『マリア様の野球娘。』(『マリア様がみてる』×『大正野球娘。』のクロスオーバー)
【No:3146】【No:3173】【No:3176】【No:3182】【No:3195】【No:3200】【No:3211】
(試合開始)【No:3219】【No:3224】【No:3230】【No:3235】(【No:3236】)【No:3240】【これ】【No:3254】(完結)
【ここまでのあらすじ】
大正時代に連れて行かれ、帰れなくなった福沢祐巳の帰還条件は大正時代の東邦星華女学院桜花会と平成のリリアン女学園山百合会が野球の試合をする事であった。
試合は現在七回表を終え、東邦星華は月映巴が投打に活躍し7得点。対するリリアンは支倉令のホームランなどで4点と追い上げる。
志摩子の限界が近づいてきた。
七回裏、祐巳にヒットを打たれ、続く乃枝さんにフォアボール。ノーアウト一、二塁。
スポーツは体育の授業以外ではやらない子なのに、ピッチャーに抜擢されて、「祐巳さんのために」と弱音を吐かず頑張ってきた。花寺の山道を登っていたときも一人、息を切らしていなかったくらいスタミナがあるが、実戦となると疲労の度合いが違う。
本人が決めたようだ。蓉子さまに決めてあった降板のサインを送っていた。
「タイム」
蓉子さまが駆けよってきた。内野はもちろん、外野も集まる。
「申し訳ありません。これ以上ピッチャーは無理です」
志摩子は頭を下げた。
「いいえ。あなたはよくやったわ」
ボールを受け取りながら、蓉子さまは言った。
「……ファーストに戻った方がいいわね。乃梨子ちゃん、由乃ちゃん、よろしく」
「はい」
「もちろんです」
乃梨子ちゃんが「ナイスピッチ」と言って志摩子を支える。
「では、次は──」
「私が投げます」
祥子は言った。
「こっちが勝つためには九回裏の3アウトを取るまで投げなくてはいけないのよ。あなたはリリアンの守護神、あなたの後に投げさせるピッチャーはいない。わかっているのね?」
蓉子さまが確認した。
「もちろんです。私はこのためにこの二週間、やれるだけの事はやってきました」
全員を見回す。
「ここから祥子でいこう。もし、一点でもやれば本当にまずくなる」
聖さまが言った。全員がうなずいた。
「じゃあ、江利子はサードで」
「任せて」
全員で確認すると、祥子に託してそれぞれの守備位置に移動した。
祐巳が二塁で待っていると、集まっていた山百合会が解散して、祥子さまだけがマウンドに残った。ここからは祥子さまが投げるようだ。
他は、と思って見回すとショートの瞳子ちゃんと目が合った。
「瞳子ちゃん」
「話しかけないでください。私と祐巳さまは敵同士なんです」
プイ、と瞳子ちゃんはそっぽを向いた。
「つれないなあ。試合中は敵かもしれないけど、試合が終わったら仲間じゃない」
「私と祐巳さまがなんの仲間だというのですか? 私は山百合会の役員でもなければ誰かの妹でもないんですから。いってみれば、現在の祐巳さまと桜花会の関係みたいなものです」
要するに、自分は助っ人で一歩引いた立場だと言いたいらしいが、祐巳は違和感を持った。
瞳子ちゃんは祥子さまの親戚だと主張して薔薇の館に頻繁に上がり込み、学園祭の時も可南子ちゃんにくっついてきて劇に出てくれた。いつの間にか薔薇の館にいてもおかしくないくらいの関係だと思っていたのに、それを今さら拒否するかのように言うなんて。
「どうしたの? みんなと練習してて何かあったの?」
「何も。皆さま優しくしてくれます」
予想していた返事が返ってきた。
練習じゃないとすると試合の中身か。たしかに瞳子ちゃんはKOされてしまったが。
「まだ試合は終わってないじゃない。試合中にふてくされるのはよくないなあ」
「放っておいでください。試合の結果なんてもう見えています」
「何言ってるのよ。最後のアウトの瞬間まで試合はわからないものよ。ドラマティックな逆転劇があるかもしれないじゃない」
それは祐巳の方が負けるかもしれないという意味にもなるのだが、するっと口から出た。
「いいえ。そんな話、そうそうありません。祐巳さまは能天気すぎる。自分の思い描いた通りに全うできることばかりじゃありませんよ」
「……うん?」
「こうなりたいと思う事と現実の間にはギャップがあるんです」
そんなに打たれたのが深刻だったのだろうか。
瞳子ちゃんの表情からは読み取れない。
「ええと?」
「今日は本当は五回まで投げる予定でした。練習して、その成果をすべて出そうと思ったのに。指示されたところに指示された通りに投げたボールはことごとく違うところに向かっていってしまった。ストライク一つ満足にとれない。そうして、どんどん失点して、ご覧のとおりです。野球の試合ですらそうなんですから、ましてや人生なんてもっとうまくいくはずがない」
祐巳が何か言おうとした時に打球音がした。
とっくに試合は再開していたらしく、乃梨子ちゃんがフライをキャッチしたのが見えて、頭から滑りこんで戻る。
「セーフ」
起き上がり、見ると、瞳子ちゃんはマウンドの方を見つめていた。
打たれたせいで相当自信がなくなってしまったのだろうか。人生までうまくいかないだなんて。それとも何かあったのだろうか。
近くにいるのに、瞳子ちゃんとの距離が遠くなった感じがした。
「瞳子ちゃん」
呼びかけたが、スルーされた。
このまま瞳子ちゃんが遠い存在になってしまうのは嫌だ。
しかし、今は試合中、話をすることもままならない。
こうなったら何が何でも平成に戻って瞳子ちゃんとゆっくり話をしよう。
そう決めて、試合に集中しようとマウンドに目をやると、祥子さまが優雅なフォームで投球していた。
「うわぁ……」
ため息が出るほど綺麗。
一つ一つの動作が決まっていて様になっている。球は力強く疲れなど感じさせない。黒く艶やかな長い髪がなびく。
祐巳のリードを確認してる。目が合った瞬間微笑んだ。
(見ていて)
今日、目があったのは初めてだった。
言葉を交わさないのに心が通じた。
「あと1アウト!」
向かっていくようなピッチング。なんて格好いいお姉さま。
ゴロをさばいて3アウト。
引き上げ際、祥子さまは不敵に笑っていた。
八回表、桜花会は後の祖母の晶子が再登板し、守備位置を戻してきた。
祥子はベンチの前に出て叫ぶ。
「応援、用意! せーのっ! 飛ばせ! 飛ばせ! 聖さま!」
体育祭で覚えたものが役に立つとは。あの学ランも持ってくれば……それはちょっとやり過ぎかしら、と笑う。
皆も振り付けを真似して覚えてくれた。
「よっしゃーっ!」
由乃ちゃんが叫ぶ。
聖さまヒットで祥子の打順。手堅く送って一死二塁。続く志摩子の打球が引っ掛かる。
「あっ!」
一塁エラー。
一死一、三塁のチャンス到来、こちらはわっと盛り上がる。
乃梨子ちゃんがスクイズ狙いで初球を当てるがうまく飛ばず、捕ったのは巴さん。三塁と本塁に挟まれて、飛び出した聖さまは万事休す。
「アウト!」
一塁、乃梨子ちゃんは間に合った。
すると晶子が切り札を使ってきた。
ナックルボールと呼ばれる変化球で、由乃ちゃんの予想通りだが、予想した当の由乃ちゃんは空振りする。
どこへいくのかわからない魔球の連投。
三球目、ガクンと落ちて、ワンバウンド、それを由乃ちゃんは空振り三振。
「ああー」
「抑えたね、お嬢」
桜花会が引き揚げる。
志摩子と乃梨子ちゃんが戻ろうとした時、由乃ちゃんが叫ぶ。
「志摩子さん! 乃梨子ちゃん!」
走れというジェスチャー。
慌てて志摩子が、塁を踏み直して乃梨子ちゃんが、三人が走り出す。
志摩子がそっと、乃梨子ちゃんが勢い良くホームを踏む。
足がもつれ、何度もよろけ、転びそうになりながら、由乃ちゃんはホームを駆け抜け、主審に告げた。
「振り逃げ、成立ですよね! 二死、ワンバウンド捕球は、内野ゴロと同じ扱いですものね!」
桜花会のベンチが異変に気付いたのは由乃さんが三塁を回った辺りだった。
「なんで、あの人は走っているの?」
由乃さんはホームベースを踏むと主審に振り逃げが成立したとアピールした。
主審がうなずいた。
「えっ!?」
「まさか……」
まさか。まさか。
主審がゆっくりこちらに歩いてきて告げた。
「二死の時、ワンバウンド捕球でバットを振ると、三振ですが、即アウトにはならないのです。あと一死取らなくてはいけません」
「……小梅、あの人に触球した?」
乃枝さんの確認に小梅さんの顔が青ざめた。
「ううん……」
三振イコールアウトじゃない。
そんなの、ありなんだ。
泣いてもわめいても、引っくり返ったりしない。
瞳子ちゃんをアウトにしたけど、とんでもないことになっていた。
山百合会がついに同点に追いついたのだ。
小梅さんは責任を感じて泣きそうになっていた。
「しっかりなさい、小梅! まだ同点よ。負けてはいないわ」
お嬢が励ます。
「そうよ。それに、私の打順だって回ってくる」
巴さんが力強く言う。
「鈴川の打順だって、回ってくる。済んだことでくよくよしないで、取り返せばいい」
環さんが小梅さんのうつむいた顔を両手ではさんでぐっと持ち上げる。
涙が溢れそうになっている。
「勝とう。小梅さんのために勝とう」
祐巳は言った。
「……いいのね?」
雪さんが聞いてくる。
「私はやっぱりリリアンの山百合会の一員で、帰らなくてはいけない。でも、今は桜花会の一員として、皆と勝ちたい。勝って、胸を張って向こうに帰りたい。それはいけない?」
「まさか。そのために出番を譲ったのだからな」
環さんが言う。
「祐巳は誰のものでもないのだから、それが祐巳の意思なのであれば、仕方がないもの。でも」
乃枝さんは全員に力強く言った。
「勝負はそれとは別。この試合、もらうわよ!」
祐巳は手を前に出していった。
「一人はみんなのために、皆は一人のために」
「いい言葉ね」
そっとお嬢がその上に手を重ねる。
「よし、小梅と祐巳のためにもやりましょう!」
乃枝さんが、環さんが、雪さんが、巴さんが、二人の手に手を重ねていく。
遅れて胡蝶さんと鏡子さんも加わる。
「ほら、何やってるのよ」
静さんが小梅さんの手をとって重ねた。
「絶対に勝とう!」
十人で叫んだ。
「ここからが本番よ」
蓉子さまが緊張した表情で祥子に告げた。
「はい。勝ちましょう」
答えると嬉しそうに蓉子さまが笑った。
「巴さんの打順が来るけど、徹底的に攻め抜きましょう」
「もちろんです、お姉さま」
これくらい強気でなくては小笠原祥子のお姉さまではない。
中等部の頃から祥子は蓉子さまのことを見ていた。
その頃から世話焼きでリーダーシップのある優等生の蓉子さまは皆を引っ張っていた。
いつも自信に満ちあふれた表情で、笑っている蓉子さま。
常に満たされず、見えない何かと戦い続けていた祥子。
どう接していいのかわからずに困惑していたクラスメイトは祥子に必要以上に近づくことはなく、中等部までの親しい友人の記憶は去っていった幼稚舎の子がくれたチョコレートの味だけで、楽しく同じ時間を過ごしたというものはほとんどない。
家族だけの狭い社会は多忙を理由に会えない父と祖父、二人の姿がなく寂しそうな母、たまに遊ぶ親戚の子ぐらい。普通に家族で過ごしたいという欲求がそうさせたのか、狭い社会で唯一の歳の釣り合う異性だった優さんとの結婚を望んだが、それは出来ないと優さんから拒絶され、多感な心は深く傷ついた。そして、足りない何かを満たすために習い事に没頭していく。
そのとき声をかけてきたのが蓉子さまだった。
習い事をやっているから山百合会の仕事を手伝ってなんて言えないという。
渇望してきた足りない何かをこの人は持っている。そして、もしかしたら与えてくれるかもしれない。初めてそう思わせてくれた。
だから、すぐに習い事をやめた。
初めての深い人間関係に戸惑い、時には衝突したりしたが、蓉子さまの手を取ったことは間違ってはいなかった。かけがえのない仲間を得、祐巳と出会い、祥子の世界は大きく広がった。
祐巳を助けるため、仲間とともに戦っている。正面には、いつも祥子を受け止めてくれるお姉さまがいる。皆が一緒なら絶対に祐巳を連れて帰ることが出来る。
自信を持って祥子は打たせた。
平凡なゴロだったが、限界まで投げ抜いたうえ、先程の攻撃で必死に走った志摩子には酷だったらしく、弾いた。
乃梨子ちゃんが捕り、祥子がカバーに入るが間に合わなかった。
「ドンマイ!」
奮い立たせるように明るく言う。
ここでうつむいていてはいけない。
これから迎えるのは強敵の巴さん、ここでホームランなど打たれては本当に心が折れてしまうかもしれない。
祥子はボールを見つめた。
無理やり祐麒さんに教えて貰った、あれを使う時が来たようだ。
身体を壊すから、直球を確実に投げられるようにならなくては意味がないから、いろいろ言われたが、脅し、なだめ、懇願し、『一日に3球だけ』という条件付きで習った変化球である。
蓉子さまの目をみた。姉妹にしかわからない微かな変化に気づいてもらえたらしく、微笑んで頷いてくれた。
一球目、アウトコース低めのストレートでボールになる球。
悠然と見逃され、逃げるの、というようにじろりと巴さんが睨んでくる。よく打ち、足も速いのに、目もいいときている。これは手強い。
二球目、アウトコース低めギリギリに入るスライダー。
振ってきたがファールになる。
首をかしげているが、そうしたいのはこちらの方だ。あの球に当て、飛ばすとは。危ない人だ。
蓉子さまが真ん中の高めに構えた。つい打ちたくなる場所に要求するところがお姉さまらしい。
三球目はリクエスト通りにストレート。
三塁線への強打にランナーがスタートし、全員がカバーやバックアップに走り出す。
「ファール!」
「くっ」
ギリギリの際どい球だった。一生懸命にやれば野球の神様が味方をしてくれるという祐麒さんの言葉を思い出す。
全員が元の位置に戻り、次の球は。
「……」
あのミットの位置では「膝に当てろ」といわんばかり。どこまでも挑戦的な蓉子さまだが、祥子も同じことを考えていたのでニヤリとさせられる。
ストレートと同じようにリリースするようにと練習したフォークボールが四球目。
「ボール!」
振らなかった。振れなかったのか、配球を読まれていたのか。さて、次はと思っていたら驚いた。
「え」
全く同じところに構えてきた。
同じ球を続けて投げろと、下手をすれば確実に持っていかれるここを攻めろ、と目が言っている。
ピッチャーにさえ挑むお姉さまの要求にゾクソクしてくる。
頷いて、五球目。
読み通りではなくても、力で飛ばす。さすが大正の怪物。
令がダッシュし飛びこみ、捕った。
「アウト!」
ランナー二塁へ。
目を真っ赤にした小梅さんが次の相手。同情しても勝たせはしない。
容赦なくえぐり、ギリギリで翻弄、最後は力で抑え込む。
もう一人も打ち取って追加点は許さない。
「さあ、反撃といきましょう!」
ライトに飛ばした令が二塁。蓉子さまのバントエンドランでノーアウト一、三塁。
江利子さまの初球スクイズ。読まれていたが小梅さんが遅れた。
「ああっ」
ついに逆転したリリアン。
アウトにされた江利子さまが戻ると令に抱きつき、由乃ちゃんが睨んでる。
ダブルプレーで九回表が終了し、そのリードはわずかに一点。
九回裏一死二塁。
晶子は打席に向かった。
リリアンは疲れ切っているようで、内野が転んで祐巳が出塁、それを乃枝が送った。
小梅は逆転を許したのは自分のせいだとすっかりしょげている。
バッテリーは夫婦、『これを慰め これを助け』というが、伴侶としてここは何とかしなくてはならない。
捕手の後ろ、主審の荘介の方をちらりと見る。今日は憎いぐらいに公平に裁定していく。未来の夫はなんと誠実なことか。
(見ててください)
打席に立ち、祥子を見る。
負けるものかと見返してくる。
渾身の力で振る。
「ストライク!」
「お嬢、ここはバントでも!」
ベンチの声など聞こえない。
二球目。
「ファール!」
追い詰められた。
ベンチでべそをかいている小梅が見える。
うつむいて泣いているなんて小梅には似合わない。
いつでも笑っていて、晶子が不安な時にそっとその手を握って元気を分けてくれる小梅が好きだ。
「タイム」
打席を外し、ぎゅっとバットを握る。
大きく深呼吸する祥子を見つめ、再び打席に入る。
「プレイ!」
晶子は思い切り振った。
──カキーン!
「えっ!?」
捕手の叫びを背に、晶子は走り出した。
右中間に晶子の打球がふらふらと飛んでいく。
中堅の選手が追いついて、壁を登る。
「捕って!!」
「捕らないで!!」
入ればサヨナラホームラン。全員がその打球の行方を見つめていた。
リリアン8−7東邦星華(九回裏、一死二塁)
【No:3254】へ続く