【3137】 ロザリオ由乃捕物帖にゃんこの手  (bqex 2010-02-24 23:41:42)


 薔薇の館。
 由乃は学園祭の脚本をチェックしていた。
 まだ一学期だが、今日は薔薇さま三人で今年の学園祭で使う脚本を決める予定になっていたのだ。部活や委員会をやっているメンバーが多いので早めに進めようと、そう決まった。幸い、花寺学院の生徒会の顔触れは祐巳さんが祐麒さんに聞いてきたので大体把握でき、かなり細部まで進められた。
 由乃は好きな時代小説でいきたいと考え、そのために脚本を書き下ろした。しかし、どうしても納得いく出来にはならない。
 その時、扉がノックされ、「失礼します」と言って入ってきたのは漫画研究部の水奏さんだった。

「提出の書類、今日までだったわよね」

「あら、教室で渡してくれても良かったのに」

 そういう二人はクラスメイトだった。
 水奏さんはふふ、と笑う。掃除の後慌てて書いていたのだろう。

「あら、それは?」

 水奏さんが由乃の手にしていたノートを見つける。

「これ? 学園祭で使う舞台劇の脚本の候補の一つよ」

「見せてもらうわけには……いかないわよね」

 ダメ元、というように水奏さんは言った後、自分で否定した。

「……水奏さんって、漫画描いたりするくらいだから、ストーリーとか作るの得意よね?」

「得意というか、慣れてるというか」

「じゃあさ、ちょっとチェックしてくれない?」

「え!? いいの?」

「うん。実はちょっと物足りない感じがしてて。いろいろな意見を聞こうと思ってて」

 どれ、と水奏さんはノートを受け取り、一通り読んだ。

「うーん、あくまで個人的な意見だけど、『にゃんこの手』っていうのがご禁制の薬で、老中水野を陥れようとする南町奉行鳥居の仕業ってわかるまでが少しはしょりすぎかしら。ミスリードと思わせて実はオチへの伏線っていうのは素晴らしいから、そこをうまく処理すれば面白くなると思う」

 水奏さんは問題のページを開いて指摘する。

「あ〜、やっぱりそこか。その辺が実は長くなりすぎて切ったのよ。じゃあ、いくつかやり取りを復活させて、時間内に収まるように頑張ってみるわ。ありがとう。ごめんなさいね。忙しいのにつき合わせてしまって」

「いいのよ。私も面白かったし。じゃあ」

 水奏さんはそう言うとクラブハウスに戻っていった。
 由乃は早速昨日カットした台詞や描写をいくつか書き足す。

「あ、いたいた」

 そう言って入ってきたのは祐巳さんだった。

「何?」

「さっき、ちさとさんが呼びに来てたわよ。何か打ち合わせがあるんじゃないの?」

「あ、いけない」

 由乃は扉を開けて武道館に向かった。

 ◆◇◆

 由乃さんが扉を開けて出て行った。残された祐巳はお茶を入れて席に着く。
 机の上には由乃の書いてきた脚本が書かれたノートがあった。

「なになに『ロザリオ由乃捕物帳 にゃんこの手』……由乃さん、自分で主演する気なの?」

 三年生は忙しいので出演は控えるという暗黙の了解があったはずなのに、と思いながら祐巳はページをめくった。
 内容は、由乃親分が子分の菜々と一緒に南町奉行鳥居の悪行を暴くという捕物帳にありがちなストーリーだった。

「水野、鳥居って……歴史上の人物まで出すんだ……あれ? 瞳子の出番これだけ?」

 祐巳は不満だった。
 瞳子は演劇部を背負い立つ女優で、本人は演劇部も山百合会の劇もメインをやる気でいるだろうし、忙しいからと気を使って端役なんかにしたらプライドが傷つくだろうと思った祐巳も山百合会の劇でも主役級をさせるつもりでいたのだった。

「うーん……そうだ。瞳子の出番増やしちゃおうっと。なんか、書きたしてあるから、筆跡をまねれば気付かれないよね。これなら私の脚本が採用されなくても、大丈夫でしょう」

 祐巳は瞳子の役を貧乏御家人の三男坊のふりをする正体は将軍というどこかで聞いたようなキャラクターに勝手に書き換えた。
 作業が終わった直後にぽん、と祐巳の肩を叩くものがいた。

「うわあっ!」

 不意に声をかけられ祐巳は思わず声をあげた。

「な、何!?」

 声をかけた相手、蔦子さんはびっくりして扉の所から覗いていた。

「『何?』はこっちの台詞よ。祐巳さんってば、さっきから声をかけても全然反応しないし」

「ご、ごめんなさい。集中してたもので」

「まったくもう。それより、頼まれてた山百合会の写真の打ち合わせで部室の方に来てもらう必要があるのだけど、いいかしら?」

「ああ、今行くわ」

 祐巳は蔦子とともにクラブハウスに向かった。

 ◆◇◆

 志摩子が薔薇の館に到着すると、誰もいなかった。

「あら、みんなどうしたのかしら?」

 テーブルには飲みかけの紅茶の入ったカップが置いてあった。
 一度ここに来たが、何らかの用で外しているという事だろう。
 志摩子は自分のお茶を入れようとして、誰かが階段を上がってくるのを聞いた。
 扉を開いたのは演劇部の典さんだった。

「今日提出の書類を持ってきたの。あと、ちょっと相談があって」

「どうぞ」

 志摩子は典さんにもお茶を出して席に着いた。

「ありがとう。実は来週の全国大会の予選のためにセットを組んで稽古していたら一部不具合があって。作り直そうかとも思ったのだけど、もしかしたら昔山百合会が使ったセットが残ってないかとも思って」

「どんなセットかしら?」

「西洋風の宮殿のセットよ。おととしの学園祭で使ってたから。でも、処分してしまったわよね?」

「いえ、今年の劇の内容によっては使いまわそうかとも思っていたから、捨ててはいないはずよ。ただ、どこにしまったかしら……ちょっと待っててくださる?」

「手伝いましょうか?」

「いいえ。見てくるだけだから大丈夫よ。取り出す時は人手が必要かもしれないけれど」

 そう言って志摩子は階下の部屋に入っていった。
 典さんは始めは大人しく待っていたが、思ったより時間がかかっているらしく、暇を持て余しだした。
 そして、由乃の脚本の書かれたノートを見つけた。

「あら、これって……まあ、山百合会の劇の脚本かしら」

 他のものだったらそっと閉じたであろう。しかし、演劇人として脚本を見てしまうといけないとわかっていても手が勝手にページをめくる。

「何よ、これ。取ってつけたような瞳子ちゃんの出番。祐巳さんが、め組の頭? そして瞳子ちゃんと……いくら山百合会の劇がドタバタ学芸会レベルだからって、これは芸術的によくないわ。うん、嫉妬じゃないのよ、嫉妬じゃ。ここだけ浮いてるし……でも、ここを削ると瞳子ちゃんの後半の台詞が生きないから……そうだ、どうせ演劇部も協力するんだからここはこうして、こうして、こうやって……」

 典さんはこっそりといくつかの部分を手直しした。
 ギシギシと階段が鳴り、慌ててノートを閉じる。

「お待たせしてごめんなさい。セットはあったのだけど、希望に添えるものかどうか、ちょっと見てもらえるかしら?」

「ありがとう。今行くわ」

 志摩子は典さんの様子を疑うことなく下の部屋に案内しようと階段を下りた。
 一階でちょうど由乃さんと環さん、桂さんという珍しい組み合わせに出会った。

「さっき言ってた明日の授業の発表で変更があって。あの、今いいかな?」

 環さんは言う。

「あら、どうしようかしら?」

「どうしたの?」

 由乃さんが声をかけてくる。

「演劇部でおととしに使ったセットを借りたいって相談に来てて……由乃さん、お願いしていいかしら?」

「いいよ……どうぞ、典さん」

 由乃さんと典さんは一階の部屋に入っていった。

 ◆◇◆

 環と桂さんがテーブルに着くと志摩子さんがお茶を入れてくれた。
 クラスで決まったことを二人は説明してくれる。

「で、これが新しく用意したプリントよ。一応間違いがないかどうか確認してくれる?」

「ええ」

 志摩子さんはプリントをめくる。

「ええと……私はここの部分の担当になったのね」

「うん」

 三人は明日の授業について真剣に打ち合わせを続ける。
 階段を上ってくる音が聞こえた。

「ごきげんよう」

 現れたのは真美さんだった。

「あら、真美さん」

「志摩子さん。昼休みにお願いしてた件なんだけど……」

「いけない、失念していたわ。二人とも、ちょっと待ってていただける?」

「ええ」

 志摩子さんは真美さんとともにいなくなった。
 二人はなんとなく机の上にあったノートを広げた。

「何、これ?」

「『ロザリオ由乃捕物帳 にゃんこの手』? なんじゃこりゃ」

 二人はノートを読み始める。
 台本のような形式で書かれていた。

「これ、誰か書いてるのかな?」

「リレー小説かしら? いろんな人の筆跡がある」

「凄い内容ね。め組の頭の典さんと将軍の瞳子ちゃんのラブシーンって」

「水野、鳥居って先々代まで出るのね」

「それにしてもパンチが足りないわね」

「たしかに」

「いっそ、ここをこうしてこうしてこうしてやろうかしら?」

 環は適当に鉛筆でメモ書きする。

「あー、環さんずるい。自分だけ『仕事人』で出るなんて。どうせ小説なんだから、私だって山百合会のメンバーとご一緒したいわ」

「じゃあ、桂さんも仕事人仲間で……どうせなら、何人か知ってる人、出しちゃおうか」

「いいわね」

 二人とも、時期が時期なのでまさか山百合会の劇の脚本候補だとは思わずに適当な事を書きたす。
 その時扉が開いた。

「あら、珍しいわね」

 祐巳さんとちさとさんだったのだが、環と桂さんは慌てた。

「ええええと、志摩子さん、は?」

 挙動不審になりながら、桂さんは聞いた。

「さあ? 会わなかったけど?」

「あ、ああら、もうこんな時間。申し訳ないけれど、帰らなくては」

「そ、そうね! 志摩子さんには用事があるからお先に失礼するわって言っておいて」

 環と桂さんは逃げるように立ち去った。

 ◆◇◆

 二人きりになると、祐巳さんはカップを片付けて、お茶を入れてちさとに出してくれた。

「由乃さん、どこへ行ったのかしらね?」

「ここを出るときは心当たりがあるみたいだったんだけどね。途中で誰かに捕まってるのかもしれないけど、今日はここで三人で集まる予定だったから、待ってたら来るとは思う」

 祐巳さんはそう言った。
 そのとき、階下で何かが崩れるような音がした。

「え?」

「何だろう?」

 二人で階下の部屋に入ると派手に段ボール箱が崩れていた。

「あちゃ〜」

「手伝おうか?」

「いや、いいわ。私たちじゃないとわからないようなものばかりだし、もうすぐ誰か来ると思うから。ちさとさんは上で待っててくれる?」

 そう言われてちさとは上の会議室に戻った。
 机の上のノートがなんとなく目に入って、ちさとはそれを読み始める。

「誰よ? こんな小説書いちゃってる人は? ……げっ、いきなり典さんと瞳子ちゃんのラブシーン? 『ロザリオ由乃捕物帳 にゃんこの手』ってくらいだから時代劇よね? なんで二人がロミオとジュリエットなのかしら? ……ああっ! 令さまと由乃さんが夫婦になってる! 理解できるけど、納得は出来ないわ! ここをこうして……そうだ、折角だから令さまをもっと活躍させよう。蓉子さま、江利子さまは……出てるのね。じゃあ、ここは祥子さまと聖さまに登場してもらいましょう……」

 ちさとは更に書き加えた。
 ギシギシと階段を上ってくる音がしたので、ちさとはノートを閉じた。

「あれ、田沼部長?」

 顔を見せたのは菜々ちゃんだった。

「菜々ちゃんか。じゃあ、菜々ちゃんにお願いしておこうかしら」

 ちさとは部の連絡事項を菜々ちゃんに伝える。

「わかりました。必ず伝えておきます」

「じゃあね」

 立ち去ろうとして、ちさとは思い出した。

「あ、そういえば一階の部屋が大変なことになってて、祐巳さん一人で片づけてるみたいなんだけど」

「気づきませんでした。それは大変」

 菜々ちゃんはちさとを追いこして階段を駆け降りた。

 ◆◇◆

 真美は志摩子さんと一緒に再び薔薇の館を訪れた。

「ごめんなさいね。結局こちらに来てもらう事になって」

「ううん、こっちこそ、クラブハウスに呼び出したりして」

「あら、二人とも帰ったのかしら?」

 二階の会議室に入った時に志摩子さんが呟いた。
 そういえば、クラブハウスに来る前にお客さまがいたはずだった。

「誰もいないなんて、不用心ね」

「誰か、来たのーっ?」

 階下で声がした。祐巳さんの声だった。

「あら、どうしたのかしら? ちょっといいかしら」

 志摩子さんはそう言い残すと階段を下りて行った。
 真美は勝手知ったるなんとやらで席に着くと、何気なくノートを手に取った。

「『ロザリオ由乃捕物帳 にゃんこの手』……何かしら? あ、もしかして舞台劇の脚本かしら?」

 真美はこっそりとノートを読み始める。

「これは舞台劇の脚本じゃないみたいね。祥子さま、令さまの他に蓉子さま、江利子さま、聖さまもでてるし、関係ない人達もでてるし。……でも、どうしてこんなに出てるのに、どうしてお姉さまが出てないのかしら? 時代劇にかわら版売りが出るのは自然でしょうが。……これだけたくさんの人の字があるなら、ちょっとくらいいいわよね……」

 真美は辺りをうかがってからかわら版売りを登場させた。

「なんか、お姉さまの嫌なところが似てきちゃったかしら。あれ、ここ途中で切れてる。気になるからちゃんとつないで……ああ、ここもおかしい。ここをこうして……よし」

 階下が騒がしくなったので、真美は下に降りた。

 ◆◇◆

 瞳子が到着すると、真美さまが「ごきげんよう」と挨拶してクラブハウスに戻るところだった。
 由乃さまと典さまが運んできたセットは少しいたんでいたため修理が必要だったので時間がかかったが、なんとかなりそうだった。
 一階の部屋に全員が集合していた。

「どうしたんですか?」

「由乃さんがセットを運ぶ時にずらした段ボールが崩れちゃって」

「移動させた時は大丈夫だったのよ」

「それは、申し訳ありません」

 瞳子は原因が演劇部にあるのだからと頭を下げた。

「瞳子ちゃんが謝る事はないわよ」

 由乃さまが笑って言う。

「まあ、片付いたからいいじゃないですか」

 乃梨子の言葉で納まり、全員で上に向かった。
 瞳子は菜々ちゃんと一緒にお茶を入れて席に着く。

「誰よっ! こんな事したのはっ!!」

 突然由乃さまが叫んだ。

「ど、どうしたんですか?」

 びっくりして乃梨子が聞く。

「私が山百合会の劇にと思って用意してきた脚本に誰かいたずら書きした人がいるのよっ!」

 ドキッ! っと、お姉さまである祐巳さまが揺れた気がした。
 一体何をしたんですか。

「時代劇なのに、なんでロミオとジュリエットが出てるわけっ!」

(私はそこまで無茶してない……)

 小声で祐巳さまが呟いたのが瞳子には聞こえた。

「しかも、なんで卒業した祥子さまや令ちゃんが出てるのよ〜」

(それは踏みとどまった。さすがに……)

 瞳子はじろじろと祐巳さまを見ていては気付かれる、となるべく見ないようにした。

「なんで花寺のメンバーの役が蓉子さまと江利子さまになってるわけ!?」

(それ、やらせたら思いっきりオカマだよね)

 祐巳さまのつぶやきに気付いているのは瞳子だけらしい。

「この、蔦子さん、典さん、環さん、桂さんの仕事人って、何なのよ〜」

(桂さんなんか出すくらいなら可南子ちゃんを出すよ)

 瞳子には脚本の内容より、祐巳さまのつぶやきが気になる。

「ああっ! 令ちゃんと田沼ちさとが夫婦になってるしっ! オマケに、令ちゃんと江利子さまってば任侠映画の親分子分じゃない!!」

(活躍度で桂さんに負けてる人達ばっかり活躍させて、どうするの?)

 瞳子は吹き出しそうになるのをこらえた。

「かわら版売りなんて、いらないわよっ! しかも、なんで築山三奈子さまなわけ!?」

(まあ、真美さんじゃ地味だからね〜)

 容赦なしの祐巳さまのつぶやきに、瞳子は危険なレベルに達しそうだった。

「誰よ、こんな事したの〜! 典さんと瞳子ちゃんのラブシーンなんて──」

「なんですって!?」

 祐巳さまの声のトーンが今までとは全く違う低く、ドスのきいたものに変わった。
 ビクリ、と瞳子は反応する。

「誰! 誰がそんな事書いたの!? 私と瞳子のラブシーンはどこへ行ったのっ!」

「ちょ、ちょっと待った! 祐巳さんが犯人なのっ!?」

「私が書いたのは瞳子が暴れん坊将軍になって美味しいところを持ってくぐらいよっ! それより、そこ、書き直すからノート貸して!」

「ゆ、祐巳さん!? 何言ってるのよっ!」

 紅と黄の薔薇さまがモメだして、やれやれ、と瞳子はため息をついた。
 いろいろな役があり、いろいろなストーリーがある。問題はその脚本が面白いものかどうかというところではないか、瞳子は我を失った姉を止めるための援軍、白薔薇姉妹の方に視線を送った。

「……ラストはギンナン長者になった私と乃梨子の駆け落ちシーンにしましょうか」

「はい、お姉さま。今書きますね」

 そこには、欲望のままシナリオを描き直す志摩子さまと、嬉々として指示に従う乃梨子の姿があった。

 ダメだ、こいつらなんとかしないと──

「菜々ちゃん、竹刀借りていいかしら?」

 自分のお姉さまとその親友の喧嘩をどうしたものかと見守っていた菜々ちゃんは瞳子に大人しく竹刀を差し出した。
 その後の事は当事者が怒り心頭のあまり記憶にないが、脚本が決まらなかった事だけは報告しておく。


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