【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】から続いています。
☆
第二体育館には錚々たるメンバーが集っている。
薔薇の名を継ぐ三人と、蕾が三人。そして蕾の妹が一人。
山百合会という頂点に立つ猛者が、普段のいがみ合いを忘れ、一つの目的のために集っていた。
――舞台上で台本片手に立ち位置を確認する七人を下から眺めつつ、なんとなく不思議に思っていたことを聞いてみると、以上の答えが返ってきた。
「それはお互いを認め合っているからです」
「認め合っている?」
「そうです。横にいる人は自分と同等、だから裏切ったりする道理がない、みたいなことを確信しているんでしょう。だって最強と呼ばれる三人ですよ? なぜプライドを捨てて泥にまみれるような低俗な真似をする必要があるんですか? 正々堂々やったって勝つ自信があるんですよ」
「そういうものなの?」
「そうじゃないと薔薇の名前も継げませんよ。一般生徒にとっては最強の称号なだけかもしれませんが、最もそれを認めているのはいつだって横に並ぶ二人の薔薇なんです。そんな自分と並ぶ人が、つまらない人だったら? 少なくとも私は同等で扱って欲しくありません」
「なるほど」
祐巳はなんとなく納得した。
祐巳は、末端の小競り合いをたくさん見てきた――というよりそれしか見てきていない。
なぜなら、一年生である祐巳の周りには、同級生の一年生が多かったからだ。
一年生は張り切りすぎて勢力争いにピリピリしている。が、二年生以上はそうでもない。闘うべき時があることを悟っているがゆえに、普段はあまり動かない。ともすれば違う勢力の生徒達と簡単な情報交換をしたり交流を深めていたりもするのだ。――上の決定で動くことが多いし、自分勝手な判断で作った火種が、大きな戦火になることへの警戒から来ている。一年生では右も左もわからないことでも、二年生になれば自然とわかってくるのだ。むろん好戦的な勢力や、名前を売りたくてたまらない者は省くが。
だから祐巳は、敵対している三勢力のトップが集い、なんの問題もなく進行しているのがずっと不思議だった。本当に敵同士なのか、本当に敵対しているのか、と疑いたくなるくらいに。敵どころか仲の良い友達同士にさえ見える時もあるのだ。
少なくとも、この件で相手を出し抜こうだなんてケチなことを考える人は一人もいない、ということだ。
そう考えると納得できる。
まだまだ知らないことばかりだが、自分が知っている三薔薇は、ケチでもなければ低俗でもない。最強かどうかが疑わしく思えるほど優しく、上級生として尊敬に足る品格を持ち合わせ、いたずらに力や権威を誇示しない。最強かどうかはともかく、気高く美しい薔薇の二つ名を持つに相応しい人物だと思える。
そんな人達が、陰でこそこそいかにして誰かを陥れようかと算段している絵、というものが思い浮かばない。そんなの気高い薔薇のすることではない、と、自然とそう思えた。
それにしても感心だ。
「瞳子ちゃんは詳しいね」
松平瞳子。さすがは中等部にして目覚めし者。そして来年度の紅薔薇の蕾に最も近い者。祐巳よりも高等部事情に通じている。
「祐巳さまが知らなすぎるんです。……そもそもなぜ祐巳さまはここにいるんですか?」
言葉だけ聞けば嫌味のようだが、思いっきり純粋な疑問だった。
ポツリポツリと交流を深めていく内で、瞳子が一番驚いたのは、祐巳が目覚めていないことだった。
こんなにもロザリオを掛けまくってて隙だらけでなんの力も感じられないのに、こうして山百合会に混ざってここにいる。かなり厳重に周囲をガードしていて、祐巳よりよっぽどここにいるに相応しい人材もいるだろうに、まさかの顔パスでここにいるのだ。
力は弱いがそれを補って余りある異能使いかと勘繰っていれば、まさかの未覚醒である。若干感じていた大物っぷりはただの天然だったらしい。
話を聞けば、別に舞台や脚本関係に詳しいだとか、衣装関係を一手に引き受けているだとか、誰かの強力なコネで入り込んだ見学、というわけでもなかった。
なぜだ。
瞳子のように能力(と小笠原祥子の親戚であること)を買われて手伝いを要請されることは、特別不思議だとは思わない。祐巳もそういう能力者であるなら、瞳子だって全く不思議に思わなかった。
しかし目覚めてもいないし演劇に関して造詣が深いわけでもなく役者として舞台に立つわけでもないし祐巳しかできない作業があるでもないのに、なぜここにいるのか。誰だって疑問に思うだろう。
疑惑の瞳を受け、祐巳はとても儚く消え入りそうな笑みを浮かべた。
「……なんでだろうね。ふふっ」
なんと悲しげに笑うのだろう――瞳子はいまいち福沢祐巳という人物がよくわからない。会ったばかりの年下に媚びたりへつらったりとペラッペラに薄っぺらい単純な人間なのかと思えば、こうして深い顔もする。
若輩ながら演劇部に所属し演技に携わってきた瞳子には、祐巳の表情一つ一つが仮面には見えない。どれも本物で、本心を口にしているように思う。
それに。
中等部から呼ばれてきた部外者を無条件で歓迎してくれているのは、親戚で姉妹内定までした紅薔薇の蕾・小笠原祥子ではなく、この一見ペラッペラで隙だらけの上級生なのではなかろうか。
初顔合わせの時は祥子や皆も気を遣ってくれたが、こうして稽古が始まってしまうと、疎外感がすごいのだ。向こうは大切な打ち合わせに忙しく、ある意味瞳子は今ほったらかしである。まあ、やることがないのだから、それは仕方ないとは思うが。しかし全員で相談を始められてしまうと、その気はなくともつまはじきにされているようで結構寂しい。
そこに、この祐巳である。
下級生の自分を気遣うとかそういう風には見えず、向こうよりここに、舞台下の瞳子の隣に居たがっているように思えるのだ。
祐巳の場合、やることがないかと言われれば、意外とそうでもない。稽古中は姉B役として機能しているので、むしろ向こうにいるべきなのに。――その流れで「まだ目覚めていない」と聞いたのだが。目覚めていないから、能力使用を踏まえた打ち合わせには参加しても意味がないから、と、こうして離れている。
いまいち掴めない人だ、と瞳子は思う。
敵ではないと思うが、すんなり信用するのもなんだか釈然としないものがある。そんな感じの人である。
「――瞳子ちゃん祐巳ちゃん、お願い」
「「はーい」」
紅薔薇・水野蓉子から声が掛かり、二人は舞台へ上がった。
山百合会の七人と助っ人・福沢祐巳と松平瞳子が舞台に上がり、やや手狭な状況で紅薔薇・水野蓉子は指示を出す。
「第一幕からゆっくり合わせてみましょう」
舞台中央には「床に雑巾がけをしているシンデレラ」として、祥子が四つんばいで用意完了――祥子がやるとこんな屈辱的なポーズでもそう見えないからすごい。
「はい、シンデレラ雑巾掛け中。そこに姉B登場」
脇に寄っていた島津由乃がフレームインする――稽古中は祐巳が姉Bをやっているが、本番では由乃が姉Bをやることになっている。まあ人手不足なので色々と兼任なのだが。
「姉Bセリフ」
「『シンデレラ! シンデレラ!』」
由乃が本番さながらに張り上げる声は、体育館に響き渡った。
「シンデレラは無視して掃除を続ける」
祥子は振り向かない。
「はい姉B、シンデレラを撃って」
右手を振り上げる由乃の手には、まるで手品のように大振りのマグナムが握られていた。
「バーン」
でも口で撃つ真似である。
「どう、祥子? その体勢で大丈夫?」
「問題ありません」
「じゃ、試しにここまで通してみましょう。――瞳子ちゃん、その辺に“貼って”くれる?」
「はい。祐巳さまテープお願いします」
「あ、うん」
蓉子が指差すその辺――由乃、祥子の延長線上にある床の前に、瞳子と祐巳は移動する。
「床に固定してください。風や空気で動かないようにするだけなので、適当でいいですから」
「わかった」
瞳子はいつの間にか手にしていた“折紙”を、まんべんなく床に広げ始める。そして祐巳はテープをちぎり、大雑把に“折紙”を止めていく。
数は九枚で、3×3の正方形に並べる。両面白の普通の紙だ。手触りもつるつるしている、小学部くらいに触れた折紙そのものだ。
「由乃さま、これくらいでいいですか?」
「ちょっと角度が……祥子さま、もう少し客席側へ寄ってください」
「この辺?」
「んー……はい、結構です」
由乃は片目を瞑って距離を確認し、立ち位置に微調整を加えた。
これで準備が完了だ。
祥子と由乃を残して全員が舞台から降り、二人を見上げる。
「じゃ、やってみて――はい!」
パン、と手を叩くと、二人は本番さながらに動き出す。
祥子扮するシンデレラは、意地悪な継母や姉達に虐げられ、粗末な服を着て跪き、雑巾で床を掃除する。
「『シンデレラ! シンデレラ!』」
そこに、足音荒く(本番ではヒールの音がする予定だが、今は靴下だ)姉Bの由乃が舞台袖から現れる。
「『なぜ返事をしないの!?』」
「『…………』」
シンデレラは思いっきり姉Bを無視して、掃除を続けている。
由乃はイライラした演技がものすごくうまかった。見る見るうちに怒りが溜まっていくのがよくわかる。
ゆっくりと手を上げる。
そこには大口径の銃がある。
そして、狙いは背を向けているシンデレラへ――
ドン!
腹に響く砲声が体育館を劈いた。いくら演技、いくら打ち合わせ済みでも、祐巳にはかなり刺激的な光景だった。
いきなり銃を撃つのもすごいが、背後を向けていて当然のように銃弾を避ける祥子もすごい。まるで撃つのがわかっているかのように(いやわかっているのだが)、素早く身を起こしながら身体を反転、いつの間にか由乃と向き合っている。
とにかく早い。それに、緩急のついたなびく黒髪が広がり、きらめく。祐巳は一瞬、その美しさに見惚れた。
「はいOK!」
蓉子は稽古を止め、「どう思う?」と演出担当の他の薔薇二人を見る。
「銃弾が出てることを強調できないかな? 空砲だと思われそうじゃない?」
「一発じゃ、本気らしさが足りない気がするわ。本気で殺る気なら数発いくでしょ」
白薔薇・佐藤聖と黄薔薇・鳥居江利子の意見。物騒な相談をしている三人を見ていると、祐巳はくいくいと瞳子に袖を引っ張られた。
「祐巳さま、行きましょう」
「え?」
引かれるまま舞台への階段を登り、先程固定した“折紙”の場所へ――
「あれ?」
3×3の正方形に並べたはずの“折紙”の、中央の一枚がなくなっていた。ちょうど「ロ」の字になっている。
「さすが由乃さま。中央を撃ち抜いてますね」
「え? えっと……」
ピンと来ていない祐巳を見て、瞳子は「もう」と、できの悪い下級生を見るような顔をする。
「さっき言ったじゃないですか。これが私の“折紙絶対防御装攻(インスタント・イージス)”です」
要は、“紙”でできた盾である。
ただしこのペラペラの盾は非情に高性能で、打撃衝撃は当然、斬撃も無効化するどころか貫通さえ許さず、更には接触音まで殺すという恐ろしい相殺性質を持つ。
欠点は、向き合う攻撃と“紙”の強さが比例あるいは上回っていないと相殺しきれないことと、“紙”は一度きりの使い捨てであること。役目を果たしたらこのように消える。
九枚並べた“紙”の一枚に由乃の弾丸が当たった。だから“紙”は中央だけ役目を果たして弾丸ごと消えたのだ。――とかく飛び道具とは相性が良い防御型の異能である。
「……なんか不思議」
こんな厚みもなければ祐巳でさえクシャクシャに丸められるような“紙”なのに、由乃の銃弾は“紙”の向こうへは到達していない。つまり床には一切傷がついていないのだ。――そのために“貼った”わけだが、それでも不思議だった。
「すごいなぁ、瞳子ちゃんは。そりゃ中等部から呼ばれるよ」
「そ、そうですか?」
「来年が楽しみだね」
「高等部ですか? まあ、確かに楽しみではあるんですけれど、私は演劇部も――」
笑顔の祐巳と、ちょっぴり得意げな顔をしている瞳子。
二人は集まる視線に気付いていない。
「祐巳ちゃんすごいな」
「こうなったか……意外ね」
「こんなにワクワクするの、ほんと久しぶり。たまらないわ」
舞台下の三薔薇はニヤニヤしていた。
祥子と祐巳の姉妹問題が主な楽しみだったのに、下級生乱入によるまさかの三角関係――かと思いきや。
「…………」
二人の関係を、さも気に入らないと顔で語る者が一人――島津由乃だ。由乃は祥子の親戚という点で瞳子を気に入っていなかった上、未来の紅薔薇勢力の身内としても敵視していた。
それだけならまだしも、いきなり祐巳と仲良くしているのも気に入らない。要は嫉妬である。
「福沢祐巳……罪深い子」
江利子の呟きに、蓉子と聖は吹き出した。
「四角関係かぁ……こんなの恋愛小説でしか見たことないよ」
「…? 何が四角なんですか?」
複雑そうな顔をしている令の呟きに、志摩子は首を傾げていた。
対人関係に波紋を呼びつつ、稽古は進行する。
序幕のシーンは、由乃が銃弾を三発撃つことになった。弾には少々の細工を加え、蛍光パープルの尾が走るように改造され(弾丸の色を変えるくらいならすぐできる、と由乃談)、最後の一発は祥子が打ち落とすというアクションが加わった。
「わあ」
祐巳は思わず声を上げた。
祥子が右腕を一振りすると、そこには真紅に染まる細身の剣が握られていた――これが祥子の“紅夜細剣(レイピア)”である。
紅の軌跡が緩い残像を残し宙を斬る。キィン、と高らかな金属音を放ち、弾丸との接触に飛ぶのは火花ではなく赤い薔薇の花びら。それは淡い光を放ちながらすぐに消えてしまう幻。
美しいワンシーンだった。
殺伐とした殺し合いであることを忘れさせるほどに。思わず溜息が出るほど美しい。
それにしてもよく銃弾を避けたり打ち落としたりできるものだ――と瞳子に漏らせば、目覚めていると動体視力なども強化されるらしい。
更に訊けば、満足に対処できる自信はないが瞳子も弾丸が見えてはいるそうだ。祐巳には空間を走る1、2秒ほどの蛍光パープルの尻尾しか見えないのだが。弾丸という言うよりはレーザー光線っぽかった。
「ある程度ははじく方向を絞れますけれど、確実ではありません」
祥子の“紅夜細剣(レイピア)”で軌道修正させられた弾丸は、見事に舞台の床板を貫通していた。さすがに打ち返す弾丸の方向を正確にコントロールできないらしい。
結局、剣が当たったと同時に、江利子が“瞬間移動”で安全なところへ弾丸を逃がすことになった。
「由乃ちゃんがもう少し器用なら、自分で消せるんだけどね」
江利子曰く、はじかれると同時に弾丸だけ具現化解除、という理屈なのだそうだ。だが由乃の反論は「そんな器用なことができるなら小を兼ねる大口径なんて使ってない」らしい。目覚めていない祐巳にはよくわからないが。――ちなみに弾丸は、由乃から十メートルも離れたら自然消滅するとか。
ちょうど第一幕終了、継母や姉達がシンデレラを置いて舞踏会へ行くところまで打ち合わせが進んだ時。
「――もし」
耳元で囁かれて祐巳は「ひぇっ」と小さく悲鳴を上げた。誰かが背後から両肩に手を置き、祐巳が振り返らないように抑えている。
「“影”です。声をお出しにならないよう」
「か……あ、影。白薔薇の」
ようやく背後の人物の検討がついた。
そう、今、祐巳を除く参加者全員が舞台上にいる。だから背後に誰かがいるなんておかしな現象に驚いたのだ。
だが本当に消える“影”なら、気付かなくても不思議ではない。たとえ最初から体育館にいたとしてもだ。
「外に手芸部が来ています。祐巳さんから皆に取り次いでください」
「あ、はあ……」
必要なことだけ伝えて、“影”の両肩の手はなくなった。
思わず振り返るものの、あたりまえだがそこには誰も見つけられなかった――心臓に悪い人だ、と祐巳は思った。
「手芸部が来ているそうです」
舞台上の全員に伝えると稽古は一時中断され、外で待っている手芸部を招き入れることになった。なんでも手芸部が衣装を作ってくれるとかで、その打ち合わせに来たんだとか。
それにしてもかわいそうなのは、外の警備に思いっきり囲まれて威嚇されていたことだ。
今現在、三薔薇を含めた山百合会全員が、能力を使った劇の稽古をしている。だからこそ、絶対に情報が漏れないように、三勢力の幹部が出張って体育館周辺をガードしているのだ。こんな厳戒態勢の中、自分は果たしてここにいていいのだろうか、と祐巳は今でも疑問を抱いている。
むしろ逆である。
目覚めていない、能力自体に詳しくない、そもそもどれが能力でどれが能力じゃないかさえあやふやだからこそ、祐巳はここにいるのだ。そうじゃなければ「面白い」というだけでこの場にいることを許されるはずがない。……祐巳としては許されたくもないところだが。
だが、目覚めていない者の意見は、魅せる演出を考える上でなかなか参考になっている――これは山百合会側からしても、思わぬ副産物だった。
「外の様子は?」
部外者が来た以上、今日の稽古は続けられない。
蓉子が手芸部数名と話している横で、手芸部に付き添ってきたらしき警備を任されている生徒に江利子が問う。きっと相手は黄薔薇勢力の幹部なのだろう。
「特に問題なし。そっちは?」
「滞りなく。順調よ」
しかも二人は同級生のようで、江利子に対する警備の人はフランクだ。
「肝心の仕掛けの方は?」
「結構派手にやれそう。噂の“折紙絶対防御装攻(インスタント・イージス)”も、噂以上に使える能力だしね」
「ほう。伊達に中等部から呼ばれないってわけか」
「よかったわね。舞台上でロケットランチャー撃てるかもよ?」
「甘いわ江利子さん。派手にやるなら120ミリ戦車砲でもかましてやるわよ」
そりゃいいわアハハー、と盛り上がる二人に、噂の“折紙絶対防御装攻(インスタント・イージス)”松平瞳子が「あのー」とおずおず声を掛けた。
「申し訳ありませんが、着弾と同時に爆発するような攻撃は、残念ながらその前に“紙”が無効化してしまうので……」
「「あっ」」
二人は瞳子の言いたいことに気付いたようだ。
「そうだったわね。飛び道具は着弾と同時に相殺か」
「ああ……今年も火薬が使えないのは変わらないってことか……残念」
「対戦車ライフルでも使えば?」
「んー……ライフルは威力も性能も文句ないんだけど、意外と地味だからなー……」
これ以上物騒な話を聞きたくなくなったので、祐巳は志摩子の元へ行ってみることにした……かったのだが、いつの間にかすぐ近くに由乃がいたので、しかも目が合ってしまったので、そっちに声を掛けてみた。
正直、親の仇を見るような険しい顔をしているので、あまり話し掛けたくなかったのだが。
「……どうしたの?」
由乃はわずかに顎をしゃくる。
「あれが私のライバル」
「え?」
「黄薔薇と話している人。――あれが“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”のお姉さまよ」
「あっ」
あれがいつか由乃が言っていた“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”か。
「なんか納得……」
あの由乃がライバルと言うだけあって、その、実力以外のところでも、ぶっちゃけ性格のヤバさ加減でも向こうが勝っている感じがする。
――由乃の話では、三勢力の幹部の多くが「お城でのパーティで踊るシンデレラと王子様」の群舞に参加するそうだ。その時の殺陣に彼女も参加するとか。見る限りでは相当乗り気で。
「やっぱり強いの?」
「桁違い。あの人なら薔薇相手でも肩を並べるかもね。作り出す重火器の豊富さに膨大な知識量、戦況を瞬時に見極めるずば抜けた分析力と判断力、おまけに異能自体が強力だから私より圧倒的に火力が高い」
由乃が軽装備なら向こうは重装備、という感じだろうか。
「私が勝ってるのはスピードと可愛らしさくらいかなっ。特に可愛らしさは圧勝ねっ」
「――聞こえてるわよ由乃ちゃん!」
「ひえっ」
あ、捕まった。さすが由乃の上を行く者、こうまで簡単に由乃の背後を取るとは。
祐巳は迷わず由乃達から離れることにした。色々とまずい気がしたので。「助けろー……た、助けてー……祐巳さんお願い助けてください……ああっ……ぎゃー」という声が聞こえた気がしたけれど、きっと気のせいである。
――ふと。
一人だけ舞台に立ち、台本を見て思案に更ける祥子に目が止まった。
今まで避けてきた人だ。
しかし今はもう避ける理由がない。
松平瞳子という妹候補が現れたからだ。
もはや自分が山百合会と関わることなどないだろう――そう思った祐巳は、思い切って声を掛けてみた。
「どうしたんですか、祥子さま?」
「え? ああ、祐巳ちゃん……もう少し演出面で凝れないかと思って」
「演出面、ですか」
「祐巳ちゃんはどう思ったかしら? まだ一幕しかできていないけれど、これでいいと思う?」
「私は充分だと思います。危険だし派手だし」
「そう……そうね。序盤でやりすぎると観ている方も疲れるものね」
理想としては中盤から終盤にかけて盛り上げていった方がバランスはいいわね、と。祥子はこれでよしとしたようだ。
「あの、訊いてもいいですか?」
「何?」
「……怖くないんですか? 後ろから撃たれたりして……」
「全く」
なんの迷いもない返答だった。見ている祐巳の方が怖いくらいなのに、銃口を向けられる本人はなんの危機感もないらしい。
だが、続く言葉に、祐巳は驚かされた。
「皆を信じているから」
「えっ」
信じているから? 敵対しているのに?
そんな疑問が口には出さずとも顔に出ているらしく、見詰める祥子はクスリと笑った。
「敵対しているからこそ、かもしれないわ。唯一つの言い訳もできない時と場合に勝ってこそ、本当の勝利と言えるから。少なくとも山百合会の全員がそう思っている」
「そう、なんですか……」
「ピンと来ない?」
「はあ、正直」
「わかりやすく言えば、プライドが許さないのよ」
プライド。
祥子が言うと、数多の言葉を重ねるより納得できた。
さっき瞳子が言っていた通り、ケチな勝ち方を望む人は山百合会にいない、ということだ。
「由乃ちゃんは、打ち合わせを無視して私を撃たないと確信している。彼女はくだらない策を弄して勝つくらいなら、いっそ負けを選ぶもの」
「祥子さまも?」
「もちろん。三薔薇も、令もね」
かっこいい――祐巳は瞬きもせず祥子を見上げる。
今まで最強という称号でのみ括っていた、恐怖のイメージしかなかった山百合会とは、こういう人達の集まりだったのか。そう思うとガンガンに色眼鏡で見ていた自分が情けなくなった。
「――お姉さま方、そろそろ再開しませんか?」
体育館を使用する稽古は、時間も回数も限られる。祥子が首を回して呼びかけると、蓉子は「わかったわ」と答え手芸部との打ち合わせを済ませた。
全員が舞台上に集まり、また稽古に入る。
「劇、楽しみだね」
「そうですね」
祐巳と瞳子だけは舞台の下から、華の名を冠する誇り高いお姉さま方を見ていた。
体育館での稽古が行われているその頃、写真部の部室では武嶋蔦子が難しい顔をしていた。
「うーん……」
部室には蔦子一人で、椅子に座り、乱雑に広げられた写真を前に唸っている。
手には一枚の写真があった。
――“罪深き双眸(ギルティ・アイ)”でもう一度撮った、祥子と祐巳の未来の写真である。
あの時。
“輝く紅夜の蕾”小笠原祥子と、同じクラスの福沢祐巳とのツーショットを目撃したのは、まったくもって偶然だった。
しかし、マリア像の前で向き合う二人はとても自然で、ともすれば姉妹だと言われても不思議ではないくらいお似合いだった。
だから、“撮った”。
『この先、小笠原祥子と福沢祐巳がここで向かい合う光景』を検索したら、写真が撮れてしまった。検索できなければシャッターさえ切れないのに。
夜で。
二人は微笑みあっていて。
祐巳はロザリオを失っていて。
祥子は祐巳の胸元の何かを指先で撫でていて。
10人に聞いたら9人くらいは「ロザリオの授受じゃない?」と推測しそうな写真が撮れてしまった。
そして、もう一度試した結果が、今蔦子の手元にあった。劇の練習に追われていたせいで伸ばし伸ばしになっていたが、今日になってようやく再試行にこぎつけられたのだ。
いつも思う――現像するまで結果がわからないのは致命的な欠点だ、と。それ以外に文句はないのだが、自分自身に焦らされているようでどうにも許容しかねた。
それはともかく。
「……どう見るべき?」
蔦子は首を傾げる。
未来は不特定である。特に、結果を知った上で、その未来を阻止しようとする者が居る場合は、簡単に未来は変えられる。
ただし蔦子の“罪深き双眸(ギルティ・アイ)”は、生半可な力では阻止できない――その抵抗さえも予想してしまうからだ。
もしかしたら、由乃に写真を取り上げられることさえ予想範囲内の出来事だったかもしれない。自分自身の能力だが、自分自身でさえ全てを把握できないところがもどかしい。
ここのところ、蔦子は考えていた。
――蔦子は、全員があの写真の存在を知っている、と推測している。これはかなりの確信を持っていた。
冷静に考えれば、由乃は蔦子と祐巳を、あんな不自然な形で薔薇の館に連れて行ったのだ。三薔薇がそこに興味を持たない、理由を聞かないで済ませるとは思えないのだ。あんなに不自然なのにそれを問わないようなマヌケなら、とっくに華の名ごと手折られている。きっと由乃か令のどちらかから情報を得ているだろう。
そして状況判断だが、祥子の祐巳に対する態度を見る限り、祥子も知っている可能性が高い。
どれも蔦子の推測ではあるが、「そうじゃないとおかしい」と断ずるに足る理由が、細かいものから大きいものまで多々ある。だから自分の中では確定として考えている。
ここからだ。
問題は、三薔薇の意思はどうなのか、だ。
祐巳と祥子を姉妹にしてしまおうと思っているのか、それとも放置したいのか。――いや、放置はない。祐巳を山百合会に引き込んだのは山百合会の……いや、三薔薇の意思だろうから。ノータッチでやり過ごすなら手伝いに引っ張り込むとは思えない。
しかし、姉妹にしたいのかと問われると、そういう動きは由乃以外見せていない。というか由乃は露骨すぎてアレすぎた。わざとらしすぎた。
そうそう、由乃と言えば、“疾風流転の黄砂の蕾”支倉令の役立たずっぷりと頼りなさは予想以上……いや、黄薔薇からの圧力が掛かったと見るべきか。むしろそうであってほしい。
とにかく、三薔薇の意思である。
蔦子の力量をも凌駕するであろう力が三つである。そんな三つの力が働けば、“罪深き双眸(ギルティ・アイ)”の未来予想図を裏切ることができるだろう。
その辺も含めての“二枚目”である。
未来が変更されたのであれば……たとえば同じワードで検索を掛けて該当なしならば、三薔薇の意思が「祐巳と祥子を姉妹にしない」という方向に働いたと見ていい。
こんな大事に巻き込んだ以上、祐巳には一刻も早い朗報を届けたいのである。責任の半分は自分にあることを認めている蔦子は、結果は動かせないが、嬉しい結果を持っていくことはできるのだから。
それと懸念がもう一つ。
まさかまさかと思いながらも――この騒動の発端を考えると本気で怖くなってきた、『この先、祥子と蔦子がここで向かい合う光景』という写真を撮ってしまう可能性である。
祐巳同様、今では蔦子も山百合会に出入りしている。まさか祥子が自分を気に入って姉妹に……なんて流れは、本当に全力で全身全霊で地球が滅ぼうとも絶対に避けたい!
祐巳には本当に申し訳ないと思うが、祐巳と同じ立場になるだなんて、想像するだけで冷や汗が止まらなくなる。何せ怖くて試せないほど恐ろしいのだ。というか祐巳はよく登校拒否にならなかったと賞賛を送りたいくらいだ。しかも今は山百合会に馴染んでさえいる。度胸があるというか、図太いというか……
ところで。
今、蔦子を悩ませているのが、さっき撮ってきた“二枚目”の存在である。
――未来は変わっていた。
――間違いなく、蔦子を越える力が横槍に入ったのだ。いや、入るのだ。このまま行けば。
しかし、しかしだ。
「…………」
写真をじっと見詰める。
「……なんで怪我してるんだろう」
小笠原祥子は松葉杖をつき、額に包帯を巻き、頬にはばんそうこう。
そして福沢祐巳は、腰が曲がった年寄りのように、両手で杖を支えになんとか立っているようなへっぴり腰。ぎっくりでもやったのだろうか。
しかしシチュエーションや表情や仕草のようなものは、一枚目とあまり変わらない。
相変わらず表情は柔らかいし、祐巳のロザリオ郡はなくなっているし、祥子は祐巳のペンダントヘッドのようなものを撫でている。
「……どうする、私?」
考えようによっては、一枚目と同様、とんでもない特ダネである。
これが、この祥子が誰かとの死闘の末の姿であるなら。
あの祥子が怪我をさせられる相手なんて多くない。確実なのは三薔薇か、支倉令か……由乃にはまだ無理かもしれないが、三勢力の幹部達も怪しいところだ。“冥界の歌姫”蟹名静も、力量だけなら祥子を軽く超える存在。まあ、そもそも一対一で負う怪我かどうかも不明なので、さすがに相手の推測範囲は広すぎるところか。
とにかく、『二十日以内に小笠原祥子が死闘を繰り広げる』という推測が成り立つのならば、色々と手を打ちたい人物や勢力がたくさん居るだろう。そういう人達には非情に価値のある情報となる。
ステルス系異能使いに祥子のマークをさせ、闘う様を撮影なりなんなりすれば、祥子の異能を完全に割り出すことも夢ではない。死闘であればあるほど祥子は自分の手の内を見せ続けるはずだ。形振り構っていられない相手だから怪我もするのだ。それに、弱ったところを襲う……いわゆる波状攻撃を仕掛けるにも、事が起こることを知っていれば好都合だ。
「二択かなぁ……」
そこそこのネタなら普通に取引材料になるが、こと山百合会に絡むことは、蔦子自身も取引相手も躊躇する。情報を渇望する気持ちはわかるが、それを知ることで思いも寄らない報復がやってくることがあるからだ。
祥子と祐巳の写真も、本当は取引には使わない予定だった。あれは単に由乃にむしり取られただけだ――ちなみに、なぜ由乃があの写真のことを知っていたのか、蔦子にはわかっていなかったりする。隣の部室の話し声は希に聞こえるが、隣の部室に漏れるこちらの物音のことは失念している。
今回はどうするか。
取引に困らない相手は、いる。
山百合会の面々や、祥子個人とだ。
前のように山百合会との関わりがない時は敬遠したいところだが、もう関わってしまって顔も名前も知られてしまった今、こうなったら最強の組織も蔦子の顧客である。
とにかく、取引云々より、恩を売っておきたいのだ。
貸しを作っておいて損はない。それも、祥子だけではなく、山百合会に……三薔薇に売っておきたいところだが、結果如何では祥子に恨まれかねないので、やはり祥子か、祥子の味方である“紅に染まりし邪華”水野蓉子に売るべきか。
もしくは、このまま破棄するか。
山百合会と関わることは、結構な率で蔦子の命を削る。これ以上深入りするのは止めておいた方が無難かもしれない。しかし破棄するにはネタが良すぎて勿体無い。出すところに出せば確実に恩が売れる。信頼できる相手に貸せば、それは蔦子の身を守ることにも繋がる。
「ああ、でもなぁ」
考えそうではないか。
三薔薇の内の誰かが、もしくは祥子が、あるいは祐巳が、蔦子と同じく「未来は変わったんじゃないか?」と。
そう蔦子に問い、“罪深き双眸(ギルティ・アイ)”でもう一度撮ってみてくれ、と言われれば……もしかしたら自分にとって不利益な相手が、この写真を手にすることもあるかもしれない。特に由乃に知られたらどうなるかわからない。そもそもこの写真がきっかけで祥子が襲われるようなことになれば、蔦子は祥子に恨まれてしまうかもしれない。
撮ってくれと頼まれるのは、それも蔦子の取引材料である。下手に断るわけにも、ましてや下手に誤魔化してそれがバレるという失態も、情報屋としては避けたいところだ。
とにかく油断はできない。
三薔薇を相手にするなら、特に。
一つ手を間違えれば、蔦子の首は飛ぶかもしれない。
紅薔薇に情報をリークするか、それとも破棄か。
「……うーん」
蔦子の悩みは尽きない。
リリアン滅亡への秒読みは、ここが開始時点だった。
もしこの時点で、蔦子が問題の二枚目を祥子かあるいは蓉子に見せていたら、未来は大きく変わっていたかもしれない。
この日より二日後の、山百合会二回目の体育館使用日に“撮る”三枚目の写真は、存在しない。
――該当なしになっているのだ。
すでに“復讐者”はやってきていた。
深い憎悪と哀切を胸に、リリアンを暗躍し始めていた。
「――由乃ちゃん」
放課後、教室から出たところで、由乃はいつもの訓練相手である上級生三人に捕まった。
「ダメって言ったじゃないですか」
顔を見るなり、由乃はいきなり言った。
いつもの相手には、学園祭までは山百合会の集まりがあるので闘えない、と断っていたのである。下手に遅れると三薔薇が迎えに来るから、という脅し文句はかなり効果的だった――まあ、脅しじゃなくて本当に来る予定だが。黄薔薇が。
「いやあ、三日に一度は由乃ちゃんの顔を見ないと落ち着かなくて」
「すごく退屈なのよ」
「山百合会なんてやめて私の妹になりなさい」
右から、“複製する狐(コピーフォックス)”、“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”、“鋼鉄少女”の三人だ。三人とも結構なレア異能持ちで、どこの勢力にも属していない孤高の存在である。
ちなみにこの三人、特別仲が良いというわけではなく、単に由乃を妹にしたいというロザリオ狩りの原点を目的としているか、山百合会狩りの第一歩の足掛かりとしているかのどちらかかどちらもである――いや、今なら、由乃と同じく闘うことで更なる高みを目指しているかもしれない。
その内この人たちは新勢力でも立ち上げそうだな、というのは由乃の予想である。急ごしらえだの友達じゃないだの、そういうレベルでは語れないほどの見事な連携を可能とするのだから。早く手ぇ組んじゃえよ、と思わず言ってしまいたくなるくらい息が合っている。
他にも数名の「いつものメンバー」がいるのだが、今日のところは来ていないようだ。
「あのですね、お姉さま方……」
そりゃ由乃だって闘いたい。日課のようにやりあって来たのだ、急にやらなくなったらどうにも落ち着かない。そもそもここ最近は闘ってもいないので、由乃の中にストレスが溜まり始めている。
だが、それも学園祭までの話だ。
今まで色々と迷惑を掛けてきた山百合会、特に手間と面倒を掛けてきた黄薔薇と、黄薔薇勢力幹部には、己の責務を果たすことこそ多少なりとも恩返しになると思っている。
だから今は我慢しているし、我慢することを決めている。
それなのにこうして会いに来て。
「冗談はともかく」
「はい?」
“複製する狐(コピーフォックス)”は衝撃的な内容を口にした。
「昨日、“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”がこっぴどくやられてね。学校休んでるの」
「え……!?」
由乃は驚いた。
“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”も、彼女ら同様の由乃の訓練相手である。
――“創生(クリエイター)”という物質に仮初の命を与える操作系異能の使い手で、彼女は更に物質を小さくすることができるという高度な応用力を持ち合わせていた。“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”のポケットには何が入っているのかわからない。ある種暗器使いのようなものである。
彼女は強かった。
“創生(クリエイター)”系は戦闘用能力ではないのに、“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”はそれを戦闘用にまで昇華していた。それも闇討ちや不意打ちを得意とする暗殺系ではなく、正面切っての一対一が得意なタイプにまで。闘うことに関してだけなら、もしかしたら由乃より強いかもしれない。
「誰にやられたんですか!? あの人が休むくらいやられるなんて並の相手じゃないでしょう!?」
「ほら。やっぱり由乃ちゃんじゃなかった」
由乃の反応を見て、ほら見たことかと“白と黒の罠(ホワイト・オア・ブラック)”は鼻を鳴らした。そして“鋼鉄少女”は「私の妹なんだから当然でしょ」とわけのわからない言葉で同意する――彼女は由乃にベタ惚れだった。最初はかなり戸惑ったが、由乃ももう慣れたものだ。
「詳しくはわからない。あの子がひどくやられるなんて相手、そんなにいないし。三薔薇勢力だったら幹部クラスが相手じゃないと圧勝は無理でしょ。でも幹部クラスが動けば噂くらい流れてくるものだし」
「……私も聞いてませんよ」
それに、三薔薇勢力が動いたのであれば、山百合会のメンバーにして黄薔薇ナンバー3である由乃の耳に入らないのはおかしな話である。
そもそも、昨日は相変わらず劇の稽古に集まっていたし、殺陣までやったのだ――あの後、由乃以外の山百合会メンバーが動いたとも考えられない。
「そっか。由乃ちゃんがやったって可能性は全くないと思ってたけど、もしかしたら何か知ってるかと思ってね。こうして会いに来たんだ」
「確かめてみないとなんとも言えませんけれど、たぶん山百合会も三薔薇勢力も動いてないと思います。だいたい昨日は体育館で稽古をしていたから、主だった幹部は周囲を張っていたはず」
由乃は「うーん」と唸り、頭を掻いた。
「外で小競り合いくらいはあったかもしれませんが、戦闘はなかったはずです。だから“暗殺人形”さまが体育館周辺……三勢力の幹部クラスにやられたとは考えられない」
「うん。由乃ちゃんが言うなら、きっとそうなんだろうね。……他の勢力にも多少探りを入れてみたんだけど、同じく収穫なしだった」
「何もわからない、ってことですか……」
「ははっ」
“複製する狐(コピーフォックス)”は笑った。
「『わからない』ってことがわかったじゃない」
「先輩つまんないっす」
「せ、先輩!? いや冗談とかトンチとかじゃなくてね!」
由乃の冷め切ったツッコミにも彼女はめげなかった。
「言葉の通り、わからない、ってことがわかったのよ。となれば、ある答えの可能性が高くなる」
「ある答え?」
「――新参者、かも」
「あ……」
ここでようやく、由乃にも話が見えてきた。
これは、ただ仲間……いや、知り合いが手を出されたことに対する警告だとか噂話だとかではなく、喚起である。
「もし新参者……つい最近異能に目覚めた者であるなら、か」
そうなると、非情に不愉快な話である。
最近になって目覚めたのであれば、異能使いとしてはとかく経験不足の低レベルである。
にも関わらず、そこらの勢力ならばリーダーを張っていても不思議ではないくらいには強い“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”が負けた、という事実。
――とんでもなく強い異能に目覚めたか、とんでもなく“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”と相性の良い異能使いか、とんでもなく卑怯な手を使って勝ったかのいずれかだ。
もっとも、
「一対多数で負けた可能性も捨てきれないのでは?」
「そうね。その可能性は捨てきれない。でも人数がかさめばそれだけ噂の核は大きくなる。にも関わらずネタが乏しい……あくまでも可能性よ。でもその可能性は、まず無視できない」
だからこの三人はこうして会いに来たのだ。
この話を不愉快に思う島津由乃に。
「目覚めたばかりの者が“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”を狩った……か」
苦労して苦労して痛い思いをたくさんして死にかけたり大怪我したりして断崖絶壁どころか並の身体能力さえあれば飛び越えられるようなハードルさえよじ登って越えてきたような由乃である。
最初から強い者なんて、ただただ不愉快なだけだ。素質の高い者など大嫌いだ。
――というのも、八割あるが。
三人が言いたいのは、残りニ割の方だ。
「強い新参者は、調子に乗って山百合会に手を出すからね。その中でも一番弱い由乃ちゃんをまず狙う。小手調べとばかりに」
そう、その可能性である。……いろんな意味で一応は心配してくれているのだろう。そこに個人的な打算や計算さえなければ泣いて喜びたいくらいだ。
「“狐”のお姉さまみたいに?」
「私も含めてほしいわね」
「“白黒”さま、最近太りました?」
「由乃ちゃんが遊んでくれないからカロリーを消費し切れてないのよ!」
「ちょっと! 私の妹に難癖つけないでくれる!?」
「まだ違うでしょ!」
「あーもう鬱陶しい……だから一人で来たかったのに。はいはい、もう行こうもう行こう。じゃあね由乃ちゃん」
迷惑そうに眉を寄せる“複製する狐(コピーフォックス)”は、騒ぐ二人の背を押して立ち去った。
相変わらずうんざりするほど元気そうで何よりだ。
……それにしても。
(確かに気になるわ)
あの“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”を倒した者がいる。そいつは新参者……目覚めて間もない者かもしれない可能性がある。
そして、目覚めたばかりの自分の強さを確かめるためにも、いきなり山百合会を狙うかもしれない。自分がどの程度で、最強集団がどの程度かを肌で感じるために……経験不足は過ぎた慢心と混ざり、試さずにはいられないほど強い好奇心が芽生えるものだ。
だとしたら、“複製する狐(コピーフォックス)”の言う通り、山百合会で一番弱い由乃を真っ先に狙うだろう――それは由乃自身もわかっている。むしろ山百合会打倒を掲げるのであれば、まず由乃を狙って学園最強の組織の実力を探ってみたりするものである。由乃なら非常に狙いやすいのも一要因だが、単純に山百合会の下っ端のレベルを知っておきたい、という理由の方が大きいだろう。
由乃に勝てなければ、まず蕾にも勝てず、三薔薇なんて一瞬の勝機さえ存在しない。
そういうことである。
「情報が欲しい……けど、まあいいか」
由乃は踵を返し、歩き出した。
――桃組に行って、祐巳と志摩子と蔦子を迎えに行くのだ。
この件に関する情報は欲しいが、何かあるなら、きっとなんらかの形で耳に入るか、または目的の人物は目の前に現れるだろう。
結果的に山百合会の窓口のようになっている由乃には、「探る」他に「待つ」という手段もあるのだ。
そしてその判断は、半分は正解だった。
「……うーん……」
どう見ても私の客だな、と由乃は思った。
祐巳達と合流して校舎を出たところで、中庭の隅に佇む一人の女生徒に目が止まった。
見覚えはない。
しかし、明らかにこちらを……由乃を見ている。
その目には殺意も敵意もなく、感情も読み取れない。だが何かしら言いたいことがあるから見ているのだろう。
「どうしたの由乃さん?」
「知り合い?」
祐巳と蔦子が問う。
最近の由乃であれば、見なかったことにして無視して稽古に行くところだ。
しかし、“複製する狐(コピーフォックス)”達と会った直後である今、見覚えのない顔なのが非常に気になる。
好奇心……というよりは、警戒心の方が強いかもしれない。
別に敵討ちや仕返しがしたいだの、そういう気持ちはまったくないが、名前くらいは聞いておいてもいいかもしれない――彼女が“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”を狩った本人であるなら。
「由乃さん、あの人」
「わかってる」
志摩子の言いたいことを遮る。
そう、わかっている。
これも目覚めたせいなのか、目覚めている者――それも力量が強い者は、見ただけでなんとなく感じられるのだ。経験に寄る勘なのかもしれないし、磨かれた感覚がわずかだが明らかに異質な力の存在に触れたりするのかもしれない。
彼女は間違いなく目覚めている。
それもかなり強い力を感じる。
「志摩子さん達は先に行ってて」
「由乃さんは?」
「彼女、私に用があるみたいだから、ちょっと話してみる」
本当に話だけのつもりである。
荒事にする気はあまりないが、まあ、それも相手次第。
知り合いの敵討ちなんてする気もないけれど、気に入らない相手なら一発か二発はぶち込んでやりたい。別に敵討ちや仕返しなどではなく、単に最近溜まっているストレスのはけ口に。
「……皆には遅れるって伝えておくけれど、早く合流してね。祐巳さん、蔦子さん、行きましょう」
志摩子は少しだけ心配げに由乃の横顔を見詰めると、二人を伴って薔薇の舘へと行ってしまった。
残された由乃は、まっすぐにその女生徒に歩み寄った。
「私に何か用?」
相手は動かず、ただただ由乃を見詰めている。感情も見えなければ表情も乏しく……というより、どこか無気力な感じがする。
長い黒髪を首の後ろで一括りにまとめただけの質素な髪形で、身長も体格も特徴らしい特徴がない。いわゆる「普通」である。祐巳と比べても圧勝できるくらい普通の女生徒だ。
「……あなたは」
彼女はゆっくりと口を開いた。
「あなたは、島津由乃さん」
「そうだけど」
「“玩具使い(トイ・メーカー)”の」
「そうよ。……で?」
由乃の瞳に、暴力の色が灯る。
「あなたは誰?」
「……私は“竜胆”なんですって」
「へえ?」
自然と口から笑みがこぼれた。ついでに殺気も漏れ出した。
「華の名前を持つってことは、山百合会に宣戦布告するわけね」
リリアンで華の名を冠するのは、三薔薇と蕾だけである。由乃でさえまだ継いでいるわけではない。
それはともかく。
自称だろうが他称だろうが、山百合会以外で華の名を持つ者は、山百合会と対等な立場でケンカを売る行為である。過去、幾度も華の名を持つ人物や組織が現れた。その都度山百合会が容赦なく叩き潰して来た。
リリアンに華の名を持つ者は、山百合会以外に存在しない。
――潰されるからだ。すぐに。
名前は、良かれ悪しかれ力を持つものである。名は体を表すという言葉もあるし、言霊という言葉が持つ力というものもある。
反乱分子は数多くいるから全てを相手にするのは面倒だが、目障りな反乱分子なら、さっさと摘み取るべきである。
「私は、山百合会にはあまり興味ないけれど」
「……けれど?」
「強い者が正しいってルールは、きらい」
「――」
もう言葉はいらない。
由乃は即座に、“竜胆”の額目掛けてマグナムの引き金を引いた。前動作の素早さからほとんど奇襲に近い一撃だった。
重苦しい銃声が、高らかに空へ響いた。
――案の定、“竜胆”は首を傾げるようにして弾丸を避けていた。
まず当たらない、とは思っていた。
近くに寄るだけで、全身の毛が逆立ちそうになるほどの強い力を感じている。緊張、あるいは極端に近くにある死線に本能が震えているのかもしれない――由乃には友達と呼べるくらい付き合ってきた感覚だ。嫌いではない。
しかし、これほどとは思わなかった。
近くに寄れば、“紅目”になった水野蓉子くらいの圧力さえ感じられる。
「由乃さんは私に勝てないけれど、それでもやる?」
「誰に向かって言ってるの? この新参者」
「じゃあ――」
「あ、待った」
右手を上げかけた“竜胆”に待ったを掛け、由乃は一応確認を取った。
「あなた、昨日“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”と闘った?」
「いいえ。昨日は闘ってない」
「ああそう。なら結構」
「……もういい?」
「いいよ。……って、なんか緊張感なくなったわね」
「そうだね」
“竜胆”はかすかに笑う。初めて感情らしい感情を見せた。
刀だ。
“竜胆”の左手には、鮮やかな藍の鞘に納められた刀が一振り。右手は柄に添えられ、腰を落とす。
居合の型。
由乃と同じく具現化系。刀剣や刃物全般を使う者は多く、刀使いも無数にいる。接近戦に於いて素手と刃物なら圧倒的に刃物の方が有利であるから、この手の武器を選ぶ者は多かった。
ただし。
力量のせいか、それともそういう能力なのか……いや、この感じは、ただ純粋な力だろう。
“竜胆”の刀は、ほのかに蒼い光を放ち、ゆらゆらと煙のようなオーラを漂わせている。
――“紅に染まりし邪華”水野蓉子も、能力を使用する際、強力すぎる力のせいで“紅目”という可視化現象を起こす。それに“女王を襲う左手(クイーン・レフト)”を発動させている時は、その左手は紅のオーラを放つという。
つまり、単純に考えれば、“竜胆”は薔薇の名を冠する者と同格ということになる。
(力だけなら、ね)
己と相手のとてつもない力量差を認識しても、闘争心には一切の曇りもない。
それは、単純な力だけなら非常に弱い由乃だからこそ、強く強く実感してきたことである。
力だけで勝負が決まるのであれば、由乃はとっくに走るのを止めている。
ここまで走ってこれたのは、それだけで勝敗が決しないことを知っているからだ。
(まさか刀の具現化だけが能力ってわけでも――っとぉ!)
由乃が思考を巡らせる最中、“竜胆”は動いた。
音のない摺足から左、左、右のフェイントを交えて一瞬掻き消える姿――残像を見抜きあえて前に飛ぶと、背後から青白く輝く刃が一線し、由乃がいた空間を鋭く切り払った。
空振り――しかし反撃は行わない。
「うわ早っ!」
予想以上に返しが早い。左から右に駆けた刃は、まるでかわされることが解っていたかのように反対側から返って来た。しかも一歩踏み込んで、確実に由乃を有効範囲内に捉えている。由乃は半歩分だけ身を引き、上半身を逸らして一寸程度の間隔で切っ先から逃げる。
更に“竜胆”は切り上げて顎を狙い――かわされると見るや即座に手首を返し、由乃の前髪を数本持っていった。
(……良い動きだわ)
一撃で止まらない。
仕留めるまで動き続ける。
油断せず、慢心もせず、ただ己の死活を尽くし相手を倒すことだけに邁進する。
しつこく由乃を追いかけてきているのは、由乃の飛び道具を警戒してのことだろう。この距離を保つことが勝利への道だと確信しているのだろう。――というより、自分の得意な間合いがたまたま由乃の不利な距離だった、と思った方が近いかもしれないが。
模範的回答だ。間違ってはいない。
由乃は近距離戦ではなく、中距離で闘うのが基本スタイル。由乃的にもそこが一番力を発揮できる距離である。
だが、どちらにせよ、甘い。
弱点をそのままにしてここまで来れるほど、由乃の歩んだ道は楽ではなかった。
接近戦なら“鋼鉄少女”に嫌というほど鍛えられている。うんざりするほど鍛えられている。大嫌いだった接近戦が好きになってしまうほど鍛えられている。
もしこれが“竜胆”の全力なのであれば、もうすでに見切った。
「ねえ」
嵐のような剣撃を全て避けながら、由乃は不機嫌な声を上げる。
「本気出さないと、今すぐ倒すわよ。――こんな風に」
「っ!」
“竜胆”の動きが止まった、というより止められた。
銃口が、“竜胆”の額に当たっている。
紙一重で避けると同時に踏み込み、刀の範囲より更に接近した由乃は、“竜胆”の爪先を蹴ってわずかに注意を逸らすと――気がついたら額に銃口だ。早業、というよりは、もはや芸術の域である。
撃つつもりなら、すでに撃っている。
それがわかったから、“竜胆”も動かなかった。下手に動くと本気でやられると理解したからだ。
「あなた、知ってるでしょ」
「……」
「私が誰なのか、あなたが今誰を相手にしているのか、もう一度思い出しなさいよ」
由乃はマグナムを下げる。手を伸ばせば触れられるような距離で見詰め合う。由乃は不機嫌そうに顔をしかめ、“竜胆”は無気力な無表情だった。
「これで全力なら、悪いことは言わないから退きなさい。あなたとは遊びにもならないから」
「……そうだったわね。あなたは島津由乃さん。山百合会の一人」
「思い出した? 私も最強の一員なのよ。……末席が定位置だけどね」
由乃が勝気に微笑むと、“竜胆”も一歩離れて微笑んだ。
「あまり使いたくなかったけれど……」
「放課後すぐの中庭。誰が見てるかわからないからね。きっと何人かは今私達を見てるわ。でも一度オープンにしちゃえば、もう闘う場所を選ばなくて済むようになるわよ? 誰が見てようが遠慮もいらなくなるし」
「由乃さんみたいに?」
「これはこれで楽なのよね」
“竜胆”は頷いた。
「由乃さんって面白いね」
ズン
「……ぅぁ」
変な声が漏れた。
「山百合会って、由乃さんみたいな人が集まってるの?」
足が震える。少しでも気を抜くと膝が折れそうだ。
「だったら、ちょっとだけ興味が沸いてきたわ」
この圧迫感。空気さえ足枷になるこの感覚。
「まさか……」
――力の強さだけでも危険だとは思っていた。基礎能力は由乃を楽々越えていて、唯一自慢できるスピードも、ほんの少し勝るか同等くらい。総合的なスペック差は計り知れない。
しかも、これだ。
「……激レア能力だわ、“竜胆”さん」
“空間(フィールド)”系……無差別支配領域である。
今現在、リリアンには一人か二人しかいないほど珍しい“天才”異能。確か二年の“冥界の歌姫”蟹名静もこれだ。
“竜胆”の異能は、“重力空間”。彼女を中心にその支配領域は広がっているはず。
スピードしか自慢できない由乃にとって、相性最悪の異能である。
全身どころか頭にまで重石を強制された由乃に掛かるGは、軽く七十キロを越えている。目覚めていない者に比べれば基礎能力……力も強くなってはいるが、重いものは重いのである。あまり力も強くなっていない由乃にとっては特に辛い。
「ところで“竜胆”さん」
由乃はすこぶる良い笑顔を浮かべた。
「私、ちょっとお腹痛くなってきたから、今日のところはこれくらいにしとかない?」
「大丈夫」
“竜胆”もすこぶる良い笑顔を浮かべた。
「これから、お腹の痛みなんて気にしていられないくらい、いろんな場所がとても痛くなるから」
「…………そりゃ頼もしいわ」
やっぱ逃げるの無理か、と由乃は思った。