【3210】 さあどうぞ  (朝生行幸 2010-07-19 23:33:53)


 もう三月になろうというのに、氷点下に近い低い気温に包まれたここ、武蔵野。
 駅の目立たない場所にひっそりと佇む、一人の女子高生の姿があった。
 私立リリアン女学園高等部一年、松平瞳子。
 つい先日、『紅薔薇のつぼみの妹』になったばかりだ。
 彼女が待つのは、姉の『紅薔薇のつぼみ』福沢祐巳。
 余程のことか、ダイヤの乱れが無い限りは、いつも決まった時間に駅に現れる。
 瞳子は、ある目的を胸に、姉が現れるのを待ち続けた。
 待つこと十数分、白い息を吐きながら、改札を通り抜ける姉の姿が見えた。
 しばらく間を置いて、その後を追いかける。
 登校のピーク時から少し離れている故か、他のリリアン生も疎ら。
 幾人かの生徒が、祐巳に挨拶する様が伺える。
 リリアンに向かうバスの停留所に、並んで待つ紅薔薇のつぼみ。
 ここでも彼女は、何人かの生徒に声をかけられていた。
「あ、瞳子」
 妹に気付いた祐巳は、一旦列から離れ、彼女のもとに駆け寄った。
「ごきげんよう、お姉さま」
「ごきげんよう瞳子。今日も寒いねぇ」
「そうですね」
 二人そろってバスに乗り込み、並んで席に着く。
 暖房が効いているとはいえ、それでもやはり寒いのか、祐巳は瞳子の手を握って離さない。
 特に振りほどくでもなく、成すがままの瞳子は、少し頬を赤らめて窓の外を見ているが、寒いからなのか、照れているからなのか。
 やがてバスは、リリアンに程近い停留所に辿り着く。
 生徒たちが、ぞろそろ……というほど多く乗っているわけではないが、次々と降車してゆく。
「うぅ、やっぱり寒いよ〜」
 身を竦ませて、身体を震わせる祐巳。
 しかし、こんな場所に居続けても、やはり寒いだけ。
 背を丸めて歩き出した姉を、瞳子が呼び止める。
 鞄から、大きな布の塊を取り出した瞳子は、それをバサリと広げると、姉の頭からスッポリと被せた。
 目をパチクリとさせている姉を尻目に、布の中に潜り込む。
 それは、二人乗りならぬ、二人入りポンチョ。
 これこそ、瞳子が早めに来てまで企んでいた目的。
 黒っぽい台形のシルエットに、二人の頭が並んで顔を覗かせている。
 裾には、遠慮がちに紅い薔薇とつぼみの刺繍がされていた。
「これなら、少しは寒さも和らぐでしょう?」
「……えへへ、ありがと瞳子」
 はにかんだ笑みを浮かべた祐巳は、ポンチョの下で瞳子の手を握り直すと、並んで歩き始めた。
 瞳子のドリルと祐巳のツインテールが、良く言えば仲良くじゃれているような、悪く言えば喧嘩しているような雰囲気で、ピコピコと突付き合っている。
「健康診断で使うポンチョに二人で入った時は、妙にこっ恥ずかしかったけど、これならむしろ楽しいね」
「いったいどんなシチュエーションですか?」
 昔やらかしたヘマの一部始終を説明しつつ、歩みを進める。
 学園まではおよそ四〜五分、身体はともかく気分は十分に暖まる距離だ。
 そのまま、他の生徒たちの羨ましそうな視線を感じつつ、校門を潜り抜ける。
 マリア像の前でお祈り、そして二人は下足室へ向かう。
 この仲睦まじい姉妹の姿は、後にスールの手本とされ、以降リリアンに受け継がれる伝統の一つとなるのは、また後の話。

「それじゃ、また後で」
「はい、ごきげんよう」
 二人は、それぞれ違う下足箱に向かうべく、それぞれ違う方を向いた。
 しかし、ポンチョを纏ったままであることをスッカリ忘れてしまっていたため、

『ぐぇっ』

 となって、その場ですっ転んでしまったのは、もはや避けることの出来ないお約束………。


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