「Happy birthday」第2話
部屋の前で待っていた彩京朋美は、すぐさま出てきた日野秋晴を見てキョトン顔。
「ふざけるな! あれに着替えろっていうのか!」
「……あれってどれ?」
「めめめメイド服に決まってんだろ! あんなの着れるかよ!」
「大丈夫よ、一番大きいサイズだから秋晴でも入ると……」
「サイズの話じゃねえ……」
「クリーニング済みだから汚くないし」
「そういう問題でもなくてだな!」
こいつ絶対わかってて言ってるだろ……。
「そうじゃなくて、なんでメイドなんだよ! 男だったら普通執事とかだろ」
「執事とメイドの仕事は全然違うわ。誤解しないで」
「なんで俺がダメ出しされてんだ?! ……だったらその、男のメイド……じゃなくて何て言うんだ? とにかくそれ用の服はないのか」
「ないわね。男性の使用人なんて雇ったことないし」
だったら俺も雇うなよ……と言いかけてやめた。せっかくのバイトがなくなっちまう。
しかし、だからと言って労働者の基本的人権が脅かされていい理由はないわけで。
「でも他になんかあるだろ……。そうだ、親父さんの服とか」
「父親のタンスを勝手に漁るなんて、娘として嫌」
「じゃあおまえの体育のジャージ貸してくれ」
「そんなの駄目。だらしない格好でこの家の中をうろつかれるわけにはいかないもの。今は私しかいないけど、お客さん来るかもしれないし」
家の中でジャージ着ちゃ駄目って、やっぱり一般家庭にはない厳しさだな。
って、そんな言い分で納得すると思ったらそうはいかんぞ。
俺が簡単には折れないと見るや、申し訳なさそうな表情を作る朋美。
「ごめんなさい。いろいろ考えたんだけど、やっぱりあの服しかないみたい……」
「ああ……よくわかったよ」
どうあっても俺にメイド服を着せる方向に持っていきたがってるってことがな!
「じゃあ着てくれるのね?」
「そういう意味で言ったんじゃない。あからさまに嬉しそうな顔すんな」
やっぱりだよ。
こんなことで喜ばれるなんて、すんげー複雑な気分。人としてっていうか男としてっていうか。
「だったらもう一つ聞くが……、着替えってのはその……あれも込みで?」
「あれ?」
「あれだよ、あれ。……服の上に乗ってただろ」
「あれ、じゃわからないわよ。何置いたかなんて一から十まで覚えていないもの」
いいや絶対にしらを切ってるね!
でもって俺に指示語の内容を答えさせようとしてるね! なんという国語の問題!
「だからその……。し、下着だよ……!」
ああもういいよ、ここは乗せられてやったさ。
そうなのだ。メイド服の上に畳まれて置いてあったのだ。
最初はハンカチか何かだと思ったが、近づいて見てみると、白色のブラジャーとパンツのセット。レースがあしらわれてて豪華な感じが……って、そんなまじまじ見てたわけじゃない。本当だ。
「おまえのドッキリもあそこまで手が込んでるとはな……。大したもんだ」
「ドッキリなんかじゃないわ。本気で秋晴につけてもらうつもりだもの」
「そうですか……」
「それで……どう? 興奮した?」
「そんなおもてなしは不要だ! なぜ客人を興奮させる必要がある!」
「手に取って広げてみたり、匂い嗅いだりした?」
「し……しねえよ! ていうか何てこと聞いてんだ……!」
……まあ正確には未遂だったんだが。
俺も一応お年頃ボーイだから、つい無意識に手が伸びかけたのは事実だ。だがふとあることが気になった。
これ、誰のだ……?
メイド服と一緒に置いてあったくらいだから、これもお手伝いさんの物だろうと推測。しかるに、「メイドさん」と言っても若い女性とは限らないわけで。むしろ現実にはそうじゃない世代の可能性の方が高いんじゃ……、という考えに至り、手で触れるのは思いとどまった。
「あのさ、朋美……。少しはお手伝いさんのことも考えたらどうだ」
「どういうことよ」
「だから……! 知らない間に、その、自分の下着が男にいじられたりしてたら嫌だろ?」
「何言ってるの? メイドのなんて置いてないわ」
「えっ? それじゃあ……」
「あれ、私のだけど」
「……はい?」
ちょ、ちょっと待て。何を言っているんだこの女は。
頭が混乱……っていうかクラクラしてきた。
落ち着け、落ち着くんだ俺。とりあえず深呼吸して、それからもう一回大きく息を吸って……。
「……なに考えてんだよおまえは!!」
「なっ……!」
「つまりあれか? おまえは自分のぱっパンツを俺が手で広げたり匂い嗅いだり頭に被ったりしてもいいって言うのか?!」
「……頭に被るの? そんなこともするんだ、ふーん」
「そこは納得しなくていい! 今のはただのたとえだ。そうじゃなくて俺が――」
「いいわよ……秋晴になら。何されても」
……。
いや、それ、別のシチュエーションで言われたらものすごくおいしいんだけどさ……。
今のこいつは、俺がそんな蛮行に及んだ瞬間を目撃して変態呼ばわりしようと企んでることしか考えてないに違いないからな。
「……と思ったけど、やっぱりまずいわね。むう……」
眉間にしわを寄せて考え込む朋美。ようやく自分のしたことの重大さに気づいたらしい。
粗方、俺をからかう算段にしか頭が回らなくて、深く考えずに自分の下着をネタとして仕込んでしまったのだろう。
「……ちょっと失礼」
「おっと」
俺を押しのけるようにして、使用人部屋へ入っていく。俺も後に続く。
朋美はメイド服の入った籠の前に立つと、一番上に積まれたパンツを取ってそそくさとポケットにしまい込んだ。
なんだ、やっぱり恥ずかしかったんじゃないか。
「……わかった、これは勘弁してあげるから。でも他のは着てね」
「どっちみちメイド服は着せるのか……。っていうか、……それも?」
ええい、もう指差すのも恥ずかしい。
パンツは朋美の手によって回収されたが、ブラは籠の中に放置されたままなのである。
「……?」
「不思議そうに首を傾げなくていい。そっちもしまってくれ」
「ううん、これは別に平気だから」
「何がだー!」
ああもう、なんでだよ!
なんでパンツはNGだけどブラはOKなんだよ! そこは普通セットで回収だろ! 判断基準が全然わからねえ!
「変ねえ、男子って一度はブラつけてみたいとか思ったりしないの?」
「するか! さっきから男に偏見持ちすぎだおまえ!」
「……そっか、秋晴だけは例外なのね」
「勝手に一人で納得してんじゃねえ! 変なのは朋美の方だ!」
「あなたに言われるとむかつくわ……」
言ってろ。
「それとメイド服もだ。そんなの男に着せようとするなんて、絶対おかしいぞ」
「……えっ?」
「『えっ』じゃなくて!」
ひょっとして自覚なかったのか? それはいよいよヤバいな……。
「……これ着るの嫌なの?」
「そんな意外そうな顔されても……。普通嫌だろ女装なんて」
「参ったわね、とんだ誤算だわ。秋晴なら確実に着てくれると思ったのに」
「待て待て、何をどう考えたらそうなるんだ」
頭いいやつの考えることはわからん……。
朋美はよく俺のことを「頭のネジが緩んでいる」とかからかうが、俺に言わせれば朋美の方こそネジがきつく締まりすぎてるんじゃなかろうか。だから時々常識を百八十度回転させたようなこと言い出すんだ。うん。
「だって、したことあるじゃない? 女装」
「俺がか? そんなのいつ……ああーっ! そういやおまえ……!」
そうだった!
俺は過去にもこいつにハメられて女装させられたことがある!
小学校の文化祭のときだ。タイトルは忘れたが、なんか古代中国が舞台の劇を演じることになって、それで……ヒロインである王妃の役をなぜか俺が……。
「クラスの投票で決まったんだもの、しょうがないでしょ」
「朋美が女子全員に働きかけて俺に入れさせたからだろ!」
朋美のやつ、小学校のときからリーダー的存在だったからなあ。
とくに女子からの人気は絶大で、こいつが何か言えばそれが自動的にクラスの半数の意見になるような状況だった。
だから、朋美がこいつと思ったやつを劇の主役に仕立て上げることくらい造作もなかったわけだ。……自分で分析してて悲しくなってきた。
「……わかってんのか? あれのおかげで、どれだけ心に深い傷を負ったか……」
「そう? 案外似合ってたじゃない。……秋晴ちゃん?」
「そのあだ名もだー! 小学校卒業するまでずっとそれで呼ばれなきゃいけなくなった俺の苦労がわかるか? 誰のせいだと思っとるのかね?!」
「秋晴が悪いのよ。だってあんなに可愛いなんて……」
「俺なのかよ! つーかそれを言うなあぁ!」
ぐっ……! これじゃ痴漢に遭った女子高生が「こんな短いスカート穿いてる方が悪い」って逆に責められてるみてえじゃねえか。
……いや違う、断じて違う。俺は好き好んで王妃なんてやったんじゃない。
「とにかく、だ。俺は女の格好することに精神的外傷後ストレス症候群なんだ」
「よく正式名称覚えてるわね」
「そこはどうでもいい。とにかくならないぞ、メイドになんて」
「――アルバイトはいいの?」
「……着替えるから出てってくれ」
ついに切り札を出されてしまった。俺、弱っ。
ここはあれだ、こういうサービス(?)も仕事のうちだって自分に言い聞かせるしかねえ……。そうビジネスライクだビジネスライク。
って、朋美は部屋から出て行こうとしない。
「聞こえたろ? 着てやるから出て……」
「着替え、手伝わなくていい?」
「……いらねえよ」
「女の服って男物とはいろいろ違うんだから。それワンピースだし、正面にファスナーとかついてなかったり……」
「知ってる。別に何とかなるだろ」
「ブラ一人でつけられる?」
「つけてたまるか!」
そこまでして俺に人生を踏み誤らせたいんだねそうなんだね?!
しかも朋美のだって聞いちまった以上、絶対につけるどころか指先たりとも触れるわけにはいかない。
「そう……」
「そんな真面目に残念がられてもなあ」
「それじゃせめて……こっち穿く?」
「ポケットから出すな! 見せるな! そして近づけんなぁ! だいたい『せめて』って何だよ! そっちの方がハードル高いわ!」
本当に何考えてるんだこいつは……。謎すぎる。
いや、もう今はよそう。仕事と割り切ってさっさと終わらせるに限る。
朋美が渋々部屋を出て行ったのを見届けてから、俺は着替えに取りかかった。
……ブラに手を触れないように慎重に引っ張り出したメイド服に。