【3233】 喜劇の鐘  (海風 2010-07-31 10:29:20)


【No:3157】【No:3158】【No:3160】【No:3162】【No:3170】
【No:3171】【No:3174】【No:3177】【No:3183】【No:3187】【No:3196】【No:3205】から続いています。









「だから通行止めなんだってば」

 ドアの前で仁王立ちする彼女は、そこを退こうとしなかった。

「どうして保健室に行くのにあなたの許可が必要なの?」

 そして彼女を囲むのは、10名ほどの猛者である。一触即発の雰囲気の只中、彼女は不機嫌そうな顔をして腕を組んだ。

「――強いから。あなた方より」

 彼女は、少しの衝撃で引火するだろうざらつく殺意を放ち出す。まるで大気に火薬が舞っているかのように。

「ルールに乗っ取って、私を倒して行けば? なんなら全員まとめて面倒見てもいいけれど? 乗り遅れちゃったからストレス溜まってるのよね」

 彼女を囲む誰もが、そこそこ名の知れた戦闘人員である。これだけの面子なら三薔薇勢力にだってケンカを売れるほどだ。
 しかし、それでも、彼女を相手にするのは避けたい――各々強いからこそ闘いたくないと思う。
 まったく勝機が見えないからだ。




 昼休みである。
 保健室の前に、黄薔薇勢力総統“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”がいた。

「……めんどくさいなぁ」

 さっきまで問答していた主立った連中の背中を見送りつつ、彼女は小さく呟いた。背中を見せていてなお鳥肌を立てるほどの殺意を向ける彼女らは、あからさまに“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”を挑発しているものの――それに乗れないから面倒臭がっているのだ。いつもの彼女なら、殺気を感じた時点で銃口を向けている。
 これである程度は追っ払ったものの、少し離れたところから様子を伺う目は多い。隙を見せたら襲い掛かってくるかもしれないし、あくまでも保健室の中だけを目的にしているのかもしれない。

 ――“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”。
 紅薔薇勢力総統“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”や白薔薇勢力総統“九頭竜”と違い、純粋に強さだけで黄薔薇勢力のトップに上り詰めた者。
 彼女には統率力や統制力、策略謀略は当然として、もはや指示力や自勢力の把握さえ尾没数、その辺にはもう誰も期待していない。無駄にあるのは決断力くらいだ。
 その代わりに求められるのは、絶対の勝利のみ。二年に進級してからは、引き分けはあっても敗北はない。
 ある意味では、勢力のトップとしては相当な型破りである。
 「強者こそ絶対のルール」に忠実で、恐らくリリアンで最も好戦的。こと戦闘に関してだけは天才的な動きを見せる――戦闘中も普段もだいたい直感で動くのでそうとしか表現しようがない。
 ちなみに、島津由乃の闘い方のベースになった人物で、由乃のライバルにして限りなく師に近い存在で、まだまだ遠い目標である。

 今現在、保健室を封鎖中である。急患以外は誰であろうとせき止めている――今ここに三薔薇が現れたとしても引く気はないが、彼女らが来る可能性はまずないだろう。弱り目を狙うような姑息な真似などする理由がない。
 今、中には重要人物がいる。
 中の彼女らのボディガードと監視のため、わざわざ黄薔薇・鳥居江利子から名指しで頼まれたのだ。かなり面倒だが、江利子に頼まれればやらないわけにはいかない。彼女は“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”より強いから。
 それにしても。

(やっぱりみんな気になるんだろうな)

“契約書”の行方と、見覚えのない“雷使い”の存在が。
 三時間目の休み時間に江利子が倒した“鳴子百合”が、今、“契約書”ごと保健室の中にいる。そして保健室を訪れる者達は、十中八九“契約書”を奪いに来た連中だ。だから封鎖中なのだ。
 ――“契約した者”である“重力空間使い”と“天使”は、先週の瓦版号外から、華の名を持つコンビとして有名になっている。本当はコンビではないが、そのように誤解されているようだ。
 しかし“鳴子百合”は違う。彼女は今までほとんど露出していなかった。周囲の目がある場所で闘ったのは、さっきの中庭が初めてではないだろうか――山百合会の幹部会議中のアレは除いて。
 ここに来る者の大半は“契約書”目的だが、スカウトも兼ねているだろう。有能、有望、強力な人員であることは、中庭の闘い――特にあの鳥居江利子の“QB”を解明したことではっきりしている。
 こりゃぜひともうちの勢力に欲しいな、という動きがあって当然である。“鳴子百合”は、今のところその華の名すら知られておらず、知られていない以上は、当然ただの個人という認識をされている。
“契約者”の話では、一応彼女らの組織は解散している。だから個人という括りで間違いはないが、仲間じゃなくなっただけであって目的が同じじゃないとは限らない。仲違いの末に解散したわけじゃなさそうだ、というのは、昨日の“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”との一戦の通りだ。助太刀、助力、タッグを組む等、“竜胆”と“雪の下”にその辺の抵抗感は見えなかった。
 つまり形式上はフリーだが気持ち的には売約済み、ということだ。スカウトに乗るわけがない。
 あれだけの力量を誇る人材だ。勢力はほとんど下に任せっぱなしの“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”でも、闘いたいという願いと同じくらい、自分の勢力に欲しいとは思うのだが。
 まあ、どうあれ。
“契約者”と“契約した者”の間には、誰にもわからない強い絆のようなものがあるのかもしれない、ということだ。




「久しぶり」
「……情けないところ見せちゃった?」
「全然。立派だったわ」
「ま、結果は見ての通りだったけどね」

 ベッドで身を起こしている“鳴子百合”の傍らには、“瑠璃蝶草”が椅子に座っている。
 いつも見ていた冷静沈着な“瑠璃蝶草”――今も何も変わらない。そして彼女の言った通り、二人が会うのは久しぶりである。
 こうして“契約者”が元組織の人員と会うのは、解散以来初めてだった。
“瑠璃蝶草”には、常に監視兼ボディガードがついている。つけたのは三薔薇で、監視は中継ぎを通さず直接三薔薇に繋がっている。
 三薔薇を刺激して良いことなど一つもない――だから接触を断っていたし、“瑠璃蝶草”は解散時に、“鳴子百合”達にも厳しく今後の接触を禁じることを言い含めた。

「調子はどう?」
「さすが黄薔薇、って感じ。怪我も後遺症もなし。もう立てるよ」

 身体に食らった“QB”のダメージ回復は、彼女自身の自然治癒力の賜物だが。しかし気絶の方は言葉通りである。
 誰が運び込んだのかはわからないが、“鳴子百合”は四時間目に入ってすぐ――気絶して10分ほどで意識は取り戻した。しかし授業に出る気にもなれず、そのままぐずぐずしていたら昼休みになってしまった。もう元気そのものなので午後からはちゃんと出るつもりだ。

「よく面会なんて許されたね」
「監視付きよ」

 見えないし感じもしないが、“瑠璃蝶草”の側にはいつだって白薔薇勢力最高のステルス使い“影”がつくことになっていた。きっと今もいるはずだ。

「それと、別に動きを規制されてるわけじゃないから。――自発的に気をつけろ、って圧力はいつだって感じてるけどね」
「窮屈そうだ」
「もう慣れたわ」

 それっきり沈黙が生まれる。
 特に話すべきことはない。“瑠璃蝶草”は心配が高じてこうして顔を出しただけに過ぎない。
 ただ、話したいことはたくさんあったような気がするし、今ここで何を口にしようと場違いな気もする。
 
「取られなかった」

“鳴子百合”は、首に掛けっぱなしの“契約書”を指先で玩ぶ。紫の淡い色を放つそれは、ただの紙のようでもあり、それとは異なるような質感を持っている。きっと存在の次元からして違うのだろう。

「“瑠璃”、三薔薇は私達の想像以上に強いよ。正直勝てる気がしない」
「そう」

“瑠璃蝶草”は他人事のような相槌を打った。

「私はあなた達を“契約”で縛るつもりはないから。だから、嫌になったのならやめていい」
「……ふっ」

“鳴子百合”は鼻で笑った。

「やめたところで、やりたいことがあるわけじゃないからね」
「でしょうね」

 彼女は立ち上がった。

「闘っているあなた、楽しそうだったから。もうやめたくてもやめられないわよ、きっと」
「それよりお腹すいた」
「話を変えない」
「カップ○ードル五つ食べられるくらい」
「話を変えない。というか勝手に食べなさいよ」

 ちょっとイラッとした“瑠璃蝶草”は、振り返ることなく保健室を後にした。相変わらず腹立たしい癖だ。いや、案外わざとか。からかってるだけか。どうあれ腹立たしいが。

「――済んだ?」
「ええ」

 ドアの外で見張りに立っていた“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”に頷いてみせる。

「それじゃ私はお役御免だね。“影”、ちゃんと張り付いてなさいよ?」
「余計なお世話です。あなたに言われる筋合いはありません」

 あらぬところから上がる可愛げのない声に満足した“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”は、うんうん頷くとさっさと歩いて行ってしまった。

「あ、そうだ」

 と思ったら引き返してきた。

「ついでだから“契約書”貰っていくわ」
「…………」
「止めてもいいけれど?」

 意味深な視線を向けられた“瑠璃蝶草”は、考える間も見せず冷静に首を振る。

「私は争奪戦に口も手も出さない約束をしてますから。ご自由に」
「冷たいね」
「よく言われます」

 挑発を含んだ皮肉をさらりとかわし、“瑠璃蝶草”は一礼して歩き出す。
 ――奇しくも、その姿を見ていた“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”と“影”は、同じことを考えていた。

(この子、面白い)

 ここのところずっと一緒にいる“影”はともかく、“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”は彼女のことを“契約者”としてしか見ていなかった。が、参謀としての切れ者具合がわずかながら垣間見えた。無名ながらも有能な人員とは意外といるものである。

「ああいうのに従うと楽なんだよなぁ」

 リリアン三大勢力の一つを率いる者としては、まさかの禁句である。総統たる者が口にして良い言葉ではないが、彼女は非常にアバウトなので仕方ない。もはや誰もその辺に期待なんてしていない。
 まあ、とにかく。
 このまま“契約書”を保健室に残しておくと、保健室が戦場になるかもしれない。いくら戦闘狂の“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”でも、ここで闘うこと、ここを戦場にすることにはかなりの抵抗がある。
 一応三年生のお姉さまとして、火種を処理しておいてもいいだろう。

「あ」
「お」

 保健室のドアを開けたら、そこに天敵がいた。

「へっへっへっ。奇遇ですね」

 ふざけた細目のふざけた狐ヅラを見た瞬間、“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”のざらつく殺意が一瞬にして保健室に充満した。

「……なんであなたがここにいるわけ?」

 火種を処理するどころか、己が火種になってしまう辺りは、とても“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”らしかった。




「まあまあ。お互い闘う理由はないでしょ、まだ」

 ふざけた狐ヅラ――“複製する狐(コピーフォックス)”は、落ち着けと両手で制する。

「質問に答えなさいよ。どうしてここにいるわけ? 誰の許しを得てここにいるの?」

 今すぐにでも銃口を向けそうな危険極まりない瞳の“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”の問い。威圧感といい殺意といい、理性が見えない雰囲気といい、慣れない者からすれば、巨大で獰猛な恐竜ほどの生物に魅入られているようなものだ。
 が、したたか者の狐はもう慣れたものである。

「保健室に入るのに誰の許可もいらないでしょ」
「――」
「ストップ」

 すでに大口径の銃を構えている“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”に対し、“複製する狐(コピーフォックス)”は紙を構えて対抗する。
 銃に対する紙きれ、傍目にはとても正気とは思えない構図である。

「どうしてもやるなら保健室出ましょ。ここを戦場にすることはリリアン生の恥です」
「…………はぁ」

“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”は深く息を吐き、身体から力を抜く――嘘のようにざらつく殺意が消え失せた。

「いいでしょう。今回は見逃してあげる」
「そりゃどーも」

 肩を揺する“複製する狐(コピーフォックス)”も、構えた紙を消した。彼女が扱う“御札”は様々な異能を“複製”したものが吹き込まれている。さっきのは恐らく飛び道具に対する“反射板”のようなものだったのだろう。

「で、ここで何をしてるの?」
「雷使いに会いに来ただけですよ」
「知り合い?」
「いえ。話には聞いてましたけど、見たのはさっきのが始めて」
「どこから入った?」
「“瞬間移動”でどこからでも」

“瞬間移動”に寄る侵入。
 その可能性は“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”も気付いていた。異能使いならば、封鎖なんて無視して入り込めるだろう、と。――この狐のように。
 しかし接触する対象は雷使い――それもかなりの力を持つ戦闘異能使いである。そう簡単に“契約書”を奪われるような存在ではないから無視していたのだ。
“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”の仕事は、あくまでも“鳴子百合”ではなく、ついさっき立ち去った“契約者”のボディガードだ。何かしらあって戦闘が起こった場合に備えていただけに過ぎない。
 そもそも“瞬間移動”を得意とする者は、ほとんど戦闘要員ではない。あの鳥居江利子が異常な使い手であるだけであって、“瞬間移動”は攻撃能力ではないのだから。そんな者が“契約書”を奪えるとは思えない、と考えていたが。
 しかし例外がいたようだ。
 闘わずして奪うだけで良いなら、この“複製する狐(コピーフォックス)”も充分曲者だ。

「あのー、なんか取り込み中?」

 殺気は消えても剣呑な雰囲気は拭えない二人の間に、話題の中心人物がベッドから起き出し、割り込んできた。
 雷使い――“鳴子百合”だ。

「ああ、ちょうどよかった。“契約書”ちょうだい」
「うわストレート」

 思わず“複製する狐(コピーフォックス)”のツッコミが入ってしまうくらい、“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”は直球を放り投げた。

「……あなた、確か黄薔薇の」
「黄薔薇勢力総統“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”。名前よりこっちの方が有名でしょ?」
「…………」

“鳴子百合”は少しだけ考え込むと、首から下げていた“契約書”を外し差し出した。

「これ、本来は黄薔薇に取られたものだから。だから同じ勢力にあるあなたに渡しておく」

 三時間目の休み時間に、“鳴子百合”は確かに負けたのだ。しかし“契約書”は残っていた。
 江利子が奪わなかった理由はわからないが、このまま手元に置いておく気にはなれなかったので、“鳴子百合”からしてもちょうどよかった。特に江利子に近しい者に渡せるなら好都合だ。持っていかなかった以上、本人に渡そうとしたって、きっと受け取らないだろうから。

「抵抗してもいいけど?」
「遠慮しておく。……私はまだ、あなたとも闘える立場にないから」

 経験不足に情報不足を痛感した“鳴子百合”は、自分がまだまだ弱いことを悟った。そんな今、黄薔薇勢力総統と闘うだなんて、ジョークにもなっていない。
 そもそもレベル不足だ。
 三薔薇や総統クラス……彼女らと闘うには、まだまだ強さが足りない。今の自分が彼女らの前に立つということは、彼女らに対する侮辱だとさえ思える。苦労の数も修行に費やした時間も“鳴子百合”とは桁違いなのだから。
 それくらいの差を感じている今、闘うことなんて考えられない。それでも闘わなければいけない時が来るのだろうけれど。

「なんだ。つまんないの」

 本当につまらなそうに呟き、“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”は“契約書”を受け取り、同じように首から下げた。どうやら彼女もバトルチケットとして欲しかったらしい。

「で、そっちのあなたは? 私に用があるって言ってなかった?」

 顔を向けられた先で、“複製する狐(コピーフォックス)”は笑った。

「どうも初めまして。私は“複製する狐(コピーフォックス)”、二年です」
「……狐?」
「ええ。まあ黄薔薇勢力総統ほど有名じゃないんで、知らなくても無理はないですけど」
「あ、ごめん。噂とか疎くて」
「ただのケチな複製屋だよ、こんなの」

“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”のストレートな皮肉に、狐ヅラは「まあそんなとこですよ。へっへっ」と胡散臭く笑うだけだ。

「まあ私のことはいいんですよ。ちょっと取引をしに来ただけですし」
「取引?」
「今あなたに必要なのは情報だ。あなたはあらゆる情報を欲しているはず。違います?」
「……」

 情報。確かに“鳴子百合”が欲しいのは、情報だ。
 異能のこと、人物のこと、知っておきたいことは今パッと思い当たらないことも含めて山ほどある。
 しかしそれにしても胡散臭い奴だ。こんなのと取引なんてして大丈夫なのだろうか。

「黄薔薇の能力“QB”の謎。それに黄薔薇攻略の足掛かりを少し。私はそれを提供できますけど?」
「私の前でよくその話題を出せたね」

 黄薔薇勢力総統が口を挟むのも当然だと思ったが、胡散臭い狐は完全に無視した。

「“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”からも頼まれてますからね。安くしときますよ」
「あ、彼女の知り合い?」
「今は同志、ってことになるんでしょうかね。私も“反逆者”には相当でっかい借りがあるもんで」

 そういうことか、と“鳴子百合”は納得した。
“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”は、“鳴子百合”の目的を知っている。そして“鳴子百合”も向こうの目的を――“純白たる反逆の蕾”藤堂志摩子を支持する旨を聞いている。
 思いっきりわかりやすく言うと、「まだお互い邪魔にはならないから協力できるところは協力しましょう」と言いたいわけだ。
 彼女の考えはわかる。
“鳴子百合”をぶつけて、黄薔薇やそれらに並ぶ猛者どもを少しでもダメージを与えたい、といったところか。
 むろん、利害が一致しているからこそ、利用しようとしているのだ。
“鳴子百合”は強くなるために闘うことを望む。その足掛かりに情報を提供してあげよう、ということで胡散臭い狐を寄越したわけだ。そして向こうとしては、“鳴子百合”が名のある者を偶然でも倒せれば、それは無理でもほんのちょっとでもダメージを与えられれば、くらいに考えているのだろう。
 力だけは大きいので、なんとか活用法を見出したい“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”の気持ちは、活用されようとしている“鳴子百合”自身もかなり気になるポイントだ。今は自分にできることも自分で計りかねている。

「どういうことよ。同志って何? “反逆者”がどうしたって?」
「うるさいなぁ。用が済んだのならさっさと行ってください。邪魔ですよ」
「あいっかわらず生意気な二年ね。シメ上げるわよ」
「相変わらず口の悪い三年ですね。黄薔薇勢力のトップがそれじゃ程度が知れますね」

 なんかケンカが始まりそうだが。どうやらこの二人は犬猿の仲らしい。

「取引って言ったけど」

“鳴子百合”は強引に話を戻した。

「私、あなたに提供できるものなんて持ってないけど」

 今し方、取引に使えそうだった“契約書”は、見ての通り所持者が移っている。その他には情報辺りになるのだろうけれど、その情報が不足しているから欲しているのである。これじゃ話にならない。

「ありますよ。あなたの“雷”を五回分くらいいただければ」
「雷……?」
「こいつの異能は“能力を複製する”こと。“複製”に必要なのはオリジナルのエネルギーってわけ」
「そういうことか」

 複製する異能――なるほど、“複製する狐(コピーフォックス)”か。

「五回分っていうのは?」
「言葉通りじゃなくて感覚で察していただいた方が早いかと。見たところ私より力量も大きいし、ちょっと使いすぎて疲れた、くらいで済むでしょう」
「ふうん……いわゆる異能の強制消費、じゃなくて強制搾取ってやつ?」
「まあ、そんなとこです。――ちなみに“竜胆”さんと“雪の下”さんも、一度取引したことありますよ」
「なるほど、情報通なわけね」

 どうにも胡散臭い奴だが、そこらの情報屋より色々と知っていそうだ。特に“異能を複製する”という能力には興味がある――“複製”する以上、その相手の能力を知っていて当然なのだ。こと戦闘用異能に関しては情報屋よりよっぽど詳しいかもしれない。

「じゃあ早速――取引の邪魔なんでどっか行ってもらえます?」
「いいから私も混ぜなさいよ。なんか面白そうだし」
「……えー」

 飄々としていた“複製する狐(コピーフォックス)”はようやく人を食ったような薄笑みを消し、歳相応の心底嫌そうな顔を見せた。
 そして――不意に勢い良くドアが開け放たれた。

「たのもう! “契約書”よこしなさい!」
「「あ」」

 更に島津由乃、乱入。




 保健室の人口密度が一気に増えていた丁度その頃。
 さっきまでそこにいた“瑠璃蝶草”は、今は一年桃組の前にいた。
 「三薔薇の監視付き」ということで裏では有名になっている“瑠璃蝶草”は、異能使いからは注目されている。
 が、それ以外は決して有名な存在ではない。
 目覚めていない者には力の大きささえ感じられず、一般生徒は存在を避けるでもなく平然と横を素通りしていく。
 比較的平和で穏やかな昼休み風景である。きっとこの辺に“契約書”所持者がいないからだろう。主立った使い手なら、今頃は“戯言を囁く地図(バベル・クラフト)”の前か、二年生のクラスを見張っているはずだ。
“瑠璃蝶草”は、しばらく桃組の前に立っていた。

(……来たはいいけれど)

 ここまで来てしまったものの、どうも踏ん切りがつかない。
 福沢祐巳に会いに来たのだ。
“契約”を交わし、覚醒し、そして――枯れた。
 原因はわからない。
“瑠璃蝶草”に不手際があったのか、それとも祐巳の方に何か問題があったのか。
 あの日から祐巳のことはずっと気にしていた。一年生の噂は意識して耳に入れるようにはしてきたが、祐巳や祐巳の周囲に何かがあったという話は聞かない。
 つまり「覚醒しても何も変わらなかった」ということになるが、しかし覚醒したのは事実なのである。この目で確認したし、今も祐巳に署名させた“契約書”は起動している――“契約書”はその効果が安定するまでは“契約した者”の身体の中に存在し、その内“瑠璃蝶草”が回収することになる。少なくとも、前例の三人はそうだった。
 しかし四人目の福沢祐巳は、すべてが前例と違っている。
 こうなると、使用者としてとてもふがいない。自分の能力なのにちゃんと扱えないだなんて笑い話にもならない――そういう輩は意外と多いが。
 それに、会ったところで何をどうするというのか。特別話したいことがあるわけじゃなし、話しておかねばならないこともないし、気にはなるが自分の目で色々確かめるのはちょっと怖い。祐巳に恨み言を言われるのもできれば避けたい。
 だが、無責任に放り出すには、問題が大きすぎる。
 あの“契約”は、“契約した者”の負の感情を糧にして発動する――覚醒した祐巳の力は、その力量も性質も、もはや常軌を逸していた。異常なまでの規格外だった。
 となると、あの力を得る代わりに差し出した代償――失われた感情は、相当大きかったはずだ。
 仲間内で一番力量の大きい“雪の下”は、少々人格が変わってしまった。記憶の受け継ぎにはまったく関与していないので、本人的にも「変わった気はするけど別に気にならない」とは言っていた。言ってはいたが……
 そんな前例がある以上、祐巳の人格の変貌は、確かめずに済ませるわけにはいかないだろう。さすがに放置は無責任すぎる――たとえ祐巳も承知の上での“契約”だったとしてもだ。
 ……だがしかし。

(やっぱりやめとくか……)

 踏ん切りがつかないものはしょうがない。“瑠璃蝶草”だって“契約者”だとかなんだとか言われても、しょせんただの十代の小娘だ。真実から目を背けたいと思ったところで何の不思議があるだろう。

「――あの」
「はい?」

 声を掛けられ、“瑠璃蝶草”はゆっくりと振り返る。不意のことだが、彼女の接近には気付いていた。

「桃組に何かご用ですか?」

 ヤマアラシみたいな髪型の一年生――“夢男(ドリーム・ガイ)”周と呼ばれる異能使いだ。自身を「中身はおっさん」と言い放つ自称「おっさん」だ。占い系の使い手で、主に夢占いや予知夢を得意としている。
 が、“瑠璃蝶草”は、目覚めていることはわかるが周のことは知らなかった。

「ああ、その……」

 そりゃ声も掛けられるだろう。クラスの前で上級生がずっと立っているのだから、「早く用件を聞きに来なさいよ」と上から目線で圧力を掛けているようにでも見えてしまったのかもしれない。

「……福沢祐巳さんを呼んでくれる?」

 誤魔化そうかと思ったり何でないと去ろうとしたりと返答に困った挙句、“瑠璃蝶草”は観念して、祐巳を呼び出すことにした。
 彼女は頷く。

「知ってましたよ」
「え?」
「“おっさん”が教えてくれましたから」
「お、おっ……お、おっさ…お?」

 思いっきり戸惑い耳を疑う“瑠璃蝶草”を置いて、彼女は教室に入ってしまった。――ちなみに周の言った“おっさん”とは「夢」の意である。“予知夢”でも見たのだろう。
 程なくして、目的の福沢祐巳がやってきた。

「お久しぶりです」
「え、ええ……お久しぶり」

“おっさん”の衝撃にまだちょっと動揺していた“瑠璃蝶草”は気を引き締めた。

「遅くなってごめんなさい。あれからすぐにでも様子を見に来ようとは思っていたのだけれど」
「ああ……いえ、別にいいですよ」

 祐巳に害意はなさそうで、本当にそう思っているようだ。

「……相変わらず?」
「そう、ですね。特に変わったことはありません」

 それはそうだろう。目覚めた者なら、まず周囲の力の存在に驚くものだ。例外的に感じられない者、いや、感知能力が低い者もいるが、覚醒時の祐巳の力の大きさなら感じられない方がおかしい。
 そして、周囲が感じないことも、おかしい。
 変わったことはない、か。

「周囲の人に、最近変わっただの、どこか変だの、言われない?」
「……いえ? 全然?」

 心当たりを探したのだろう祐巳は、あっけらかんと否定した。

(……ちょっと待て)

 本当に“契約書”は機能したのか?
 あれは負の感情を糧に効果を得る。であるからこそ、覚醒はしているはずの祐巳は、感情を取られているはずなのだ。それもあの力の大きさなら、人格に影響を及ぼさない方がおかしいくらいのはず――“雪の下”はそうだった。
 いくら前例とは何もかも違いすぎる存在だとは言え、“契約”の根本にあるルールまで無視されるのであれば、それは話が違ってくる。

(確かめた方がいいかもしれない)

“契約”の定着は、一日あれば問題なく済まされる。それさえ例外じゃなければ、祐巳の覚醒ももう“契約書”なしでも固定されているはず――

「“影”さん、ちょっと身体貸して」

 空気中から、監視兼ボディガードの“影”がにじみ出てくる。祐巳が「あ、お久しぶりです」と声を掛けた。この二人は知り合いらしい。
“影”は祐巳に目配せをし挨拶を受け取ると、今度は“瑠璃蝶草”に疑問の目を向けた。

「ちょっとそこに立って、視界をガードして」
「…?」

“瑠璃蝶草”、“影”、祐巳は身を寄せ合って向かい合う三角形を作る。ちょうど円陣のような形だ。
 できるだけ密着して周囲から内側を隠すようにすると、肩が当たるほどの近さで“瑠璃蝶草”はメガネを押し上げた。

「これから祐巳さんの中にある“契約書”を取り出す」
「え?」
「そのまま楽にしていて。すぐ済むから――」

“瑠璃蝶草”は左手から紫のオーラを発し、祐巳の胸――心臓辺りに手を宛がった。
 そして、押し込む。

「え? え、え!?」
「……!」

 祐巳はおろか、“影”さえ息を飲むほどの異様な光景だった。
“瑠璃蝶草”の左手は、祐巳の身体の中央――心臓辺りを目掛けて中にどんどん侵入し、ちょうど手首から先が入ってしまった。まるで嘘のように。

「動かないで」

“瑠璃蝶草”はゆっくりと手を引き出し――なにやらどす黒く変色した紙のようなものを引きずり出した。
 いや、変色しているのではなく、それが放つ濃く深い黒色のオーラに中の物が飲み込まれているのだ。

(やっぱりちゃんと“契約”は果たされてる……)

 これほどの――“契約書”そのものが伺えないほどのオーラの濃さこそ例外だが、“契約書”が“契約した者”のオーラに染まっているのは通例である。

「祐巳さん、何か変化は?」
「あ、はい、いえ、ないです」

 自分の身に入った手と、自分の中から出てきた“黒い契約書”を呆気に取られて見ていた祐巳は、びっくりした顔でしどろもどろに答えた。なんとなく自分の胸を押さえているのは、自分の身体に異常がないかどうか確かめているのだろう。

「……案外“これ”を取り出したらちゃんと覚醒するんじゃないかって思っていたけれど」

 しかし当然のように、祐巳から力を感じることはなかった。それがさもあたりまえと言わんばかりに。
 三人とも“契約書”を見詰める。
 夜の闇より深い“黒色”は、やはり何も答えは見せてくれない。

「あの、これって、あの時の……」
「そう、あの時の“契約書”。間違いなく“契約”は果たされているはずなんだけれど」
「……やっぱり枯れちゃったんですかね」

 祐巳は憂鬱そうな溜息をついた。
 枯れたのかなんなのか。それは本人の自己診断でしか語れないだろう。
 近くに寄ろうが触ろうが力の片鱗さえ伺えない祐巳は、もはや未覚醒だと言った方が色々手っ取り早い。「目覚めてるけど力使えません」などと自虐ネタなのか冗談なのか判断できないことを言うよりは。
 それにしてもわからない。
 祐巳が染めた“黒色の契約書”は、本人からは感じられないのに、それ自体は力を発している。あの時感じた祐巳の力と比べれば残り香くらいのささやかなものだが、それでもそこらの中堅クラスの異能使いに等しいほどの大きな力だ。
 確実に祐巳は目覚めていることが、物証を伴って証明された。
 しかし、肝心の本人はサッパリである。

「祐巳さん」

“瑠璃蝶草”は“黒の契約書”を消し、静かに語りかける。

「あなたがどう判断するかは勝手だけれど、“契約者”として断言する。あなたは確実に目覚めている。それもリリアンの誰よりも強い力を持っているはず。
 ……今は何らかの理由があって使用できない、としか思えない。もしかしたら本当に枯れたのかもしれないけれど……」
「…………」
「悪いけれど、私から言えるのはそれだけ。これ以上は私にもどうすることもできないから」
「はあ、そうですか……」

 不憫だ。哀れすぎる。
 説明も最後まで聞かず浮かれて“契約書”にサインした祐巳が、今はがっかりしている。
 もういっそ覚醒しなかった方がよかったのかもしれない。そうすれば「いずれ目覚めるかも」と、ずっと希望を持ち続けることはできたのだ。
 しかし目覚めてしまった。
 そして本人いわく、覚醒後数十秒で何事もなく枯れ果ててしまった。

「…………」

 掛ける言葉が見付からない。事情は込み入っているが、祐巳を落ち込ませたのは“瑠璃蝶草”に間違いない。自己責任だなんだと言うのは簡単だが、それだけで割り切れるものではない。

「私はもういいですか?」

 静かに口を開いた“影”に、“瑠璃蝶草”は敵意ある視線を返した。

「ダメよ」

 逃がしてなるものか。こんな気まずい現場に二人きりにされてたまるか。

「用件は済んだはずでは?」
「それでもダメ」

“瑠璃蝶草”は“影”の袖を引っ掴んだ。逃がしてなるものか。

「ダメの意味がわからない」
「なら別にいればいいじゃない。意味がわからないならいたくない理由もないでしょう?」

 どうあっても逃がしてなるものか――用は済んだのだから立ち去ればいいのだが、落ち込んだ祐巳をこのまま置いていくのは、さすがに気が引ける。

「あ、あの、私なら別に平気ですから」

 どうしていいのかわからない“瑠璃蝶草”に、しかし祐巳は微笑んで見せた。

「どうせ私なんてこんなものですから。今までと大して変わらないってだけの話ですし」

 気を遣わせてしまった。落ち込んでいる一年生に。上級生が二人もいながら情けない話である――“影”は九割方無関係だが。

「それより、一つ確認したいんですけれど」
「確認?」
「紅薔薇から言われていたんですけど、“瑠璃蝶草”さまとの関係は誰にも話してはいけない、って。あの日のことは全て自分の胸の内だけに納めておいてほしい、誰に聞かれても言ったらダメだ、って」

 まあ、当然そうなっているだろうとは思っていたが。だが祐巳はその理由を知らないのだろう。
“瑠璃蝶草”のこと――“契約者”であること、その異能の特性や性質が周囲に漏れてしまうと、必ず争いが起こる。だから“覚醒させる力”など絶対に公表はできないのだ。不要な戦火を防ぐための口止めだ。“冥界の歌姫”蟹名静や、中等部の“折紙絶対防御装攻(インスタント・イージス)”松平瞳子も口止めされているだろう。
 そして、その気はない“瑠璃蝶草”にも、そういう方面の不安も含めてこうして監視がついているわけだ。

「だから、そちらから接触してきたので、ちょっと驚いたんですけれど」
「……断った方があなたのためなのよね」

“瑠璃蝶草”はチラリと“影”を見る。

「こうして三薔薇のボディガードも付いているし、私の周りは危険だから。色々あってね」
「そうなんですか……」
「今後はこういう接触もしない方がいいと思うけれど……でも、祐巳さん」

 表情こそそんなに変わらないが、祐巳を見詰める瞳は優しい。

「あなたが助けを求めるなら、私はいつでも助けに行きたい。困ったことがあったら相談して。可能な限り力を貸すから」
「は、はあ……」
「それじゃ」

 返答に困っている祐巳を置いて、“瑠璃蝶草”は歩き出す。
 その隣になんとなく“影”が並んだ。
 そしてポツリと呟いた。

「まるで口説いていたみたい」
「え?」
「最後のセリフ」

 それだけ言って“影”は消えた。
“瑠璃蝶草”は思わず立ち止まった。

 ――あなたが助けを求めるなら、私はいつでも助けに行きたい――

「……なるほど」

 言われてみれば、確かにそんな感じに思えなくもなかった。
 妹にしたい云々ではなく、同情の方が強いのだが。
 今の体制に異を唱え、強く反発している違う正義を掲げる者として、ロザリオかけられまくりの祐巳にはどうしても優しくしたい。たとえ“契約者”だの“契約書”だのの縁がなかったとしてもだ。
 そう思っている者は、決して少なくないと思うのだが。
 例えば――

「…………」

 彼女にしては珍しく、敵意を見せて睨むようにして横を過ぎる“純白たる反逆の蕾”藤堂志摩子、とか。
 きっと彼女は、祐巳に力を――闘うための力を与えようとした“瑠璃蝶草”が許せないのだろう。
 正しいと“瑠璃蝶草”も思う。
 志摩子は何も間違っていないと思う。
 だが。
 弱者は抵抗する力さえ持ってはいけない、と言われるのであれば、それには決して同意できない。かつて弱者だった者達を覚醒させた者として、自分の行為は間違っていないと今でも思っている。
 どちらも間違ってない。
 だから、どちらも正義だ。
 志摩子の正義と、“瑠璃蝶草”の正義は、重なり合う部分が多々あると思う。しかしアプローチの一点で大きく食い違い、互いにその食い違いこそが己の正義の御旗に反している。この先、決して相容れることはないだろう。

(正義、か……)

 いろんな正義があり、いろんな正しいことがある。
 だからこそ、山百合会を恨む気持ちがなくなった今だからこそ、考えられることもある。
 ――強者こそ正義のルールとは、全ての正義に勝り、全ての正義を内包し、全ての正義の行き着く末にある、一つの真理に等しいのではないか、と。
 驚くほどシンプルでありながら、バカみたいに強く根深く浸透し、もはやリリアンの土壌になっているのだから。




 田沼ちさとは歩いていた。
 気が緩んだら頬まで緩んでしまいそうなので、気を張って厳しい顔をして歩いていた。
 目指す教室は二年だが、目当ての人物には廊下で会えた。

「令さま!」
「あ、ちさとちゃ」
「どういうことですか!」

 にこやかに応じる目当ての人物――支倉令に、厳しい顔のまま厳しい叱責とともに厳しく詰め寄るちさと。

 黄薔薇勢力一年生担当長“疾駆戦車(スピード・マシン)”田沼ちさと。黄薔薇勢力の一年生をまとめている幹部の一人で、一年生では一番権限を持っていることになる。
 令と同じ剣道部に所属し、共に力を求めるなんだか熱血な関係にあった。高等部に入ってから剣道を始めメキメキと実力を伸ばして現在に至り、強さを求める実直な姿勢を買われ、夏から黄薔薇勢力の一年生をまとめる役に任命された。
 剣の素質も然ることながら、人をまとめる力もあるようで、今やなくてはならない貴重な人材となっている。
 令個人としても、必要不可欠な下級生である。

 いきなりググッと詰め寄られたが、その内来るだろうと思っていた令は、特に焦りもなかった。
 ちさとが怒る理由は、だいたいいつも二通りだ。
 一つ、島津由乃の幹部の義務を放棄する類の不良行為への抗議。
 二つ、島津由乃の後始末をやらされることに対する不満。
 そして自身の妹が関係する以上、姉に苦情が来るのだ――ちさとからは。別に普段から怒りっぽいわけでもないのだからわかりやすい。

「もう信じられない! もう信じられない!」

 なぜ二回言う。

「今回のことは問題なんじゃないですか!? 今までのとは桁が違う気がするんですけど!」
「えっと……どの件?」

 由乃がやらかすのは日常茶飯事どころか一日何件も発生することも多いので、さすがの令も把握しきれていない。幸い強者辺りの受けが抜群に良いので、主立った問題にまでは発展していないが、それでもこうして火種潰しに奮闘する者達がいてこそ成り立っている。
 文句が出るのもあたりまえで、むしろ文句が出ているからまだ安心なのだ。ちさと含む一年生達は、文句を言いながらでもまだ由乃を立てようとしてくれているのだから。
 ちなみに田沼ちさとは、言うほど由乃が嫌いではない。彼女の全ての行動が強くなるために必要だとわかっているからだ。だが本人にクレームをつけると必ずケンカになるので、最近では支倉令という姉フィルターを、個人的な理由からも通すことにしている。
 更にちなみに、ちさとと由乃の関係は、目の前の人物のおかげで非常に悪い。

「昨日の紅薔薇勢力総統との一件です!」
「というと、“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”?」

 あの昼休みの一悶着は、令もはらはらしながら見ていた。立場上、怪我をすることさえも苦情が来るような場所に立っているが、あの“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”相手に無傷で済ませろ、というのは酷だろう。三薔薇だって難しいはずだ。

「そっちはいいんです。問題は、一緒に闘っていた人達です」
「一緒に……」
「話を聞いたら、華の名を語る者と共闘した、とか」
「ああ」

 それか、と令は頷く。
 華の名を持つ者、語る者は、問答無用で山百合会の敵である。それなのに共に闘うだなんて前代未聞だ、とちさとは言っている。
 言われてみればその通りである。
 いつもめちゃくちゃする由乃のことだから特に不思議に思わなかったが、山百合会の由乃以外の誰かがやったら違和感しか残らない光景だったはずだ。

「確かに問題かもね」

 令は腕を組む。由乃の無茶はいつものこと、問題行動もいつものことだが、この一件は確かに毛色が少し違うように思える。
 ただ、

「でも由乃は幹部のプライドも一応あるから、肩入れしてるわけじゃないと思う」

 山百合会の誰かが、華の名を持つ者の味方になる、あるいは仲間になる。そこまで行けば本当に前代未聞の大問題となる。
 長いリリアン史で初となる山百合会の裏切り者が現れる――“反逆者”と呼ばれる志摩子でさえ裏切りとは言われないのに対し、こちらのケースは一発でアウトだろう。リリアン史上最悪の裏切り者として歴史に名を残すに違いない悪行だ。
 そもそも、正義と悪の境界線が非常に曖昧なのだ。武器OK、一対多数も常套手段、裏切りだって普通にあるし、不意打ち闇討ち、本当に殺しはしないが暗殺だってあたりまえのリリアン女学園に、「卑怯な手段」と呼ばれる行為は本当に少ない。
 あるのは、暗黙のルールと化していることを侵すことと、リリアンの子羊としての誇りを忘れた恥知らずな行為をすることと、目覚めていない生徒に攻撃を加えること、くらいだろうか。
 しかし、山百合会は違う。
 三薔薇は敗北を許されず、山百合会の名を背負う者は、その山百合の名を汚すような行為は慎むべきだと教えられる。なので不意打ち闇討ち、一対多数の戦闘辺りは普通はしてはいけない。そういう意味では由乃はだいぶ逸脱しているが、まだ一年生だから許されているところも多いし、かなり大目に見られている。
 だが、山百合会の裏切り者となってしまうと、何よりも山百合会が見過ごせなくなる。

「私もそうは思いますけど! でもこうやって文句を言う理由ができることが問題なんです!」
「それはそうだわ」

 その点には言い訳もない。
 今の三薔薇は必要以上の摩擦を嫌っているので言わないだろうが……いや佐藤聖辺りは面白がって触れるかもしれないが、ふざけているなら問題ない。それより潔癖な小笠原祥子辺りからは一言二言文句が上がるかもしれない。「華の名を語る者と一緒に闘うだなんて、山百合会としての自覚が足りないんじゃない?」と、冷ややかに嫌味を言う様が目に浮かぶようだ。

「この件に関しては由乃に言っておく」
「ちゃんとお願いしますよ。こっちだっていつもフォローできるとは限らないんですから」
「それも含めて感謝してる」

 ちさとと由乃の仲は悪い。はっきり言って悪い。きっと嫌い同士なのだろう。だがそれでも由乃を支えてくれるちさとには頭が下がる。
 そしてバカな令は「ちさとちゃんは優しい子だから」としか思っていない。仲が悪い理由もわかっていない。
 伝わらないものである。

「――談笑中ごめんなさい」
「…っ」

 令とちさとは弾かれるように同時に振り返った――背後から声をかけてきた人物の気配を、まったく感じなかったからだ。
 不意打ちでも仕掛けられていたら、回避できなかったかもしれない。
 一瞬の死線に触れたような気がして、二人の緊張感は一気に高まった。

「支倉令さん」

 そこには一人の女生徒が立っていた。距離にして2メートルほど。ここまで接近され、目視さえしているのに、それでも気配が希薄である。
 相当な使い手。知識や情報による裏付けなど必要ない、一目見てわかる危険な相手だ。
 名前は、確か、

「“冥界の歌姫”、だったかな?」
「ええ。蟹名静。話すのは初めてよね?」

 優雅に微笑む静は、ちさとも見覚えがあった――その時は特にどうとも思わなかったが、こうして対峙するとはっきりわかる。
“冥界の歌姫”蟹名静。ただ立っているだけに見えるのに隙はなく、敵意も害意もないのに、瞬きする間に仕掛けてきそうな危うさを感じ、本能が最大級の危険信号を発している。
 基本的に二つ名持ちは、それぞれ強いか、一癖二癖はある厄介な異能持ちである。この“冥界の歌姫”も例外ではなく……いや、強いという一点においては例外中の例外かもしれない。
 もしかしたら、蕾である令や祥子より、強いかもしれない――ちさとは直感的にそう思った。あまりよく知らないが、自身もそれなりの使い手である。相手の力量くらいはだいたいわかる。

「で? その蟹名静さんが、私に何か?」
「それ」

 静は令を――首に掛かった“契約書”を指差す。

「私にいただけるかしら?」
「……意外」

 令は呟く。

「勢力には興味がない、って聞いていたけれど。女帝にはなりたいの?」
「勢力にも女帝にも興味はないわ。でも約束なのよ」
「約束?」
「ええ。それを手に入れたら聖さまが闘ってくれる約束」

 令もちさとも、驚いた。

「……本気?」

 聖。
“白き穢れた邪華”佐藤聖。
 気まぐれで闘うと言われる、恐らく危険度で言えば三薔薇で一番の存在。理屈が通じない辺りは令も不気味なものを感じる。

「それを渡せば、本気か冗談かもわかるわよ?」

 華の名を語る者ならともかく、三薔薇に挑もうという猛者がここにもいた。
 さすがリリアン、兵どもがゴロゴロしている。

「……できれば、あなたと白薔薇の勝負、見届けたいんだけどね。勝敗はどうあれきっと良い死合いになるだろうし」

 と、令は苦笑する。

「でも、黄薔薇の蕾として、ただで渡すわけにはいかないかな」
「でしょうね。だから奪うことにするわ」

 当然、そう来るだろう。一縷の望みで「そういう約束があるから渡せ」と交渉はしてみたのだろうが、期待できないことくらい最初から静もわかっていたはずだ。

「ちょっと待ってください」

 いつ戦闘が起こっても不思議じゃないくらいの緊張感が張り詰めた時、ちさとは鋭い声を発した。

「静さま」

 呼びかけられた静は「何?」と、令から目を逸らさず返答した。

「私が先です」
「先?」
「令さまと闘いたいなら、私を倒してからにしてもらえますか、と」

 ここで静はようやくちさとに視線を向けた。漆黒の瞳がじっとちさとを見詰める。

「……相手の実力がわからないほど未熟には見えないけれど」

 わかっている。静に敵わないことくらい、ちさとだってすぐにわかった。
 だが、それでも、だ。

「尊敬する先輩の露払いくらい買って出なくて、何が可愛い後輩ですか」
「……ふうん。可愛い後輩、ね」

 静は「自分で言うとは積極的ね」と笑った。――通じたのだ。

「ちさとちゃん」
「令さまは黙って見ててください。私の闘いが先です」

 令は心配げだった。――やはり通じていなかった。




「――つまり、やっぱり“QB”とは、空間を圧縮する、という解釈でいいのね?」
「ええ、そうです。……というより、“空間を操る”という全てを“QB”と認識した方がより正しいかもしれませんけどね」

 胡散臭い顔の“複製する狐(コピーフォックス)”の話を、ベッドを二つ占領して聞いている乙女が三人。
 華の名を語る者“鳴子百合”、黄薔薇勢力総統“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”、そして最後の乱入者である“玩具使い(トイ・メーカー)”島津由乃だ。
 話の内容が内容なので、絶対に誰かの耳に入ることは避けたい。そう考えると、ここで取引を済ませてしまう方が良いと判断した。特に“契約書”を持つ者が一名ほどいるので、この状態で下手に校内を歩けば、ステルス系の尾行が付くことは必至である。変に動くよりはここ保健室の方が安全だろう。

「そうか、空間を操る、か。“瞬間移動”はあくまでも能力の一つで、攻撃用の能力は別にあると思ってたけど」

 ふとんの上であぐらをかく由乃は、なるほどなるほどと納得する。
 かなり興味深そうな取引が行われると聞いて、由乃も混ぜてもらったのだ。“契約書”を取りに来た由乃だが、すでに所持者が“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”に移っていたので、することがなくなってしまった。
 まだ“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”とは闘えない。やりあえば今後2、3日は動けなくなるほどボッコボコにやられてしまうし、争奪戦じゃなくても彼女とは闘えるので、優先順位的に焦る理由はない。彼女と闘うくらいなら“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”への挑戦や、普段ならできない“輝く紅夜の蕾”小笠原祥子に挑みたいところだ。

「総じて、って感じに近いと思うわ。――もっとも、他の能力がないとは限らないけれど」

 由乃と同じベッドに腰掛けている“複製する狐(コピーフォックス)”は、そう補足を加えた。

「問題の攻略法は? なんか確立してるの?」

 隣のベッドで向き合う“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”が言うと、その横に座る“鳴子百合”が「それだ」と言わんばかりに頷く。

「私は三段階まで知っています」
「三段階?」
「いいですか? 黄薔薇は少なくとも、三段階までは実力を見せません。
 1、見えない爆弾“QB”を避けられること。
 2、“瞬間移動”で逃げる黄薔薇を補足できること。
 この2までは、“鳴子百合”さまがさっき見せてくれましたよね?」

 そう、逃げる黄薔薇を追い詰めることはできなかったが、1の“QB”を避ける、は成功していた。

「“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”さまは知っているでしょう?」
「“反射”」

 本人自身の苦い思い出と共に、“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”は苦い言葉を吐き出した。
 飛び道具を得意とする“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”に対し、黄薔薇・鳥居江利子は飛び道具全てを“反射”して、使用者に返してきたのだ。
 いわゆるカウンターだ。
 それも相手が強ければ強いほど威力を増す類の。
 そして“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”は、普通に「ただの“反射”」と解釈していたが、“鳴子百合”の得た情報と併せるに、「空間を捻じ曲げることによって成立している」ことを知った。本人は、だからどうした、という気もしているが。

「そうです――と言いたいところですけれど、厳密には違うんですよ」

“複製する狐(コピーフォックス)”の推測は、こうだ。

「“瞬間移動”による向きの変更」
「「あ」」

 声を発したのは、向こうに座る三年生二人だ。

「まず“瞬間移動”についておさらいしますよ。
“瞬間移動”は字の如くの能力です。個人差はあるものの、移動距離は10メートル前後が最大だと言われています。長距離を移動するなら、移動からまた移動を繰り返すことになりますが、障害物を無視して目的地まで一直線で行けることが最大の利点でしょう。
 次に、使用者が触れていれば、距離は落ちるものの、荷物や人も一緒に移動させられます。積載量だとか体積量だとかは、これまた個人差があるそうです。
 そして最後に、かなり距離は短いものの、細々した物なら物質のみを“瞬間移動”させられます。
“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”さまが“反射”と結論付けたのは、実はただの“瞬間移動”による方向変換だった、というのが私の推測です」

 その言葉には説得力があった。由乃は、江利子が「弾丸が細剣で跳ね返されて床に到達する」という瞬きさえ許されない極僅かな時間しかないのに、それでもピンポイントで“瞬間移動”を仕掛けられるほど器用であることを知っている。
“反射”したと見せかけて、実は向きを変えられただけ。
 実に人をバカにしたトリックである。だが力の抜け方は江利子らしい。

「つまり、飛び道具とは相性が悪いってこと?」

 電気を飛ばす攻撃方法も基本の内である“鳴子百合”は、やや不安げに問う。直接攻撃でもいいが、それでは絶対に追いつけないだろう。

「かなり悪いですね。ただ、“瞬間移動”させられる物質は、あくまでも細々した物に限ります。どれくらいだろう……コンビニおにぎりくらいって聞いたことあります。いくら力量の優れた黄薔薇でも、せいぜいそれの一回り大きいくらいが最大なんじゃないでしょうか」

 由乃が「わかった」と指を鳴らした。

「だから電気レーザーは“反射”できなかった」

 よく中庭観戦をしている由乃は、轟音が校舎を揺らす前からちゃんと見ていた。

「そうだと思う」

“複製する狐(コピーフォックス)”ももちろん見ていた。
 当人が「雷音」と名付けたあの電気レーザーは、とにかく巨大だった。人の身の丈ほどもあるような光線が、由乃の弾丸を比べれば豆鉄砲に等しいほどの桁違いのパワーとスピードで空気を薙いでいた。放出は1秒も続かなかったが、由乃はその圧倒的な力の大きさに驚いたものだ。
 しかし惜しむらくは、それを発生させるまでが長いことだ。あれでは正面から仕掛けるのでは当たらないだろう。むしろ相手によっては攻撃チャンスになってしまう。当たれば強力、なんて博打性の高い技は、使い勝手が悪そうだとしか思えない。

「“QB”感知、逃げる黄薔薇を追う、飛び道具系のカウンター。この三つの段階を超えた先からが、本当の黄薔薇との対決になります。逆に言えば三つの課題をクリアできないと勝機はない、ということになりますね」

 そうなるだろう。――謎が解けたと思えば、勝機の見えない状況から更に勝機が遠のいたような気がするのは、あながち気のせいでもない気がするが。
 厄介な相手である。そこらの二つ名持ちでさえ、せいぜい一つ二つクリアするのが関の山だろう。由乃に至っては“QB”感知さえ覚束ないのに。

「最後に、“鳴子百合”さまが倒された時の攻撃」
「…………」
「あの時、黄薔薇はかなり接近していました。なぜか? “いつもの”ではなく、もっと大きな“QB”を使用したから」
「もっと大きな?」
「黄薔薇が普段使う“QB”は、ちょうどテニスボールくらいですよね? それを自分の側に作って、“瞬間移動”で相手の近くに配置する」

 確かにそうだった、と“鳴子百合”は過去の光景を思い出す。突然発生しているように思えたのは、“瞬間移動”でやってきていたからだ、という推測は間違っていないみたいだ。

「そして最後には、たぶん仕損じのないように、直接叩き込みに来た。“鳴子百合”さまは“QB”を感知できる。だから最後のは避けられないように」
「……うん」
「ここで一つの推測が成り立ちます」

 由乃もわかる。

「水のようなもの、でしょ?」
「へっへっへっ。さすが由乃ちゃん」

 そう、水のようなもの、なのだ。

「水?」
「空間の圧縮量には限界がある、ってことですよ。あくまでたとえですけど、2リットルくらいと考えてみましょう。普段使う“QB”は100ミリリットル程度で、上限2リットルを超える量は使用できない」
「あ、そういうことね」

“鳴子百合”は頷き、

「最後に私がやられたのは、500ぐらいだったってこと?」
「そうです。――というより“瞬間移動”で移動させられない圧縮量だった、って感じですかね。リットルの話はたとえなんで」

 つまり、だ。

「色々まずくない?」

 言ったのは“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”だ。

「その2リットル全開を“瞬間移動”で接近された上に直接叩き込まれたら、どこに当たっても致命傷じゃない?」

 その通りだ、と由乃と“鳴子百合”は思った。“瞬間移動”とは速いだのなんだののレベルではない。文字通りの瞬間移動なのだ。タイミングによっては当然のように背後を取られてしまう。
 が、絶望に対する“複製する狐(コピーフォックス)”の返答は違った。

「逆でしょう」
「逆?」
「向こうから近づいてくる。手の届くところへやってくる。黄薔薇の“瞬間移動”を先読みさえできれば、相手は避けようがないタイミングで仕掛けられることになるんじゃないですか?」

 ――見えた。
 ほんの僅か、髪の毛一本分ほどのか細い勝機が、見えた。

「さすが……」

 由乃は誰にも聞こえない声で呟いた。
 ――“複製する狐(コピーフォックス)”。胡散臭いしあやしいし癖のある人物だし、特に人をバカにしたような態度が癪に障る曲者だ。が、異能の特性自体が示すように、頭を使わなければ闘えないような異能を扱うだけに、頭の回転はかなり速い。

「それと、もう一つ推測があるんですけど、聞いちゃいます?」
「何もったいぶってるの? 早く言いなさいよ」
「ついでに参加してる人に文句言われる筋合いないです」
「まあまあ“狐”のおねえさま、落ち着いて」

 とにかく今は一つでも情報が欲しい由乃は、仲裁に入って先を促した。たとえ仮説だろうと聞く価値はある。

「もう一つの推測は、空間だけじゃないかも、ってこと」
「……空間だけじゃない?」
「“QB”の謎は『空間を圧縮する』ってことで間違ってないと思う。でも『空間を圧縮する』って、実は『物質を圧縮する』より難しいのよ」

 そういうものだろうか。

「由乃ちゃんは知ってるでしょ? 『物質を圧縮する』のは、“小さな暗殺人形(ミニチュアドール)”だってできるんだから」
「あ、そうだった」

 かのライバルは、平然とそれをやっていた。しかもポケットに入れて持ち運びまでしていた。力の弱い由乃には到底不可能だが、どっちかと言うと「物質の圧縮」の方が簡単な気はする。

「じゃあ黄薔薇はなぜ『物質ではなく空間を圧縮する方を選んでいるのか』という疑問が浮上する。なぜか?」
「「“QB”に圧縮した物質の色が付くから」」

 由乃と“鳴子百合”が声を揃えると、“複製する狐(コピーフォックス)”は満足げに、かつあやしげに笑った。

「無味無臭の爆弾だから“QB”と呼ばれる。でもそれは『物質を圧縮できない』という証明ではない。たとえば砂を圧縮して爆弾にしたら、当たらなくても目潰しには使えるかもしれない。その他の物質でも、爆弾にして四方に飛び爆ぜるのであれば、それだけで“QB”の殺傷能力を超えると思う。
 この辺が黄薔薇の本気モードに関わると思う、というのが私の推測。――ま、私にはどうでもいいことだけどね。黄薔薇に挑むほど命知らずじゃないし」

 と、“複製する狐(コピーフォックス)”はなんとなく話を閉めた。
 思いがけず貴重な話を聞けたな、と由乃は息を吐き、本来の取引相手である“鳴子百合”は思案げに眉を寄せている。今得た情報を整理中なのだろう。
“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”の表情も、微妙だ。

「江利子さん強すぎない?」

 言いたくなる気持ちは全員がよーくわかっていたが、この面子で一番強い、リリアンで確実に十指に数えられるだろう人には言って欲しくないセリフだ。

「でもそんな黄薔薇を前に、紅薔薇と白薔薇は肩を並べているわけでしょう? 本当に山百合会は化け物揃いだ」
「まったくだね。なんで同学年にあんな連中がいたんだか」

 三年生が愚痴ってる。だが由乃から言わせれば、“鳴子百合”と“銃乙女(ガン・ヴァルキリー)”も充分化け物なのだが。頂上はまだまだ果てしなく遠そうだ。

「“狐”のおねえさま、“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”の情報ってあります?」
「何、由乃ちゃん? やっぱり再戦する気?」
「当然。今しか闘えるチャンスなさそうですから」
「あっそー。へー。すごい楽しみ」

 声ははずんでいるものの顔は胡散臭い。相変わらず掴み所のない人だ。

「で、情報? あの人の場合はあまり捻りが入ってないから、見た通りの解釈でいいんじゃない? 昨日の由乃ちゃんの動きで間違ってないと思う」
「はあ……でも最悪ですよ。ガード一発で左手持って行かれましたもん。割りに合わない話です」

 あの動きも、わかる人が見ればわかる。己を超える猛スピードで迫る“紅蓮の魔犬(ケルベロス)”と、そのスピードの乗った拳。おまけに炎。一瞬のひるみを見せたり見切りを誤って正確に拳を掴めなければ、受け止めるどころか勢いそのまま顔面まで強引に押し込まれていただろう。
 由乃の動きの練度は高い。ただ相手が軽く由乃を上回っているだけだ。
 しかし、負けることがわかっていてなお再戦を望むのだから、呆れた戦闘狂である。




 闘う者のたしなみとして、昼食は物足りないくらい軽めで済ませるか、食べないのが普通である。食事を取った直後に戦闘に入ると、どうしても動きが鈍ってしまうからだ。
 腹を空かせた獣達が、必然的に「駅前のラーメン屋って知ってる? 付け麺の。すごい美味しいらしいよ」「いやいや。ここは一発、肉でしょう。私のように強くなりたかったら肉を食べなさい。肉食え肉」「だからそんなに血の気が多いんじゃないですか?」「間を取ってチャーシューメンってことでいいんじゃない?」「それは間なのか……?」などと食欲全開トークをだらだら始めたところで何ら不思議はない。




 校内屈指の四名がだらだらした時間を過ごしていた頃。
 中庭では、“冥界の歌姫”蟹名静と、“疾駆戦車(スピード・マシン)”田沼ちさとの雌雄が決しようとしていた。











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