【3234】 見た瞬間に崩れ落ちた  (福沢家の人々 2010-07-31 19:00:20)


「Happy birthday」第8話(最終話)


翌朝、日野秋晴、彩京朋美の部屋の前


「朋美ー、起きてるか?」


 部屋の前。ドアを何度ノックしても呼びかけても、応答がない。
 ……勝手に入ってもいいものだろうか。
 ここで最も警戒すべき事態は、ドアを開けたら着替え中の朋美とバッタリ、みたいなお約束な展開だ。
 そんなことになったら何もかも終わるだろうなあ。バイト代没収どころじゃ済むまい。信用ガタ落ちだ。


「……呼んだからな。入るぞー」


 高らかにそう宣言してから、ゆっくりとノブを回し、部屋を覗き込む。
 誰もいない。
 ……それもそうか。タンスもない部屋で着替えができるわけがない。
 他の場所にいるのか、とちらっと考えたとき、部屋の奥にさらにドアが二つあるのに気づいた。
 なるほど。寝室とかが別になってるのか。さすが大邸宅。
 二つのドアのうち一つは寝室だろうが、もう一つは……何だっけ、ほら部屋全体がクローゼットになってる。あいつ服いっぱい持ってそうだからな。


「おーい。いたら返事してくれー」


 一方のドアの前に立ち、さっきと同じように念入りに呼びかけとノックを繰り返す。やはり応答はない。
 ひょっとして、まだ寝てるとか?
 朋美にしては考えにくい事態ではあるが……、もしそうなら早いとこ起こさないと。


「開けるぞ……」


 意を決してドアを開けた。
 ――と同時に、まるで連動するかのようにもう一つのドアも開いた。
 もちろん扉がひとりでに開くはずもなく、隣のドアを中から開けて出てきたのは……。


「……秋晴?」
「え……」


 そう、やっぱり朋美……だったのだが、格好がありえない。
 ありえないっていうか、そもそも何も着ていない。
 それになんか湯気出てるし、なんか濡れてる。張りのある白い肌に水滴が弾かれ、ツーッと滑るように伝っている。
 まあ、もっともバスタオルのおかげで肝心なところは隠れて……ない!! 首にかけてるだけだからあんなところやこんなところが無防備にも程があるってくらいチラチラと見え隠れしててっていうかつまりは全然もってガードしきれてない!


「キャ――――――――!」


 ↑これ、俺の叫び声……。
 朋美の声は聞き取れなかった。俺の声にかき消されたのかもしれないがそもそも聞き取る余裕なんかない。
 開けたドアに一目散に飛び込んで中から閉め、床に正座して頭を擦りつけた。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」


 ホラー映画のヒロインのようにとにかく謝りまくる。
 土下座なんかしたって朋美には見えっこないのだが、せめてもの誠意だ。
 ……うわああああ、やっちゃった、やっちゃったよおおおお。
 着替えを覗いたどころの騒ぎじゃない。……風呂て。裸て!


「秋晴……。そこから出てきて」


 扉越しに聞こえた声は驚くほど平坦で……、そう、まるで温度が感じられない。


「わ、わかってる! どんなお叱りも甘んじて受ける! けどその前に服を着てくれ! 頼むお願いだ!」
「だから、服を着たいから出てきてちょうだい」
「へっ……?」


 顔を上げて室内を見回す。
 ……あった。ベッドの他に、でかいタンスが二つ並んでいる。
 なんてこった。こっちが寝室なのは正解だったけど、もう一方が衣裳部屋だなんて大外れじゃないか。
 ということはつまり、だ。朋美に服を着てもらうためには、もう一度ドアを開けなくちゃならない、すなわち一糸まとわぬ朋美と再びごたいめ〜んしなくちゃならないわけで……。
 ああっくそう! 何の試練なんだよこれは!


「バスタオルならちゃんと巻いたから。……もう、このままだと風邪引いちゃう。開けるわよ?」
「まっ待て……!」


 ドアノブを押さえようとしたが時すでに遅し。外から扉が開けられる。
 というか、タイミング悪すぎた。


「いでぇえ!」
「きゃっ。……って何してるの」


 突如開いたドアのノブに顔面を強打し、痛みに悶絶してその場にうずくまった。
 まあ、おかげで朋美の裸体を視界に入れずに済んだから怪我の功名かもしれない。
 驚いた様子で立ち尽くす朋美から逃れるように、ぶつけた顔面を押さえながら這いつくばって寝室を抜け出した。


「……バタバタしたから言うの遅くなったけど、おはよう」


 しばらくして寝室から出てきた朋美は、もうキチッとした制服姿だった。
 ていうか……、表情が普通すぎる。普通すぎて怖い。


「あ……ああ、おはよう。……怒らないのか?」
「裸見たこと? まあ、今さらあれこれ言ったって仕方ないし。事故よ事故」
「そうは言ってもな……。いっそ殴ってくれた方がけじめがつくんだが」
「嫌よ。こっちの手が痛いだけだもの」


 それはごもっともだけど……。


「そりゃ、秋晴がわざと覗こうとかしたんなら容赦なく怒るけど。……違うんでしょ? ちゃんとノックしてから入ったのよね」
「まあ……」
「けど私はシャワーとかドライヤーの音で気づかなかった。それに、秋晴の感覚からすれば、子ども部屋の中に浴室があるなんて予想もしなかったんじゃない?」
「それもその通りだが……」
「うん、だからこれは私のせい。気にしないで」


 ……。なんていうか、俺って最低だな。
 女の子の風呂上がりを見ちまったのに、逆に気を遣わせるなんて。


「でも……ごめんな、朋美」
「ふふっ。もしも申し訳ないと思ってくれてるなら、さっさと水に流して。忘れて。一応……恥ずかしかったんだから」
「……わかった、そうする」


 正直、自信なんかないけど。
 一瞬しか見なかったとしても、如何せん裸だからなあ……。インパクトのある情報ほど記憶に残りやすいわけで。
 だけど、朋美がそれで手打ちにしてくれるって言うなら、それこそ最大限努力しよう。


「で、どうだった?」
「何が?」
「もう。だからその、私の……体」
「……はい?」
「あのね。見るもの見たんだから、感想の一つでも言いなさいよ。割に合わないじゃない」
「んなこと知るか! っていうかこの空気で感想なんか求めんなよ! さっさと忘れろとか言ったくせに今度は思い出せってか?!」


 シリアスにしたいのかドタバタにしたいのかどっちなんだ!


「つーか感想ってなあ……。……ま、まあ、なかなか……」


 率直に言えば……なかなかどころか、かなりのナイスバディだったと思う。
 予想以上にその、丸みというか凹凸というか成長著しいというか、まあ素直にドキドキとかしたし、とくに……ってこんなこと本人目の前にして言えるわけがねえ! しかもさっきから何リプレイ映像流しまくってんだよ俺の脳! スポーツハイライトじゃねえんだよVTR止めろ!


「だーーっ! やっぱり感想なんか言えるか! 無理っ……! 俺には無理!」


 体じゅうをナメクジが這うような感覚に堪えきれなくなって叫んだ。
 くっ、裸見た感想言わされることがこんなに恥ずかしいなんて……。


「なんだ、つまんないの。……ところで」
「はっ、はい、何でしょうか朋美さん」
「声が裏返ってる……。なんでその、今朝もその格好なの?」
「その格好って? ……ああああ!!」


 メイド服だよ俺!
 そうだったよ、昨夜疲れてたから脱がないでそのまま寝ちゃってたの忘れてたよ!
 いやいやいや、だからって今の今まで気づかないって絶対おかしいだろ!


「本当に気に入ったみたいね。女装」
「ちっ、違う! 断じて違う! 誤解だあっ!」
「今日学校で話しちゃおっかなー?」
「やめてください本当にそれだけはお願いしますこの通りですどうかお許しをー!」


 女装どころか、俺が朋美んちに泊まったとか二人っきりだったとか全部バレちゃうから!


「冗談。……だけど、メイド服で来てくれてよかったかも」
「……ん?」
「さっきね、秋晴がその服じゃなかったらもっと慌ててたと思う。でも『秋晴ちゃん』だったから、見られても別にいいか、って。少し冷静になれたの」
「そうですか……」


 ということは、着替え忘れたのも結果オーライってことなのか?
 だとしても……だとしてもだな。見られてもいいとか言われるとやっぱり複雑なんであって。


「それと、忘れないうちにこれ」
「ん? 封筒?」


 開けると中には現金が。生まれて初めて手にする給料である。


「って、多すぎだろこれ……!」
「そんなことないと思うけど? うちのメイドの日当よりは低いし」
「いやそこを基準にするなよ」


 高校生のアルバイトの相場ってものを考えてほしかったんだが……。
 しかも俺のしたことなんて、大した仕事じゃないというか、半分遊んでたようなものだったのに。


「いいから受け取って。諸々も込み、ってことで」


 諸々って何だよ、とは聞かなかった。……朋美が笑ってたから。
 黙ってありがたくいただくことにする。


「ほら、秋晴も着替えてきて。それとも……そのまま学校行きたいとか?」
「そんなわけあるか。あと一応言っとくけど、あの部屋にブラ置きっぱなしだったぞ」
「あ、忘れてた。……よかったじゃない、ラストチャンスよ」
「何のだー!」


 とまあ、すっかりいつものノリに戻ったわけで。
 その後は、朋美が作ってくれた朝食を食い、一緒のバスで学校に行った。……俺は恥ずかしいから時間ずらしたかったんだが、「たまには余裕を持って登校しなさい」とすっかり優等生にチェンジした朋美に無理やり引きずられる形で。
 始業のチャイムが鳴り、何事もなかったかのように新しい一日が始まる。


 そして、週明けの月曜日。


「……何やってるの。今日も金欠なわけ?」


 放課後。誰もいない教室で机に突っ伏していると、朋美が入ってきた。
 随分と待たされたが、一応ここまでは狙い通り。


「いや違う。おまえを待ってた」
「は?」
「先週は世話になったからさ。礼の一つでも言わなきゃなって」
「別にいいのに。あれは……ただのアルバイトだったんだし」
「……建前上はな。でも、俺には楽しい一日だった」
「何? メイドの格好ならいつでもさせてあげるけど?」
「そっちに目覚めたって意味じゃない」


 相変わらず素直に受け取らないやつだな……。
 だが今日は気にしない。今までは俺も俺だったって思うし。


「それで、お目当ての物は買えた?」
「お蔭様でな。というか、今日持ってきた」
「そうなんだ? あ、見せてくれるって約束してたものね」
「と言うより……もらってほしい。朋美に」
「えっ?」


 目をぱちくり。うん、いい反応だ。


「な、何言ってるの。秋晴が欲しい物を買ったんじゃないの? バイト代は労働の対価なんだから、私にお返しなんて別に――」
「いいや、最初からおまえ用に買ったんだ。今日誕生日だろ? だからこれ……」


 机の中に隠していた小さなラッピング済みの箱を、サッと取り出して朋美の手に握らせた。
 そのときの驚き慌てふためいた顔は、当分忘れられそうにない。





「Happy birthday 朋美」





了。


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