【3220】 未来はいつも不確定やっちゃった……脳がとろけてる  (福沢家の人々 2010-07-25 19:10:46)


「Happy birthday」第3話

 着替えを済ませて出てきた日野秋晴に放たれた彩京朋美の第一声は。


「秋晴ちゃん、お帰りなさい」
「……お帰りなさいとか言うな。ソッチの世界にカムバックしちゃったみてえじゃねえか」
「違うの? 今日が復帰戦でしょ?」
「俺はプロボクサーか! 復帰も何も今日限りだっつうの。しかも仕事のためにし・か・た・な・くこんな格好しただけだ」
「つれないこと言わない。……それしか作業着が用意できなかったのは、そりゃこっちの責任だけど」


 ああっ、本当に口の減らない女だ。
 他の服はちゃんとあるのに存在を隠しているんじゃないかと疑ってしまう。いや、むしろそうとしか思えない。


「……何だよ」
「ねえ、カチューシャ曲がってない? ちゃんと鏡見ながらつけた?」
「見ねえよ……」


 メイドと化した自分の姿なんか死んでも見たくねえ。
 ちなみにカチューシャは、いかにもメイドさんという感じのヒラヒラがついたものだ。実用性があるのかどうかは疑問だが、これも衣装の一部なのだろう。
 ……それを律儀に身につけてしまう俺も馬鹿正直だが。


「しょうがないわね。直すからじっとしてなさい」
「えっ」


 言うや否や、朋美の両手が俺の頭に伸ばされた。
 顔が急接近。
 しかし朋美は、カチューシャの位置を直すのに夢中で気に留めていない様子。


「ふんふふふーん」
「……」


 しかも呑気に鼻歌とか……。こっちは顔に息がかかって気が気じゃないって言うのに。
 女装のせいでますます男扱いされてないな、俺。


「はい。できたわ」
「あ、ああ……」
「次はペチコート直すからスカートまくって」
「ただのセクハラじゃねえか!」


 朋美が下半身にまで手を伸ばそうとしてきたので、慌ててスカートを押さえて阻止。
 ……が、俺のその動きを見て朋美はにんまり。


「すっかり身も心も女の子って感じね」
「しまっ!」


 そっちが狙いだったか!
 スカートまくられたって別に恥ずかしがる必要なんかないのに、ついつられてしまった。ちくしょう、油断も隙もない。


「というか、俺で遊ぶのはいい加減にしろ。さっさと仕事の指示を出せ」
「仕事はちゃんとあるから。まずはそうね……こっち来て」
「おう」


 って、今「俺で遊ぶ」の部分は否定しなかったな朋美のやつ……。


「な、なんかバランスが……うおっ」
「大丈夫。ちゃんと押さえてるから」


 言いつけられた仕事は、電灯の拭き掃除。
 およそ一般家庭ではお目にかかれない豪華な笠のついた電球。それが廊下の天井からぶら下がっている。
 一番端から、脚立の上に乗って拭く。下で朋美が押さえてくれているが、どうにもフラフラして危なっかしい。


「前にうちのメイドがこうやって拭いてるの見かけてね。やっぱり危ないじゃない? 代わりにやってくれる人がいたらなって」
「……それが俺ってか? 俺なら落ちて怪我してもいいってのかよ」
「女の人よりは頑丈でしょ?」
「ま、まあ……」


 言わんとしてることはわかる。わかるんだ。
 男手として頼りにされているのは、まあ誇らしいことではあるが。……だったなおのことこんな格好させないでほしかった。
 バランスの悪さにも慣れてきて、少しずつ仕事が進むようになってきた頃。


「なあ朋美、これで合って――」
「……」
「どうした? こっち見てボーッとして。拭き方とかこれでいい?」
「あっ……うん、問題ないけど……」
「……けど?」
「やっぱりトランクスじゃ見てもつまんないわね」
「?!」


 ……よく見たら視線の向かう先は俺のスカートの中だった!
 ちょっ! おまっ!
 怒鳴ろうとして上体がよろけて、慌てて両手で脚立にしがみつく。


「なっ……何覗いてんだオイ!」
「だから女物つけてほしかったのに。面白くも何ともない」
「聞けやコラー! ていうか、最初からこれが目的でこんな服着せたのか?」
「ま、まさか?」
「声が上擦ってるじゃねえか!」


 はい確定ー。まんまとハメられましたー。
 となりゃやることは一つ。こんな服さっさと着替えてきてやる。やっぱり最初から制服のままでいればよかったんだよな。ああ朋美に一杯くわされた。


「って……うわわっ。おい、降りるんだから手離すなって」
「こう?」
「揺らすなー! あぶねっ、ほんとに落ちるって!」
「き、着替えちゃ駄目よ。約束してくれるまで止めないからっ」
「マジもんの脅迫だあああ!」


 結局、身の安全と引き換えに仕方なく了承させられる羽目に……。
 今の朋美の必死さからも、仕事なんかじゃなくて、単に女装させて楽しむために俺を連れてきたことが明白になったわけだが。
 ……まあわかってたけどさ。あれだけ嫌がってたのに最後は着てるんだから、俺も甘いというか、情けない。


「命は助かったけど、人として大切な何かを失った気がする……」
「大げさな。……ほらほら、次。廊下の全部終わらせるんだから」
「へいへい……」


 朋美が下からスカートの中を覗こうとするのをしきりに牽制しながら、どうにか全部の電灯を拭き終えた。
 と思ったら、次は本棚の上を拭けときた。しかもまた脚立で。


「確かに見上げるほどでかいな。書斎……って言うのか? ここ」
「以前はね。父が使ってたけど。今は家族で共用、ってとこ」
「ってことは、朋美も読むのか? この経営基盤なんたら……うわっ難しそう」
「その辺はそんなに難しくないけど……」


 出た出た、優等生発言。言ってくれちゃうねえ。
 にしても経営かあ。やっぱり会社を継ぐつもりで、今から勉強してるんだろうか。


「他に読むものがないときに、好きで読んでるだけ」
「へっ、そうなの?」
「将来のことなんて、まだ考えてないし。秋晴だってそうでしょ?」
「俺のことはほっとけ。けどなんか意外だな」


 朋美みたいなやつは、大学とか進路とかしっかり決めてて、てっきりそれに向かって動き出してるとばかり思っていたから。


「それじゃ、掃除始めるけど……覗くんじゃねえぞ」
「最大限努力するから」
「努力だけかい!」
「一生懸命頑張るから」
「頑張るだけかい! 結果が伴わないと意味ないんだよ!」


 という掛け合いをしても結局は時間の無駄だということを悟りだした俺なので、いい加減バカやってないで仕事に取りかかる。
 ……で、今のところ足元からの視線は感じない。
 まあそうだ。廊下と違って本棚の間隔が狭いから、悪ふざけなんてしたら本当に危ないし。


「……やけに大人しいな。どうかしたか?」


 って、何もしてこないならしてこないで気になるってどんだけMなんだよ。


「ううん、ちょっと考え事してただけ」
「ふーん。……ああ、俺には話さなくていいぞ。なんか嫌な予感するから」
「秋晴、ちょっと聞いてくれる?」


 話さなくていいって言ってんのに……!


「どうして……今トランクスなの?」
「はいー? っていうかさっきから黙ってると思ったらそんなこと考えてたのか?! どうしてって、おまえのなんか穿くわけにはいかないだろ……」
「そうじゃなくて。小学校のときは違うの穿いてたじゃない」
「そんなこと覚えてなくていいんだよ!」


 確かにブリーフだったけどさ!
 くそう、今度は脚立を揺らすんじゃなくて精神的に揺さぶってきやがった。


「ちゅ、中学入ってから変えたんだよ。……って説明させんな」
「なんで?」
「別に何となく……みんなそうだったし。ほら、女子だって子どものときと今穿いてるの違うだろ? それと同じ」
「……女子の下着なんて、どうしてあなたが知ってるわけ?」
「さっきおまえが見せてくれたからだよ!」


 頼んでもいないのにな!
 おかげで変な映像が脳裏に焼きついちまったじゃねえか……。


「だいたい朋美がなんで俺の昔の……、ああそっか」


 そうだった。小学校低学年のときは体育の着替えが男女別とかになってなかったからな。そのときに見たんだろう。
 ということは、逆に俺も朋美のを見たことあるはずで……。うーん、さすがに記憶が曖昧だ。
 頭いいやつは記憶力もいいんだな、と感心していると。


「何? ニヤけた顔して。何か思い出したのね、うわー嫌らしい。嫌らしい上にロリコン」
「自分こそどうなんだよ! あとロリコンじゃねえ! ……多分」


 自分の過去っつーか、当時の同級生なんだから別にロリコンとは言わんだろ。
 ……いややめよう。たしかに嫌らしいこと考えてるのは否定できない。


「だいたい、大人になったらトランクスの方が多数派じゃんか。なんでそんなこと気にするんだ」
「その……機能的な問題で」
「機能的?」
「だって……あれってはみ出したりしないの?」
「ブハーッ!」


 吹いた。天板拭きながら。


「お、おまえな……」
「大人になってアレが大きくなったら、なおさらきちんと収まるようにブリーフを着用すべきだと思うんだけど」
「お嬢様がアレとか言うな! むしろアレの話なんかすんな!」


 エロ女だー! 先生、エロ女がここにいます!
 まさかこいつの口からこんな話が飛び出すとはな……。


「だって……、さっきから見てるけど、今にも秋晴のがコンニチハしないか心配で心配で」
「っていつの間に?! ちょっ、覗くなって言ってんのに!」


 トランクスなんか見られても別にそれほど恥ずかしくないけど、その中まで狙ってるとかないわ! 何だそのスナイパーアイ!


「最大限努力して一生懸命頑張るんじゃなかったのか!」
「最大限努力して一生懸命頑張ったけど、私には無理だったの……ごめんなさい」
「おまえの『ごめんなさい』には誠意が全く感じられねえ!」
「むしろちらっと見えたような……?」
「イヤーッ! もうお婿に行けないー!」


 女みたいな声で叫んで、スカートを押さえて脚立の上で座り込んでしまう。
 ……何というか、精神的にどっと疲れた。


「お、終わったぞ本棚……」
「ご苦労さま。次……、えーっと、他に高いところは……」
「なんで高いところ限定なんだよ! そんなに男のパンチラが見たいか?」
「……というよりむしろ」
「言うなぁ! それ以上は絶対言うな!」


 口を慎むことを知らんのかこのお嬢様は……。親父さん泣くぞ?


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