「Happy birthday」第6話
彩京朋美が、左手を腰に右手人差し指を日野秋晴に「ピシ」と、聞こえてくるのでは?っという勢いで
「固まってないで何か言いなさいよ」
「……いや待て、ていうか落ち着け。必要性が全然ないと思うんだ。まだそんな夜中ってわけでもないし。ここから自分ちなら歩いて帰れないこともないし」
同じ小学校の学区だったんだから。道順も多分わかる。
「そもそもそれ以前の問題だろ……。朋美、おまえどういう神経してんだ」
「何よ、随分な物言いね」
「だから……。親がいないときにその、お、男を泊まらせるなんて」
「何か言った? 秋晴ちゃん」
「チッキショーッ! さっきと一字一句同じだ!」
俺もだけど!
度重なる精神攻撃を受けた俺のプライドはズタズタで、明日から男として生きていく自信を失いかけている。
「その、俺としてはそこまで厄介になる義理はないんだけど……。でも朋美のことだ、どうせ反論したって無駄なんだろ?」
「ふふ……わかってきたじゃない」
満足そうに微笑んで、ダイニングを出て行く朋美。
このまま朋美の言うことなんか無視して勝手に帰ればいいだけの話なんだが、なんていうかな……、あいつの様子が、まだ俺に残っててほしそうに見えたから。
……なんて、自意識過剰って思われるかもしれないけど。
まあ乗りかかった船だ、もうちょっと付き合ってやるか。
「外泊の許可、もらってあげるから」
朋美が戻ってきた。
どこかから持ってきたのか、手には電話の子機が握られている。おもむろにそのボタンを操作し始めた。
「ああ……ん? ということはうちにかけるのか? ……ちょっ、自分でかけるって。やめろ恥ずかしい」
子機を取り上げようとした俺を軽やかにかわして、クスッと不敵な笑み。耳に当てた子機からはすでに呼び出し音が聞こえて……。
「……こんばんは、日野さんのお宅でしょうか。私、白麗陵学院高等部1年の彩京と申します」
うわぁ……。本当にうちにかけてやがる。
「ええそうです。……いいえいいえ。こちらこそ、秋晴くんにはいつも仲良くしてもらってます」
秋晴くん?! さぶいぼ立っちまったじゃねえか……。
しかし、俺と話すときとはうって変わって丁寧な言葉遣いだ。その辺りは育ちの違いがちゃんと出るな。
って感心なんかしてる場合じゃなかった!
「そんなことないですよー。秋晴くん、クラスではすごく活発で、女の子にも人気が」
「でたらめ並べてんじゃねえ! もう代われ! 後は自分で話す」
「あっ」
朋美の手から子機を奪い取った。
……くそう、何が恥ずかしくて、自分の親と同級生との社交辞令トークなんか延々聞かされなきゃならんのだ。
「あーもしもし? 俺。……いや気にすんな。でさ……」
電話の向こうから下世話な質問を繰り返す叔母を一切無視して、こっちの用件だけ早口で伝えてすぐに切った。
「大事な用件なんだから、もっとちゃんと説明しなさいよ」
「そういう状況にさせてくれなかったのは誰のせいだと思ってるんだ……?」
「誰?」
「おまえだ!」
「あらそう。……ともかくこれで決まり、っと。さあ片付けましょ」
食器洗いは俺が買って出た。料理じゃあまり貢献できなかったからな。
ただ、どれもこれも高価そうな食器ばかりだから注意しないと。
「秋晴。食後にお茶とか飲むでしょ?」
テーブルを拭いたり後片付けをしながら、朋美が尋ねる。
「ああ、もらうわ。……じゃない、俺が入れないといけないのか」
「ううん。さっき言った通り、もうメイドの仕事はおしまい。それにもう用意してあるし」
「そうなんだ? けど、テーブルは片付いてるし……どこに?」
「私の部屋。それ終わったら、行きましょう」
……何だって?
「お、お邪魔しまーす……」
「なに警戒してるの。普通に入ってきなさい」
いや、警戒じゃなくて、少しは緊張くらいするだろ……。
朋美の部屋。仕事中は一度も入らなかった場所だ。
一歩足を踏み入れると、視覚よりも先に嗅覚が反応した。つまり匂いだ。なんかこう……例えようのないいい匂い。
「……変態」
「なっ! ま……まだ何も言ってないだろ!」
「鼻。クンクンさせてたじゃない」
しまった、無意識だったぁー。
でも、これが俗に言う女の子の匂いというやつなのか……。いややめよう、これ以上考えてたら本当に変態だ。
一方、見た感じはというと、当然だがきれいに片付いている。というより、あまり物がない。タンスもベッドも見当たらないんだが……?
「早速始めましょ。好きなの選んで」
朋美が部屋の隅からワゴンみたいなのを押してきた。そこに載っていたのは急須でもティーポットでもなく……ワインボトル。
「アウトーッ!」
「きゃっ! な、何なのでかい声出して」
「お酒はハタチになってから!」
目を疑ったっていうか、目をむいたね。
高校生のくせに堂々となんて物持ってきやがるんだ……。
「何よ、真面目ぶって。頭堅いんだから」
「いつも頭堅いのは朋美の方だろ! 生徒会役員もやってるおまえがこんな不良だったなんてな!」
「……そんなの学校だけよ。自分の家でお酒飲むくらい、誰にも文句言われる筋合いないわ」
「今日は保護者同伴じゃないから駄目だ!」
なんかこれじゃいつもと逆だな……。
学校では、朋美が決まりだの校則だのと並べ立てて、あれこれ我がままを通そうとする俺を叱るのがお決まりのパターンだ。
「だいたい未成年が飲酒なんかしたらな……、テレビドラマ化したときに規制に引っかかるだろ」
「……は? 何言ってるの?」
「とにかく……! 俺の目の黒いうちはワインなんて飲ませないからな」
ぐっ、と唇をかむ朋美。
ビシッと言ってやって正解だ。このまま好き勝手させておいたら朋美の暴走を許しかねないからな。
……セクハラ方面の暴走を阻止できなかったからこその教訓なんだけど。
「……仕方ないわね。それじゃ、これで」
と言って手に取った一本のボトルにも、ブドウの写真がでかでかと貼られていた。
「ってそれもワインだろ!」
「違うわ、ただのグレープジュース。ノンアルコール」
「だったら見せてみろ。どれどれ……」
「でしょ? 健康にいいのよ」
「すまん、全然わからん」
ラベルを見てみたが……全部アルファベットで読めやしない。
それでも頑なにジュースだと言い張るので、渋々了承して、それで乾杯することになった。
俺もそれしか飲むものがないから、恐る恐る口をつける。
「うーむ……酒っぽい味はしないけど……」
普通のジュースかと聞かれると、それもノーだ。
異様に口当たりがまろやかで、やけに濃い。果汁100パーセントどころか、さらに煮詰めてあるようにさえ思える。確かにいろんな栄養が凝縮されてそう。それに味だけじゃない。口に含んだ瞬間、ブドウの香りがいっぱいに広がる感じ。
……つまり、めちゃめちゃうまい。こんなジュース飲んだことない。
「おいしい? 私も好きなの、これ」
「ふーん」
「味を見るだけじゃなくて、こうやってグラスを回して……香りも確かめたり」
「ふーん……、ってそれワインのテイスティングじゃないか? なんでテイスティングなんて知ってんだよ……?」
「細かいことは気にしない気にしない」
こいつ本当にワイン常飲してやがったな……。
もう校則違反どころじゃない。あれか、学校じゃ猫被ってたってことか……?
すると突然、朋美がフッと表情を緩めて言った。
「今日は一日、お疲れさま」
「……驚いた。まさか朋美から労いの言葉をもらえるなんて」
「あのね……。そうそう、給料は明日の朝渡すから。それでいい?」
「あ、ああそうだったな」
俺が忘れてどうする。
「朋美、一つ確認したいんだが。それって……おまえの自腹じゃないよな?」
「違うわ。今日は両親いないから一時的に立て替えることになるけど、後でちゃんと仕事内容とか時間とか報告して、きっちり受け取るから」
それなら安心だ。
……俺のことを親御さんに報告されてしまうのはかなり安心できないけど。
「私、何となくわかった」
「何が……?」
「秋晴は、自分で働いて稼いだお金が欲しかったのよね。人からもらったり借りたりするんじゃなく、自分で汗水流して手に入れたお金。そういうお金で買わないと意味がない、それだけ特別な物だから……ってことなんでしょ?」
「ああ……、大体そんなとこだ」
冷静さを装ってはいるが、内心では動揺していた。……かなり核心突いてる。
まさか……俺の考えが全部お見通しってことはないよな。
「ねえ……。欲しい物って何なの?」
「何度聞かれても、言えないものは言えない」
「今さら隠すことないのに。アダルトDVD見たいって言ったって幻滅なんかしないから」
「俺はたった今おまえに幻滅したよ!」
今日一つだけ確実にわかったことがある。……朋美は俺よりもスケベだ!
「だいたい朋美、人の買い物なんてそんなに知りたいもんか?」
自分で言いながら、無理あるよなと思う。
急に金が必要だなんて言われたら、金を出す側としては、その使い途が気になって当然だから。
「どうしてもってわけじゃないけど……。うちにある物だったら借りたり持っていっていいから。わざわざ買うの、もったいないでしょ?」
「あ、そういうこと。……いやそうはいかんだろ」
「なら、私の私物だったら問題ない? ほら、あのCDオーディオとか」
「……気持ちだけありがたくもらっとく」
悪い、それもご法度なんだ。
「実言うと、何買うかまだ決めてないんだ」
「……? どういうことなの、それ」
「週末に街に買い物行って、そこで選ぼうかなって」
「そうだったの……。それじゃ全然わからないわ」
当てるつもりだったのか。クイズじゃないんだから。
しかし俺本人が何買うか決めてないとあっちゃ、当てようがない。
「その代わり、さ。買ったら朋美にも見せるから」
「本当?」
「そんな目を輝かせるほどのものじゃないと思うけど……。まあ待っててくれ」
「うん。期待してる」
目を細めて、上機嫌な様子で残りのジュースをクイッと空ける。
その飲みっぷりに、……俺もちょっと気をよくしたんだと思う。ボトルを持って立ち上がった。