※このお話は【No:307】ｏｒｚタヌ・キネンシス当てずっぽう　の続きです。
　そちらを先にお読み下さい。


「うわ〜。すっごい写真ー！」
カチカチとマウスをクリックする祐巳さんに、由乃はひくひくと頬を引きつらせていた。
「わ、わ、わ！　由乃さん、見ないの？」
「見ないもん！」
ぷん、とそっぽを向いた由乃に、祐巳さんが困ったように呟く。
「もん、って。その年でもん、って」
確かに今の反応は黄薔薇さまとしてちょっとどうかと、由乃自身も思わなくはない。
「なんでよ、なんでなのよ！　なんでいっつも祐巳さんに分かって、私には分からないのよ！　なに？　私ってもしかしてレッサーパンダ以下？」
「……由乃さん、それって私への悪口？」
「違うわよ！　やっかみよ！」
「うわー。そーゆうこときっぱり言うから凄いよね、由乃さんって」
祐巳さんが何か感心したように頷いている。
「くぅ……どうして祐巳さんに解けて、私に解けないのよ……」
「こういうのは相性もあるから。――ほら、心にゆとり、だよ」
「そのフレーズもむかつくー！」
うきー、と由乃は両腕を振り回した。
「ええ、ええ、そうでしょうとも！　どうせ私は祐巳さんと違って心にゆとりがありませんよ！　しょうがないじゃない、万年ラブラブ円熟フルムーンの、世界の中心で二人揃って愛を叫んでる紅薔薇姉妹ほど、自信も実績も周囲を気にせずピンク空気作れる勇気もないんだからっ！」
「いや、そんな。志摩子さんたちじゃあるまいし、そこまでの仲では」
「そうか、そうよ！　紅と白が揃ったらピンクになるのよ！　どうして気付かなかったのかしら？　もっと早く気付くべきだったわ、この運命の悪戯に！　どうせ黄薔薇は邪魔者なんだわ！　山百合会なんて百合会になっちゃえ！　私と菜々はイスカンダルへ移住してやるんだから！」
ひとしきり騒いだ由乃は、ふーと額に浮かんだ汗を拭うと、爽やかな笑みを祐巳さんに向けた。
「よし、すっきりした。それで、答えはなんなのよ、祐巳さん？」
「…………ホント、由乃さんのそういうところって、凄いよね」
「ん？　何が〜？」
由乃が首を傾げると、祐巳さんが軽く溜息を漏らした。


　　　　　　　◇　　　　　◇　　　　　◇


「つまりこの『心にゆとりを持ってご覧ください』って言うのが、ポイントなのよ」
「だからどうせ私は祐巳さんと違って桃色吐息で愛を囁く萌え萌え相違相愛カップルじゃ」
「――それはも〜いいから」
由乃が言葉を尽くして紅薔薇姉妹の色ボケっぷりを表現しようとすると、祐巳さんが呆れたようにストップをかけてきた。
少し残念。紅薔薇姉妹を装飾する文句なら、いくらでも出てくるのだけど。
「これはそういう意味じゃなくて、さっきのπを正しいパスワードに変換するための、ヒントなんだってば」
「そうなの？」
「うん。円周率πのままだと、桁数も分からないでしょ？　でもこれだと答えは一つしかない。円周率で、心にゆとり」
「……うーん？」
「まぁ、私たちの世代だと、ピンと来ないとは思うんだけどね」
首を捻る由乃に、祐巳さんが言う。
「ちょっと前にあったじゃない。『ゆとり教育』ってやつ」
「ああ、あったわねー」
由乃はちょっと苦笑する。なんか色々と物議を醸し出したやつだ。特に祥子さまなんかはあからさまに呆れた様子を見せていたような気がする。
「私はその話題でたまたま聞いたことがあるから、分かっただけなんだけど。あのね、円周率って私たち、ひとまず３．１４って習うじゃない？」
「そうね」
「で、それがゆとり教育だと、こうなるんだって」
祐巳さんがもう一度ロックされたファイルをクリックし、パスワード入力のウインドウを表示させ、キーボードを叩く。
「――およそ３」
カタカタカタ、と祐巳さんが『oyoso3』とキーを叩くと。
見事にファイルは解凍を開始した。
「――な、なんじゃ、そりゃ……」
がっくり、と由乃は机に突っ伏した。
くだらない――あまりにもくだらない一捻りに、心底脱力してしまう。
「あー、私、今なら確信持って言える。あの政策、失敗。ンなくだらないこと考えるようなゆとりなんざ、不要だわ……」
「いや別に、菜々ちゃんはゆとり教育世代ではないと思うよ」
祐巳さんが笑って、はいどうぞとＰＣの画面を由乃の方へ向けた。


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「ごきげんよう、紅薔薇さま。すいません、お姉さま。遅くなりました」
鑑賞を終えた由乃たちの許に、菜々が瞳子ちゃんと一緒に戻ってきた。
「すぐにお飲み物を淹れますわ」
そそくさと給湯室に向かう瞳子ちゃん。その後姿は祐巳さんの世話を焼くのが余程嬉しいのか、ぶるんぶるんとドリルが元気よく弾んでいる。
「あ、じゃあ私も」
「菜々はちょっと待ちなさい」
後を追おうとする菜々を呼び止め、由乃は隣に座るように促した。
「？　何か？」
「菜々、昨日の写真の件だけど」
「はい？」
「なんなの、あのツーショット写真は」
はぁ、と由乃は溜息を吐く。
「こんな写真、存在するわけないでしょう？　こんな――菜々が私の頬にキスしてる写真なんて！」
ずい、と由乃がＰＣの画面いっぱいに表示された写真――驚いている由乃に、菜々がキスをしている写真――を、菜々に突きつけた。
「これ、合成じゃないの！」
「はい、そうです。でもお姉さま、なんでそれを今更……？」
「た、タイミングのことはどうでもいいの」
こほん、と由乃は咳払いをしてその場を誤魔化した。
大丈夫大丈夫、今解けたばかり（ましてや解いたのは祐巳さん）だなんて、気付かれていない。いるはずがない！
由乃はそう言い聞かせ、頑張ってお姉さまらしさを演出しながら菜々を睨んだ。
「あまり口うるさいことは言いたくないけれど、感心しないわね。要は、あなたは江利子さまにも嘘をついたことになるのよ？」
「――そうか、それもそうですね」
由乃の指摘に菜々がなるほど、と頷いた。
「分かった？　私や祐巳さん相手に悪戯するくらいならいいけど、他の人まで巻き込むのはやめなさい。いい？」
由乃の注意に菜々はこくんと頷き、祐巳さんが「え、私はいいの？」と驚いたような顔をする。
「すいません、お姉さま。確かにお姉さまの言う通りでした。嘘は良くないですよね」
「ええ、そうよ。分かってくれれば良いのよ」
「じゃ、嘘じゃなくしちゃいましょう」
「へ？」
いきなりガバッと立ち上がった菜々に、由乃は驚いて目を丸くする。
菜々はその持ち前の運動神経を発揮し、由乃が驚く以上のリアクションを見せる前にさっと由乃の脇に歩み寄ると。
いきなりちゅっと、由乃の頬に唇を寄せた。
「―――――――――――ぬあ！？」
「良い写真が撮れました」
顔を真っ赤にしながら、慌ててガタガタと距離を取る由乃の眼前で、菜々は平然と手にしたデジカメを操作していた。
「うん、細かな部分はやっぱりアレですけど、ほとんど同じです。お姉さまはびっくりしてますし。これであの写真も、偽造ですけど嘘じゃありませんね」
「な、な、な……」
何をするのよ、と言おうとするけれど、上手く口（と頭）が回らない。
だって今のはあまりにも不意打ち過ぎた。
「お姉さま、『な』が一つ多いです」
菜々がわざとらしく顔をしかめる。
「そういう問題じゃないでしょう！　菜々！　あなたはいきなり何を――」
「あ、お姉さま。お姉さまも見ますか？　良ければ印刷もできますけど？」
文句を言おうとした由乃を遮るようにして、菜々が言う。
由乃は思わず口をつぐんでしまった。
今はそんなことを話している暇はない。まずはこの、傍若無人な妹に注意をしなくてはならないのだ、お姉さまとして。
「――是非、お願い」
けれど由乃の心とは裏腹に、由乃はぐっと親指を立ててそう言っていた。
もはや姉の威厳などどこにもない。
でも、仕方ないではないか。
（だって、菜々とのツーショット写真――しかもほっぺにちゅうの写真――ほ、欲しいんだもん！）
なんというか。うん。
紅と白だけじゃなくて、黄薔薇姉妹を形容するピンク色の装飾語も、今ならいくらでも出てきそうな勢いだった。


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ちなみにその頃。
リリアン女学園大学部図書館にて、パスワードを解き終えた一人の元黄薔薇さまが、ファイルを開いた途端に灰となって燃え尽きていたことを、この場に記しておこう。