蓉子がすましている。
「と、いうわけで、今から祐麒くんかどうか調べちゃおうかな」
手をわきわきさせて聖が言う。
「な、何をっ!?」
祐巳が仰天して後ずさる。
「先生、お願いします」
瞳子がまるで難病の手術の執刀医にお願いするかのように言う。
「先生、助手は必要でしょうか?」
乃梨子が乗る。
「では、助手のチェックから」
くるり、と聖は方向転換する。
「なんでそうなるんですか?」
乃梨子が思わぬ攻撃に反論する。
「先生、そっちもお願いします」
瞳子はノリノリで演技する。
キャアキャアと大浴場に悲鳴が響く。
「他のお客さまもいらっしゃるのだから、静かにしなさい! 聖、年上のあなたが中心になって暴れてどうするのっ!」
蓉子が注意する。
その様子を見ながら志摩子は、幸せそうに苦笑していた。
江利子の最大の関心「ドリル問題」は次回決着か?
続く
→【No:3152】