No265系とは別系統です。
寝て覚めたら春だったなんて、私は冬眠明けの熊さんか。
開け放たれた窓辺で穏やかな風に吹かれながら祐巳は呆然とした。昨日はクリスマスイブだったのだからこの暖かさはないだろう。異常気象かと思ったが違っていた。
一階に降りてテレビを見ればニュースキャスターのお姉さんは春の挨拶をしているのだ。
「ね、ねえ、祐麒、あなた縮んでない?」
「姉ちゃん春休みボケか?」
「祐麒なんか変。いつもは祐巳って呼んでるのに」
祐麒は眉間に皺をよせて近づいてきたかと思うと、私の額に手を当てた。
「熱は無いな……」
「やめてよ、べつに風邪なんか引いてないわよ」
額に当てられた手をやんわりと払いのけた。
「しっかりしろよ、高校入学で浮かれてるのは判るけど」
「へ?」
いまなんて?
「おーい、勘弁してよ」
「だっていま、入学って……」
「入学式昨日だったろ? 本当に大丈夫か?」
「ええ!?」
そんな馬鹿な。
というかクリスマスから春に飛んだんじゃなくて、去年の春ぅ?
「姉ちゃん! 今日はゆっくり休めよな? 母さんから学校に連絡するように言っておくからさ」
うわっ、祐麒ったら本っ気で心配そうな顔してる。
「だ、大丈夫よ、私、学校行く」
「本当に?」
「うん、ちょっと夢見が悪かっただけなのよ」
「それならいいけど」
やはり家を出ても世界は春一色。私がおかしいのか世界が異常なのかと問われれば十人中十人が前者と答えるだろうが、私は昨日まで確かに二年生だったのだ。
夢なんかじゃない。ちゃんと昨日の授業の内容だって思い出せるし、生徒会の仕事だって何をやっていたかちゃんと覚えてる。
それなのに、知り合いじゃないけど顔は覚えている卒業してしまった筈の三年生の姿かちらほらと。学校に着いて行き交う顔ぶれは悲しいほどに一年前だった。
私は校門からの並木道の分岐点、マリア様の前で立ち止まった。
(これはマリア様の悪戯なのですか?)
お姉さまとの一年間数ヶ月が消え失せてしまったのだ。また出会いからやり直せだなんて、あまりといえばあまりな仕打ちだ。
(私、何か悪いことでもしましたか?)
マリア様に向かってお祈りというよりお小言を述べていたら後ろから声がかかった。
「祐巳」
「あ、お姉さま……」
振り返ると、優雅に微笑む小笠原祥子さまその人だった。
二人はしばし見詰め合った後、言葉を重ねた。
『え?』
ちょっといらっしゃいと私の手を引いて祥子さまは古い温室に足を運んだ。
「もしかして、あなたも昨日はクリスマスだったとか思ってない?」
「ええっ、祥子さまもなんですか?」
「……良かったわ。だってこれから祐巳との出会いまで半年もなんて待っていられないもの」
朝起きたら春だった。祥子さまも祐巳と同じ経験をしたそうだ。そして、メイドさんを問い詰めたり新聞を持ってこさせたりした結果、1年と9ヶ月、祐巳との出会いの約6ヶ月前にさかのぼってしまっていることに愕然としたとか。
お互い自分の身に起こったことを確認しあった後、時間逆行なんて言う非常識な現象とか、9ヶ月分の夢を共有したとかいろいろ説は考えられるけど、現実的に今は春。祐巳は一年祥子さまは二年という事実は変わらないから、もっと前向きに考えましょうってことで同意した。
「これはあなたのものよ」
そう言って手早くロザリオを私の首にかけると慣れた手つきでタイを整えた。
「でも、そうね……」
私の首に掛かったロザリオをまた取り上げた。
「ああっ!」
「なんて顔してるのよ、はい」と目の前に差し出した。
「ええと」
祥子さまが「ほら」と催促するので手を出して受け取った。
「しばらくは秘密にしておいたほうがいいわ」
「ええ? 何故ですか?」
「志摩子よ」
「志摩子さん?」
「志摩子の居場所が出来るまでは二人だけの秘密にしましょう」
よくわからないけど、私の知らない志摩子さんの出来事があったのだろう。そのとき私がお姉さまの妹だと都合が悪いことがあるらしい。
「そうだわ。今から志摩子とは仲良くしてあげて」
「はい」
志摩子さんは一年の時は同じクラスだけど、私が山百合会に出入りするようになるまでは殆ど接点が無かったのを覚えている。
しかしこの祥子さまの提案が後々とんでもない事態を巻き起こすことになるなんてこの時は思いもしなかった。