目の前には見たこともないほど大きな扉があった。
周囲は淡い光に包まれ。
空も地平線も同じに見える。
『汝、福沢祐巳』
重々しい声が響く。
「は、はい!」
声が何処から響いてくるのか、わからないまま返事をした。
「あのここは何処ですか?」
『ここは天国の扉』
「天国の扉?」
と言うことは……。
「私、死んじゃったんですか?!」
『まぁ、ぶっちゃけ』
「ぶっちゃけ言う!?」
『仕方なかろう、まぁ、そう心配するな。そんな重い話にはならないし』
「はい?」
『まぁ、こっちのことだ。それで福沢祐巳』
何だか重々しい声が軽く聞こえるようになったと感じた祐巳だった。
「何でしょう?」
『天使をやってみる気ない?』
軽かった。
帰りにコンビニに行かないくらい軽い声だった。
「……はい?」
『まぁ……人手…人じゃぁないな……天使不足なのでな、これといった魂をスカウトしているんだ』
「ちなみにその基準というのは?」
『えっ?……えぇ〜と、まぁ、適当』
「……」
正直、呆れて何もいえない。
て、言うか声が軽い。
『んっで!成るの?成らないの?』
うわぁ!切れた?!
「あ〜、その成らないとどうなりますか?」
『死にます』
「やらせてもらいます!」
祐巳は速攻で深々と頭を下げた。
『うむ、それでは頼むとしよう』
急に話し方が重くなる。
『福沢祐巳を天使に!』
祐巳の体が淡く光った。
「おぉ」
光はすぐ消えた。
『これでお前は天使だ、自分自身を見てみるがよい』
声に言われ祐巳は体を確認した。
「おぉ!」
確かに背中には羽があるが。頭の輪っかはない。
「輪っかはないんですね」
『働いて上級天使になれば貰える』
「あっ、そういうものなんですね」
『後は先輩を送るから、そいつから聞け』
何だか投げやりな口調になった。
『では、行きなさい新たな天使よ』
「は〜い」
『はい!だろう。はい!』
「はい!」
何なんだ?
そう思いながら意識が遠ざかる。
『それじゃぁ、がんばれよ〜。それとせっかくなのでお前の願望を叶えておいてやるから〜』
最後の口調は、本当に軽いなぁとお思いつつ祐巳は意識をなくしていった。
ところで、願望って何だ?
「祐巳!祐巳!」
声が聞こえる。
これはお姉さまの声だ。
「お姉さま!お姉さま!」
これは瞳子の声。
その他にも志摩子さんや由乃さんの声が聞こえる。
目を覚ます。
「祐巳!」
「お姉さま!」
「……」
お姉さまと瞳子の声を聞きながら白い天井を見つめていた。
「あれ?……皆、どうしたの」
「どうしたのじゃないわよ、心配させて……」
祥子さまは泣きながらも嬉しそうだ。
「お姉さま、よかった……本当によかった」
瞳子が抱きついている。
その瞳子を皮切りに、由乃さん、志摩子さん、令さま、乃梨子ちゃんと続き。何と、蓉子さまや聖さま、江利子さままで声をかけてくれた。
話を聞くと、どうも私は事故にあったようだ。
しかも、子供まで助けたらしい。
記憶にないけれど。
事故にあったものの外傷は以外に少なかった。
ただ、ほぼ一日意識はなかったそうで皆さま、何だか眠そうだ。
それで祐巳の意識回復を受けて皆一度帰られることになったのだけれど……。
「それにしても、皆さん。どうして制服が夏服なんですか?蓉子さまたちもそんな薄着で……」
祥子さまたちの格好を見て不意に疑問に思って聞いただけなのだけれど、その言葉に皆さん固まった。
「祐巳、貴女、今の季節わかっているの?」
二月はまだ冬に入れていいんだっけ?
最近、少し暖かいけれど。
「二月ですよね?」
その言葉に、再び皆さん固まった。
「祐巳……貴女…」
「お姉さま、私たちのことお分かりですよね?!私は祐巳さまの何ですか?」
詰め寄る瞳子に祐巳は少し慌てる。
「嫌だなぁ……瞳子は私の妹でしょう。それに祥子さまはお姉さま違う?」
「い、いえ!間違いないですわ。あぁ、よかった……祥子さま、確かに記憶の混乱がありそうですけれど、この程度でしたら良かったと言えるのではないでしょうか?」
「そうね、どっちにしても精密検査では異常はないのだから」
蓉子さまの言葉に祥子さまも頷く。
「祐巳、今は夏。あと少ししたら夏休み。そうしたら一緒に別荘に行きましょう」
「お姉さま、私もご一緒しますから楽しみましょう」
「へっ?」
嬉しそうな二人の笑顔に対し、祐巳は事態が飲み込めていなかった。
だが、これ以上の話は祐巳に負担をかけるのもいけないと、これより先の話は後日となって祐巳は一人病室に残された。
「……どうなっているの?」
夏といえばまだ祐巳と瞳子との関係は発展していない。
妹にしたいとも思っていなかった時期だ。
「もしかしてコレが私の願望?」
確かに瞳子を妹にしたときに、バレンタインのチョコが欲しかったとか。祥子さまと同じようにクリスマスにプレゼントの交換とかしたかったとは思ったけれど。
「だとすると……天使になったのも本当なのかな…」
背中を見るが、そこに天使の羽はなかった。
祐巳の入院は一応の大事をとって一週間と成った。
その間、祥子さまや瞳子以外の山百合会の仲間たちが毎日のように訪れ、真美さんや蔦子さんたちもリリアン瓦版のためという理由だがやって来てくれた。
学園中でお見舞いにとの雰囲気もあったらしいけれど、そこはリリアン瓦版と山百合会との連携でお見舞いの品は山百合会に届けるなどのお願いを出したことで収まったらしい。
ただ、退院時にはワゴン車には乗らないほどのお見舞いの品の量には正直苦笑した。
外は、確かに夏の日差し。
本当に夏なんだなと祐巳は思いながら帰路についた。
祐巳の両脇には、退院をお祝いに来た祥子さまと妹となった瞳子がいた。
病院でのリハビリの間、冬の瞳子との思い出が消えのではとショックがあったものの、瞳子との新しい思いで作りは楽しそうでつい笑顔になってしまう。
結局、祐巳としては側に笑顔の瞳子が居ればいいのだと思った。
「お姉さま?どうかなされましたか」
「うん、何でもない。幸せだなって思ってね」
「は、はぁ」
これはあの声のプレゼントだと思うことにした。
瞳子は祐巳の笑顔に少し戸惑い。
祥子さまは、ただ微笑んでいた。
祐巳は何とか夏休み前に学園に登校することができた。
「なに、これ?」
「まぁ、仕方ないんじゃない?」
「リリアン瓦版でも最大級の特集組むし」
「夏休み前の大盛り上がりを皆さん期待しているでしょうしね」
登校すると出会う人で会う人、上級生下級生関係なく。
おめでとうと言われ。
退院のお祝いのプレゼントで薔薇の館が溢れてしまった。
「教室で受け取らなくって正解だったわね」
「そうね、これだけの量は収まらないもの」
送られたプレゼントをまとめるお手伝いをしてくれていた由乃さんと志摩子さんが苦笑していた。
「さて、そろそろ」
「そうね」
二人が手を止める。
「どうしたの?」
そう祐巳が言うと、二人は並んで祐巳の前にプレゼントを差し出した。
「やっぱり山百合会の仲間として……」
「……友人としての特権を味わいたいものね。開けてみて」
「あ、ありがとう」
二人からのプレゼントは香水だった。
「リボンとかも考えたんだけれどね。まぁ、そんなに高いものじゃないけれどさぁ」
「祥子さまや瞳子ちゃんとのデートの時でも使ってね」
「二人ともありがとう」
祐巳は二人の手を取り、二人は頬を赤くしながら微笑んでいた。
ちなみに二年生組に入れてもらえなかった乃梨子ちゃんと令さまはそれぞれにプレゼントを祐巳に渡して、山百合会の特権を堪能した。
夏。
夏休み。
祐巳は、祥子さまと瞳子との別荘への旅行のために買出しに来ていた。
お母さんに決してお米を送らないように言い聞かせ、必要な物を用意する。
この頃には事故のこととか天使の夢とか、目の前の旅行に消えていたのだけれど……その人は不意に現れた。
「ごきげんよう、祐巳さん」
そこには一人の長い黒髪が綺麗な女性がいた。
挨拶からしてリリアンの生徒だろうか?
「あ、あの、貴女は?」
「天国の扉の前で声を聞かなかった?」
「へっ、天国の扉って……まさか、あの声が言っていた先輩の天使さま?」
祐巳は忘れていたことを思い出す。
「えぇ、その天使。貴女も天使に成ったのでしょう」
「みたいですけれど……」
羽もなくなっているし、どうも夢の中の話のように最近は感じていた。
「みたいではなく、貴女ももう天使よ」
そう言われても実感がわかない。
「それでは行きましょうか」
そう言って、先輩の天使さん?に誘われる。
「……あのどちらに?」
「天使としての力の使い方の練習と使命を」
……天使の力と使命。
「わ、わかりました。ところで……」
「何かしら?」
「あの〜、お名前は……」
祐巳の名前を相手は知っているようだけれど、祐巳は相手の名を知らない。
「あぁ、そうだったわね。ごめんなさい、久保栞っていいます」
「栞さま……?」
「リリアンだとそういう呼び方になるわよね。それでいいわよ、ふふふ」
栞さんはそう言って笑ったけれど、祐巳としてはそうではなく。何かが引っか掛かった。
久保栞……。
何処かで聞いたことがある、それも印象的な感じで……。
「あっ」
「どうしたの?」
「もしかして聖さまの」
「あら、聖を知っているの?」
「あの私、紅薔薇のつぼみをさせていただいていますから」
「……紅薔薇のつぼみ……あぁ、祥子さんの妹なのね」
「はい、お姉さまをご存知ですか?」
「そんなに知っているわけではないわね。なるほどね、山百合会の……あぁ、いけないわ。それよりも急がないと」
栞さまに連れられて、街中を歩いていく。
この女性が聖さまが愛した人。
志摩子さんとつい比べてしまうのは少し居心地が悪い感じがした。
ところで、何処に行く気なのだろう?
「あの、栞さま?」
「どうかした」
「栞さまは遠くの方に転校なされたと聞いていったのですが」
「遠く?隣町だけれど」
「近っ!!」
聖さま近いですよ!!
近すぎます!!
祐巳は、そこら辺から襲ってきそうな聖さまに訴えた。
――その頃の聖さま。
「これなんか美味しそうだよ」
コンビニで新製品のスナックを取り上げ、一緒に居た加東さんに見せていた。
栞さまは優しく笑う。
「近くても、遠くには出来るものよ。祐巳ちゃん」
「はぁ」
「ところで祐巳ちゃん」
「はい?」
「祐巳ちゃんは天使の後輩じゃない」
「まぁ、たぶん」
まだ、自覚はない。
「天使よ……祐巳ちゃんはね。それで、せっかくだから私のことお姉さまって呼ばない?」
「呼びません、お断りいたします」
「一瞬の躊躇もなく言い返すのね」
栞さまは楽しそうに笑っていた。
「残念ね。妹というものに少し憧れていたけれど、大事な後輩で我慢しましょう」
聖さま、栞さまってこんな方だったのですか?
祐巳は、何処かその辺にいるかも知れない聖さまに呼びかけていた。
――その頃の聖さま。
「……うわぁ!失敗だ」
聖さまは手にした、タラコ山葵マスタードポテトを口に入れ後悔していた。
「はぁ」
祐巳は、完全に遊ばれていると感じていた。
仕方なしに、そのまま栞さまについて行く。
「あの〜、栞さま?」
「なに?」
「何でトイレの中なのですか?」
栞さまに連れてこられたのは、お店のトイレの個室の中。
「まさか!秘密の基地への入り口ですか!?」
祐巳はドキドキした。
「もう、そんなわけないじゃない。ふふふ、祐巳ちゃんて面白いわね」
「はぁ」
栞さまに笑われた。
「ここに連れて来たのは目立たないように、さっ、目を閉じて私の手を取りなさい」
祐巳は言われるままに、目を閉じ栞さまの手を取る。
「いいわよ」
目を開くとそこま真っ白な世界だった。
「久保、その娘が新しい天使?」
見れば周囲には何人もの天使。
栞さんの背にも羽が生えていた。
祐巳の背中に羽はない。
「さて、始めましょうか」
栞さんによる祐巳への特訓が始まった。
まずはこの世界への来かた。
この世界は何処からでも来ることが出来、また出て行くことが出来るらしい。
時間の概念は、本来の世界と同じだから注意が必要。
そして、天使への変わり方も教わった。
祐巳は既に天使なので、変わり方と言うよりも戻り方というのが正しいらしい。
今の祐巳の背中には、天使の羽が生えていた。
「それでは最後に簡単な仕事をしましょう」
天使の姿で元の世界に戻る。
だいぶ暗くなっていた。
「急がないとね」
「はい、栞さま」
天使の姿は人には見えない。
代わりに祐巳にはさまざまな者が見えるように成っていた。
「うわぁぁ」
祐巳は流石にその光景に躊躇した。
小さいものは手帳サイズから大きいものはビルサイズまで何か居た。
「な、何ですか、アレ?!」
「あれは妖精とか妖怪と言われる者たち」
祐巳は本当にいたんだぁとか、自分の存在を棚にあげ思っていた。
「アレらの監視や場合によっては捕縛なども私たちの仕事よ」
「監視ですか?」
「そう、アレらの存在理由から多少の悪戯などには干渉しないことに成っているのだけれど。行き過ぎの場合があるから、その場合に捕まえて……まぁ、後はお説教ね。それだけよ」
お説教ですか?
祐巳には苦手そうな話だ。
……お姉さまなら。
想像してみる。
うん、ぴったり合いそうだ。
「あともう一つ、こちらの方が大変なのだけれど……この辺には居ないわね」
「居ない?」
「そう幽霊」
その一言に祐巳は固まった。
「ゆ、ゆゆゆ、幽霊ですか!?」
「天使が居れば幽霊くらい居るわよ。まぁ、この場合迷える魂と言った方が良いかしらね」
祐巳は半泣きだ。
「……迷える魂ですか……?」
そっちの呼び方の方が怖くない。
「えぇ、幽霊ね」
「あうぁ〜……」
栞さまは楽しそうだ。
「幽霊ってどんなのが居るんですか……」
仕方なく祐巳も幽霊と呼ぶことにした。
「いろいろね、簡単に成仏してくれる幽霊も居れば、頑固に残っている幽霊もいるわ。ただ、問題なのは凶暴化している幽霊ね」
「きょ、凶暴化ですか!?」
幽霊というだけでも怖いのに凶暴化って……祟られるの!?
「そんなに脅えないの、大丈夫よ。少しずつ慣れていけばいいから、それよりも飛び方を覚えて今日は終わりにしましょう」
「はい」
栞さまは祐巳の手を取ると、その羽を広げ祐巳を空に誘った。
「うわぁぁぁぁ」
それは一言、感動だった。
「どう、素敵でしょう」
「えぇ」
あまりの驚きに、祐巳は小さく頷くのがやっとだった。
この日は、これで終わり。
一度あの白い世界に戻って、人の姿に戻り。
祐巳は自分の部屋に姿を現した。
「慣れてくれば、もっと様々な力が使えるようになるわよ」
それと人の姿のときでも、妖怪とか幽霊とかも見られるように成るらしい。
「しばらくは訓練が必要だから、がんばりましょう」
栞さまはそう言って、祐巳の部屋から姿を消した。
そして、次の日から栞さまとの訓練がはじまった。
夏休み後半は山百合会の仕事で忙しくなる。しかも、前半の一週間は祥子さまと瞳子との姉妹での別荘での生活。
正直楽しみたい。
栞さまも、それは十分楽しんでくるように言われた。
「それでは旅行前の最後の訓練に行きましょうか」
「はい、栞さま!」
「ぷっ」
「ど、どうしてそこで笑うのですか!?」
「だって祐巳ちゃん、頑張るぞって顔しているのだもの」
「が、がんばろうっと思っているのだから、いいじゃないですか!」
「ふふふ、そうね」
祐巳を見て笑う栞さまを気にしながら、祐巳は拳を作り。
……お姉さま!瞳子ちゃん!旅行を楽しむために、私、頑張るからね!
祐巳は、ここには居ない二人に向かって誓いを立てた。
「あら、アレは祐巳?」
だが、祥子さまは意外に近くに居たりした。
黒塗りの車の中。
信号待ちで止まっている車内から、祥子は祐巳をすばやく見つけ出した。
声をかけるにはタイミングは悪く、距離も少し遠い。
……お友達と遊びに来ているのかしら?
祥子と違い祐巳には、そういった友人が多い。
そういったただの買い物なども祐巳と楽しみたいと思っている祥子だったが、なかなか実現しないのが残念と思っている。だから、祥子は祐巳と行く別荘が今から楽しみなのだけれど。
「……あら、あの人は」
祥子は祐巳の横で笑顔を見せる女性を見つけた。
祐巳に比べて大人っぽい。
祐巳が少し子供ぽいところがあるから、同級生でも大人っぽく見えるのかもしれないけれど……祥子は笑顔を見せる女性に見覚えがあった。
祐巳のお姉さまといっても友人関係すべてを把握しているわけではない。
「誰だったかしら……」
だが、祥子が知っている祐巳の友人にあのような人が思い出せない。
信号が変わり車がゆっくりと動き出す。
祐巳の側にいる女性の雰囲気を見て近い感じで言うのであれば、志摩子だろうか?
志摩子……?
「あぁ!」
祥子は思い出した。
一時期は、仲間になるのかと思って見ていた同級生だ。
「栞さん?!」
どうして祐巳と栞さんが一緒に居るのか?
どう知り合ったのか?
聖さまはご存知なのか?
車がスピードを上げ、祐巳と栞さんもその姿を消した。
それからしばらく後、祐巳は天使の姿で同じ場所に栞さまと戻ってきていた。
「……いい、もうこんなことしてはダメだからね!」
祐巳は、悪戯好きの妖怪を栞さまと見つけ捕まえたのだ。
「……ぷいにゅ〜」
白く太った猫又は、反省したのか変な声で誤っている。
「それじゃ、行きなさい」
「ぷいにゅ!」
祐巳が許すと猫又は嬉しそうに去っていった。
「うん、まずまず合格ね」
「ありがとうございます、栞さま」
これで今日の訓練は一先ず終了。
「よく頑張ったわね、思った以上の成果だったわよ。旅行後もこの調子で頑張りましょう」
「はい、栞さま!」
「それじゃ、幽霊さんの成仏を練習できなかったのは少し不安だけれど。今日は、これで終にしましょう」
祐巳は栞さまと、あの白い世界に移動する。
「久保、福沢、今日は終わり?」
「こんにちは、連句(レンク)」
「ごきげんよう、連句さま」
「……やぁ」
「連句はこれから?」
「そうだけど、福沢のそのしゃべり方にはやっぱり違和感があるね」
連句さまは苦笑いを浮かべている。
「まぁ、福沢はリリアンだっけ?あのお嬢さま学校の」
「はい」
「やっぱり、慣れないよね。呼び捨てでいいのに」
「申し訳ありません」
そうは思うけれど、幼稚舎からリリアンの祐巳には年上を呼び捨てにすることはどうしても出来ない。
「まぁ、いいよ。さて、そろそろ行こうかな。そうだ、二人とも今度、ウチのバンドがコンサートといっても小さなライブだけれどやるから見に来てよ」
「えぇ、分かったわ」
「ぜひ」
「それじゃ!」
「またね」
「ごきげんよう」
そう言って連句さまは姿を消す。
「それでじゃ、私たちは帰りますか。祐巳ちゃん、また今度ね」
「はい、栞さま」
「ちゃんと別荘でも練習するのよ」
「あはは……がんばります」
「ふふふ、まぁ、祐巳ちゃんは真面目だから心配はしていないけれどね」
このところの訓練で、祐巳の天使としての能力は上がってきていた。
人の姿でも、意識すればボンヤリとそこいらにいる見えない者たちが見えるように成っている。
そして、少しのお喋りの後。
ごきげんようと別れた。
次の日。
祥子さまと瞳子との別荘への旅行。
祐巳は二回目といえワクワクしながら、待ち合わせ場所に居た。
「お姉さま!」
瞳子の声が響き、黒塗りの車が祐巳の前に止まる。
前のような勘違いはしない。
「待たせてしまったかしら?」
「いいえ、ちっとも」
「そう、それは良かったわ……あら」
「祐巳さま、香水つけています?」
祥子さまと瞳子が同時に気がついた。
「わかった?志摩子さんと由乃さんからのプレゼントなんだ」
祐巳は少し照れながら嬉しそうに微笑む。
「退院のお祝いでね、二人とのデートのときのどうぞって」
「流石は志摩子さまと由乃さまですね、祐巳様に合うよい香りです」
「本当に……」
二人からのプレゼントを褒められ、祐巳も嬉しい。
「それでは祥子さま、お姉さま、早く行きましょう。まぁ、祥子さまは眠られるのでしょうけれど」
「もう、瞳子ちゃんは……祐巳、笑わないの」
「えっ?」
どうやら祐巳は眠る祥子さまを想像して笑顔になっていたようだ。
瞳子に腕を取られ、なぜか三人で後部座席に座る。
車内は広いし、祐巳と瞳子は小柄ではあるけれど、一人は前に行った方が広くなって楽なのだけれど。
祥子さまも瞳子も祐巳の横を譲らなかったのだ。
どうもこの二人の関係は、祐巳と蓉子さまではなく。江利子さまと由乃さんに似ている。
「祥子さまはどうせ寝られるのでしょうに」
「あら、これはウチの車よ」
二人して笑う姿に、祐巳は少し後ろに下がった。
「ふぁ」
車が動き出し、予想に反して最初に欠伸をしてしまったのは祐巳だった。
「あら、祐巳。眠たいの?」
「あっ、いえ。そんなはずは……」
「もう、どうせお姉さまの事ですから、昨夜、今日のことを考えて興奮して眠れなかったのではありませんか?」
祐巳の様子に瞳子は少し不満そう。
「そんなことは、無いと思うけれど」
昨夜は早めにグッスリと眠った。
天使といっても疲れもするようで、毎日の栞さまの特訓は運動不足の祐巳には結構きつかったのかも知れない。
……あと、気が緩んだかな?
「何か疲れているみたいだし、祐巳も眠りなさい」
そう言って祥子さまは横になり、祐巳は……。
「瞳子、肩貸してね」
祥子さまに習って眠ることにしたが、前回の少し寂しい気持ちを思い出し。代わりに瞳子の肩を借りることで瞳子に配慮した。
目を瞑る前にチラッと見た瞳子は少し不満そうだったけれど、文句も言わずに肩を貸してくれた。
「もう、お姉さまは……」
少し肩が重いけれど、祐巳さまスースーと小さな寝息を立てられている。
瞳子も、話し相手がいないのでは少し暇だ。
「あら、もう眠ったのね」
「祥子さま?」
祥子さまはまだ眠ってはいなかったのか、横になったままで祐巳さまを見つめている。
「……」
優しい視線を祐巳さまに向けていたが、何処か不安そうでもある。
「どうかなされましたか?」
「いいえ、何でもないわ。本当に良かったと思っているだけよ」
祥子さまは、あの事故のことを言っているようだ。
「貴女も少し眠りなさい、寝不足なんでしょう」
そう言って祥子さまは目を閉じ。
「私もなのよ」
と、呟きが聞こえた。
「そうですね」
確かに寝不足。
こんなことは幼稚舎以来のことだと思いながら、祥子さま、祐巳さまに習うことにして、祐巳さまの方に頭を預ける。
「おやすみなさい、お姉さま」
目を閉じ、ゆっくりと眠りの中に沈んでいく。
「……栞さま……」
瞳子の眠りに落ちていく頭の中に、そんな名前が響いた。
「……栞さま?」
祐巳はいつの間にか白い世界に来ていた。
目の前には栞さま。
「あれ?私いつの間にここに……」
「ここは私たちの集いの場所ではないわ、祐巳ちゃんの夢の中」
「夢の中ですか?」
「そう、今、祐巳ちゃんは旅行中のはずよ。これは天使の能力の一つで、本来は、人の夢の中に進入して予言や啓示を与える為の力なの。まだ祐巳ちゃんには使えないけれどね」
人の夢の中に入るのは、何だか嫌なので使えなくても良いかなと祐巳は思う。
「それで、どうなされたのですか?」
栞さまがこんな事をしてまで来られたのだ、何かあるに違いない。
祐巳は緊張する。
「あのね」
「はい」
「暇なの」
「……」
このところ、聖さまに聞いていた栞さま像が崩壊していくのを感じる祐巳だった。
「え〜と、寝たいのでこれで終わりでいいですか?」
祐巳の声は冷たい。
「ふふふ、嘘よ。本当は嫌な予感がするの」
「嫌な予感ですか?」
「そう、具体的には分からないけれど。気をつけてね」
栞さまはそう言われると、それではと姿を消した。
「……お姉さま」
夢の中に、瞳子の声が響いた。
「んっ」
「着きましたわよ、お姉さま」
「そう」
祐巳は体を起こし、背伸びをして車から出た。
「……」
祐巳は固まった。
「祐巳、何しているの?」
「お姉さま、早く」
二人の声も何処か遠い。
目の前には、長い髪を垂れ流し首が百八十度回っている女性が立っている。
どう見ても幽霊さんだ。
しかも、今の祐巳でもはっきり見えるほどの、危険な匂いのする幽霊。
……栞さま、どうしたら良いんでしょうか?
空を見上げた。
祐巳は半泣きだった。
「もう少し、まともなアドバイスをください」
呟きは、別荘地の空気の中に消えていった。
天使の祐巳の話……あれ?
新しいの一つ。
クゥ〜