【3201】 なぜだかしらないけど指さし確認  (RS 2010-07-13 23:52:52)


【No:3143】の続きっぽいものです。




 二人の二年生が修学旅行に出発した日は、だれも放課後の薔薇の館に来なかった。
 二年生たちが出発する前に、修学旅行の間は仕事も進めようがないだろうから、山百合会の集まりは無しということにしていたのだ。
 ほとんどのクラブでも、活動の中心になっている二年生がいない間にできることは、本当に限られてしまう。そのうえ、顧問の教師が二年生の担任だと、修学旅行の期間は不在となるところもある。そのせいもあって、薔薇の館と同じように、この時期は活動を休んでしまうクラブの方が、休まないところより多いくらいだった。
 集まりはないことにしたといっても、いつもの行動がそうそうあらたまるわけもなく、足が薔薇の館に向かってしまうのはしかたのないことだった。だから、その日の放課後は、いつもどおりに薔薇の館に足が向いてしまったもの同士が、中庭でバッタリ会って、「今日はないんだよね」とか「あ、そうだった」とかなんとか言って、久しぶりに早い時間のバスに乗ったり、図書館で時間をつぶしたりして帰ったのだ。
 そうやって、二年生のいない一日目はどうにかこらえたけれど、結局、次の日の放課後には、残った者たちは薔薇の館にいた。
 それぞれが、お茶でも飲んでから下校しようと思った、と言いながら集まってしまったのだ。
 こんなときは、お互いのまじめさがなんだか微笑ましい。
 久しぶりにお手伝いさん抜きで、薔薇の館のメンバーだけがそろってお茶を飲むうちに、二人のつぼみが修学旅行で不在のあいだにできることは限られているにしても、学園祭の準備でやれることはやっておこうということになった。

「修学旅行のあいだは集まりは無し、なんて言ってたのに、ここに来てお茶飲んでるんだもん。みんな真面目よねー」
 由乃が自分を茶化すように言うと、パラパラと書類をめくったり戻したりしていた祐巳が、壁に貼ってあるスケジュール表を見ながら答えた。
「でも、できることってホントに少ないよね。二年生がいないから、クラブや委員会との打ち合わせスケジュールがスッポリぬけてるもの」
「この時期に二年生がいないのは、以前から分かっていたことだから、みなさん予定どおりに準備は進めているみたいよ」
 志摩子が言うと、菜々が続けた。
「クラスの人の話だと、どのクラブでも二年生から、自分たちがいない間にやっておくことっていう指示がけっこうあったみたいです。クラブをかけもちしてる人だと、クラスの受け持ち分だけじゃないんでもっと大変みたいです。特に、お姉さまがいる人たちは」
「ん、どうして?」
 口に含んでいた紅茶をあわてて飲み込んで祐巳がたずねると、由乃が菜々の代わりに答えた。
「クラブに入っている人のお姉さまは、たいていは同じクラブにいるものよ。だから、お姉さまがいない間に、言われたことをやっておくのは当然として、それを上回るくらいにこなしておこうってことでしょ。できればというか、あわよくばというか、帰ってきたお姉さまにほめてほしいって思ってるんじゃないの?」
「あ、そうか。帰ってきたお姉さまにほめてもらいたいっていう気持ちは分かるなあ」
「でしょ? それで、ついつい頑張りすぎて倒れちゃう、なんてこともあるかもね」
 倒れるまで頑張って、姉に心配をかけてしまうのはどうかと思うものの、祐巳にはその気持ちがよく分かった。自分も妹だったときは、そんなふうに考えていたような気がするし、そんなふうに行動してきたように思う。きっと、姉の役に立ちたいとか、姉にほめてほしいとか、姉に喜んでほしいとか思うのは、妹としてごく自然な気持ちであって、本能にも似たものなのだろう。
「高等部の生徒の三分の一がしばらくいないんだと思うと、なんだか落ち着かないような気持ちになるわね」
 二人のやりとりを聞いていた志摩子が言うと、菜々が不思議そうな顔で聞いた。
「なんだか、嵐の前の静けさみたいですけど、去年もこんな感じだったんですか?」
「去年はわたしたちが修学旅行だったから……。わたしたちがいない間の感じはどうだったのかしらね?」
「あ、それを知ってる人っていないのね。一昨年はどうだったんだろう? 由乃さんは薔薇の館にいたんだよね」
「わたしは、一昨年の今頃は、令ちゃ――お姉さまが修学旅行に出発した日から熱を出して、戻ってくるまでほとんど休んじゃったのよ。集まりの予定は入れてなかったような気がするんだけど、よく憶えてないわ。志摩子さんは憶えてる?」
「修学旅行の後から忙しくなるとは言われていたけれど、確かにその時期は集まりはないって言われたわね。わたしは、一度だけ薔薇の館に来てみたことがあるんだけど……」
「薔薇さまが三人で仕事をしてた、とか?」
「いいえ。誰もいらっしゃらなかったわ。もちろん、あらかじめスケジュールは空けてあったのだから当たり前よね。何か自分にできることはないだろうかって考えたの。でも、蓉子さまには、わたしがそんなことを考えて薔薇の館に来ることも、全部お見通しだったみたい」
「それで、誰もいなくて、志摩子さんはどうしたの?」
「このテーブルの、いつもわたしが座っていた席に、わたしあての手紙が置いてあるのを見つけたの」
「手紙? 何て書いてあったの?」
「つぼみたちが帰ってきたら忙しくなるから、お茶を一服したら、早めに家に帰って英気を養えって。薔薇さま三人の名前でね」
「ふうん。それで、蓉子さまがお見通しっていうのは?」
「本文も名前も全部、蓉子さまの字だったの」
「あ、なるほど」
「もし、そのとき三年生がいらっしゃったら、前の年はどうだったかきいてみたかもしれないなって思ったんだけれど、きっと毎年こんな感じだったんじゃないかしら」
「三年生と一年生が仲良くしていれば、二年生も安心なんじゃない?」
「いないんだから、見られないけどね」
「帰ってきたら、こんなことがあったよって教えてあげればいいのよ」
「わたしたちもそうだったんだから、それでいいのかもしれないわね」
 しばらくは去年の修学旅行の話に花が咲き、菜々は先輩たちの話を聞きながら、みんなのカップが空のままにならないようにお給仕をしていた。
「祐巳さんも志摩子さんも、二人が帰ってきたらみやげ話がいっぱい聞けるんだから楽しみでしょ?」
「そりゃあね」
 カップを口に運びながら祐巳が答える。
「でも、なんといっても元気な顔が一番のおみやげよ。そのうえ面白い話が聞けるんなら、おみやげとしては言うことなしね。志摩子さんもそうでしょ?」
「ええ。ローマ饅頭やフィレンツェ煎餅は期待していないわ」
「あー、あったわね。そんなのも。祥子さまのリクエストだって祐巳さんに聞いて、探したのよね」
「志摩子さんは、乃梨子ちゃんに言ったの?」
「なんのこと?」
「おみやげは、ローマ饅頭とフィレンツェ煎餅がいいって……」
「ええ、お約束ですもの。乃梨子には、すぐ冗談だって分かってしまったわ。でも、ローマ饅頭とフィレンツェ煎餅は無理でも、なにか見つけてくるつもりだって言ってたわ」
 志摩子が答えると、祐巳の表情がすうっと暗くなった。
「祐巳さんも瞳子ちゃんに言ったんでしょう?」
「……一応」
 志摩子と由乃が顔を見合わせた。
「ねえねえ、祐巳さん。そのとき、瞳子ちゃんのようすはどうだったの?」
「……なんていうか、ガッツポーズ? をして、まかせてくださいって言ったの」
「ガッツポーズ? 瞳子ちゃんが?」
「うん」
「それで、何か心配なの?」
「それを見て、冗談だって言えなくて……」
「ああ、急に暗くなったのは、それ?」
「うん。なんだかそのときは、妙にテンションが高いみたいで、ガッツポーズなんてするから、冗談だって言うタイミングを失ったというか……」
 面目なさそうに言う祐巳に、由乃が「やれやれ」という顔をして志摩子と顔を見合わせた。
「祐巳さん、だいじょうぶよ。乃梨子がついてるわ」
「そうよ、祐巳さん。瞳子ちゃんには乃梨子ちゃんがついてるから、瞳子ちゃんもローマ饅頭とフィレンツェ煎餅が冗談だってことはすぐに分かるわよ。だから、だいじょうぶよ」
「そうかなあ……」
 まだ自信なさげな祐巳を見ながら、由乃はそのときの二人のようすを想像してみた。
 瞳子ちゃんが、祐巳さんの表情を見ていて、それが冗談だと分からないはずがない。だから、瞳子ちゃんは、冗談だって分かってたんじゃないかな。でも、ガッツポーズをしたというのは、どういうことなんだろう?
 由乃は、なんだか暗くなっている祐巳を慰めるのは志摩子にまかせることにして、ちょっと考えてみた。
 ガッツポーズをしたのはなぜか?
 それは本当にガッツポーズだったのか?
 ガッツポーズに見えただけで、本当は、ガッツポーズではなかったのでは……?
 ガッツポーズに見えるような動作というのは……。
 考えるうちに思い当たったことが口から出ていた。
「乗りツッコミしたかったんだ……」
 祐巳が顔を上げた。
「乗りツッコミ?」
「あ、聞こえちゃったか。……瞳子ちゃんにローマ饅頭とフィレンツェ煎餅が冗談だって分からないはずはないから、どうしてガッツポーズなのかなって思ったの」
「その結論が乗りツッコミ?」
「そう。祐巳さんが、おみやげはローマ饅頭とフィレンツェ煎餅がいいって言ったんでしょ?」
「うん」
「そのときの二人の位置関係を推理すると――」
「名探偵由乃の推理によれば?」
「おっ、ありがとう。祐巳さんは、瞳子ちゃんと向かい合ってたんじゃない?」
「そうだけど? ……どうしてわかったの?」
「祐巳さんの、おみやげはローマ饅頭とフィレンツェ煎餅っていうボケが来たから、瞳子ちゃんはすかさずそれに乗っかって、突っこもうと思ったんじゃないかしら」
「ガッツポーズは?」
「祐巳さんの胸のところをこう……」
 由乃が、伸ばした側の腕の手の甲で、隣に座っている菜々の胸の辺りをたたくまねをすると、祐巳にも分かったようだ。
「クラシカルなツッコミポーズだ!」
「でもこれは、二人が並んで観客の方を向いているからできるのよ」
「観客なんていなかったよ」
 由乃は、肘を曲げて途中まで腕を上げて、拳を握り込みながら下ろす動作をしてみせた。
「だから、向かい合ってこのポーズってわけにいかないから、祐巳さんには、瞳子ちゃんが、振り上げた手を途中で握って下ろしたのが、ガッツポーズに見えたんじゃないかなって思うの」
「うーん。そう言われればそうかも……」
 祐巳は、さっきの由乃と同じポーズをしてみた。腕を上げ、手を握り、下ろす。その動作を繰り返してみる。

 二人の話を聞いていた菜々は、もしも紅薔薇姉妹が修学旅行をお題に漫才をしていたら、と想像してみた。
――『いよいよ修学旅行の季節ですね。お姉さま』
――『修学旅行といえばおみやげね』
――『修学旅行といえばイタリアですわ、お姉さま』
――『修学旅行のおみやげといえば、洞爺湖と書いてある木刀!』
――『だからー、行き先はイタリアですってば』
――『イタリアに行ったのに、洞爺湖と書いてある木刀をおみやげにするのが修学旅行の通』
――『イタリアに洞爺湖と書いた木刀はありませんわ』
――『そこを何とかするのが通。でも本当の通は、ローマとフィレンツェのおみやげをはずさない』
――『ローマといえば?』
――『ローマ饅頭』
――『フィレンツェといえば?』
――『フィレンツェ煎餅』
――『さすがです、お姉さま。ローマ名物ローマ饅頭、フィレンツェ名物フィレンツェ煎餅』
――『修学旅行のおみやげといったら、これで決まりっ!』
――『ローマ饅頭、フィレンツェ煎餅……そんなもん、あるわけないって。いい加減にしなさい』
 どうも上手いオチがつけられない。やっぱり関西弁じゃないと味は出ないのだろうか。そもそも、笑いどころはどこだろうか?
 紅薔薇姉妹の漫才はまだしも想像できなくはないけれど、白薔薇姉妹の漫才は想像できない。ボケとツッコミにしかみえない組み合わせだけれど、その才能は漫才とは別の方向を向いているようだ。
 自分とお姉さまならどうだろう……。ぼやき漫才もしゃべくり漫才もダメそうだ。どつき漫才ならなんとかなるだろうか……。
 菜々がそんなことを考えているうちに、由乃の説明を聞いて、腕を上げたり下ろしたりしていた祐巳の表情がいくらか明るくなってきたようだ。
「乗りツッコミはともかくとして、冗談だって分かって出発したってことだよね?」
「そうだと思うわよ。祐巳さんが冗談を言ってるかどうか、瞳子ちゃんに分からないなんてことはあり得ないって」
「ねえ、祐巳さん」
 由乃の説明を一緒に聞いていた志摩子が声をかけた。
「わたしも、瞳子ちゃんは分かっていたという由乃さんに賛成なの」
「志摩子さんもそう言うんなら、やっぱりそうなのかな」
「ええ。わたしは、瞳子ちゃんはうれしかったんだと思うの」
「うれしかった?」
「自分の修学旅行の出発に、お姉さまがはなむけとして、得意でもないのに冗談を言ってくれた。それがうれしかったんだと思うの」
「うっ。得意でもないっていうのは、ちょっとグサッときたかも……」
「わたしだって冗談はちっとも得意じゃないけど、祐巳さんのことも特別上手だと思ったことはないから、そこはおあいこということにしましょ。それでね、旅行に行く人におみやげは何がいいって言うのは、そのおみやげを渡せるように、無事に帰って来てということだもの」
「それはそうだけど、冗談のことは、なんだかバランスがとれてないような……」
「こだわるわね、祐巳さん」
 そう言いながら、志摩子のマイペースはくずれない。
「それがわからない瞳子ちゃんではないのだから、瞳子ちゃんは、お姉さまの言葉がうれしくてガッツポーズをしただけで、特別な理由はないのかもしれないわ。瞳子ちゃんはいつも祐巳さんに楽しい気持ち、うれしい気持ちでいてほしいって思ってるはずだから」
「うん。それはそう思う」
「どうしても気になるなら、帰ってきてから、野暮を承知で聞いてみれば済むことだわ」
「瞳子はうれしかった……。ああ、なんだかそんな気がしてきた。ありがとう。志摩子さん」
「どういたしまして。乃梨子がそうだから、瞳子ちゃんもそうにちがいないって思ったの」
 由乃と菜々が顔を見合わせて、座ったままスッと体を沈めるようにして、わざとヒソヒソ声をたてているかのように話し出す。
「やっぱり最後は、白薔薇さまのおノロケですか」
「しかたないわよ。一番姉妹歴が長いんだしさ。まあ、祐巳さんのとこも相当なもんだけどね」
「聞こえてるわよ」
 志摩子の声がして、菜々が首をすくめてペロッと舌を出した。
「わたしも聞こえたけど、まあ、姉バカってことでは由乃さんに負けてるからいいかな」
「それこそ、どういたしましてだわ。紅薔薇姉妹が激甘なのはリリアンの常識よ」
 そう言って由乃は菜々の方を向いた。
「ローマ饅頭とフィレンツェ煎餅のネタは、菜々には使えなくなっちゃったわね」
「わたしは聞いちゃいましたけど、来年のつぼみには通用するんじゃないですか?」
 何の気なしの菜々の声に、薔薇さまたちの間に微妙な空気が流れた。それは、静かだった水面に起きた小さなさざ波が、どれほど広がっていくのだろうと危ぶむような、見守るような空気だった。
 来年のつぼみ。それは、今年のつぼみの妹。

「……なんだか不思議だわ。去年、わたしたちが行ったところに、今、妹たちがいるのは」
 志摩子が、その空気をどこかに押しやりたいかのように言うと、みんなには、来年のつぼみのことは話したくないのだと聞こえた。
 カップを両手でくるむようにして持っていた由乃が、隣にいる妹を見た。
「来年は菜々の番か……。さっきもいっぱい話したけど、イタリアはいいわよ。わたしなんか熱を出しちゃったことまで、いい思い出なんだから」
「お姉さまが修学旅行で、熱を?」
「話したことなかったかしら? イタリアに着いた日の夜だったかな。あの頃は、疲れるとよく熱が出たりしてたから……」
 由乃がカップを置いて、祐巳に向かってペコリと頭を下げる。
「あのときは、祐巳さんにはすっかり迷惑かけちゃったわね。あらためて、言わせてね。ありがとう。お世話になりました」
 祐巳もカップを置き、あわてたように手を振りながら言う。
「あらたまって言われると、なんて言っていいか困っちゃうじゃない。あのときは、由乃さんに寝れば直るって言われたけど、ほんとは焦って心配したの、でも、朝には直ってたんだから問題ないわ。その後は何事もなかったんだし」
「絶対に祐巳さんと同室って言ったら、クラスのみんなは引き気味だったでしょ。熱が出たときは、『あ、やっぱり』って感じだったの。でも、祐巳さんと同室だったから本当にすぐ直ったみたい」
「朝には、しっかりお風呂に入ってたもんね」
「うん。あのときは、具合が悪くなっても、他の人に面倒を見られたりしたくなかったんだと思うの。みんなが引こうがどうしようが、祐巳さんと同室で良かったなって思ったけど……」
 下を向いてほんのちょっと黙った由乃は、すぐ菜々の方を見た。
「ね、菜々。頼りになる人がいっしょだと安心でしょ?」
「はい。見習いたいと思います」
「菜々ちゃんは健康そうだけど、何か心配でもあるの?」
 志摩子が尋ねると、菜々は大きくかぶりを振った
「いえ。自分のことではなくて、同室になった人に安心してもらえるようになりたいです」
 菜々の言葉に、三人の薔薇さまは深く頷いた。
「いい心がけだわ、菜々。頼りにできる人がいることは、とても幸せなことよ。そして、頼りにしてもらえる自分でいることも、同じように幸せなことだと思うわ」
「はい」
 菜々が神妙な顔で答えると、志摩子と祐巳がパチパチと拍手した。
「おー、さすが由乃さん」
「祐巳さん、冷やかさないでよ」
「いいえ。今のお話は、由乃さんだからこそ言えることだと思うわ」
「志摩子さんまで、何言ってるのよ」
「冷やかしたりしてないわよ。わたしはその場にいなかったけれど、もし熱を出したのがわたしだったら、そんなふうに弱っているところを誰かに見せること、見られることをためらったかもしれないわ。でも、そのときの由乃さんには、そうしてもいい頼りになる人がそばにいたということよね?」
 真顔の志摩子には照れ隠しの笑いは通用しそうもなく、由乃も真顔で答えることになる。
「それは……そうよ」
「そして、今も便りになる人はそばにいるのよね?」
「そうよ」
 その答えに満足したように、志摩子が続ける。
「わたしもそう。祐巳さんも、由乃さんも、菜々ちゃんも、みんなのことをを頼りにしてるわ」
 由乃はなんとなく照れくさくて、つい早口になってしまう。
「わたしだって、志摩子さんも祐巳さんも菜々も、今はここにいないけど、乃梨子ちゃんも瞳子ちゃんも頼りにしてるわよ」
「ね? お互いに頼ってもいるし、頼られてもいるというのは幸せなことでしょ?」
 志摩子が、まるで菜々に言い聞かせるかのように言う。
「うーん。なんだか志摩子さんに上手くまとめられちゃったみたいね」
 由乃がそう言って菜々を見ると、菜々はいかにも感動したというポーズなのか、胸の前で指を組み、うっとりしたような表情を浮かべている。
「わたし、久しぶりに為になるお話を聞きました」
「ちょっと菜々、久しぶりとは何よ。わたしといれば、い・つ・も、為になることばかりでしょ?」
「はい。お姉さまのおっしゃるとおりです」
 さっきまでのうっとりした表情をしまい込んで、澄ました顔で返事をする菜々に呆れたような顔をした由乃が、こらえきれずに笑い出し、祐巳も志摩子も菜々もつられるように笑いだした。
「あー、確かに。由乃さんといれば為になることばかりだよね」
「祐巳さん、今のわたしに皮肉は通用しないわよ」
 そう言って由乃は、笑い顔のまま祐巳をにらもうとするので、祐巳の笑いはなかなか止まらない。
「ちがうって、本心、本心。でも、あっはっは――」
「祐巳さん、その笑い方だったらまるで――」
「志摩子さんも、そんな言い方したら――」
「お姉さま、無理に変な顔して笑わせようとしないでください」
「んもー。無理してないし、変な顔してないし、笑わせようなんてしてないわよ」
「ひどいです、お姉さま。妹の言うことは全否定ですか?」
 しれっとして言う菜々に、みんなはなかなか笑いをおさめられないでいる。

 その間に、菜々は新しくお茶をいれに流しに立った。
 薔薇さまにお茶を配り終えて席に戻るころには、どうにか三人の笑いもおさまっていた。
 祐巳が話題を変えるように菜々に声をかけた。
「ところで、お手伝いの二人はどうしてるかしら? 菜々ちゃん、見かけた?」
「今日はクラス展示の準備のようです」
 自分には緑茶をいれた菜々が、湯呑みを置いて答える。
「薔薇の館にお手伝いに来ているので、クラス展示の分担は減らしてもらっているそうです。それで、こういうときにまとめて頑張るつもりみたいでした」
 菜々の話に、三人の薔薇さまは顔を見合わせて頷きあう。
 山百合会の手伝いに来てもらうことに、問題になるようなことがないのは確かめてある。それでも、クラスの仕事にしても、委員会やクラブとの調整にしても、自分の責任でなんとかするように、と突き放す気わけにはいかない。気がかりと言うほどでもないけれど、もともとの仕事を手抜きしているなどと周りに思われたりしないようにしなくては、と一年生二人について考えていたことだ。
 だから、修学旅行で二年生がいない間は、お手伝いに来なくていいと言ってある。
 志摩子と祐巳からそれを言い渡したとき、二人とも口には出さなかったけれど不満そうだった。薔薇の館自体が休業状態になるのだから、来るには及ばないことは理解していても、何か自分にできることがあるのではないかと考えたのだろう。それでも、薔薇さまたちの意図を理解してクラスで自分の責任をきちんと果たしているらしいことが、なんとなく好もしい。
 それに、間違いなく薔薇の館に来たい気持ちでいるはずなのに、あえて来ていないのが、お手伝いとして薔薇の館に来たことのある志摩子と祐巳には、さらに好もしく思われた。
 なんとなく頷きあい、顔を見合わせて微笑みあう。
「どうしたの? 二人して見つめ合って」
「うん、ちょっと昔のことをね」
「お手伝い時代をなんとなく思い出したの。さっき、二年も前のことを思い出したせいかしら……」
 由乃にはお手伝いで薔薇の館に来た経験はない。それは菜々も同じだ。はじめから薔薇の館には、誰かの妹としてやって来た。だから、お手伝いで来た人が、薔薇の館にどんな気持ちで来ていたのか完全には分からない。それでも、ある程度なら想像はできる。
 祐巳さんも志摩子さんも、乃梨子ちゃんも瞳子ちゃんも、初めはお手伝いとして薔薇の館に出入りしていた。祐巳さんは、一年生の時の学園祭の前に二週間ほど。まるで劇の補充要員みたいだったけれど、学園祭の終わりには祥子さまの妹になっていた。そう考えると、お手伝いで薔薇の館に来るというのは、お互いにとってのお試し期間みたいなものなのかもしれない。
「ね、今まで、ここにお手伝いに来ていて、誰かの妹にならなかった人っている?」
 何気ない由乃の問いを聞いて、祐巳が持っていたカップをあわてて皿に置こうとして、動揺したせいなのか、大きな音をたててしまった。
「どうしたの、祐巳さん? あわてちゃって」
「いやっ、あのっ。この間、同じことを可南子ちゃんに聞かれたものだから……」
「可南子ちゃんに? あ、答えは可南子ちゃんか」
 確かに、薔薇の館に出入りしたことはあっても、だれかと姉妹の契りを結ぶことのなかった人はいるはずだ。長い歴史の間には、そんなこともあって当然だ。去年、祐巳さんは、可南子ちゃんと体育祭で賭けをして、その結果として可南子ちゃんが助っ人に来たと言っていた。今となっては、いきさつを詳しく聞くまでもないことだと思うけれど、瞳子ちゃんはどうだっただろう? 自発的に来ていたのだろうか? それとも、瞳子ちゃんも賭けをしていたのだろうか? 賭けだとしたら、誰と賭けていたんだろうか……。
「祐巳さんが、可南子ちゃんと会ったのは最近のこと?」
 由乃が考え事をしている間に、志摩子が祐巳に尋ねている。
「修学旅行のことも話したから、先週くらいかな」
「そう……。お手伝いの二人が来てからなのね」
「志摩子さん、なにか気になるの?」
「薔薇の館にお手伝いに来た一年生が、誰かの妹になって薔薇の館の住人になり、いずれは薔薇さまになるというのは、生徒が望むハッピーエンドなのかしら……って思って」
「あ、志摩子さん、また難しいこと考えてるでしょ」
 祐巳が重くなりそうな空気をはねのけるような声で言う。
「可南子ちゃんは、リリアンで姉がほしかったわけじゃないし、姉になれる人がいたとしても、それはわたしじゃなかったのよ。ここでの姉はきっと必要ないんだと思うの」
「そうなのかもしれないわね……」
「だから、薔薇の館にお手伝いに来て、だれかの妹にならなかった人って、わたしたちは可南子ちゃんしか知らないけど、前にもそういう人はいたんだろうから、具体的な話はおしまいでいいと思う」
「具体的な話がおしまいなら、その次はなんなの?」
 由乃が言うと、祐巳はちょっと考えるような顔をしてから言った。
「一般論?」
「なんなの、その疑問形は」
「そうかなって思って」
 思い出し思い出し、そのときのことを話すという感じで祐巳が続けた。
「可南子ちゃんからは、お手伝いに来ている一年生のことをどう考えてるのかって聞かれたの。それは、つぼみの妹にするつもりで出入りさせているのかってことだと、わたしは思ったの」
「なんて答えたの?」
「あくまでも、お手伝いとして来てもらってるって言ったんだけど、追及はけっこう厳しかったな」
「どんなふうに?」
「薔薇さまとしては、そう答えなくてはならないのかもしれないけれど、瞳子の姉として、妹の妹についてどう考えているかとか、つぼみであるという妹の立場について、どう考えているのかとか、つぼみやつぼみの妹のことが生徒の関心事であることをどう思うかとか、他の生徒への影響についてどう考えているのか、とか?」
「だから、なんで疑問形よ」
「何を聞かれたか、思い出しきれてないかなって思って」
「で、どこが一般論なの?」
「具体的な誰かがってことじゃなくて、薔薇の館に出入りすることが、特別なことではないようにしたいっていうのは、間違ってないって思ったの。そういうことが、ごくありふれたことだったら、みんなの注目を集めたりすることもないはずでしょ? 誰かの妹になるために出入りしているわけじゃなくて、結果的に姉妹になるなら、それはそれでよくて、ならなくてもそれはそれでよくて……うーん、うまくまとまらないけど、そういうこと」
「一年生がお手伝いに来ることと、つぼみの妹になるのは別問題で、無関係なことだってこと?」
「うん、まあ、そういうこと。そういうふうにしていくことが必要じゃないかって思って」
 志摩子も由乃も、祐巳が選挙の時の公約のことを考えているらしいと思った。
「さっき、志摩子さんが言ったのは、薔薇の館に来るのがハッピーエンドだって、思ってる人が多いんじゃないかってことだと思うけど、お話はそこで終わらないからね……」
 つぼみの妹になってお話はお終い。薔薇さまの妹になってお話はお終い。それは、ハッピーエンドとしてとても分かりやすいお話だ。でも、それが終わりではないということを、そこにいる者はよく知っていた。
 だから、祐巳の言うことが、誰かのためだけに考えていることではないということもよく分かった。
「なんだか、前にもこんなことを話したような気がするんだけど……」
 由乃がそう言って志摩子と顔を見合わせた。
「二人が修学旅行から帰ってきたら、また動きがあるわよ」
「それは、祐巳さんの予言なの?」
「希望的観測、かな?」
「だから、どうして疑問形よ」
「それよりさ、茶話会のこと。今のうちに少し進めておかない?」
「それはいいけど、学園祭までにつぼみの妹が決まったりしたら、茶話会の目玉がなくなるんじゃない?」
 志摩子は、なぜだか由乃の軽口を聞き流してはいけないような気がした。
「由乃さん、茶話会は何のために開くのかしら?」
「そんなの決まってるじゃない。この時期まで出会いの機会がなかった生徒に、その機会を提供することよ」
「そのとおりね。つぼみの妹を決める会ではないということよ」
「でも、つぼみが参加者にならないと盛り上がりに欠けるんじゃない?」
「茶話会が盛り上がることが大事なら、つぼみたちには、茶話会まで妹をもつなって言う必要があるわけね?」
 志摩子の強い言い方に、由乃がちょっとひるんだ感じになった。
「志摩子さん、ずいぶんキツイわよ。どうしたの?」
「どうもしないわ。つぼみが参加するかどうかと茶話会の盛り上がりは、本来無関係であるべきじゃないかしら?」
「それは正論だろうけど、せっかくの茶話会に応募者が少ないのも、なんだか残念だなって気がするもの」
「由乃さんも志摩子さんも、間違ってはいないと思うよ。つぼみであるとかないとかは別にして、まじめに妹を探している二年生として参加する分には、何の問題もないんじゃない? それに、一年生だって、つぼみの妹になりたい気持ちがあって参加しても、実際には、別の人と姉妹になることもあるわけだから、はじめにどんなつもりだったかなんて問題にしなくてもいいと思うな」
 祐巳も志摩子も由乃も、茶話会を成功させたいという気持ちは同じだった。何をもって成功とするかは違っていたとしても。
「うん、まあ、それはそうね」
「……分かったわ。茶話会のことは、日を改めて話し合いましょう。由乃さん、祐巳さん」
 菜々も、茶話会が去年の行事にあったことは承知している。ことしの年間の予定にも入っている。しかし、上級生たちが話しているのを聞いた以上の知識はない。リリアンかわら版の記事も読んだとはいえ、どういう意味付けがされる行事であるかについては、まだ考えてもいなかった。
「でも、今年はどうなのかしらね……」
「なんのこと、志摩子さん?」
「姉妹の成立状況はどうなのかしらって思って。私たちが一年生の時は、早くから姉妹になった人が多かったように思うんだけど……」
「一年生の今頃の時期に、姉がいない生徒は希少な存在だなんて蔦子さんと話したことがあるから、八割くらいはいたんじゃないかしら」
「去年は……もうちょっと少なかったような気がするわね。志摩子さんは早かったけど」
「そうかしら? クラブにはいっている人たちは、四月か五月には、妹ができた話をしていたと思うわ」
「去年の茶話会には、それなりに応募があったから、例年に比べると、少なかったのかもしれないわね。例年がどうかっていうのは、よく分からないけれど」
「リリアンの良き伝統だから、考えてもらうきっかけになるだけでも充分じゃないかしら」
「結果は別だよね。真美さんだって、取材のために参加したはずなのに、結局、日出実ちゃんと姉妹になったもの」
「一緒に取材を担当したってことで、ホントは予想できたんじゃない?」
「どういうこと。由乃さん?」
「それだけ、日出実ちゃんの実力を認めてたわけだから、真美さんの妹っていう条件にかなう下級生は決まりだったんじゃないかってこと」
「今になってみれば、そうなって当然だって感じるわね」
「どういう結果になっても、それを引きうける覚悟があればいいのよ」
「姉妹になっても、ならなくてもね」
 結局、話は茶話会のことに戻ってしまっていた。

 出会いの場があったとしても、その二人が姉妹になることを決めなければ 周りのものにはどうしようもない。周りがくっつけてどうにかなるものならば、リリアンの姉妹制度がこうして続いてきたわけもない。姉妹の在り方がそれぞれ違うように、出会いも成り立ち方もそれぞれに違う。
 三年生は、そのことをよく知っている。
 そして、そのことをよく知っているせいで、かえって動きにくいような気がするのだった。


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