2010年7月22日発売のドラマCD「マリア様がみてる パラソルをさして」ですが、時空歪曲に巻き込まれてしまったので、この内容でお送りします(堂々と嘘をつくいけない奴)
すごく遠い未来。
人類は宇宙に進出し、その文明は栄華を極めんとしていた。
一方、人類は古代より続く醜い争いも続けており、現在は銀河帝国とそれに対抗する同盟軍との戦争状態にあった。
そんな時代の物語。
リリアン星団の宇宙ステーションにあるガレージ。
ガレージといっても、可変戦闘機を停泊・修理させることが出来る施設なのだから、それなりのものがある。
また、その施設を利用する人間のための設備もあり、その気になればそこで暮らす事も出来る。
そのシャワールームから一人の少女、福沢祐巳が出てきた。
「ちゃんと温まれた?」
ガレージの主は祐巳に声をかける。
「十分温まれました。ありがとうございました」
祐巳は礼を述べる。
数日前、祐巳は多数の敵機に気づきその侵攻を止めようと、命令を無視して銀河帝国宙軍最新鋭空母『ロサ・キネンシス』を飛び出して交戦した。
しかし、メインコンピュータに敵の攻撃がクリティカルヒットしあっという間に機能停止。脱出・自爆装置が作動せず、敵に装甲をはがされ、機密兵器を持ち去られ、スペースデブリ(宇宙ゴミ)として放置されるという惨めな状態になってしまった。数日宇宙空間を漂った後、日頃から懇意にしてもらっている佐藤聖元帥と近くを航行中だった民間の宇宙船に拾われてこのガレージに来たのだ。
「そう、よかった。適当にその辺に座ってくつろいで頂戴」
「あの──」
「替えの下着のことなら気にしなくていいわ。進呈するから、そのまま着て帰ってちょうだい。置いていかれても、私も困るし」
「……はい」
確かに。
彼女はそういうとスクラップ状態の祐巳の愛機をいじり始めた。
「見てる分には素敵だけれど、可変戦闘機っていろいろ大変よね」
「あ、私がやります」
慌てて祐巳が申し出る。
「いいの。やらせて。……むしろやりたい」
「そう、やってもらいな。彼女、祐巳ちゃんより器用そうだ」
佐藤元帥が背後からマグカップを差し出した。
「……いただきます」
祐巳はミルクココアをちびちび飲む。
「そうだ、佐藤元帥。あの、さっきの──」
「あのさ、祐巳ちゃんが名前は何ですか、って聞いてるんだけど」
「!」
整備している手を止めて彼女は顔を上げた。
「ああ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。加東よ。加東景」
「……かとう、けい」
「そうか、おぬしが加東景だったか──」
「え」
「佐藤元帥。もしかして、私のこと誰かわからないままついて来たの」
「うわっ……」
それが後に名工と言われる整備士加東景と祐巳の出会いであった。
結局愛機は治らず、佐藤元帥に送ってもらって祐巳は基地に戻った。
結果的に敵の侵攻を防いだものの、命令違反は重大な違反であり、更に、機密兵器を持ち去られたことも重要視され、正式な処分が決まるまでの間、祐巳は任務を外され謹慎を命じられた。
反省室で始末書を書いていると島津由乃司令が食器を下げに来た。
もちろん、こんな仕事は司令の仕事ではなく、口実を作って様子を見に来たのだろう。
あの時。島津司令との通信を一方的に打ち切って、単機で多数の敵のど真ん中に突っ込んだのだった。祐巳は。
「島津司令、ごめんね。心配してくれたのに、何か、突っぱねちゃったみたいで」
「祐巳……!」
島津司令は緊張が切れたみたいに祐巳の首に両手を回して抱きついたのだった。
「よかった。私、もうだめかと思った」
島津司令は身体を離して、祐巳の手を取った。
「軍人じゃなくても、私は祐巳さんのこと大好きだからね」
「うん。由乃さん私も好きだよ」
二人の関係が変化している。進化しているようにも思える。
「ごめん。ごめんね」
「心配はした。でも、いい。私が勝手に心配してるだけだし」
島津司令は食器を片づけると聞いた。
「で……うまくいったの?」
「だめ」
あんなに辛かったのに、どういうわけかサラリと言えた。
あった出来事を簡潔に説明する。
祐巳の話を聞いて、島津司令は両手をグーにしてブルブル震えた。
「『チョココロネ』!? あ……の──、どうしてくれよう」
『チョココロネ』、とは同盟軍側のエースパイロットに対して銀河帝国側が便宜上つけたコードネームで、祐巳を一撃で葬り去った機体のコードネームでもある。
「どうもしなくていいよ」
「でも」
「私だって命令違反で突っ込んだわけだし」
島津司令は腕を組んで「うーん」と唸った。
少し話して、満足したのか島津司令は立ち去った。
銀河帝国大本営。
「陛下、水野蓉子提督がお見えです」
従者が銀河帝国皇后に来客を告げる。
「通しなさい」
謁見の間に蓉子が現れる。
「本日も清子皇后陛下におかれましてはご機嫌麗しく存じます」
「堅苦しい挨拶は結構です。本日はよく来てくれました。水野提督」
清子陛下は微笑んでいう。
「皇后陛下のお呼びとあらばいかなる時も馳せ参じます。そのことよりも、本日のお目通りの理由は?」
清子陛下が合図をするとほとんどの従者が部屋を出ていく。
大きく息をしてから清子陛下が言った。
「銀河帝国の最精鋭宇宙空母『ロサ・キネンシス』に異変が起こって制御不能となったらしいのよ。連絡を取ろうとしたのだけど通信も出来ないようで。そのうちに危険宙域付近でレーダーからも消えてしまって」
危険宙域──それは不安定な重力空間帯で、加えて無数の小惑星が漂い、高度な航行技術を求められる、この宇宙にいるものであれば極力避けて通りたい宙域で、そこでの遭難事故や、遭難船を救出しようとして二次被害にあったという話が年に数回あるという、曰くつきの宙域だった。
「遭難ですか」
蓉子は思わず声を上げた。
「そうなんです」
清子陛下は答えた。
重苦しい沈黙が流れる。
「……こんな時ばかりあなたに頼って申し訳ないけれど、『ロサ・キネンシス』の救助を水野提督にお願いしたいの」
そう、清子は告げた。
「お待ちください。私の任務の一部を引き継いだ福沢准将はどうしたんですか?」
蓉子は尋ねた。
「福沢准将は任務を外されて、リリアン星団の基地にいるそうです」
清子陛下は残念そうに告げる。
「この作戦には福沢准将の力が不可欠です。皇后陛下、私と福沢准将へ『ロサ・キネンシス』救出命令を!」
蓉子は申し出た。
「ありがとう、水野提督。銀河帝国皇后清子の名において、提督水野蓉子と准将福沢祐巳に宇宙空母『ロサ・キネンシス』とその乗組員の救出を命じます! なお、この任務にあたり、水野提督には全権委譲、並びに、皇后直下の艦隊ハナデラを貸与します」
「陛下、お気遣い感謝いたします。銀河帝国軍提督の名において、必ずや宇宙空母『ロサ・キネンシス』を救出いたします!」
蓉子は敬礼して答えた。
「無事を祈ってます」
清子陛下は蓉子を見送った。
十数時間後。
祐巳は指令室に呼び出された。
指令室には元老院の池上卿と佐藤元帥が待っていた。
二人とも親しくさせてもらっている間柄とはいえ、滅多に会えるようなお方ではない。
その二人が揃って指令室にいるというだけで祐巳は自らの処罰が厳しくなることを覚悟した。
「福沢准将、大本営より連絡があり、これより水野提督とともに特別任務にあたってもらいます。なお、それに伴い、ただちに謹慎処分を解除します」
池上卿はそう告げた。
「水野提督!?」
思わず声を上げる。すると背後から、声がした。
「ごきげんよう、福沢准将。久しぶりね」
「い、いったい、どうなさったんですかっ!?」
祐巳は慌てて駆け寄った。
蓉子さまもゆっくり前に進み出てた。
蓉子さまだってこのような場所にノコノコと来るようなお方ではない。
「迎えに来たの。一緒に来てちょうだい」
「ど、ど」
「どうしてか? 答えは、一刻を争う時だから」
蓉子さまは早口でまくし立てた。
「ねえ、祐巳ちゃん。祥子を助けてくれる気、ある?」
「ありますっ」
何が何だかわからないけれど、祥子さまを助ける気があるかと問われれば、無条件で、「ある」と言うに決まっている。
「じゃ、来て」
蓉子さまは二人に挨拶すると祐巳を連れてシャトルの発着場に向かった。
「福沢准将」
青田整備長が声をかけてきた。
「あっ!?」
目に飛び込んできたそれを見て、祐巳は叫んだ。
見覚えのあるブルー。
祐巳の愛機『ブルーアンブレラ』。
また会えた。もう二度と会えないと思っていた愛機が、今自分の目の前にある。
「どうしてこの機体を……」
「その前に、どうやってあんなに壊れたのかな。私はまずそのことが知りたい」
祐巳はかいつまんで事情を話した。
「それで納得したよ。君が簡単にやられるとは思えなくてね。そうか。メインコンピュータにクリティカルヒット。それは災難だったね」
「私、すごく辛かった。この機体が無くなって、絶望しました」
「でも、もう立ち直ったようだ」
「ええ」
「福沢准将」
蓉子さまに促され、蓉子さまは乗ってきたシャトルで、祐巳は愛機で艦隊ハナデラに合流した。
「任務というのは空母『ロサ・キネンシス』救出作戦よ」
蓉子さまから今回の任務について、説明がある。
「えっ!?」
祐巳は声を上げた。
自分が乗り込んでいた間は全く異常なく航行していた『ロサ・キネンシス』に一体何が起こったのか。
「『ロサ・キネンシス』が通信に応じなくなり、危険宙域付近でレーダーから消えたのよ。記録では数日前になっているわ」
それは、祐巳が飛び出した直後のことである。
「そ、そんな──祥子さまは? みんなは?」
「それは、行ってみなければ……」
険しい表情で蓉子さまはそういう。
『ロサ・キネンシス』の艦長は銀河帝国の皇女小笠原祥子さまだった。
祥子さまは前線に出ることを望まれ、わざわざ身分を隠してまで士官学校に入り、そこで蓉子さまや祐巳と姉妹の契りを結んだお方である。
身分がわかった後も、二人はプライベートでは姉妹として接している。
「提督、レーダーに敵反応が!」
緊張が走る。
「あれは……」
黒い可変戦闘機を先頭に多数の敵機がこちらに向かってくる。
黒い可変戦闘機は『ブルーアンブレラ』を機能停止に追い込んだ『チョココロネ』だった。
「ここは突っ切りましょう」
艦隊ハナデラを率いる柏木中将が提言し、蓉子さまが了承する。
艦隊ハナデラは大きく上の方に進路を変えると加速した。
敵機が追ってくるが、それより早くワープする。
「中将、敵より通信が入りました」
「何?」
スピーカーより敵の音声が聞こえてきた。
『最低。見損ないました「ブルーアンブレラ」』
それは少女の声だった。祐巳は初めてそれを聞いたので正直驚く。
『チョココロネ』は祐巳との対決を望んでいるようだった。しかし。
「なぜ、『ブルーアンブレラ』が修復されたとわかったのでしょうか?」
蓉子さまは黙り込んだ。
全員が思った。
帝国軍側にスパイがいる、と。
「……そろそろ危険宙域よ」
蓉子さまの横顔に緊張が走っていた。
宇宙空母『ロサ・キネンシス』のブリッジ。
機関長二条乃梨子は異常があってからほぼ不眠不休で作業に当たっている。
「一体、どうしたっていうのよ、『ロサ・キネンシス』!」
己の無力さに苛立ち、乃梨子は思わずそう叫ぶ。
「二条機関長」
背後から声をかけられた。
副艦長藤堂志摩子だった。
「一度休みましょう。ここで一度休まなければ倒れてしまうわ」
「しかし──」
「無理をしないで」
そっと志摩子に肩を抱かれると、乃梨子は倒れるように眠ってしまった。
「副艦長、私たちが──」
「結構よ。私も少しここで休みます」
そういうと乃梨子の態勢をゆっくりと変えて、志摩子の膝を枕にして寝かせる。
「全員、今のうちに交代で休みなさい。きっと救助はきます」
志摩子の指示を聞いて、仮眠をとる者、引き続き持ち場につくもの、さまざまである。
(それにしても、艦長は一体どうなさったのか……)
志摩子もそのまま仮眠を取った。
しばらくして、通信兵に起こされる。
「副艦長! 非常回線を使って通信が入りました!」
「わかりました」
非常回線のため、音声のみのやり取りになるが、通常回線は全く使えないため、数日ぶりの外との通信だった。
『こちらは提督水野蓉子。「ロサ・キネンシス」艦長小笠原祥子、応答しなさい。どうぞ』
「こちらは『ロサ・キネンシス』副艦長藤堂志摩子。艦長小笠原祥子は艦長室においでのため、私が対応します。どうぞ」
『詳しい状況説明を求めます。どうぞ』
「5日前の宇宙時刻15:20ごろに小笠原艦長が体調不良を訴え、私が指揮を任されました。その直後より通常回線がつながらなくなり、また、自動航行装置が異常となりました。なんとか手動で航行するものの、その3時間後よりまったく操作を受け付けなくなり、現在、『ロサ・キネンシス』は自力航行が不可能な状態で流され危険宙域を漂っています。どうぞ」
『小笠原艦長の容体は? どうぞ』
「小笠原艦長は艦長室に入って以来、誰にも姿を見せず、また、連絡も取れていません。我々も途方にくれております。どうぞ」
『ただちに救出に向かいます。どうぞ』
「よろしくおねがいします。どうぞ」
お互いに通信終了のサインを送る。
志摩子は全乗組員に救助が来ることを伝えた。
仮眠をとっていた乗組員も起きる。
全員が万が一に備えて宇宙服を着込む。
「ところで、艦長はどうしましょう?」
乃梨子が聞く。
「何度呼びかけても、扉を開けてくださらないなんて。こんなこと、今まで一度もなかったのに」
志摩子は首をかしげた。
艦隊ハナデラは宇宙空母『ロサ・キネンシス』の姿を見つけた。
艶やかな紅薔薇に例えられる機体は、今はふわふわと波間をただようクラゲのように危険宙域に浮かんで、不安定な重力に引かれて流れている状態にすぎない。
艦隊ハナデラは『ロサ・キネンシス』を取り囲み、そのうちのひとつから、愛機に乗った祐巳と、ハナデラに装備してある機体に乗った蓉子さまが出てくる。
「『ロサ・キネンシス』これより救助用ハッチを開きます。どうぞ」
『艦長以外は準備できています。どうぞ』
「艦長はどうしましたか? どうぞ?」
『艦長は返事がありません。どうぞ』
「……わかりました。艦長は後で救出します。残りの皆さんは待機してください。どうぞ」
『待機完了しています。どうぞ』
祐巳が救助用ハッチを開く。
救助用小型船に乗った乗組員が次々と艦隊ハナデラに収容される。
『これで全員です。副艦長と機関長は機内に残り、救出部隊のサポートにあたります。どうぞ』
「これより、福沢准将と水野は『ロサ・キネンシス』の内部に突入し、艦長小笠原祥子の救出にあたります。どうぞ」
『了解』
祐巳と蓉子さまは『ロサ・キネンシス』の内部に突入した。
艦内の見取り図およびデータはすでに調査済みで、二人とも頭の中に入っている。
銃を構え、通路を通り、艦長室に向かう廊下の手前のシャッターが下ろされている。
カードキーで開こうとするが、わざわざパスワードが変えられている。
「ブリッジ。こちらの位置がわかる?」
蓉子さまがブリッジの二人に連絡を取る。
『わかります。シャッターですね。こちらからも操作しているのですが、コマンドがはね返されている状態です』
二人もどうしようもないらしい。
「こうなったら、力づくで突破するしかないようね」
『すみません』
無言で蓉子さまは銃で破壊し、祐巳が持ってきた工具でシャッターをこじ開ける。
艦長室についた扉が同じように閉まっている。
「小笠原艦長」
蓉子さまが扉を叩いて呼びかける。
「お姉さま!?」
中から反応があった。
それは、祥子さまの声であった。
声の感じからして、まだ元気なようにも思える。
「そう。蓉子よ。祥子、ここを開けて頂戴」
「できません」
祥子さまはきっぱりと言った。
「どうして」
「そのまま帰ってください」
「駄目よ。これは皇后陛下直々の命令なの。私と祐巳ちゃんで祥子を助けてって」
「祐巳まで……なおさら開けないでください」
祥子さまは頑なに拒む。
「理由を言いなさい」
蓉子さまはきつく命じる。
「病気です」
「病気? 船医には見てもらったの? あ、他の乗組員にも影響が──」
「それは大丈夫です。感染はしません。これは、一族特有のものですから」
「一体──」
「皇帝一族の女性にのみ遺伝する病気です。ですから、お母さまはこの病気のことは知らないかもしれませんが、私は祖父よりこの病気について聞かされていました。宮殿にいる専属の医師ならば治療法がわかるはずです」
「遺伝形質の問題で感染の心配がないのでしょう。出てきなさい」
「それは無理です」
「そんなに見られたくない症状なの?」
祥子さまの反応がない。
「祥子!」
扉を叩いて蓉子さまが呼びかける。
「心配おかけして申し訳ありません。私はこのままここにおりますから、一度宮殿に戻って医師を連れてくるか、治療法を聞いてくるかにしてください」
「それはできないわ。私たちは任務を遂行するために、『ロサ・キネンシス』ごと曳航してでもあなたを連れ帰る」
蓉子さまが宣言する。
「……そこまでおっしゃるのでしたら、仕方がありません。曳航してください。ですが、絶対に扉は開けないでください」
「どうしてそこまで姿を見せない事にこだわるのっ? どうして事情を説明してくれないのっ!? 妹から何も教えてもらえない姉だなんて、私は情けないわよっ!!」
バシン! と強く扉を殴った後、蓉子さまは「頭を冷やしてくる」と言ってその場を離れた。
「お姉さま」
祐巳は呼びかける。
「祐巳なのね?」
「ごめんなさい、お姉さま。私、お姉さまの大変な時に、我がままばかり言って。困らせて」
祐巳は思った。
祥子さまの身に『異常』が起こったのは、祐巳が飛び出した直後。心労が重なっていた時に、祐巳の命令違反が引き金になって発病してしまったのかもしれない、と。
「祐巳は悪くないわ。悪いのは私。私がしっかりしていないから──」
「いいえ」
祐巳は扉に張り付いて呼びかけた。
「お姉さま」
「ごめんなさい。祐巳。今すぐあなたの顔を見たい。今すぐあなたを抱きしめたい。でも、この扉を開けることだけは出来ないの」
「一体、何が起こったんですか?」
「……ごめんなさい」
力なく詫びる祥子さまの声に、祐巳も今すぐ扉をこじ開けてでも祥子さまに会いたいという衝動に駆られた。
会って、手を握って、祥子さまを支えたい。
持っていた銃を扉に向けて発射すると工具を隙間に差し込み一気に扉を開いた。
「祐巳、なんて事をっ!」
「ええええええええええええええええええええええええっ!!」
ブリッジで蓉子は『ロサ・キネンシス』曳航の指揮を取っていた。
一刻も早くこの危険宙域を脱出する方を選んだのだ。
祥子の説得は祐巳ちゃんを残してきたので、もしかしたら祐巳ちゃんがうまく説得できるかもしれない。という期待もあった。
ワイヤーを『ロサ・キネンシス』にかけ、艦隊ハナデラで護衛し、危険宙域を慎重に脱出する航路を取る。
「あっ、艦長室の扉に異変が!」
『ロサ・キネンシス』の制御盤を見ていた二条機関長が声を上げる。
「説得に成功したのかしら?」
「いえ、待ってください……扉を破壊したようです」
「見てきましょうか?」
藤堂副艦長が申し出る。
「いいわ。ここはあなたたちに任せるから、私が行く。艦長には言いたい事もあるし」
そういって蓉子は艦長室に向かった。
言っていた通り、艦長室の扉が開いている。
「祥子?」
そっと中を覗くと、そこには──
「なんじゃこりゃあぁーっ!!」
部屋の中に祥子と祐巳ちゃんはいた。
しかし、祥子の頭にはニャンコの耳が、お尻にはニャンコのシッポが生えていて、手はニャンコの手になっていてオマケに肉球がついていた。
そして、銀河帝国宙軍の星『ブルーアンブレラ』福沢祐巳准将は、祥子に抱きついて、幸せそうな笑みを浮かべて、「ニャン♪ニャン♪」と言いながら、祥子の手の肉球をプニッ、プニッと弄んでいた。
「うう、こういうことになるから、扉は開けないでっていったのに……」
なすがままの状態で祥子はつぶやいていた。
「せ、説明しなさいっ!」
「お姉さま、説明しますから、鼻血を拭いてください」
「うっ」
銀河帝国宙軍の誇る若き才能と知性の象徴水野蓉子提督、現在鼻血で失血死寸前である。
「な、なんなのよっ」
持っていたティッシュでとりあえず鼻を塞ぐ。
「詳しいことは調査中なのですが、皇帝一族の女性に伝わる遺伝病でして、この姿になると、何故か人間の女性を狂わせるフェロモンが異常に放出されるのです。一度発病すると数週間はこの状態になりまして、それ以降は元に戻るそうです。航行中にまさか発病するとは……」
「あ、あなたがちゃんと説明しないから祐巳ちゃんが突入しちゃったんでしょっ!」
天国にまで突入しちゃった祐巳ちゃんは祥子の髪をかきあげてその匂い(たぶんフェロモン)を堪能しては「ニャン♪ニャン♪」と言っている。
「だ、だって、こんなことって信じられますっ!? ネコですよ、ネコっ! 今の私、ネコなんですよっ、お姉さまあっ!!」
べそをかいて迫る祥子。ニャンコの耳とニャンコの手がそれに加わり、すさまじい破壊力を与えている。
「あ、あなたの言う事なら信じるわよっ!」
蓉子はギリギリで持ちこたえていた。鼻血は全然止まらなかったが。
目の前で昇天した祐巳ちゃんがへらへら笑いながらニャンコのシッポと「ニャン♪ニャン♪」と言いながら戯れているという醜態があり、「アンナフウニハナリタクネー」という思いと強靭な精神力がギリギリで理性を支えていた。
「じゃあ、回線がおかしくなったり、コンピュータがおかしくなったのはフェロモンを浴び、正常の行動が出来なくなった乗組員の誤操作ってわけ?」
辛くなってきて、壁にもたれながら蓉子は聞く。
「フェロモンは一応化学物質ですから、大量に付着したことで精密機械が狂った可能性もあります」
「よ、よくわかったわ」
ついに蓉子は床に座り込んだ。
鼻血による貧血と大量のフェロモンを浴び続けた結果、想像をはるかに超え体力を奪われていたらしい。
これ以上フェロモンを浴び続けたら目の前にいる祐巳ちゃんと同じ末路をたどる。
祥子のニャンコの耳を「ニャン♪ニャン♪」と言いながら一緒に引っ張るなんて御免だ。
全速力が亀、いや、ナメクジ並に落ちてしまったが、這ってでもこの場を離れなくては「ニャン♪ニャン♪」の仲間入りである。
「ど、どうしました?」
その時、藤堂副艦長、二条機関長が異変に気づいて来てしまった。曳航状態となり、やることがなくなったので見にきたらしい。
「あああああっ!」
まともな人間がいなくなる。空母『ロサ・キネンシス』ヲワタ……蓉子がそう思った時。
「へっ?」
二条機関長は平然としている。
「……どういう、こと?」
「ふー、すみません。皆さん。ご迷惑をおかけしました」
祐巳はしゅんと頭を垂れた。
「……死ぬかと、思ったわ」
蓉子さまもぐったりしている。
「いいのよ。それより、乃梨子がボサツ星雲の出身でよかったわ」
藤堂副艦長は微笑んだ。
「似たような病気って、あるんですね」
二条機関長の出身地であるボサツ星雲には似たような遺伝形質を持つ女性が多数確認されており、治療法が確立していた。更に、発病後の処置法やフェロモン被曝者への処置法も確立しており、今回のような事態になっても深刻な問題は滅多に起こらないらしい。
更にいえば、二条機関長自身にもこの遺伝形質があるらしく、日頃からこのような事態に備えていたのが幸いした。
祐巳と蓉子さまは二条機関長の適切な処置により復活したのだ。
「こんな事なら、早く相談すればよかったわ……」
処置を施され、防護服を着せられた祥子さまは、現在ブリッジにいる。
「まったくもってその通りよ」
『ロサ・キネンシス』も原因が判明した事により、二条機関長のもと、一部の機能を復活させたが、誤操作の影響で調子がよくないので、やっぱり艦隊ハナデラに囲まれて危険宙域を曳航中である。
四人はお茶を飲んで一息入れていたが、フェロモン全開中の祥子さまだけは防護服でも取れるチューブから茶をすすることしかできない。
「あ、通信が入ったわ」
『敵機接近! 敵機の先頭には「チョココロネ」が確認できます!』
「あー、いたね、そういえば」
「あー、すっかり忘れてましたけど、そんなのがいましたね」
先程は簡単に突破できたが、今回は重要な問題があった。
『ロサ・キネンシス』である。
現在曳航中のため、艦隊ハナデラは一部の艦しか戦闘につけないのだ。
「ハナデラで相手は可能?」
『……あの数では厳しいですね』
「仕方ないわね。出ましょうか」
蓉子さまは立ち上がった。
「お供します」
祐巳も続いた。
祐巳は愛機で、蓉子さまはハナデラの装備で迎え撃つ。
敵が直接通信してきた。
『この間の続きでもなさるおつもりですか?』
嫌味を含んだ少女の声がする。
前回ボコボコにしてやった機体で何が出来るのか、という意味なのだろう。
祐巳が返事の代わりにビーム砲をぶっ放すと、脇にいた敵機に当たった。
『美佐撃沈!』
小さかったがはっきりと聞こえた。『チョココロネ』に入った通信らしい。
「ねえ、通信が筒抜けだけど。それ、大丈夫なの?」
ガトリング砲を放ちながら祐巳は聞く。
『ぐっ』
大丈夫ではないようだ。
後ろから『里枝撃沈! 真美撃沈!』など小さく同盟軍側の情報が聞こえてくる。
「ところで、『チョココロネ』」
『違ーう! 誰が「チョココロネ」ですかあーっ!! 「バネ」だの「ドリル」だの変な名前で呼ぶんじゃなーいっ!!』
『チョココロネ』は大きくプライドを傷つけられたらしい。
「じゃあ、なんて呼べばいいのかな?」
『だから、松平瞳子だって言ってるだろーっ!! ……あ』
「言っちゃったね。しかもフルネーム」
祐巳は笑いをこらえるのに必死だった。意外とコイツ、面白い奴かもしれない。
『「ブルーアンブレラ」……笑いましたね?』
恐ろしく迫力のある声がする。
「わ、笑って……ぷっ、ぷぷっ!」
笑っちゃいけない、と思ったら余計におかしくなって吹き出してしまった。
『……コロス』
『チョココロネ』こと松平戦闘員は真っすぐに祐巳に向かって突っ込んできた。
しかし、祐巳はあっさりと受け流すとカウンターを入れてやる。
『ぐがあぁっ!!』
攻撃の手を休めることなくビーム砲で狙ったのは、『チョココロネ』の由来でもあり、メインウェポンでもあるドリルの部分である。
右のドリルの付け根の接続部分を容赦なく攻める。
『な、何をっ!!』
素早く攪乱するように動いて接近戦に持ち込もうとする『チョココロネ』。
しかし、それを冷静に読み切った『ブルーアンブレラ』はかわすと同時に右のドリルをもぎ取った。
そして、今度は前回一撃で戦闘不能に追いやられた左のドリルに狙いを定めてガトリング砲を放つ。
『そ、そんな攻撃が効くとでもっ?』
予想通り、ドリルが飛んでくる。
だが、これこそが祐巳の狙いだった。
二度も同じ手は食らわない。
このドリルには接合部分から外れても行方不明にならないようにと『ご親切にも』ワイヤーがついている。
ドリルの勢いを受け流すと、ワイヤーを捕まえ、接合部分に向かってミサイルを発射した。
『ああっ! やめっ……』
ミサイルの着弾と同時にワイヤーを離す。
『チョココロネ』は戦闘不能に陥った。
一方の蓉子さまは、ハナデラの装備で量産型可変戦闘機『ホワイトパラソル』で同盟軍の可変戦闘機を相手にしていた。
かつて新人撃墜王の称号を頂いたのは伊達ではなかった。
祐巳が『チョココロネ』の相手をしている間に半分以上の機体が落とされていた。
そこに祐巳が合流し、二機のコンビネーションで同盟軍は壊滅的な被害を受ける。
『祐巳ちゃんっ! 後ろっ!』
それは一瞬の隙に起こった。
『ブルーアンブレラ』の背後を取るように敵機が現れたのだ。
そして、その敵機は数日前、祐巳の機体から奪っていった機密兵器『パイルバンカー』を装備していた。
やられた! そう思った瞬間だった。
──グワシュワッ!!
敵機がさしたのは『ホワイトパラソル』、つまり蓉子さまの方だった。
祐巳は即座に敵機にビーム砲を打ち込む。
まだつながっている『チョココロネ』の通信から『桂撃沈!』との声が聞こえる。
『ホワイトパラソル』は杭を打ち込まれた勢いで上の方向に離脱していく。
「蓉子さまっ!!」
祐巳が救出に向かおうとすると、残っていた数機が邪魔をする。
『ホワイトパラソル』は小惑星の一つの重力に捕らえられ、速度を上げて落下していく。
「うわああぁっ!!」
鬼神のごとく祐巳は残りの敵機を落とすと小惑星に向かおうとするが、その時、急に動きが止まった。
『チョココロネ』のワイヤーが『ブルーアンブレラ』に引っかかったのだ。
「蓉子さまあぁーっ!!」
『祐巳っ! 戻りなさいっ!!』
『ロサ・キネンシス』から通信が入った。祥子さまだった。
「でもっ!!」
『お姉さまを信じてっ! あなたはただちに戻りなさいっ!!』
「そんなっ!」
『お姉さまは大丈夫よ』
祥子さまは自信たっぷりにそういった。
「いいんですか?」
『祐巳。お姉さまのことを思っているのはあなた一人じゃないの』
自分よりも妹である祥子さまの方がずっと心配しているはず。
なのに、その祥子さまが戻れというのだ。
祐巳はこれ以上行けなくなって、大人しく帰還した。
銀河帝国大本営。
「祥子。無事でよかった……」
清子皇后陛下が祥子さまを出迎える。
相変わらず防護服は着たままだったが、祥子さまはちゃんと清子陛下と対面を果たした。
「福沢准将、本当にありがとう」
清子陛下からお礼の言葉をもらった。
「でも、蓉子さまが……」
その時、従者が来客を告げた。
「陛下、水野蓉子提督がお見えです」
一同の表情が明るくなった。
「蓉子さま」
祐巳が出迎えると、蓉子さまはにっこりと笑った。
「よかった。ご無事で。でも、どうやってお戻りになったんですか?」
全員で蓉子さまの話を聞く。
「小惑星に落ちた時、メインエンジンに穴があいてしまって。でも、その小惑星には幸か不幸か遭難船があったのよ。それを利用して何とか修理して、脱出を試みたのだけど、直しきれない部分があって。そのときに片っ端から試してみたら変なもので動いたので、そのまま脱出したの。そうしたら偶然空母『ロサ・フェティダ』が通ってくれてラッキーだったわ。支倉艦長には改めて礼を言わなくてはいけないわね」
「変なものって?」
祐巳は聞く。
「これよ」
笑って蓉子さまが出したのは、『鍋焼きうどん』だった。
「うどん!? うどんで動いたんですかっ?」
びっくりして祐巳が聞く。
「正確には中に入っている唐辛子。細かい粉がちょうどよく穴を塞いでくれたみたい」
隣で祥子さまが嫌な顔をしている。
「あ。このうどんは近くのコンビニで買ってきたから、そんな顔しなくても大丈夫。メーカーは同じだけど。私はこのうどんの唐辛子で助かったのだから、このうどんに感謝してみんなで食べようと思って」
蓉子さまって、時々ついていけなくなる。
「まあっ、これは食べ物なのっ?」
楽しそうに清子陛下が言う。
それから、みんなで鍋焼きうどんを食べた。
清子陛下がこの鍋焼きうどんをとても気に入り、しばらくの間うどんとコンビニにはまってしまって大変なことになるのだが、それは別の話である。