【3132】 文化祭なんかどうでもよくて  (RS 2010-02-06 00:21:17)




「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 二学期最初の日の薔薇の館。
 夏休みの後半は、ほとんど毎日薔薇の館で顔を合わせていたから、二学期が始まったからといって久しぶりな感じはまったくしない。
 クラスメイトとは、「ごきげんよう。お久しぶりね」とか、「ごきげんよう。夏休みの間はどうしてたの?」とか、「ごきげんよう。どこか行った?」などが二学期最初のあいさつだったけれど、薔薇の館の面々にはいつもどおりのあいさつがあるだけだ。

 メンバーがそろい、麦茶や紅茶が行き渡り、さて前回の続きをという前に、行事の予定について再確認があった。
 花寺学院の文化祭の対応だ。
 むこうでの出番がどんなものであれ、三人の薔薇さまがそろって花寺学院に行くのはずっと続いている慣例なのだ。その手伝いとしてつぼみが同行するのも当然のことなので、その件は当日の集合場所を確認する程度であっさりと済んでしまった。

「花寺にはこの六人で行けばいいけれど、そのあと学園祭まで人手不足だわ」
 志摩子のボヤキのような発言をうけて、祐巳もわざとついた溜め息にのせて同意する。
「劇の台本は瞳子がチェックしてくれてるけど、どうやっても人手が足りないわよね」
「この間言っていた一人二役にしても、やっぱり無理なの?」
 由乃の質問には、脚本を含めて劇の主要な部分を担当している瞳子が答える。
「無理です。台詞を変えたり順番を動かしたりしても、劇に出演する人数は、八人は必要です。音響や照明のような上演中の裏方を抜きにしてです。そのうえ、脚本を大幅に変更でもしない限り、男性の出番はありません」
「同時に舞台にいる人数を減らしたらどうにかならない?」
「そうすると、シーンを今より小分けにすることになるんですけど、その数が増えると上演予定時間では足りなくなります。もう一つ。衣装を替える時間がとれなくなるでしょうから、ラストの場面がきちんとしたものになるかどうか……」
「要になる出演者は全部女性ってことにしちゃったもんね。ということは――」
 話そうとした祐巳にかぶせるように由乃が言った。
「最低でも二人は出演者を用意しないと、劇はできないというわけね?」
「はい、そうです」
 瞳子が言うと、由乃の目が光ったようだ。
「花寺の助っ人に女装させれば、人数はなんとかなるんじゃないの?」
「非公式に打診してみたところ、花寺からはかなり強硬に断られました。女装する、裸体になる、社交ダンスを踊る、については協力致しかねるということです」
「なによそれ。まったく、根性無いわね。だいたい、去年は全員女装してるじゃない。一昨年だって、自分たちのところでは『ミス花寺』なんてやってたのよ。今年は、女装で全裸の社交ダンスしたっていいくらいだわ」
 花寺の生徒会役員による『女装で全裸の社交ダンス』をちょっと想像した祐巳があわてたように頭を振った。
「由乃さん、そもそも、全裸は無理だよ。こっちがなるんならまだしも」
「えっ! 祐巳さん、全裸になりたいの?」
「そんなわけないでしょ。全裸だったら自分がなるより、見るほうがいいに決まってるじゃない」
「あのー、去年のとりかえばや物語の女装を見て、今年は絶対にしないと言っているようでした。ね、瞳子」
 全裸問題には深入りしたくないらしく、話を進めようとする乃梨子に瞳子も同調する。
「非公式な話ではあっても、これは譲れないという気持ちが伝わってきましたから、女装の線は難しそうでした」
「去年は、主役が男女入れ替わってるお話で、男装と女装してたから。客席で大笑いして見てたけど、冷静になって、いざ自分がやると思ったら……というところかしら」
「由乃さんの予想が当たってると思う」
「でも、こっちが人手が足りなくて困ってるんだから、一肌脱ごうとか全部脱ごうとかっていう気持ちにならないのかしらね」
「お姉さまが、そんなに花寺の方の全裸が見たいなんて知りませんでした」
「あのねえ、菜々。冗談に決まってるじゃない。私がそんなもの見たいわけないでしょう。祐巳さんは、男性のでなければ見たいようだけど」
 いつものように、菜々の突っ込みを軽くさばいて由乃が続ける。
「ねえ、祐巳さん。祐麒くんか柏木さんを通じて、今年の生徒会に言ってもらうっていうのはどうかしら?」
 祐巳が答える前に、瞳子が補足した。
「女装、裸体、社交ダンスはリリアンだからこそ、協力しないということのようです」
「どういうこと?」
「花寺の中だけのことであれば、女装をすることもよくあるそうですし、男同士であれば半裸でも全裸でもかまわない、というようなことを言っていました。社交ダンスだって、できないもの同士で騒ぐ分にはかまわないようなんですが……」
 そこまで言って、ちらりと祐巳を見る。
 瞳子の視線を感じた祐巳は、頭に浮かんでいた『ミス花寺』を急いで打ち消した。
「男同士の仲間内でならできることも、リリアンに来て、女装や半裸姿や社交ダンスは勘弁して欲しいということみたいね。で、祐麒や柏木さんには先手を打って了解してもらってるみたい。だから、そっちから攻めて女装させるのは無理みたいよ」
「まあ、身内だからできるってことはあるか……。隠し芸だと思えば無理ないかも」
 由乃が一応納得したようすで話を続ける。
「花寺の方の出番は台本をなんとかするにしても、結局、リリアンの中で助っ人を手配しなくちゃならないってわけね」
 さっきまで花寺の方を向いていた由乃の矛先が、今度はつぼみに向いているのを感じながら、志摩子が誰に言うともなく口を開いた。
「この時期になっても一年生が菜々ちゃんだけ、というのも問題なのかもしれないわね」
 由乃は二年生の方を向いた。
「二人には春に言っておいたわよね。早く妹をつくれって。それは、どうなったの?」
 瞳子と乃梨子は顔を見合わせ、二人揃って小さくため息をついてから、瞳子が答えた。
「どう、と言われましても、まだ妹はおりません」
「春から今まで、妹はできなかったということね?」
「はい」
「今年は、一学期中に成立した姉妹も多いと聞いているわ。ということは、ますます競争は厳しくなっているということよ」
 再び瞳子と乃梨子は顔を見合わせる。
「妹は、競争して持つものではないと思うのですが……」
「なに言ってるのよ。早いほうがいいに決まってるじゃない。春だったらよりどりみどりだったのに、一学期が過ぎて夏休みも終わったってことは、もう選べる人数だって半分以下よ、きっと」
 自分のことはすっかり棚に上げている由乃に、祐巳がちょっとだけ困ったなという顔をした。
「由乃さん。ほら、妹は三年生になってからでも遅くないんだし、微妙な問題なんだからあんまりそんなふうに言うのは……ね?」
「――あ、そうね。まあ、なんだ。つぼみの妹は無理でも、純粋にお手伝いさんならなんとかならないかしら」
 どうにか軌道修正はできたかなと思いながら、祐巳が確かめるように由乃に向かって話し始める。
「三年生に手伝え、っていうのはまず無理よね。進学にしてもなんにしても、進路のことで大変な時期のはずだから。二年生はクラブや委員会でも中心だし、クラブに入っていない人は、それなりに理由があってのことだとろうから、やっぱり難しい。となると、一年生で、クラブに入っていてもいなくても、期間限定でいいから時間の都合がつけられる人っていうことになるかな」
 由乃も祐巳も、二年生に聞かせるつもりなのを隠すことを忘れたように話を進めていく。
「一年生だったら、心当たりを菜々に探してもらうこともできるけど、それでいいのかしら?」
「菜々ちゃんが間にはいって、何かあったときっていうか、トラブルにでもなったときに難しいことになると思うの。だから、菜々ちゃんは関わらない方がいいんじゃないかしら?」
 ちょっとだけ菜々の方を見た由乃が、これから考え事でもするかのように腕を組んだ。
「はじめからうまくいかない時のことを考えておくなんて、私の流儀じゃないけど、ここは祐巳さんの意見を尊重しましょ。でも、今更だけど、劇の出演者募集ってことでオーディションでもする?」
 由乃が、自分でも少しわざとらしかったかな、という表情で言った話を祐巳が引き取った。
「劇だけ出演してくれればいいんなら、それでもいいわよね。でも、劇のことだけだったら、演劇部から音響や照明だけじゃなくて、劇用に一年生をこちらにまわしてもらえばどうにかなるから、それはしなくてもいいと思うの。劇だけじゃないから難しいのよね」
「たしかにね。劇の出演者としてだけ来てもらうってわけじゃないもんね」
 そこにいた全員が、『だけ』のところにずいぶん力が入っているなと感じた。

 由乃に顔を向けて話していた祐巳が、つぼみたちの方に向き直った。
「お手伝いが必要な状況なのはこのとおりよ。妹がどうこうというのは置いておくとしても、二人にお手伝いに来てくれる人を見つけてほしいんだけど、どうかしら?」
「それは……お姉さまがそうおっしゃるなら」
 瞳子が、まず口を開いた。
「今のままでは、学園祭準備にも支障が出かねませんから」
「二学期は行事が続くけど、だいじょうぶ?」
「はい。体育祭が終わるころまでには連れてきたいと思います」
「ありがとう、瞳子。期待してるわ」
 祐巳が言うと、それまで聞き役に徹していたらしい志摩子が口を開いた。
「乃梨子も瞳子ちゃんに負けないでね」
「まるで、勝ち負けがあるみたいですね」
 乃梨子が表情を変えないままで言うと、志摩子からあまり抑揚のない声で答えが返ってきた。
「勝ち負けなんてないけれど、瞳子ちゃんが連れてきたのに、乃梨子が連れてこないということになったら、とても残念だわ」
「だいじょうぶです。瞳子には負けません」
 そう言って、乃梨子はわずかに表情を崩した。
「私も後れをとるつもりはないわ」
「二人がそんなふうに言うってことは、当てがあるみたいね」
 由乃が、ちょっと冷やかすように言った。
「そういうことなら、連れてきてからのお楽しみということで、どこの誰かなんて今は聞かないでおきましょ」
「はい。頼んでも断られる可能性がゼロというわけではありませんし……」
 ちょっと考えてから瞳子が続ける。
「話が固まるまでは、あまり表だったことにしたくないと思いますので、このことについて何か動きがあっても、薔薇さまがたはご存じないということにしていただけないでしょうか?」
「あら、さっきはあんなこと言ったのに、自信がないの?」
「いえ、自信とは別問題です」
「じゃあ、やっぱりお手伝いさんのオーディションでもやる?」
 由乃の言葉に二人のつぼみからは同時に「いいえ」という答えが返ってきた。
 二人は顔を見合わせ、乃梨子が『どうぞ』というように、瞳子に向けて胸の前で手のひらを上にして小さく腕を動かし、瞳子が『分かった』と目でこたえた。
「さっきのお話のとおり、劇の出演者のオーディションだったら、たくさんの応募があると思います。でも、劇に出るだけの人なら、演劇部に協力してもらう方が確実です。今ほしいのは、単に劇に出演してくれる人ではなくて、劇にも出てくれる助っ人です。それも、学園祭が終わるまでの期間限定で」
 瞳子は、一息つくように紅茶を飲み干して続けた。
「つぼみが直接一年生から探すとなれば、妹候補と絡める動きはきっと出てきます。でも、そういう含みは抜きにして、学園祭の成功のために助っ人を探してくるつもりです。ですから、新聞部あたりが記事にするにしても、薔薇さまがたも公認などという記事にならないようにしたいと思いますので、その点は御了解いただきたいんです」
 瞳子の話を聞きながら、祐巳は思い出していた。
 去年の体育祭のあと、学園祭の準備が本格的になった頃には、瞳子と可南子が助っ人として薔薇の館に出入りしていたことを。
 その前の年は、祐巳自身が、当時の薔薇さまがたと紅薔薇のつぼみであった祥子さまの賭けに巻き込まれた形で、助っ人として劇に参加した。
 この時期に、助っ人が薔薇の館に来るのはお約束なのだろうか。
 瞳子の話は続いている。
「お手伝いが決まってからならば、あくまでも助っ人だと言って押し通すことができると思います。『妹になるかもしれない』というのは、言う人の勝手ですから、それも放っておけばいいと思います。でも、妙な記事のせいで『妹になるんだろう。妹になるに違いない』と周囲に見られていて、妹にならなかったときのことを考えると、この点については、いくら注意しておいてもしすぎるということはないと思います」
 祐巳は、話を続けている瞳子も自分と同じように、去年の学園祭時期のことを思い出しているに違いないと思った。
「わかったわ。二人が一年生と一緒にいるところや話しているところを見られて、新聞部から取材があったら、つぼみたちはあくまでも助っ人を探しているのであって、つぼみ自ら助っ人探しをしなければならないほど、薔薇の館の人手不足はきわめて深刻かつ切実な状況にある、とでも言ってあげるわよ」
 由乃が言うと、瞳子も乃梨子もホッとした表情を見せた。
 黄薔薇さまがそういう対応をできるなら、ほかの二人の薔薇さまに遺漏のあるはずもない。一年生と話しているところを見られても、表面的には助っ人探しということで話は終わるだろう。
「それと、菜々の方にも一年生の誰々がつぼみと二人で話していたとか、なんとかでいろいろ聞いてくる人がいるかもしれないから、そのときは、知らぬ存ぜぬで通すのよ」
「はい」
 菜々が二年生のつぼみの方を向く。
「一年生のことで、わたしが動いた方がいいことがあったら言ってください。興信所みたいにはいきませんけど、調べられることは調べますから」
「菜々ちゃんに探偵役を振るつもりはないわよ。もっと別なときに出番があるでしょうから」
 瞳子が笑いながら言う。
「お相手のことは、もうかなりご存知なんですか?」
 二年生の二人と接点があったかもしれない一年生のことを思い浮かべていた菜々は、ちょっと驚いたように言った。姉から言われていたこともあって、そういう情報には気をつけていたつもりだから、自分のアンテナに全く引っかかっていないことが不思議だった。
 乃梨子は、二人の顔を見比べるようにしている菜々の方を向くと、薔薇さまたちにも分かるように笑顔を見せた。
「全部これからのことだから、菜々ちゃんには探偵役じゃなくても協力してもらうことがあると思うわ。そのときはよろしくね」
 答えになっていない答えで、この話は終わりになった。

 三人の薔薇さまは、春からの宿題に取りかかった手応えを感じていた。打てる手は打っておこうというのは三人で決めたことだ。考え出せばキリがないけれど、会議の席でこうなったからには、事態は動き出す。
 由乃は、未来の菜々の隣にいるであろうつぼみの妹たちのまだ見ぬ姿を想像してみた。その姿はおぼろげで、はっきりした像を結ばなかったけれど、それも無理のないことだと思った。
 祐巳は瞳子を見ていた。憶えてはいないけれど、きっと、祥子さまもこんなふうに自分を見ていたことがあるのだろうと思った。妹がいつか妹を……。いや、二学期になったばかりだというのに、気が早すぎる。それとも、もう二学期になったのに、なのだろうか。
 志摩子は、二人のつぼみが一年生をお手伝いに連れてくると言ったからには、必ずそうするだろうと思った。それはまちがいない。ただ、二人がそのことをどう受け止めているのか量りきれないでいた。
 菜々は、今日の薔薇さまたちの気の遣い方を新鮮に感じた。腫れ物に触るよう、と言ってもいいかもしれない。しかし、それもつぼみの妹に関わることだけに無理もないと思った。自分にとっても、近いうちにここで一緒に仕事をする同級生のことは気になることだから。そして、その同級生が、そのままここに席を占めることになるのかどうかも……。


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