【319】 夏の終わりの怪談  (いぬいぬ 2005-08-07 12:52:17)


「・・・これは、私の中学校の友人の体験談なんです」

夏の日差しにさらされる薔薇の館に染み入るように乃梨子のつぶやいた言葉に、祐巳はゴクリと唾を飲んだ。

「友人というのは男の子なんですけど・・・彼はある晩、お兄さんと映画のレイトショーを見に行こうという事になって、お兄さんの車で出かけたそうなんです」

祐巳は膝の上に置いた手を、我知らず握り締めていた。

「最初のうちは、カーステレオから流れる音楽を聴いて楽しくドライブしていたそうなんですけど・・・しばらくすると、突然カーステレオが壊れて、何も聞けなくなってしまったんだそうです」

祐巳は、手に汗をかくほど緊張していたが、乃梨子から視線を外す事ができずにいた。

「まあ、10分も車で走れば映画館に着くので、友人もお兄さんも特に気にせずドライブを続けていたんですが・・・」

祐巳は手にかいた汗を、スカートで拭き取った。

「とある細い道にさしかかった時、友人はふと、右の方に何だか生暖かい気配を感じたんだそうです」

段々とトーンが低くなる乃梨子の言葉に、祐巳の百面相が「ナニソレ?」と泣きそうになりながら訴えていた。

「その時、お兄さんが『はいよ』と軽く言いながら、車を右に曲がらせて路地に入って行ったんです。ちょうどさっき、生暖かい気配を感じた方向に・・・」

祐巳は、徐々に緊張感を高めていく話に、口が開きっぱなしだった。泣き出す寸前の子供のような表情で。

「友人は『何で急に曲がったんだろう?』と思いながらも、お兄さんの方が良く道を知っているはずだからと、何も言わずにそのまま座っていたそうなんですが・・・」

祐巳は緊張から、スカートをシワになるほど握り締めていた。

「五百メートルと行かないうちに、道は行き止まりになってしまったんです」

祐巳の顔が「ええぇぇ?!」と言いたげに歪んでいる。

「するとお兄さんが、『なんだよ、行き止まりじゃないか』って、友人に言ったんです。友人は、何故自分が文句を言われたのか判らなかったのですが、さっきの生暖かい気配がすぐ傍から感じられて、それどころじゃなかったそうです」

祐巳は思わず「うわぁ」と小さくつぶやき、乃梨子のほうから少し身を引いた。

「するとお兄さんが、『ドコだよ?ここ』って言いながら、辺りの様子を調べるために、車のヘッドライトをハイビーム・・・つまり上向きにしたんです。・・・すると・・・・・・」

乃梨子の間の取り方に、つられて祐巳が「すると?」と返す。

「ヘッドライトに照らされたそこは墓地で、今来た道以外の三方向を、墓石の群れに囲まれていたそうです」

「ひぇぇ・・・」祐巳は泣きそうな顔で、さらに乃梨子から身を引いた。

「その時、お兄さんが友人に、『なんだよ!変な道教えるなよ!』って、急に怒り出したんです」

祐巳は「え」の形に固まった口を閉じる事も忘れ、乃梨子を凝視している。

「別にその道に入れと言った覚えも無い友人は、その事をお兄さんに言ったんですが・・・お兄さんは不思議そうに問い返してきたそうです。『だってお前さっき、「そっちの道が良いよ」って言ったろ?』って」

祐巳はピクリとも動けなかった。

「友人が「そんな事は言ってない。それどころか喋ってすらいない」と言うと、さすがにお兄さんも気味悪くなったらしく、あわてて車のギヤをバックに入れたんです。二人とも、はやくそこから逃げたくて、思わず車をバックさせるために、同時に振り返ったんですが・・・その時二人が見たのは・・・」

今までうつむいていた乃梨子が、祐巳に視線を合わせてきたので、祐巳はビクっと身をすくめた。

「ニタニタと笑いながら後部座席に座る、白装束を着た老婆だったそうです」

祐巳は、全身の血がサーっと引いていくのを感じていた。

「・・・以上です」

乃梨子の言葉に、祐巳はハアっと息を吐き、全身の緊張をといた。
「うわ〜、モノスゴイ怖かったよ〜」
まだ泣きそうな顔で言う祐巳に、乃梨子は思わず目を細める。
「楽しんでもらえましたか?」
微笑みながら言う乃梨子に、祐巳は「手に汗握るって、この事だね」と、自分の手のひらを乃梨子に見せた。
「楽しんでいただけたようで何よりです」
そんな祐巳の様子に、乃梨子はクスリと笑う。
「いや〜、おかげで涼しくなっちゃったよ。乃梨子ちゃん、怪談話すの上手いねぇ」
祐巳は手のひらにかいた汗をスカートで拭きながら、乃梨子に賞賛の言葉を送った。
「それにしても、みなさん遅いですね」
乃梨子はなんとなくビスケット扉を見つめながらつぶやいた。今、薔薇の館には、祐巳と乃梨子の二人だけなのだ。
夏休みとは言え、山百合会は仕事が山積みなため全員が登校しているのだが、タイミングが悪く、二人以外は外に仕事に行ってしまっていた。書類をコピーしたり、備品の確認に行ったり、何やかやと雑務に追われているのだ。
「そうだねぇ。そろそろみんな帰ってきても良い頃だけど・・・」
祐巳も乃梨子につられて扉を見つめる。二人にまかされていた書類はもう終わってしまっていた。
「うわ、手がベタベタする。ちょっと流しで洗ってくるね」
祐巳は手にかいた汗を洗い流すべく、流しへと向かった。緊張で汗だくの手に、水の冷たさが気持ち良い。
「・・・やっぱり仏像に興味があると、自然と怪談にも精通しちゃうの?」
祐巳は、先ほどの乃梨子の怪談がとても堂に入っていたので、何気なく聞いてみた。

・・・が、乃梨子の返事が無い。

「・・・・・・乃梨子ちゃん?」
祐巳が不審に思い振り向くと、部屋の中には誰もいなかった。
「・・・あれ?」
しかし、テーブルの上には、今さっき乃梨子が飲んでいたアイスティーのグラスが置いてある。
・・・中味は全く減っていなかったが。
「乃梨子ちゃん?」
祐巳は再び呼びかけてみるが、返事は無い。
その時、階段を上がる音が、ギシギシと聞こえてきた。
「あ、誰か帰ってきたかな?」
祐巳が扉を見つめていると、入ってきたのは乃梨子だった。
「ごきげんよう、祐巳さま。遅くなって申し訳ありませんでした。・・・・・・他の方達は?」
「はい?」
なんだか乃梨子の言ってる事がおかしい。祐巳は何だか焦りが込み上げてくるのを無理矢理押さえ込んで、乃梨子に言う。
「遅くなったって・・・今までここにいたじゃない」
「はい?」
今度は乃梨子に不思議そうに聞かれてしまった。
「・・・私、今来たばかりなんですが・・・ちょっと私用で遅くなりまして。・・・お姉さまから聞いていませんか?」
祐巳は、洗ったばかりの手に、再び汗がにじんでくるのを感じていた。
「・・・・・・またぁ・・・今、ここで一緒に書類書きながら話してたじゃない」
「?・・・ですから、今来たばかりですってば」
祐巳の心臓が、バクバクと音を立て始める。
「だって!さっきここで怪談聞かせてくれたじゃない!」
ムキになって言う祐巳を、乃梨子は意味が判らないといった顔で見つめている。
「さっきから祐巳さまと話が噛み合っていないみたいですが・・・・・・」
乃梨子はそうつぶやきながら、ふとテーブルの上のグラスに気付いた。
この暑いのに、全く減っていないアイスティーに。
「あ、誰かいらしてたんですね。・・・・・・・・・誰と一緒にいたんですか?」
『誰と一緒にいた?』祐巳はさっきの怪談など比ではないくらい、全身の血が引いていくのを感じていた。
「祐巳さま?」
乃梨子の不思議そうな問いかけを聞きながら、祐巳は意識が白く薄れていくのを感じていた。








「ちょっと!祐巳さま!!」
乃梨子は、突然倒れた祐巳に駆け寄り、慌てて抱き起こした。
「・・・・・・まいったな」
乃梨子の顔には、軽い後悔の色が浮かんでいた。
「まさか本当に騙されるなんて思わなかった。・・・・・・しかも気絶するほど」
そう、乃梨子の怪談は『二段オチ』だったのだ。
最初はただ怪談を話すだけのつもりだったのだが、手を洗っている祐巳の無防備な後姿を見て、とっさにこんなイタズラを思いついたのだった。水の音で気付かない祐巳を残し、一度部屋を出てから下へ降り、間を空けて再び戻ってきたのだ。
しかしまさか、相手が気絶するほど怖がるとは思わなかったのだ。
「まいったな・・・祐巳さま!祐巳さまってば!」
二、三度揺り起こしてみると、祐巳はうっすらと目を開けた。
「・・・・・・乃梨子ちゃん?」
「良かった・・・・・・すいませんでした祐巳さま」
まだボンヤリしている祐巳に、乃梨子は事情を説明し、ひたすら謝った。
自分の身に何が起きたか思い出した祐巳は、乃梨子の説明を聞くと、突然大声で泣き出した。
「ゆ!祐巳さま?!」
「うわ〜ん!ヒドイよ乃梨子ちゃ〜ん!・・・私、幽霊とお話ししたのかと思ったんだからぁ!」
まるで幼児のように泣きじゃくる祐巳に、乃梨子はとにかく謝るほかなかった。
「すいません、まさかこんなに怖がるなんて・・・」
しゃくりあげる祐巳の頭を「良い子良い子」と撫でていると、祐巳はなんとか泣き止んでくれたようだ。

が、・・・人間、間が悪い時は、トコトン間が悪いものなのだ。

乃梨子が祐巳の顔をハンカチで拭いてやっていると、階段を登る音が聞こえてきた。
(あ、誰か帰ってきたな)
ボンヤリと乃梨子は思ったが、はっと今の自分の置かれた状況に気付いた。
祐巳が床に座り込んだまま泣いていて、自分がその祐巳の頬に手を触れているという、あまりにも誤解を産みやすい状況に。
しかも階段を登ってきたのは、よりによって祥子だった。
「遅くなったわね祐巳・・・祐巳!?どうしたの!」
祥子は、床に座り込んだまま涙を拭いている祐巳に駆け寄って行った。
そのまま乃梨子を押しのけ、祐巳を抱きしめる。
「あの・・・紅薔薇さま、これは・・・」
しどろもどろになりながらも弁解をする乃梨子に、祥子は氷点を思わせる瞳を向けた。
「・・・・・・説明しなさい」
なんかもう「そのまま死になさい」みたいな口調で言う祥子に、乃梨子は必死で考えた。ここで弁解に失敗すれば、命は無さそうだと思ったから。
乃梨子はこれまでの人生で間違い無くベストワンの早さで会話をシミュレートし、予想できうる限り最善と思われる言葉を探り当てた。
「あの、実はさっき・・・」

が、・・・人間、間が悪い時は、ホントーにトコトン、間が悪いのである。

乃梨子が話し始めた瞬間、祐巳が泣きながら祥子に抱きつき返したのだ。
「お姉さま〜!乃梨子ちゃんが、乃梨子ちゃんがぁ!」
そんな、極めて誤解を招き易い事を叫びながら。
この状況で誤解を解けと言うなら、大雪の京都から徒歩で千葉に帰れと言うほうがまだ簡単かも知れない。乃梨子がそんな事を考えていると、後ろからもう一匹の鬼が現れた。
ドリル標準装備の。
「乃梨子さん?覚悟はよろしくて?」
聞いた事もないような低い声で瞳子が語りかけてきた。
あいかわらず足音を立てずに階段を登ってくるので、乃梨子は接近に気付かなかった。そのため、完全に挟み撃ちにされてしまったのだ。二匹の鬼に。
「待って!待って下さいってば!祐巳さまは私の怪談とドッキリで泣いてるだけなんです!」
乃梨子は早口でまくし立て、なんとか誤解を解こうとする。
「・・・・・・もう少し上手い言い訳は思い付かなかったのかしら?」
祥子がユラリと立ち上がり、
「とりあえず乃梨子さんも泣いてもらいましょうか?」
瞳子が一歩間合いを詰めてくる。
乃梨子は、人生最速を記録する早口で、これまであった事を説明した。・・・が、二匹の鬼は納得した様子を見せない。乃梨子は死の予感に囚われながらも、「本当ですってば!祐巳さまにも確認して下さいよ!」と叫ばずにはいられなかった。
その時、そんな乃梨子を見て、祥子がこう言い放った。
「まったく・・・どんな言い訳をするかと思えば・・・・・・高校生にもなって怪談で泣くなんて人間がいる訳が無いでしょう!!どこの幼児の話よ?それは!!」
そして瞳子もこう叫んだ。
「そうよ!いくら祐巳さまだって、そんな子供みたいな恥ずかしい反応する訳無いでしょう?!怪談で泣くのが許されるのはせいぜい五歳児までですわ!!」
「本当ですってば!本当にそんな幼児並みの反応したんですよ!私だってまさか、高校生にもなって怪談で号泣する人間がいるなんて思いもしませんでしたよ!!」

ホントーに・・・人間、間の悪い時は、トコトン間が悪いのだ。乃梨子に限った話でなく。

三人の言葉を聞き、祐巳がピタリと泣き止んだ。
そして、紅薔薇の蕾は静かに立ち上がる。
「・・・祐巳?」
「・・・祐巳さま?」
祐巳は、これまで見せた事の無い表情を浮かべていた。いわゆる『顔は笑っているが、目が笑っていない』状態であった。
「・・・・・・お姉さま、瞳子ちゃん、ちょっと」
「祐巳?どうし・・・・・・ごめんなさいそんな顔で笑わないで・・・」
「祐巳さま?あの・・・・・・・い!命だけは!」
祐巳と目が合った瞬間に、二人は命乞いを始めた。
祐巳は、そんな二人の手を引き、扉から出て行く。
乃梨子は、命の危機を脱したと思い、大きく息を吐いた。
そんな乃梨子にも祐巳は振り返り、優しく微笑む。目以外で。
「乃梨子ちゃんにも後で話しがあるから・・・」
(あ・・・やっぱり死ぬんだ私)
祐巳と目が合った瞬間、乃梨子は自然にそう思えた。


そして、薔薇の館の廊下で、令達の帰ってくるまでの三十分、正座させられた三人に対して、微笑む祐巳の説教が続いたという。




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