「Happy birthday」第7話
日野秋晴は身に着けた従育科スキルで、彩京朋美に給仕する
「お……お替わりはいかがですか? お嬢さま」
「ありがとう。もらうわ」
「……いや突っ込んでくれよ」
自分的にはかなり舞い上がって発した台詞だけに、そんなごく自然に応対される方がかえって恥ずかしい。
なんかもう普通に主人とメイドみたいだったじゃないか。
……って違う! 俺は男だ! 危なく自分自身を見失うところだった……。
「何を一人で苦悶してるの」
「朋美にこんな格好させられたせいで自我を失いかけてるんだよ」
「ふふ……何それ」
笑い事じゃないんだからな……。まじで。
それにしてもよく笑うな、こいつ。俺が注いだお替わりにもおいしそうに口をつけている。笑い上戸なんだろうか……ってノンアルコールのはずなんだけど。
なんというか、学校じゃあまり見せない側面だ。
「なあ……、俺も一つ質問いいか?」
「質問って何」
「……なんで、俺だったんだ?」
「なんでって? 秋晴が仕事紹介しろなんて言うから仕方なくうちに……」
「今日の話じゃなくて。ほら、文化祭。小学校の」
「……?」
首を傾げる朋美。
俺にトラウマを植えつけた張本人だってのに、まるで自覚がないときた。
「なんで俺を……王妃の役にしたのかってこと」
「なんでも何も、だからあれはクラスの投票で……」
「しらばっくれなくていい。おまえが根回ししたことはとっくに割れてんだから」
「そう。……それじゃ何? まだ根に持ってるわけ?」
「そうじゃねえけど……」
なんで加害者の方が態度が高圧的なんだろう……、ってのはさておき。
もちろんあのとき女装なんて死ぬほど嫌だったが、けれど喉元過ぎれば、ってやつだ。そんなことでいつまでも朋美を恨むほど俺もガキじゃない。
「何か、理由があったんだろ? だっておかしいじゃないか。ヒロイン役だってのに女子じゃなくてわざわざ男子にするなんて」
根には持っていないとして、ずっと引っかかっている疑問だった。
そこまでで一旦質問を切ったものの、さらに突っ込んで訊きたいことがある。クラスの男子の中でも、さらに俺を指名した理由。
考えられるのは、嫌がらせの線。男子と女子は日常的に敵対してたから、男子に女の役をさせて恥をかかせようとしたのだろう。それなら他の女子の同意を得るのも難くない。
しかし、だとすると腑に落ちない。俺は当時、朋美と特別仲が悪かったわけじゃないから。もちろんその逆でもない。俺以上に朋美といがみ合っていた男子も何人かいた。朋美にとっちゃ、クラスの悪ガキどもの一人でしかなかったはずだ。
それなのになぜ。俺が選ばれたのだろう。俺だったんだろう。
……朋美は、口を結んだまま何も答えない。
「いや、俺の思い過ごしかもだけど……」
「思い過ごしよ」
「……いいや嘘だな」
即答だったからな、今。あからさまにも程がある。
「男子を推薦しなさいって脅されてたの。飼い犬を人質に取られてて……」
「それを言うなら人質じゃなくて犬質だ」
「知ってた? 犬のおっぱいって一匹一匹数が違うんですって。8個や10個ならまだしも、9個とか奇数よ? 気味悪いと思わない?」
「なんかいきなりトリビア始まったー! 奇数は確かに変だけど今そんなプチ情報まったく必要としてねえ! 俺が言ったのは犬『乳』じゃなくてだな……!」
「だいたい指摘すべき点はそこじゃないでしょ」
「わかっとるわ! おまえのボケがあざとすぎるんじゃあ!」
それとも最初から素直に「そんな要求してくる誘拐犯がいるか!」って突っ込めば満足だったのか? そうなのか?
ちなみに俺の記憶では、朋美んちで犬を飼っていた時期はない。
結論。こいつ絶対にごまかそうとしてる。
「……何か言ったらどうだ」
「秋晴ちゃん、お替わり」
「話を逸らすな」
「……」
やはり何かを隠している様子だ。
何か言いにくいことがあったとしても、小学校の話だ、さすがにもう時効だろう。それをいまだに言い渋るのはおかしいんじゃないか。
俺にいつまでも根に持つなと言うなら……朋美、おまえだって何かに固執するのはもう終わりにしたらどうだ?
「――呆れた。何も覚えていないなんて」
やっと答えてくれるかと思ったら、なぜかまた悪態つかれた。
はあ、と深いため息まで添えて。
「何が……」
「劇のことに決まってるでしょ。他に何か覚えてることないの?」
責め立てるように俺を問い詰めてくる。質問を質問で返してやりすごそうって腹か……?
「だから、何かって何だよ」
「内容とか、台詞とか、どんな舞台だったかとか」
「そ、それは……」
確かに、女装させられた嫌な感情が記憶の大半を占めている俺は、それ以外のことはぼんやりとしか思い出せなかった。
放課後にクラス全員で居残りして背景の山の絵を描いたことくらいならおぼろげに記憶の片隅にあるが、恐らく朋美が期待している回答はそんなことじゃないんだろう。
しかし、所詮は小学生のやったしょぼい劇。記憶に残しておくほど大層な内容だったとも思えない。
少なくとも、覚えてないからって朋美に責められるいわれは……。
「主役は誰だったか、とか」
主役……? 配役だって自分以外のはすっかり忘れて――。
……いや。
そうだ。朋美がメインの武将の役だったな。
当時から長かった髪を振り乱して、学芸会レベルじゃ収まらない鬼気迫った殺陣なんか演じてたっけ。そして最後のシーンでは王妃の肩を抱き寄せて……。
って。
「……いけない。喋りすぎた」
俺が何かに気づいたような顔をしたのを見て、明らかにしまったという表情を作る朋美。
まさか酔ったのかしら、なんてぼやきながら。
「なあ、喋りすぎたって何が」
「もう遅いから寝ましょう。秋晴は着替えをしたあの部屋で。ベッドあるから」
「え? おっ、おい……」
「聞こえたでしょ? お休みなさい」
無理やり話を打ち切られたあげく、部屋から追い出された。
閉ざされたドアの前にぽつーん。しばらくそのまま放置されてみたが、それきり中から物音は聞こえなかった。
まあ、部屋の主が出て行けって言うんなら従うよりほかない。暗い廊下をすごすご歩いた。
使用人部屋に戻って最初に目に入ったのは……、朋美のブラジャーが取り残されたままの籠だった。結局最後まで回収しなかったのか……。
見なかったことにして、頭のカチューシャを外し、ベッドの上に倒れ込む。
なんかいろいろありすぎて疲れた。
「……ふう」
時間がたつと、ようやく少しずつではあるが幼い日の記憶が蘇ってきた。
朋美を武将の役に推したのも、たしか女子グループだったと思う。鼻たれ小僧ばかりの男子よりかずっと格好よかったんだろう。
朋美は最初は引き受けたがらなかったが、しつこく懇願されて断りきれなかったようだ。
その後行われた王妃役の投票でなぜか俺が選出……という具合である。恐らく、女子で固まってるときに朋美が何か言ったんだろう。
つまり。
朋美は自分が武将を演じることになったから、王妃を演じるやつを自分で決めた、ということになる。
主役とヒロイン。劇においてはパートナーであり、最後は結ばれる二人。
それに選んだのが俺ってことは――。
……やっぱり、そういうことなんだろうか。
なんだか、胸の辺りが重くなるのを感じた。
誰かの重大な秘密を、知ってしまったときのような。
その重みに引きずり込まれていくように、ズブズブと眠りに落ちていった。
視界がまぶしい。目蓋の上からでも感じるほど強い光。
「ん……」
目を覚ます。
窓から角度の低い朝日が差し込んでいた。レースのカーテンだから遮光効果が薄い。
いつもの起床時間より相当早い。よく寝つけなかった。
けど寝心地だけはよかった。そういやこのベッド、きちんとメイクしてあったな。昨日はメイドさんいなかったんだから、朋美がやったことになるが……。
まさか……最初から俺を泊めるつもりだったとか。
なんて考えてると、昨夜の記憶も合わさって、にわかに気まずくなってきた。
最後に流れをぶった切って追い出されたからな。顔を合わせづらい。
まあそれは……極力意識しないようにするしかないか。後は、朋美の方があまり気にしていないことを祈るのみ。
……さて、どうしたものか。
ここから直接学校に行くにしても、一旦家に帰るにしても。いずれにせよ、まずは朋美を起こさないことには始まらない。