【3217】 負けず嫌い気質嘘も方便私に届く胸の音  (福沢家の人々 2010-07-24 21:04:44)


「Happy birthday」第1話


 俺は頭を抱えていた。机に両肘をついて、誰もいない教室にただ一人。
 日野秋晴 白麗陵学院高等部1-C従育科所属
 右耳に安全ピンを3つ着け、見た目は完全にヤンキー。しかし中身は家庭的かつ若干ビビリ

「いつまでそうしてるの」


 背後からかけられた声に振り返る。呆れ顔の女子生徒が、肩にかかる程の薄墨色の髪をさらりと揺らして立っていた。


「おわっ!」
「失礼ね……。人の顔見るなり飛び退かないでくれる?」
「び、びっくりしただけだって。考え事してたから」


 ふうん? といった顔で俺を見下ろしているのは、アーモンド型の大きな目を持つ優等生風の美少女。
 白麗陵学院高等部1-C上育科所属の彩京朋美。秋晴の幼なじみで、幼少のころの彼にトラウマを植え付けまくった。
 母親の再婚で一夜にして庶民から世界有数の大企業の令嬢になった。上育科では主席優等生なお嬢様を演じている


「とっくのとうに放課後よ、秋晴。用がないなら帰ったら?」
「用はないけど……、金もなくてな。それで困ってるんだ」
「はあ? 何それ。また下らないことばっかり考えて」
「俺にとっちゃ重要なんだよ」


 そりゃ朋美はいいよな。小遣いが少ないとか金欠なんて理由で悩んだことなんか一度もないんだろうさ。


「お金って、何に使うの」
「ちょっとな。買いたい物があって、週末までにいるんだ」
「また急ね。前もって貯めておけばよかったじゃない」
「それが出来るなら今悩んでねえよ……」


 計画性のなさとか自覚はしてるけど、あらためて人から言われると悔しいな……。


「買いたい物って何?」
「それは秘密」
「言っとくけど、私を当てにしないでよね」
「まだ何も言ってないのに……。大丈夫だって、おまえが金の貸し借りとかの話嫌いなの知ってるから」
「そう」


 まあ最初からそんなことするつもりなかったけど。


「なあ、すぐできるバイトとか知らない?」
「あのね……。上育科1年で主席、優等生の私が、そんなもの紹介すると思う?」
「だよなあ」


 アルバイト禁止という校則の存在もあるが、腹黒い本性をもち負けず嫌いの秀才肌で誰かの下につくことを良しとしない性格だが、
 それを決して表に出さない。趣味は陰謀を張り巡らせることと読書な人間である。俺がどこかでこっそりバイトするのも見逃してはくれまい。
 ……と思っていたのだが。


「でも、そうね……。だったらちょうどいいかも……ううむ」
「ん? もしもし? どうした朋美」
「ちょっと黙ってて。今考えてるんだから」
「だから何をだよ」


 俺を無視して、何やら考え中のご様子。
 そしてなんか閃いたみたいに顔を上げる。


「喜んで、秋晴。今日一日限りの仕事があるんだけど」
「ほ、本当か? 時給は?」
「時給はわからないけど……。日当で最低……これくらいは」


 指で金額を指し示す。……結構な額だ。おいしい話じゃないか。


「やるやる、それやります! ははーっ、神様仏様朋美様〜」
「ちょっと、気持ち悪いから拝まないで」
「それで何の仕事なんだ? というか、あのお堅い朋美が紹介してくれるなんて一体どんな……」
「案内するからついて来て。説明は行きながらするから」
「お、おう」


 教室を後にする朋美を追って、廊下に出た。


「珍しいじゃない? あなたがこんな時間まで学校にいるなんて」
「ま、まあな。朋美は?」
「ちょっとね。野暮用よ。それが終わって教室に来たら、秋晴が机に伏せてるんだもの。一瞬、具合でも悪いんじゃないかって思って」
「俺のこと心配してくれたんだ……?」
「まさか。間違っても風邪なんか引くわけないし」


 遠回しに馬鹿だって言われてる気がするのは気のせいじゃないよな……。
 朋美は昔っからこうだ。口喧嘩でも男子に負けたことなんかない。それだけ頭の回転が速いってことなんだろうけど。
 俺たちはどんどん歩き、とうとう校舎を出て、裏門で迎えを待っている朋美と秋晴。

「迎えが来たわよ。秋晴」
 と、朋美が指差す先からやって来たのは、黒塗りのロールス・ロイスだった。
 ロールス・ロイスは、後部座席左側ドアが、朋美の前にぴたりとくるように停車した。
英国製だから運転席は右側であり、当然として主人席は後部座席左側と決まっている。
 運転席のドアが開いて白い手袋をしたスーツ姿の男が降りてくる。

「こちらは、御友人でございますか?」
「心配ないわ、それより早く車を出してください」
 と言いながら周囲を見渡すようにした。ロールス・ロイスのまわりには、ものめずらしそうに人が集まりつつあったのだ。

 英国製、ロールス・ロイス・ファンタムVI。BMWの傘下に入る以前の、モータリゼーション華やかりし全盛の頃、1960年代往年の名車である。
 全長6045mm、全幅2010mm、車高1752mm、全重量2700kg、水冷V8エンジン6230cc。
ロールス・ロイスの方針でエンジン性能は未公表のため不明だが、人の背の高さをも越えるその巨漢は、周囲を圧倒して、道行く人々の感心を引かずにはおかない。

「そ、そうでしたね」
 運転手は、目の前のドアを開けて、朋美を乗り込ませた。反対側では、秋晴が自分でドアを開けて、乗り込んでいる。
 二人の乗車とドアロックを確認して、運転手はロールス・ロイスを発進させた。

「屋敷に直行してください」
「かしこまりました。それから、お嬢さま。遮音シャッター上げますか」
「ええ、お願いします」
 運転席の操作盤のスイッチを入れると、運転席側と後部座席の間に設けられた防音ガラスが、静かにせり上がった。二人の顔が見えない位置にルームミラーをずらした。
 運転手は、朋美が友人と乗り合わせた時は、必ず遮音シャッターを上げるか尋ねることにしている。友人同士の会話を気がねなくできるように配慮しているのだった。


「おい……」
「何?」


 いや近いだろ……。
 腕とか太ももとかあたってるし。それだけなのに何だか全身がこそばゆい。そんなくっつかなくても……。
 っていうかこいつは気にしないのか?
 だが朋美が何の疑問も感じてないような顔している以上、こっちもポーカーフェイスを貫くしかない。


「……うちの父がね、急な仕事で今朝出掛けていって」


 親父さんって……たしか世界有数の大企業の社長さんか何かだったはずだ。そりゃ色々忙しいんだろう。
 それよりも朋美のやつ、なんでいきなり家の話なんか?


「世話するために、母も使用人たちも一緒について行っちゃって」
「使用人? お手伝いさんとかもいるのか? おまえんちってすげえな……」
「それで、みんな明日にならないと帰って来ないの。今日は私一人だけ」
「……え」


 いや、おい……運転手さんは頭数に入ってないのか・・・・・・。
 正直に言えば、そんな話聞かされても困る。どう反応していいかわからん。
 だって……、なんかまるでボーイフレンドを家に誘うみたいな台詞じゃないか。


「ねえ……。だから、秋晴」
「はっ、はい! 何でしょうか朋美さん!」


 緊張のあまり丁寧語になってるし。
 いや落ち着け。そんな展開とかなりっこないだろ。俺たちはその……間違ってもそういう関係じゃないんだから。
だいたいいつも叱られてばっかの俺が朋美から対等に扱われてるとは思えないし、それに俺なんかじゃ朋美とはとても釣り合わないと……、
 ってさっきから何考えてんだよ俺!


「……どうしたの。なんか難しい顔してるけど」
「いや何でもない。続けてくれ」
「そう? それじゃ……」


 ゴクリ、と耳をそばだてながら意味もなく喉を鳴らす。


「今日一日、うちの使用人として働きなさい」
「命令形かよ!」


 間髪入れずに突っ込んでしまった。
 使用人どころか下僕扱いだったのかよ俺って……。


「ってツッコミどころはそこじゃねえ! バイトってそれのことか!」


 話の流れから、とりあえず朋美の家に連れて行かれそうだというのまでは読めたが、まさかお手伝いさんの仕事とはなあ。
 まあ難しい仕事ではなさそうだし、その点は心配ないと思う。
 ただ、一つ困った問題が。


「それって……セーフなのか……?」
「何の話? ――ああ、校則とか気にしてるの? 秋晴のくせに」
「くせにって何だよ……」
「明日は雪かしらね。……というのは置いといて。うちの個人的な手伝いなんだし、まあ問題ないんじゃない?」
「ああ、まあ……」


 そんなことじゃないんだ。俺が気にしているのは。
 朋美の家で仕事するってことは、つまり朋美から給料をもらうってことだ。それって……俺的にアウトなんじゃないか?
 しばし考えたが、他に金を手に入れる方法も思いつかない。ここはうだうだ言ってたって始まらない。


「わかった。今日は家事全般俺に任せてくれ」
「そんな過度な期待はしてないけど……。自分の部屋も掃除してなさそうだもの」
「うっ。それは耳に痛い……」
「出来る範囲のことしか頼まないし、私がちゃんと教えるから」


 うわぁ、雇われの身なのにめちゃくちゃ気い遣われてるよ。
 朋美は最低でも俺よりは家事できそうだし、やはりここは、俺に同情して仕事を作ってくれたと考えるのが妥当だろう。
 そして 車寄せに二人を乗せたロールス・ロイスが入って来る。朋美の家に到着した。運転手が後部座席を開け、朋美と秋晴がゆっくり降りる。
 庶民の家よりは格段にでかい。門も玄関も大きくて立派だ。


「ここでちょっと待ってて」


 玄関入ってすぐのホールに俺を待たせると、朋美は階段を上がってどこかへ消えた。
 家の中は……しーんと静まり返っている。本当に誰もいないようだ。
 本人は否定するかも知れないが、単にお手伝いとしてだけじゃなく、遊び相手も兼ねて俺を呼んだんじゃなかろうか。こんなだだっ広い家で一人留守番なんて、俺だって心細くなる。


「あ……」
「お待たせ……って何よ。ジロジロ見て」
「いや、朋美の私服って珍しいっつーか新鮮だったから」


 見慣れない格好だっただけであって、別に見とれてたわけじゃない。
 服装も目を引いたが、脇に透明な袋に入った何かを抱えていた。
 クリーニングに出した服のようにも見える。こうビニールが掛かってて。


「それは?」
「ふふっ。後のお楽しみ」


 悪戯っぽく笑う。学校ではあまり見せない表情だから、なんか意外。


「来て。こっちこっち」


 そう言って案内されたのは、一つの部屋。また俺を待機させて、朋美だけ中に入る。
 普段は、使用人が更衣室や休憩用として部屋なのだそうだ。ということは、今日は俺がここを使えってことか。
 少し経って、朋美が部屋から出てきた。もう袋は持っていない。


「着替えの準備できたわ」
「着替えって?」
「掃除とかもしてもらうし、制服のままだったら汚れるじゃない」
「へ? いいって、俺気にしないし」
「秋晴が気にしなくても、秋晴の叔母さんが気にするでしょ」
「そ……それもそうだな」


 正直、考えたことなかった。


「というわけで。作業着、中に用意しといたから、それ着て」
「ああ。わざわざすまないな」
「いいのいいの。それじゃ私は廊下にいるから、着たら出てきて」
「わかった」


 なにせ人生初めてのアルバイトなのである。
 服も着替えてなんか本格的だな〜、とすっかり気分が高揚していて、肝心なことに気づくのが完全に遅れてしまった。
 そう。作業着とやらについて。
 部屋に入ってそれが目に入った途端、もう言葉が出てこなかった。


「……」


 なんでこんな物がここにあるんだ?
 いや、ある意味この家にあってしかるべき物だ。むしろここ以上にふさわしい場所はそうあるまい。
 だが絶対におかしい。これはここにあるべきじゃない。少なくとも、俺の目の前に置かれている事態は完全にダウトだろう。これは俺が身につけちゃいけないものだ。本能が危険信号を発してる。
 朋美が用意した着替え、それは……、





















 メイド服だった!



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