【3171】 運命の紅い糸  (海風 2010-05-11 13:36:42)


【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】から続いています。











 知りたがりが高じたのだろう。
 新聞部部長・築山三奈子を知る者は、必ずそう結論を付ける。
 そしてそれ自体に、三奈子本人の反論はない。

 ――築山三奈子の異能は、“嘱託調査書(アンケート)”である。

 定めたキーワードを含む質疑応答を繰り返すことで、対象の基礎能力から異能、それも本人さえ知らないような潜在能力まで割り出すことができるという、好奇心の塊のような能力である。
 しかしその特殊性と条件の厳しさとを考えると、まず誰にも知られないことが鉄則になる。理想としては何も知らない相手に世間話やインタビュー形式で仕掛けるのが主な使い方である。
 もし知られたら、誰も質問に答えてくれなくなるから。
 新聞部内でもトップシークレットとして扱われていて、一部の部員しか知らない事実となっている。
 ところで、新聞部の部室に厳重保管されているブラックリストには、様々な折に山百合会にやらせた“アンケート”がファイリングされている。
 三奈子のたぎる情熱と更なる探究心が、“質疑応答を具現化する”という進化を促した。三奈子が作った“嘱託調査書(アンケート)”具現化版に答えさせるだけで、三奈子が知りたい情報を引き出すことが可能となったのだ。
 ただし、色々なことを知るためには、相応に質問の数も多くなってしまう。何よりバレることを避ける上で、相手に疑問の余地さえ抱かせない自然な長さを考慮した結果、一枚の“アンケート”で知ることができるのは、二つか三つまで。
 相手に、この場合は山百合会メンバーに怪しまれないようキーワードを散りばめた結果、全員共通で割り出せたのは、基礎能力と力量の二項目である。
 基礎能力は、目覚めた時に身体能力の向上……つまり基本的な運動能力のこと。そして力量は、異能そのものの強さである。
 ランク分けは、わかりやすいSからDまでで評価される。Sクラスはリリアンに数えるほどしかいない。


“紅に染まりし邪華”水野蓉子。
 基礎能力Aクラス、力量SSSクラスという、とんでもない化け物である。三薔薇の中でも紅薔薇が一番能力的には優れていることになる。特にSSSクラスなんて、三奈子の知る内では彼女一人だけで、彼女がいたから新たな上限が発現してしまった。

“白き穢れた邪華”佐藤聖。
 基礎能力・力量ともにSクラス。近年希に見る優秀さで、偏りのない総合力はいかなる曲面でも万能に働く。彼女は誰に対しても優位に闘える、そんなオールラウンドファイターだ。

“黄路に誘う邪華”鳥居江利子。
 基礎能力A、力量Sクラス。ランク上では三薔薇の中で一番劣るが、彼女の場合は戦闘以外でも応用が利く“瞬間移動”を得意とする。まともに闘うだけが戦闘ではないということを体言している人で、まともじゃない闘い方なら、彼女が一番強いだろう。

“輝く紅夜の蕾”小笠原祥子。
 基礎能力、力量ともにギリギリでAクラス入り。ただし去年、自身のお姉さまとリリアン史に残るほどの死闘を演じたという実績がある以上、本当にこのランクで正しいかどうか疑わしい。単純な数値やランクでは推し測れない何か……それらを補って余りある異能を持ち合わせている可能性が高い。

“疾風流転の黄砂の蕾”支倉令。
 基礎能力S、力量Bクラス。彼女の場合は、特に特筆することがない。ただただ単純に強い、それだけだ。白薔薇に継ぐオールラウンドファイターである。

“純白たる反逆の蕾”藤堂志摩子。
 基礎能力B、力量S。ただし彼女は“反逆者”なので、あまり意味はないかもしれない。闘うための能力も持っていそうだが、持っていても使わないだろう。




 そして、“玩具使い(トイ・メーカー)”島津由乃。
 彼女のランクは、ひどいものだった。
 基礎能力C、力量Dクラス。三薔薇勢力であれば、末端で燻っているような半端な異能使いと同格。上を目指すだけの野心はあろうと身体や能力が付いていかず、何をすることもできずすぐに蹴散らされるような存在。
 更に悲惨なのは、低ランクなだけならまだいいが、目覚めた異能は戦闘用能力。三奈子のような情報系やステルス系や“反逆者”と違い、闘うことしかできないという悲しい事実。
 しかもそれで山百合会入りである。事あるごとに襲われ、事あるごとに戦闘に狩り出され、事あるごとに身内から白い目で見られたりするのだ。
 今現在、リリアン高等部でここまで不遇な異能使いは本当に珍しい。

 ――そう思ったのが、六月半ば頃だっただろうか。




 校舎三階の窓から見下ろす先で、“玩具使い(トイ・メーカー)”島津由乃と、見慣れない女生徒が闘っている。
 築山三奈子は素直に驚いていた。
 あまりに悲惨すぎて、山百合会は由乃だけずっとマークしていなかった。どうせ耳に入るのは敗北と怪我の報告、山百合会からも黄薔薇勢力からもないがしろにされ、ついには学園に居場所がなくなって……という未来しか思い描けなかったから。黄薔薇・鳥居江利子も残酷なことを認めたものだと思っただけだ。
 だが、今はどうだ。
 予想通りちょくちょく襲われているという噂は聞いていたが、まさか上り詰めているとは思わなかった。いつも負けていじけてやさぐれているとばかり思っていたのに。
 なのにどうだ。あれは。
 降るような刃の斬撃の雨を、すべてかわしている。
 三奈子には追えないほどの速さで動く刀使いに対し、由乃は必要最低限の動きでやりすごす。一つでもまともに浴びれば致命傷確定にも関わらず、その動きには余裕さえ伺えた。
 ただし、結構斬られているが。
 切っ先が掠っているのだろう、由乃の制服はところどころが斬られている。それどころか制服だけではなく、その下の肉体まで到達しているようだ。わずかに覗く白い足首とソックスは滴り落ちる血に染まり、動くたびに血が飛び散っているようで、由乃を中心にして地面が赤く染まり始めている。

「あ、お姉さま」

 その声に、三奈子は振り返らない。誰かくらいは声を聞けばわかるからだ。

「何を見て――あ、由乃さん」

 横に並んで、同じく窓からの景色に目を奪われたのは、三奈子の妹の山口真美だった。

「……って、なんですかあれは!?」

 真美が驚いたのは、刀使いの方にだろう――そう、初見で三奈子もバッチリ驚いた。むしろ由乃よりまずそっちに注目したくらいだ。

「目視できるほど強力な力を持っている、ってことでしょ」

 あの刀使いの刀と鞘からは、煙のような蒼いオーラが立ち昇っている。

「まさか……オーラの可視化なんて、紅薔薇くらいしかっ……!」
「単純に考えれば、あの刀使いは紅薔薇と並ぶくらいの力を持っているかもしれない、ってことね」

 自分で言っておいて、そんなバカなことが、とは三奈子自身も思っている。
 しかし事実見えるのだから仕方ない。
 姉が妙に冷静なせいか、真美もすぐに落ち着きを取り戻す。確かに疑おうが信じかねようが、今、目の前で起こっていることを否定する理由にはならない。
 そして、気になることが一つ。

「あれ? 由乃さん……」
「すごいわね、由乃ちゃん。あの動きにちゃんと付いていってるわ」
「え?」
「……ん?」

 視線を感じて、ようやく三奈子は真美を見た。真美は不思議そうな顔をしていた。

「由乃さん、普段はもっとすごいですよ?」
「へ?」
「あんなもんじゃないです」

 真美は眉を寄せて、再び由乃と刀使いを見る。

「どうしたんだろう。あのくらいの相手の動きなら、掠らせることさえ許さないのに……遊んでる? いや、わざわざダメージを受けてまでやるとは思えないし……」
「ちょっと待って。由乃ちゃんってそんなに強くなってるの?」
「強くなってるというか、強くなるしかなかったというか。お姉さまみたいな人に認めさせるためにがんばったんでしょう」

 なんだかんだで、真美はずっと島津由乃を追っていたのだ。同じ一年生の山百合会メンバーということで知り合いじゃない頃から注目していたし、そんな感じだったから由乃の戦闘の推移というものをなんとなく見守ってきた。
 数多の挫折と敗北を重ね、少しずつ洗練されていく動きは足運び一つから変わっていき、たくさんの勝利を得てきた。由乃がどれだけがんばってきたか、真美はよーく知っている。
 由乃の地獄に等しい苦労時代を見てきたから、ちょっとだけ、贔屓をしたくなるのだ。何くれと声を掛けてみたり、由乃のお姉さまに睨まれるのを覚悟して面白そうなネタを流してみたり。
 真美や三奈子には闘う力はないが、いわゆる観戦は重ねてきている。特に真美は、由乃の動きは詳しく知っている。
 だからわかる。
 今の由乃の動きは、何かがおかしい。

「あの刀の人の動きもすごいですけど、いつも闘っている“鋼鉄少女”の方が手数が多いんですよ」
「鋼鉄……あの肉体変化系の?」

 肉体を金属などに変質させるという、結構レアな異能使いだ。三奈子調べでは基礎能力・力量ともにB程度だったはずだが。

「両手両足ついでに敵複数の状況でさえ、由乃さんは滅多に身体に触れさせません。私は由乃さんが一番鍛え上げた能力は見切りだと思っています」

 何せ、できなければやられるだけの状況だったのである。
 本人もわかっているし周囲も知っている。
 由乃には弱点を補えるだけの長所がなかった。
 いや、長所さえ見付けられなかった。
 作り出す銃はニューナンブくらいの小口径でも五秒は要し、引き金を引けば飛び出すのはBB弾張りの弾丸。スピードはあってもそれを直接攻撃に転換できるほど基礎能力……腕力辺りは貧弱で、下手をすれば攻撃を加えた結果自分の手首を痛める等の、逆にダメージを負うことにもなったりした。長所らしい長所と言えば、骨力が高いおかげで手ひどくやられても骨折だけはしたことがないくらいか。
 よくここまで這い上がってきたと、真美は感動さえしている。
 肉体的にも、そして異能の力量的にも、当時とそれほど差はない。多少は伸びただろうが、しかし爆発的な成長はない。
 ――全ては、慣れだった。
 由乃の“玩具使い(トイ・メーカー)”は、銃器というより“火薬”の才である。それを最も活かせる媒体として銃、それも拳銃を選んだ。
 具現化で一番簡単に作り出すことができ、単純に威力を発揮する武器は、刃物である。石包丁、石槍、青銅ナイフ、鉄拵えの刀剣類、素材は違えど原始から二十一世紀に至るまで、その有効度を主張し続けている。
 この辺の二択も、由乃はきっと悩んだだろう。BB弾くらい弱い弾しか出ないのであれば、いっそ獲物を代えた方がいいのではないか、と。“火薬”の才能があろうとも、それを活かすことができないのであれば、宝の持ち腐れだ。それよりは才能はないが刃物……切れ味も鈍いだろうナイフでも具現化した方が、BB弾よりはよっぽど強いのではないか。
 そんな試行錯誤を重ねた結果が、今日の“玩具使い(トイ・メーカー)”島津由乃である。
 脆弱な力でも、一発ずつの小さな弾丸までに凝縮すれば、充分な殺傷力を持った。
 拳銃の構造をよく知ることで、構成力……作り出す速度を徹底的に磨き上げた。
 そこまで辿り着いてから、本当の意味で由乃の才覚が輝き始めた。
 銃器を選んだ由乃は、間違っていなかった。

「最近では、ある程度の相手なら銃を使わなくても闘えるようになってますよ」

 由乃は更に進化している。きっと真美の知らない奥の手も幾つか考えているだろう。

「よく知っているのね」
「見てましたから。なんとなく」

 べったりマークしていたわけでもないが、結構意識して見ていた。真美が磨いた観察眼は由乃と一緒に成長してきたとも言える。それくらい見てきた。

「じゃあ質問。由乃ちゃんはなぜ攻撃しないの?」
「じっくり待ってるんですよ。相手の疲労、隙、弱点、能力の見極め……自分が相手の得意距離にいる間、ずっと観察してるんです」

 そしてそれは、相手の心を折る、いわゆる「余裕」という虚像を見せることにも繋がっている。
 由乃は、さも「いつでも倒せるけど精々がんばってこの私を疲れさせてみれば?」くらいの余裕を見せる。本当はだいたいかわすのが精一杯だったりするのに。攻撃することを放棄して回避することに専念しているだけなのに。
 相手は攻撃を続ける、それが当たらない。段々焦れてくる。焦りは徐々に不安と入れ替わり、いつしか「相手は自分より格段に強いかもしれない」と、自分で自分に暗示をかけ始めるのだ。
 そこまで行けば、もう由乃の勝ちである。どうとでも転がせる。

「でも今回はおかしいです」
「そうよね。めちゃくちゃ斬られているものね」

 そう、めちゃくちゃ斬られているじゃないか。薄皮一枚、致命傷どころか肉を斬られることも避けているようだが、もう制服もボロボロだ。太股は剥き出しになり、頬にも切り傷を負い、袖も斬られて覗く二の腕から赤いものが伺える。
 でも、ここまでされても動きが揺らがない……焦りも感じさせないのは、由乃らしい。経験上、弱気を見せたら一気に攻め込まれることがわかっているのだろう。
 だがこのままでは結果は一緒だ。出血のせいでいずれ必ず動きが鈍ってくるはずだ。

「この状況で攻勢に出ない……なぜ? 由乃さんは大人しくダメージを受け続けるようなタイプじゃないのに……」
「真美が言った通りなんじゃない?」
「え?」
「何かを待っているか、探っているんでしょ――たぶん相手の能力を」

 三奈子にも段々わかってきた。
 真美が言う以上、そして目の前で繰り広げられている以上、疑う余地などない。
 目を離している間に、由乃は強くなったのだ。
 それを認めればこそ、三奈子も一人前の異能使いを見る目で、それも山百合会幹部を見る目で由乃を見始める。
 ――真美の言う通り、由乃は相手を観察しているのだ。襲い来る刃を、血の雨を降らせながらかいくぐり、頭の中をフル回転させているに違いない。
 そう、確かに気になる。
 オーラが出るほど強力な力を持つくせに、まさか能力が刀の具現化だけではあるまい。

「由乃ちゃんの動き、おかしいの?」
「あ、はい。どこがとは言えないんですが……でもあれくらいの相手の動きなら充分対応できるはずです」
「でも実際は掠っている」
「なんでだろう……」
「単純に考えれば、相手が速いか由乃ちゃんが遅いか、よね」
「あっ」

 真美は気付いた。

「そうか。由乃さんが少し遅いんだ」

 いつも見ている動きと同じではあるが、どこか違和感が残る。
 その正体は、そう、全体的に遅いのだ。それも気のせいかと思えるくらいほんのわずか。コンマ1、2秒ほど。そのせいで斬られている、ような気がする。
 正解である。
 由乃の見切りは狂っていない。いつもならそれでかわせているはずなのだ。

「遅い、ね。つまり」
「それがあの人の異能?」
「その線が濃厚ね」

 では、問題は。

「その能力は?」
「最初は“毒物”系だと思ったけれど、そうだったら由乃ちゃんはもう立っていられないわよね。遅効性にも程があるし、そういう能力は無差別に流布か、直接攻撃に付加させるもの。今の由乃ちゃんの動きにその兆候は見られない。だからその線は薄い」
「そうですね。ダメージは負っても、それでも一定速度を保っている。……“念動”系? 足に見えない手が絡み付いてるとか」
「だとしたら、動きに不自然さが表れるんじゃない?」
「……そうですね」
「相手が加速していくならわかるのよね。でもそんなことはなくて、由乃ちゃんが遅くなっているという事実。……まさか“重力”系?」
「レアですね」
「それもなんらかの条件で付加するものではなく……“空間”系の?」
「それって、十代くらい前の薔薇が使った幻とまで言われる……」

 そもそも“空間”系自体が珍しく、更に効果が同じとなれば前例が極端に少ない。何せ“その場所への無差別効果”なんて、内容によっては避けようがない。そんな万能能力がホイホイ現れたら堪ったものじゃない――というのもあるが、そもそもそういう存在だから“天才”系とカテゴライズされるのだ。
 そんな中でも特に恐れられるのが、“重力空間”と“吸収空間”、それに“無効化空間”と“薬物空間”の四つである。
“重力空間”は、その字の語る通りの強制重量付加。今由乃は、大人一人を担いだまま闘っているとか考えれば早いかもしれない。

「――さすが情報屋さん。見る目が違いますわね」
「「ん?」」

 聞き慣れない声に二人は振り返る。そこには見覚えのない生徒が一人。ソバージュ掛かったような波打つセミロングが特徴的だ。

「ごきげんよう。私は“雪の下”です」
「雪…?」

 聞き慣れない名に首を傾げる三奈子に、真美は囁く。

「“ユキノシタ”。キジンソウやミミダレグサとも呼ばれる……華の名前ですよ、お姉さま」
「あら」

 リリアンに於いて華の名を持つ者は、山百合会に属するか山百合会に敵対すると宣言する者のみだ。
 自分で名乗るということは、間違いなくそういう意味で使っているのだろう。

「博識ですわね、山口真美さん」
「……それはどうも」

 なんにしろ胡散臭い奴に違いはない。特に華の名を自分で名乗る辺り、自意識過剰か自信過剰のどちらか、またはどちらもだ。
 そして、過ぎた自己主張のせいで山百合会の報復がやってきて、すぐに消えていくのである。二週間もすれば「そういえばそんな人もいたね」と、名前も思い出せないような負け犬になっているだろう。

「彼女」
「彼女?」
「今、島津由乃さんと死合っている彼女……“竜胆”というのですが」

 また華の名前か――三奈子は話題性のみに着目して内心面白がっているが、真美は少々不快に思っている。華の名を背負う覚悟と苦労を、由乃を通して学んだからだ。簡単に名乗ってよいものではない。

「彼女の能力はお二人の看破した通り、“重力空間”です」
「なぜ知っているの?」
「私の仲間だからです」

“雪の下”は割って入るように新聞部二人の間に陣取り、窓の下を覗き込む。そこには相変わらずの攻防が繰り広げられている。

「でも、どうやら分が悪いようです。島津由乃さんならすぐに倒せると思っていたのですが、山百合会は予想以上に手強いみたいですわね」
「あなたの仲間が一方的に攻めているようだけど?」
「あれは攻めているのではなく、攻めさせられていると見るべきでしょう。長期戦になればなるほど有利ではあると思いますが、その前に……自分が潰れる前に、島津由乃さんは終わらせるはず。その時勝負は決する。――つまり良いように遊ばれているのです」
「…………」
「“竜胆”の負けです。……まだ名前を失うには早すぎるので、」

“雪の下”は窓を開けると、窓枠に片足を掛けた。

「止めてきます。ごきげんよう、お二方」

 そして、彼女は“飛んだ”。




 窓枠から離れた足は、白いオーラに包まれる。
 宙に身を投げた“雪の下”の全身からそれは漂い始め、彼女は白い炎に燃やされた。
 両手を広げゆっくりと落ちていく様は、まるで十字の柱に磔にされた聖者のようにさえ見えた。
 もちろん、彼女は聖者などではない。
 しかし、もしかしたら、人間ではないのかもしれない。

 ――“雪の下”の背には、一対の穢れのない白い翼が現れていたから。




 光に包まれた彼女は、一度だけ翼をはためかせホバリングすると、獲物を目掛けて襲い掛かる鷹のように急降下していった。

「……危ないわね」
「……危ないですね」

 目の前で繰り広げられた、神々しいとまで思えるような光景に圧倒されていた三奈子と真美は、そう呟くことしかできなかった。




“竜胆”と対峙している由乃は、非常に冷静だった。
 幾度も身体を掠める刃など、ものともしない。
 これ以上スピードを上げることはできない。重心を横や斜めに傾け過ぎたら、“重力”に崩される。そうなれば、それこそ格好の的になる。

(それにしてもすごいな)

 彼女の動きや応用力を鑑みるに、明らかに新参者、闘い慣れていないルーキーである。教科書通りの攻め手、とでも言えばいいのか……しかし心理的なブレがない。精神的な強さも並外れている。
 普通、ここまで攻め込んで決定的な一撃が与えられないなら、焦るものである。知らず深く踏み込んだり、浅はかに虚を突こうと隙だらけの行動を起こしたりするものなのに、彼女は根気強い「待ち」を選び続けている。
 たとえ掠り傷でも、ダメージを与えている。あとは“重力”で体力を消耗させ、いずれ決定的な一撃を加えよう――そんな風に考えているのだろう。
 大したものである。新参者でこれだなんて、将来が恐ろしいくらいだ。――やはり素質が高いものなんて大嫌いだ。
 ――そして、“竜胆”も考えている。
 これ以上踏み込んで攻撃すると、由乃の反撃が来ることがわかる。ほんのわずかスピードを緩めただけで、銃弾がどこかを狙ってくる――頭なんてかわしやすい場所ではなく、的の大きな身体を狙ってくるだろう。
 何より、由乃の表情……取り分け瞳である。
 自分の血しぶきが舞っているのが視界に入っているはずなのに、口元には余裕の笑みが浮かび、瞳には己の勝利を確信している自信が伺える。
 何かあるのだろう。
 奥の手というか、切り札みたいなものが。
 この距離、このスピードなら、由乃の銃弾に反応できる。たとえ斬撃に合わせたカウンターでもかわせる自信がある。
 なのに、由乃は身体を斬られることなど構いもせず、銃さえ持っていない丸腰である。この状況で「待ち」を選ぶなど正気ではない――だからこそ隠し玉の存在が伺える。もしくは、由乃がそう見せかけている。
 はったりにせよ奥の手があるにせよ、由乃が痩せ我慢を続ける限り、このまま削り続ければいい。体力も、血も、痛みも、心さえも。
 そして奥の手を回避できれば、もう勝ちは見えて――

「「……ん?」」

 それは音だったのか、声だったのか、あるいは気配だったのか。
 何かを察知した由乃と“竜胆”は、同時に横を、同じ方向を見た。

「なっ…!?」
「“雪”…?」

 由乃は驚愕し、“竜胆”はやはり無気力だった。
 超高速で飛来する人――いや、白い翼といい、落ちるでも跳ぶでもなく明らかな飛行してくる姿といい、まるっきり“天使”である。全身を輝かせ、まるで闇を貫く光の矢のように迷いなく一直線に向かってくる。
 それぞれの理由はどうあれ、二人は同時にその場から二歩ほど下がった。このままでは“天使”が衝突してく――

「「あ」」

 由乃と“竜胆”が上げたその声には、遠くの新聞部姉妹も、そして“天使”自身のそれさえも、重なっていた。

「――――――――ぁぁぁぁああああああああああああ」

  ずざざざざざざざざざざざざざざ

 滑空してきた“天使”は“重力空間”の支配に負け、堕ちた。
 そして慣性の法則に従い顔面による胴体着陸を余儀なくされ、由乃と“竜胆”のど真ん中で停止。頭……いや、顔面一点による倒立という恐ろしいポージングを極めること2秒、スカートが捲れる前に地面にひれ伏した。

「……い、いったぁ、い……うぐ……うっうっ……」

 いつの間にか純白の翼も消え失せ、“天使”だった者は羽をもがれた蝿のように地べたをうごめき、喘ぎ、悶え、顔面を押さえてしくしくとすすり泣き始めた。四つんばいどころか上半身は伏せてお尻だけ突き上げるという、その手の趣味の人には扇情的かつ挑発的なポーズで。
 ――上から見ていた新聞部姉妹は、「やっぱり危なかったわね」「そうですね」「これではっきりしたわ。彼女は馬鹿か大馬鹿のどちらかよ」「そうですね。どっちにしろ馬鹿ですね、とても」などと冷め切った会話を交わしているのはさておき。
 飛来する彼女を見て“天使”だなんて思った由乃は、心底イヤな気分になった。更に失態を演じ続ける“コレ”にも腹が立つが、“コレ”にビビッた自分にも腹が立つ。

「……“雪”?」

  ドン!

「いっ!?」
「――“コレ”、あなたの知り合い?」

 地面を指差し見下ろす由乃を、“竜胆”は見上げる。

「…………人を撃っておいて平然と世間話ができるなんて、すごいわね」

 跪く“竜胆”の左足、太股からはどくどくと血が溢れていた。動揺のせいか刀の具現化と“重力空間”は解除されていた。

「余所見したのも、余所見だけならまだしも他のことに気を取られたのもあなたのミスじゃない。ついでに言えば能力を解除したのも失敗なんじゃないの? その程度で済んだことを感謝してほしいわ」

“重力空間”は、由乃の体力……特に身体を支える足に疲労が蓄積するのに、解除して休ませては意味がなくなる。
 どうしても勝つ気であるなら、どんなことがあろうと解除してはならない。相手を休ませてはならない。

「反論は?」
「……ない」
「ま、文句なら“コレ”に言うことね。なんのつもりだか知らないけど」

 知らないけど、きっと“竜胆”にとっては救いだったな、と由乃は思った。あのまま続けていても由乃が勝っていたが、それよりは軽傷で済んだのだから。
 とにかく、今与えたダメージで勝敗は決した。“竜胆”もそれを悟っている。これ以上続ける理由もない。
 なんとも気の抜ける決着だが、まあこんなものだろう。

「経験のないレア異能か。なかなか楽しかったわ。これから集まりあるし、時間的にもちょうど良かった」

 本当に話だけのつもりだったのに、なんだかんだで15分ほど経過している。そろそろ行かないと黄薔薇・鳥居江利子が迎えに来てしまう。そうなれば由乃はともかく“竜胆”は即座に排除されるだろう。

「――由乃さん」

 左足を庇いながら、“竜胆”は立ち上がる。
 なるほど、大口径で撃ち抜いても立てるということは、基礎能力の筋力も由乃とは桁が違うらしい。筋力とは、単純な筋肉の硬さである。もう見た目の筋肉比と力強さがイコールで結べない有様なので、腕力と筋力という分け方をしているのだ。腕力が強くても筋肉は並程度の硬さだったり、その逆もある――由乃のように骨だけが異様に硬いこともある。
 問題の部分はスカートの下なので見ることはできないが、もしかしたら太股を撃ち抜いておらず、めり込んだところで止まったかもしれない。まったく忌々しい性能差である。

「あなたが勝った。だから私のロザリオを持っていって」
「は?」
「強い者が正義。……そういうルールなんでしょう?」
「……うーん……」

 言わんとしていることはわかる。ロザリオ狩りとはそういうものだ。“竜胆”を妹にする気がなくとも、ロザリオを狩ること、それは勝利の証……いわゆる勲章になる。
 そして妹にしたいなら、ロザリオを狩ったあとに自分のロザリオを掛けるのだ。それで力で支配した姉妹関係誕生だ。
 冷静に考えると、なんとも歪んだ正義である。

「別にいいや」
「なぜ?」
「“竜胆”さん、弱いから。いつでも狩れるロザリオなんていらない。悔しかったら私がその首を欲しがるくらい強くなってよ」
「……でも、ロザリオを狩らないと、勝ったことにはならないわ」

 華の名を折ることにはならない、と言いたいようだ。

「あなたがこれに懲りずに“竜胆”を名乗るなら、私よりこわーいお姉さま方がひっきりなしにあなたを狩りに来るわよ。その人達にあげれば? 私は欲しくないからいらない」

 本音を言えば、また闘いたいだけだ。こんな決着のつき方、由乃の本意ではない。
 また来るかどうかはわからないが、これで因縁はできただろう。あとは“竜胆”次第である。
 まあ、それよりだ。

「“コレ”、大丈夫?」

 足元でずっとしくしく泣いている“天使もどき”は、相変わらず立ち上がる気配がない。
 あの翼といい、明らかに“飛んで”いる姿といい、“コレ”も相当な力を持っている。何せ“飛行”なんて能力、由乃は聞いたことがないのである。どの系統に属するかさえわからない。
 それに、この肌に感じられる力。もしかしたら“竜胆”を越えるほどの力量を持っているかもしれない。今はお尻に蹴りでもおねだりしているかのようなポーズだが只者ではない。
 まあ、もし“竜胆”の能力を知っていて飛来したのであれば、馬鹿なのは疑いようがない事実だが。しかし馬鹿でもポテンシャルは計り知れない。下手をすれば“竜胆”も、そして三薔薇さえも越えているかもしれない。馬鹿の疑いは濃厚だが。
“竜胆”は再び跪き、ちょっと迷った挙句、腰の辺りに手を乗せた。さすがに尻はないな、と判断したのだろう。高さ的に置きやすそうではあるが。

「“雪”、大丈夫、かっこよかったから」

 いやあんまりかっこよくもなかったよ、と由乃は言いたかったが、やめておいた。“竜胆”はともかく“天使もどき”にはあんまり関わりたくなかったからだ。

「“竜胆”さん、これから言うことをよく聞いて」
「……?」
「『“狐”さまヘルプー』って叫んだら、運が良ければ“複製する狐(コピーフォックス)”っていう人が出てくる。うまく交渉すれば“反逆者”の力が借りられるから、あなたの足と“コレ”の顔面、頼んでみれば? 生憎心の傷には効かないけどね」
「反逆…?」
「じゃ、ごきげんよう」

 我ながららしくないお節介を焼いたと自覚している由乃は、とっととその場を後にした。
 しばらくすると、背中に遠く「狐さまヘルプー」という叫び声が聞こえた。
 由乃はニヤリと笑う。
 ――これで、明日辺り、面白い話が聞けるかもしれない。




 翌日、水曜日。
 三者三様、違う形ではあるが、ほぼ同じタイミングでその情報を得ていた。
 そして事態は目に見えて動き始める。




 最初にそれを手にしたのは、紅薔薇・水野蓉子だった。
 登校してきた蓉子は、薔薇の館前で待ち構えていた自勢力の幹部から、直接それを手渡された。
 ――リリアン瓦版号外。今日配布される予定のものである。
 三薔薇並びに山百合会に関わる記事は、必ず発行前に打診がある。それがないということは、自分達には関係のない話題であることは、見る前からわかっていた。
 ただし、内容はそうも言っていられないほど驚くべき情報が語られている。

「“天使現る”? “重力空間使い”? ……華の名を持つ者……?」

 なんだこれは。
 どれをとってもデマだとしか思えない――最後ののみ現実味があるが、その前のセンセーショナルな見出しの方は、明らかに嘘臭い。

「事実です」

 瓦版号外を持ってきた幹部は、昨日、自分の目で見たという。
“重力空間使い”と“華の名を持つ者”はわからないが、少なくとも“天使みたいな存在”は現れたのだと言う。

「“天使”って……“飛行”能力?」

 記事に寄ると、とある誰かの背中から一対の翼が出現し“飛んだ”のだとか。
 ふと、江利子のことを思い出す。
 彼女は“瞬間移動”を繰り返すことで空へ行くことはできる。しかしあれは“飛行”ではなく、空中に出現しているだけだ。
 飛ぶ、とは、鳥や昆虫のような、自在に空を支配する存在を指す。跳ねるでもなく滑空でもなく浮遊でもなく“飛行”を指す、と蓉子は思う。この場合に限りは小回りが聞かないジェット機の類も除外だ。
“飛行”能力。
 もし自分がそれを持っていたら、いかにして闘う?
 地上で弾丸を避けるようなスピードを空中でも再現できるのであれば、それは脅威である。
 ――練度次第か。
 役に立てるも立てないも、どこまで自由に扱えるか、どこまで自由に“飛べる”のか、だ。

「……非常に言いづらいのですが」
「言って。遠慮なく」
「その“天使”と“重力空間使い”候補は、……紅薔薇と同じです」
「同じ?」
「能力を発動すると、オーラが出ます。恐らく紅薔薇と同等の力がある」
「…………」
「特に“天使”の方は、全身から白いオーラが……」
「わかったわ」

 自分も持っているのだから、他の誰かが持っていてもまったく不思議ではない。そして自分を越える力量の者が現れることも、不思議とは思わない。
 オーラが出ようと出まいと、蓉子に並ぶ者は、少なくとも二人は確実にいるのだ。それどころか蕾と呼ばれる存在だって、目を見張る速度で強くなってきている。自分より強い者が出てきて戸惑うこともない――誰にも負ける気はないが。
 問題は力量や素質ではなく、いかに自分の能力を知り、自在に操れるかだ。
 由乃が良い例だ。弱い力でも練度次第で充分闘えることを証明している。
 どれだけ力が強くても、それをちゃんと使いこなせないのであれば、恐れることはない。
 そして、問題は違うところにある。
 これを持ってきた彼女も同じことを考えたからこそ、朝一番に蓉子に会いにきたのだ。

「他に気付いた点は?」
「特に……」
「そう」

 考え込む自分の大将の姿を、部下はじっと見ていた。
 ――恐らく名前も知らないだろう。だが末端をまとめているような下っ端幹部の意見も、それも上役を通さずイレギュラーに訪ねてきてもこうして聞いてくれるのだから、蓉子の懐の広さが伺える。
 今年の紅薔薇勢力は、力だけで成り立っているわけではなかった。

「『“天使”と“重力空間使い”は仲間で、共に華の名を語る』……ね。あなたが気になったのはこの一文でしょう?」
「はい」
「私も気になるわ」

 薔薇と並ぶほどの力を持つ者が現れた。
 それはいい。
 しかし、薔薇と並ぶほどの力を持つ者が二人現れたのは、解せない。
 しかも手を結んでいる?
 ますます解せない。

「昨日の放課後、黄薔薇の蕾の妹が遅れて薔薇の舘へ行ったはずですが」
「…? ええ、遅れてきたけれど」
「“重力空間使い”と闘ったのは、彼女です」
「……へえ」

 大幅に遅刻したわけでもないし、由乃が掠り傷を負うなんていつものことだし、誰も気にしなかったが。ああ、いや、祐巳だけ心配そうな顔をしていたっけ。彼女は本当にわかりやすい。
 だが、由乃か。さすがに本人に聞いても素直に話さないだろうし、問い詰めたら黄薔薇が動く。直接聞くのは無理そうだ。
 この瓦版を書いた新聞部……部長の築山三奈子なら詳しい事情を知っているかもしれないが、あまり期待はできそうにない。
 蓉子は何度も記事に目を通す。自然と顔は険しくなり、目は鋭さを増していく。――ちなみに「“天使”墜落、顔面胴体着陸」の事実が記されていないのは、偏に三奈子の哀れみと同情心からである。

「これはいったいなんの布石?」

 名前が出ていないということは、どこのクラスの誰かもわからないということ。
 つまり、つい最近目覚めた者か、今まで巧妙に隠れていたかのどちらか――だが、力量の強い者は自然とそれが周囲にわかってしまう。これは目覚めている者同士の共鳴というか、ある種の勘に近い。なんとなく感じる、としか言いようがない感覚だ。
 訓練次第である程度は抑えられるが、とかく目覚めたばかりの者は剥き出しで存在するものである。何せ何も知らないのだから仕方ない。気配の断ち方や、力の抑え方も。強ければ余計に、である。
 蓉子くらい強い力がある者は、目覚めた瞬間からバレるのである。わからないのは力の弱い者やステルス系くらいだ。
 その力が目に見えるほど強力であるなら、巧妙に隠れるなど不可能。
 問題は、リリアン瓦版にある“雪の下”と“竜胆”と名乗る者は、二人ともつい最近、ほぼ同時期に目覚めたのかもしれない、ということだ。そうじゃなければ、動きがある前に自分の耳に入るはずだ。強い力を持つ者の目覚めとは、戦局をひっくり返す一手となりうる。どこの勢力も網を張っているのである。
 強大な力が同時に二つ目覚める――ありえない話、とまでは言えないが、気に入らない話である。
 目覚めることは偶然、二人ほぼ同時期に目覚めが重なることも偶然、二人とも強力すぎる力量を持つことも偶然、こうして瓦版に二人同時にスクープされたことも偶然、二人とも華の名を語る……つまり目的も偶然一致しているわけだ。
 かなり不自然だ。
 気に入らない。
 しかし現段階では、何が起こっているかがわからない。
 ただの華の名を持つ強い反乱分子なだけなのか、それともそれ以上の“何か”なのか。

「“復讐者”……まさか一人じゃない?」
「はい?」
「――諜報部に通達をお願い。この記事にある“雪の下”と“竜胆”の名前、学年、クラス、交友関係を調べて。ただし接触はしないこと。能力までは探らなくていい」
「わかりました」

 もう少し判断材料が欲しい。
 蓉子が“観える”世界は、相も変わらぬリリアン崩壊だけだ。




 最初にそれを耳にしたのは、白薔薇・佐藤聖だった。

「悪い。今のところもう一回」
「復唱します――“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は炎で焼かれたような形跡を残して気を失っていたそうです」
「制服を燃やされたと?」
「恐らく」
「つまり半裸で発見されたと?」
「……恐らく」
「下着の色と柄は? それとスリーサイズも」
「…………そこまでは調べていません」
「ダメだなー。そこが一番重要なんじゃない」
「以後気をつけます」

“影”は反論なく黙然と頭を下げた。
 凛と張った朝の空気の中、お聖堂でする話ではないが、聖はこういうところでないとゆっくり話せる環境になかった。
 いつだって周囲にはスパイが側にいて、覗かれて、話も聞かれて、いかにして情報を引き出そうかと画策する者ばかりだ。
 紅薔薇・水野蓉子辺りは自発的に幹部が目を光らせてガードしているが、聖は面倒なので放っておいている。自発的に動いてくれるのは、この“影”くらいだ。勢力図を気にせず幹部の反対さえ無視して“反逆者”などを後継者に選んだのだ、聖と白薔薇勢力幹部の仲は相当まずいことになっていたりするのだが――まあ勢力幹部と仲が悪いのは一年生の頃からなので、今更気にしてもどうにもならない。
 ちなみに黄薔薇はむしろ喜んで絡み出すので、皆が嫌がって近づこうとしなくなったとか。羨ましいような気もするし、暇だなぁと思わなくもないし。
 とにかく。
 聖は時々、側近である“影”と会うために、朝早くにお聖堂へやってくる。
 話す内容は、“影”が個人的に気になったネタを聞くこと。幹部連からの報告や上申はいつだって受け付けるが、“影”が聖に対して自分の言葉を口にするのは、この時間だけである。それ以外は己の役職に徹しているのだ。
 並んで座り、あまり互いの方を見ないのは、いつものことである。

「先に話した“天使”については、追って情報部から上がってくると思います」
「“天使”ねえ……ま、そっちは報告を待ちましょ」

 何せ“影”は、その情報については「“翼を持った者”が現れた」としか知らないというのだから、考える余地さえなかった。
 気にはなるが、あと30分もすれば、ある程度はわかるだろう。

「話を戻そう。――“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”って、由乃ちゃんと仲の良い二年生だよね? 確か“創生(クリエイター)”だっけ?」
「その通りです」
「で、あなたはその子の何が気になったわけ?」
「“燃やされていた”という点が」
「炎を使う能力者なんて、そう珍しくもないでしょ」
「だからです」

 いつもの感情を含まない声で、“影”は言った。

「彼女は強い。そんな彼女が、ただの炎使いに負けただなんて信じられないのです。しかし有名な炎使いはほぼ全員アリバイがあるようです」
「ふうん……」

 聖としては、その“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”のことをよく知らないので、なんとも言いかねた。

「誰が、というのも疑問ですが、それ以上に『なんのために狩られたのかがわからない』んです」
「ロザリオ狩り?」
「彼女は誰の妹でもないので、彼女を狩るならロザリオを掛ける方になりますが、発見時にロザリオはなかったそうです」
「じゃあ、組織の対立?」
「彼女はどこにも属していません」
「なら私怨だ」
「その線が濃厚ですが、ならば彼女を倒した相手は誇らしげに吹聴して回ってもおかしくない。しかし誰がやったのかわかっていません。もちろん黙っているだけかもしれませんが」
「……なるほど。ちょっと気になるね」

 聖は指折り数えてみる。

「キーワードは四つかな。“彼女は強い”、“由乃ちゃんと仲が良い”、“燃やされていた”、“パンツの柄が気になる”……特に最後のキーワードは答えが欲しい」
「………………………………」

 お御堂は痛いほどの静寂に包まれた。

「ちなみに今日のあなたの下着は?」
「ノーブラノーパンです」
「マジで!?」
「嘘です」

 お聖堂には聖と、聖を軽蔑の目で見る者が一人の、二人きりである。

「白薔薇の仰る三つのキーワードのどれかが、何らかの答えに繋がっているかもしれません」
「いや、キーワードは四つ……」
「三つですよね?」
「…………うん」

 聖は負けた。“影”の視線に勝てなかった。

「その“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は、あなたより強い?」
「まともにやったら勝てません」
「“創生(クリエイター)”相手なのに勝てないの? そりゃよっぽど強いじゃない」
「あの“玩具使い(トイ・メーカー)”と張り合い続けているそうですから」

 聖は納得した。目を覆いたくなるような最下層から、多くが認める山百合会幹部クラスまで這い上がってきた由乃と闘い続けているなら、そりゃ強くなるはずだ。

「じゃあ並の炎使いじゃないね。かなり良い腕してそうだ。……炎ってことは間違いないの?」
「“燃やされていた”という事実のみです」
「なら“爆破された”でもいいわけだ?」
「もしや“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”のような火薬使いが?」
「その可能性もあるね、って話。一概に炎使いだけが容疑者だとは限らない。
 まあ、そもそも“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”がやられたのって一昨日の月曜日の放課後でしょ? その日は私達、体育館にいたじゃない。“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”も警備として詰めてたし。時間はわからない?」
「残念ながら詳しいことは本当に……戦闘の目撃情報さえ皆無で、誰かが保健室に運び込んだとは聞いていますが、それ以上のことは。保健室で意識を失った彼女を見た者の証言では、今語ったことしか聞けませんでした」
「誰かが運び込んだ。……その“誰か”があやしい」
「調べますか?」
「任せるよ。好きにして」
「……では、調べない方向で」
「いいの?」
「調べなくてもその内わかる気がしますから」
「勘?」
「はい。勘です」
「そっか」

 表ではなく裏から見ているような“影”だからこそ、何か感じるものがあるのかもしれない。
 この狂ったリリアン女学園に、何かが起こりつつあることを。




 最初にそれを依頼したのは、黄薔薇・鳥居江利子だった。

「お呼びで?」
「ええ、あなたを呼んだのは私。ご足労を掛けたわね、“狐”さん」

 昼休み、古い温室には江利子と、“複製する狐(コピーフォックス)”がいた。由乃絡みで何度か接触があるので、どちらも慣れたものである。
 黄薔薇勢力の密偵から、「昼休み、温室で待つ。  黄」というメモ書きを渡され、こうして江利子に呼び出されたのだ。
“複製する狐(コピーフォックス)”はこの展開を予想していたので、特に驚くこともなかった。

「劇の練習はいいんですか?」
「いいえ。だから早めに済ませましょう――っと。先にこれを渡しておくわ」
「お、こりゃどうも」

 紙袋を受け取った“複製する狐(コピーフォックス)”は、早速ガサガサと中身を取り出す。

「おーこれこれ」
「そんなに好きなの?」
「昼休みは外出不可にして、普通なら食べられないリリアン女学園で食べるから、いつもより美味しいんですよ。これが。へっへっへっ」

 うわ狐っぽい細目、と江利子は思った。

「何か?」
「別に?」
「言いたいことがあるならどうぞ」
「狐っぽい細目だな、と」
「よく言われます。へっへっへっ」

 しかもなんかオッサン臭いな、と江利子は思った。
 紙袋から出てきたのは、スーパーやコンビニで買えるような助六寿司である。太巻きといなり寿司が半々入っているアレだ。江利子はとあるツテを使うことでこれくらいのモノなら入手できるのだ。
 生垣に並んで座り、“複製する狐(コピーフォックス)”は早速いなり寿司に箸を伸ばした。しかしいつ見ても狐っぽい顔だ。

「昨日観たことを洗いざらい聞かせて頂戴」
「今日の瓦版号外は読みました?」
「読んだわ」
「由乃ちゃんとのいざこざは?」
「概ね聞いている」
「じゃ、由乃ちゃんが去った後から話しましょう。私が接触したのはその辺りからなので」

“複製する狐(コピーフォックス)”は語った。

「由乃ちゃんが去った後、私は例の二人……“重力空間使い”の“竜胆”に呼ばれて、二人の前に行きました。見覚えのない二人で、本名も何年生かもわかりませんでした。一応聞いたんですが答えてもらえず。
 で、その二人も私のことは知らなくて、由乃ちゃんが去り際に私を紹介したんだとか。怪我をしたので“反逆者”を貸してくれと言われまして」
「貸して……あ、“複製品”ね」
「憶えていてくれました?」
「かなりのレアじゃない。一度聞いたら忘れないわよ」

“複製する狐(コピーフォックス)”は、具現化させた“御札”に他人の異能を“複製”する能力である。ただしコピー精度は、オリジナルの効果の50パーセント前後がいいところで、オリジナルとは比べ物にならないほど低レベルな代物になる。
 たとえば、由乃の“玩具使い(トイ・メーカー)”を“複製”すれば、火薬だけ、もしくは銃単品で弾はなし、などというひどい結果になってしまう。
“複製品”は粗悪品にしてまがい物。まさに「狐に化かされる」ような能力である。上辺だけ、張りぼて、中身がない、そんな言葉がよく似合うし本人もそう思っているが、そういう能力だからこそできることがある。
 ――“複製品”は粗悪品にしてまがい物だが、“複製する狐(コピーフォックス)”は相手の許可なく勝手に“複製”することができるのだ。だが“複製”したら必ず相手にバレるので、何らかの取引で合意の上貰い受けるか、戦闘中にやるのが常である。
 ちなみに“反逆者”は、“純白たる反逆の蕾”藤堂志摩子から無条件で貰っている。
 志摩子としては間接的にでも誰かを癒すために使われるならそれでいいのだ。取引材料にされていることもあまり気にしていない。それでも癒しを求める人に渡るのであれば、誰が得しようが関係ないと思っている。
 その潔さと献身的な姿勢が、方々で恩や借りとなって“反逆者”を支持しているのだが、それさえ、そんなつもりはない志摩子にとっては関係ないことである。

「じゃあ本題。――ここに件の二人の“複製品”があります。“反逆者”と交換で貰ったんですがね」

 箸を握ったままの右手に、“複製する狐(コピーフォックス)”は“御札”を二枚出した。横5センチ縦15センチほどの赤い短冊のようなもので、片方は丸に“重”、もう片方には丸に“秘”と書かれている。

「これ、欲しくないですか?」

 江利子はその二枚の“御札”を受け取る。――まだこの時点では、この“御札”は“複製する狐(コピーフォックス)”の解除で存在しなくなってしまうので、触れたところで意味はない。

「“重”はわかるけれど、“秘”って何? それが“天使”の方でしょう?」
「秘密の“秘”なんで、秘密です」
「あら。いい度胸ね」
「まさか。あの黄薔薇と取引中ですよ? いつ脅されて取り上げられるかってビクビクしてますよ――あ、うまっ」

 食えない狐である。江利子が取引中に、相手を脅すなんて無粋な真似をしないことを知っているくせに。

「まあ真面目な話、私にもわからないんですよ。だから“秘”と記してあるんですが」
「本人に聞いたでしょう?」
「彼女は……“雪の下”は具現化系だと言っていました。でも“翼が生える具現化”なんて聞いたことがない」
「私もないわ。軽く調べてみたけれど、前例もないみたい」

 具現化は、あくまでも物質を生み出す能力。有機物、それも自分の身体から生えるものなんて条件にそぐわない。

「もしかしたら“憑依”系かとも思ったんですが」

“憑依”とは、本当に霊だのなんだのを呼び寄せて憑けるのではなく、自分の中の動物、とりわけ多いのは肉食獣のイメージを身体に潜行させて身体能力を上げる、一種の“肉体強化”である。
 片手だけ獣に変えて鋭い爪で攻撃する等のものも含み、慣れた者、そして力の強い者になると、イメージする獣そのものにまで身体を変身させることもあるのだとか。すごい猫好き、すごい犬好きが犬猫そのものになった例は結構多い。

「どこが、とは言えませんが、それとは根本が違う気がしますし」
「なんとなくわかる」

“憑依”系は珍しい能力なので江利子もよく知らないが、そう都合よく“翼部分だけ憑依変身しました”なんて現象は起こらない気がする。

「あ、“ハトの憑依”とかは?」
「その場合は腕が羽に変身するんじゃない?」
「お……おおっ。さすが黄薔薇、鋭いですね」
「…………」

“複製する狐(コピーフォックス)”は素直に感心しているようだが、江利子はなぜか素直に受け止め切れなかった。なんだろう。胡散臭い奴だと思っているからだろうか。

「――まあそういうわけでして、私にも詳しい系統はわかりかねます。で、どうします?」
「これがあったら“解析”ができるものね」

 そう。“複製品”はオリジナルの劣化版、比べ物にならないほど粗悪なものになるが、それでもオリジナルの性質を持つのである。
“調べる”ことを得意とする異能使いにこれを渡せば、対象人物が持つ力量の推測と、本人さえ知らない隠された異能まで“調べる”ことができる。それも安全にだ。――ちなみにこの“御札”は、少々の力を込めれば対象に“貼る”ことができ、電池のような有限を伴い粗悪な異能を再現することができる。
 江利子は、昨日の一部始終を聞いた時、由乃は彼女が“複製”することを期待して紹介したのだろうと確信していた。そして彼女もきっと、由乃がそれを期待していることに気付いていたはずだ。
 なかなか面白い関係である。敵対しているのに信頼関係ができている辺りが。

「欲しいとは思うけれど、交換条件次第かしら」

 助六寿司は、話を聞かせてもらうための交渉アイテム。当然それ以上は別途負担である。

「もちろん考えてありますよ」
「交換条件? 何かしら? もしかして私の“複製”が欲しいとか?」
「そんな危険なものはいりません。だいたい三薔薇や蕾の“解析”なんて、誰も請け負ってくれませんよ」

 必ず報復が来ることは目に見えている。

「条件は三つです。一つ目、“解析”結果を私と由乃ちゃんに伝えること。二つ目、この取引のことを誰にも言わないこと。三つ目、この件に関して私が関与したことを伏せておくこと――三つ目は可能な限りで構いません」
「なるほど? つまりあなたも知りたいわけね」
「そういうことです」

 逆に言えば、それ以外の条件なんて条件になっていない。取引を行ったことを大々的に言いふらしてどうする。それをやれば江利子も腹を探られるだけだ。
 由乃にも“解析”結果を伝えろ、というのは、口約束もないくせに、“複製”を依頼したのは由乃だと彼女が思っているからだろう。胡散臭いわりには義理堅いことだ。

「じゃあ、取引成立ね。具現化期間は?」
「だいたい丸一日ってところです」

 具現化した物質を固定できる時間である。武具などは人体から離れるとすぐに構成力を失うものだが、こういった軽量かつ硬度もない紙のようなものなら、使用者の手を離れても長い時間物質としてこの世に留めておくことができる――松平瞳子の“折紙絶対防御装攻(インスタント・イージス)”のように。
 ……というより、“自分だけでなく不特定人物も所持・使用できる異能”というのも、“複製する狐(コピーフォックス)”の特性なのかもしれない。

「それでいいわ。明日の放課後か明後日の朝、結果を伝えるから」
「よろしくお願いします。――色々と話を聞いているでしょうから端折りますけど、あの二人は相当ヤバイですよ」
「らしいわね。今度の華はきっと手強いんでしょう」

 江利子は立ち上がった。

「ま、退屈せずに済むなら、私はそれでいいわ」




 三薔薇が静かに動き始めた頃。
 福沢祐巳の身に、大変なことが迫ろうとしていた。




 放課後。
 祐巳の存在は、今や高等部で知らない者はいないほどの知名度があった。
 曰く「目覚めていないのに山百合会に出入りしている者」と。
 その理由を問えば、三薔薇の緘口令などというリリアン最強の免状をチラ付かせ、そのガードを少しだけかわしてみると「お願いします私と代わってください」と本気でお願いされるのである。異常な数のロザリオをじゃらじゃらさせて。
 理由は気になる。
 三薔薇の情報も知りたい。
 だが祐巳の代わりに山百合会に出入りしたいとは誰も思わなかった。それに、下手に理由を聞いてしまうともう戻れなくなりそうで怖い。
 それと祐巳自身は気付いていないが、恐らく三勢力の幹部辺りが、常に祐巳の周りにいてボディガードについている。
 いったいどれほどの重要人物なのか、そしてどれほど大切にされているのか、まったく理解できない。たぶんボディガードを命じられている者達も納得はしかねているだろう。
 それとも、誰もが納得できるほどの理由があって、その理由こそが山百合会の出入りに関わるのだろうか。
 ――疑惑の視線を一身に浴びているものの、残念あるいは幸いなことに一切気付いておらず、つかの間の極楽をのほほんと過ごしていた。
 そんな祐巳は今、少々緩んだ顔に隙だらけな足運びで、暢気に廊下を歩いていた。
 これから下級生を迎えに行くのである。
 学園祭が終わればほとんど関係がなくなってしまうが、帰宅部の祐巳にとっては初めてできた後輩だった。おまけに自分に降りかかる災い(向こうにとっては望むべきこと)を肩代わりしてくれる女神のような存在である。可愛く思わないわけがない。
 こうして迎えに行く足取りも軽くなるというものだ。
 ミルクホールに到着すると――

「祐巳さま」

 下級生・松平瞳子は、すでに到着していた。

「ごきげんよう、瞳子ちゃん。今日もステキな髪型だね」
「……祐巳さまも相変わらずですね」

 瞳子は半ば呆れていた。日を置けば落ち着くかと思えば、この福沢祐巳なる上級生はまったく衰えを知らない太鼓持ちである。
 ある意味すごい人なのかもしれないな、と少しだけ考えてしまったが、まあ考えすぎだろう。

「今日はお一人ですか?」
「みんな忙しいから、もう体育館に行ってるよ。その点私は暇だしね」

 今日は二度目の体育館使用日である。日時にも余裕がないので、1分1秒たりとも無駄にはできない。そして目覚めていない祐巳は、早く行ってもやることがないのだ。
 それなら、自分がこうしてお手伝いを迎えに行くのが効率的だろうと思い立ち、こうしてやってきたのだった。

「私達も行きましょうか」
「うん」

 並んで歩く。
 最近は、こんなことでさえ幸せを感じる。
 もうビクビクしながら廊下を歩いたりしなくていいのだ。怖いお姉さま方が祐巳を呼び止めたりもしないのだ。弱い人達と固まったり、強い人にくっついて行動する必要もないのだ。
 なんという幸せだろう。
 あとはもう、劇の稽古を過不足なくこなして後腐れなく山百合会と手を切るだけである。
 それは当初の責務でもあったが、唯一の懸念である「小笠原祥子と仲良くしない。できれば嫌われる」という気を張る条件さえなくなった今、もう祐巳を縛るものはないと言えた。
 恐怖の象徴のように思っていた山百合会は、自分のような者にも優しく接してくれる。むしろ祐巳を守ってくれる。今はそこへ行くことに気が重くなることもないし、得がたい経験をさせてもらっていると思えばちゃんと足も進むようになった。
 クラスメイトで何かと面倒を掛けた藤堂志摩子の意外な一面が見れたり、暴れん坊で有名な島津由乃の忌憚ない本性を垣間見たりと、むしろ楽しくなってきたくらいである。小笠原祥子は美しく、支倉令はとても凛々しく意外と面倒見がいい。三薔薇に至っては欠点を探せと言われても難しいほどの完璧な存在。なるほど華の名を持つはずだ、と何度も何度も思ったものだ。
 しかも、隣には可愛い下級生までいる。
 浮かれるなと言われても無理な話だ。

「……なんで笑ってるんですか?」

 瞳子は幸せそうな顔をしている祐巳を、なんだか不気味なものを見るような目で見ていた。そんな祐巳はまったく意に介すことなく「別にーうふふふふ」と明るい声で答える。
 ――まあ、なんかよくわからないが、幸せそうで何よりだ。
 横でしかめっ面をされるよりは、少々不気味だが比べるまでもなくマシである。さも「なんで私が下級生のお世話なんてしないといけないの? しかも中等部の子でしょ?」みたいな、初顔合わせの時に見たどこぞの勢力幹部のような態度は腹立たしい。
 それよりは、「一緒にいられて幸せ」みたいな顔をされた方が精神衛生上好ましい。……まあ、少々不気味だが。
 それにしてもやはりわからない。太鼓持ちとしてこの顔なのか、それとも本心で歓迎してくれているのか。案外曲者なのかもしれない。


 ――片や幸せを噛み締め、片や上級生を計りかねて不気味そうにしている二人の前に、二人の人物が立ちはだかった。


「……?」

 廊下に並んで立つその二人は祐巳をまっすぐ見ているが、祐巳は全然心当たりがない。

「……?」

 瞳子は、祐巳の知り合いなのかと交互に視線を走らせる。――敵意などの感情が伺えないので、もしかしたら友達だったりするのか、とも思うが……

(何この二人……)

 その身から放たれる強大な力の気配は、警戒せずにはいられない。
 明らかに普通ではない。
 もしかしたら三薔薇さえも越えるような、圧倒的な力を感じる。信じがたい、信じたくないが、この感覚は目覚めた時から親しんできたもの、信用せざるを得ない。
 つまり、そういうことなのだろう。
 だが、なぜ自分に……いや、きっと祐巳の前に立ちはだかるのか、その理由がわからない。
 ――いや、そうでもない。
 もし瞳子が山百合会に敵対する者で、三薔薇に匹敵する力があるなら、祐巳から三薔薇の情報を聞き出すためにこのように接触するかもしれない。
 瞳子は一層警戒心を高めた。
 今この時、祐巳を護れる者は、自分しかいない。
 三薔薇並の力の持ち主に勝てるとは思えないが、逃げ切る……いや、時間を稼ぐだけでも充分だ。騒ぎが起きれば即座に三薔薇の耳に入り、すぐに助けにやってくるだろう。瞳子も祐巳も、山百合会の客人なのだから。

「あの、何か……?」

 横で、汗さえ滲ませてじりじりと後退する瞳子に気付きもせず、祐巳はのんびり問い掛けた。――目覚めていない者には感じられないのだ、この強い力を。

「あなたは、福沢祐巳さん?」

 左の、後ろで簡素に髪をまとめただけの女生徒が問う。どこか瞳は虚ろで無気力である。

「はあ、そうですけど……」

 祐巳が頷くと、今度は右のソバージュが口を開く。
 内容は、少なくとも瞳子には衝撃的だった。




「――あなたは華の名を持つに相応しい方。私達と共に来てください」




「は?」と、祐巳が言葉の意味がわからず首を傾げた瞬間、瞳子は祐巳の手を取って反対側に走り出した。

「ふぇっ!? えっ!?」
「走って!!」

 祐巳にはわからなかったが、瞳子はわかった。
 ――華の名を持つ。
 ――私達と共に。
 この二つの言葉が指し示す意味は、祐巳を華の名……恐らく彼女達が所属するのであろう華の名を持つ山百合会反対勢力への勧誘だ。
 いや、勧誘ではない。恐らく強制的な協力要請だ。
 祐巳は今や、全校生徒が知るほど有名な山百合会のお手伝い、お客様である。そんな祐巳を山百合会を出し抜き誘拐できれば、それは明らかな山百合会の失態である。華の名を持つ新興勢力が上げた初白星としてなら、充分な宣伝になる。それも「あの紅薔薇の蕾の親戚の子がいながら誘拐された」という、紅薔薇の顔に泥を塗るシチュエーションである。
 言うなれば、油断だった。
 なぜ祐巳を一人で寄越した。三薔薇ならこういう動きも充分予想できたはずなのに。
 三薔薇の誰かとは言わないが、せめて由乃でも付けていてくれれば、2対2で時間稼ぎくらいできるのに。
 いくら優秀な防御異能を持つ瞳子でも、祐巳を護りながら二人分の攻撃をかわすことは不可能。しかも力の大きさだけなら自分を超えているのだ、逃げの一手しか受けない。




「と、瞳子ちゃん!?」
「わかってますから黙って走ってください!!」

 背後から足音が聞こえる――追ってきているのだ。

「いや、瞳子ちゃん、だから!」
「もう! なんですか!」
「ま、窓の向こう!」

 窓。
 瞳子はチラリと、窓の外を見て。

「て――っ」

 言いたかった言葉は“天使”。しかしそれは言葉にならなかった。
 窓ガラスを割って予想外の真横から強襲してきた“天使”の突進を、瞳子はまともに受けた。“折紙”を出す間さえなかった。せめて祐巳を巻き込まないようにすぐ手を離すことしかできなかった。
 まるでミサイルのようなスピードでぶつかられた衝撃は重く、背中から強かに壁にたたき付けられる。ビシリと入った硬質な音は、背後の壁に亀裂が入ったからである。

「が、ふっ」

 瞳子は咳き込んだが、なんとか立っている。少々足に来ているが意識もはっきりしている。
 そして“天使”の追撃に備え頭を切り替えていたが……しかし“天使”は全身から白いオーラを放ちながら廊下に降り立ち、更なる攻撃を加える気配はなかった。
 彼女は静かに言った。

「あなたは、松平瞳子さん。……あなたと闘う気はありません」
「……そっちにはなくてもこっちにはあります」
「あれを見ても続けますか?」

 目配せする先では、祐巳が唖然として瞳子を見ていて――その背後に、刀を抜いた女生徒がいた。
 ――ここで無駄な抵抗すれば福沢祐巳を人質に取ります。そういう意味だ。
 そうなれば、まだ何も気付いていない祐巳を怖がらせるだけである。そして瞳子が攻撃されたこと、自分が人質になったから周囲に迷惑を掛けた、と気に病むに違いない。




 なんという失態。
 瞳子は頭を垂れた。











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