「ごきげ……ん、よう?」
薔薇の館のビスケット扉を開け、いつも通りに挨拶をしようとした祐巳は、視界の中央になんか不思議な物体を発見した。
もじゃっとした巨大な物体。ごしごしと目をこすってみても、その巨大な不可思議物体は消えてくれなかった。
アフロだ、と祐巳は感嘆した。
きょろきょろと周囲を見回すけれど、どこにもカメラクルーの姿はない。ということは、元祖でぶやの撮影ではないようだ。第一、立派なアフロヘアーの下には、リリアンの制服がある。パパイヤさんの制服姿はちょっと勘弁願いたいところだろう。
リリアン女学園にアフロ。これほど奇異な取り合わせもあるまい。リリアンの校則では頭髪に関して「リリアン女学園の生徒として適したもの」としか規定されていないから、本人が「アフロこそ淑女の嗜みなのですわ!」と主張するなら、校則違反ではないことになる。
でもアフロだ。アフロなのだ。
祐巳は思わずそっと近付いて、恐る恐る手を伸ばしていた。
ぽふんぽふんと柔らかな感触。
アフロだ。アフロだった。
すげぇ。
思わずその巨大な物体を、左右からわしっと掴んでいた。
ちりちりの毛先が指に絡みつく。
そこで祐巳は気が付いた。
これは本物ではなく、ウィッグである。
でもなんでわざわざこんなものを?
わしゃわしゃとアフロを掻き回しながら考える。
コントで爆発があったのか?
これからパパイヤブームが来るのか?
ただの趣味なのか?
う〜むと唸りながら、特に嫌がる素振りを見せないアフロを、調子に乗ってぐりぐりとこね回していると。
みょん、と何かがアフロの脇から生えてきた。
「わ」
祐巳は驚いた。
「アフロから何か生まれたっ!」
びっくりして手を離す。
アフロって増殖するの?
でもその割には、新たに生まれた子供アフロ(仮)の形状は、アフロっぽくなかった。カエルの子がおたまじゃくしってくらいに形が違う。
突然変異?
ぷるぷる震えてるそれに恐々手を伸ばし、祐巳はそっと引っ張ってみた。
みょんみょん、って揺れた。
あれ、と祐巳は首を捻る。
なんだろう、この心の吟線に触れてくる、魅惑のスプリングは。
祐巳は何か大事なことを思い出しそうな気分のまま、今度は頭の逆方向から生えているアフロの子供(突然変異体?)を、同じように引っ張ってみた。
やっぱりみょんみょん、って揺れた。
凄い。
祐巳は思わず感嘆した。
アフロの子供って、ドリルなんだ!
新たな発見に身震いする。凄い凄い。これはお姉さまに教えてあげなくては。
いやいや、それよりも先に教えてあげる人がいる。
瞳子ちゃんだ。
瞳子ちゃん、そのままドリルを育てていると、アフロになっちゃうよ。
きっと瞳子ちゃんは知らないのだ。それは大変だ。教えてあげなくては。
祐巳はそこで「ちょっと待てよ」と気付いた。
もしかしたらこのアフロこそが、瞳子ちゃんのドリルが成長した姿なのかもしれない!
ガビーン、とショックを受ける。
どうしよう。男のロマンのドリルなら許容範囲だけど、アフロな妹はちょっと微妙だ。
1年半後にはアフロの紅薔薇さまが誕生してしまう。きっとロサ・アフロとか陰で呼ばれちゃうのだ。
いや、でもしかし、それでも瞳子ちゃんは瞳子ちゃんだ。私はアフロな瞳子ちゃんでも変わらず好きでいられるよ。
……ごめん、それはさすがに嘘っぽい。
「――ええと……瞳子、ちゃん……?」
祐巳が恐る恐る声を掛けると。
アフロでドリルな不思議物体が、ぷるぷると震えながらゆっくりと振り向き――
「やっぱり……」
潤んだ涙目で祐巳を見上げるのは、かつてドリルで名を馳せた松平瞳子ちゃんだった。
「あ……」
瞳子ちゃんは何かを言いかけ、思いなおしたように一旦口を閉じ。
それから。
「え、演劇部の演技力は世界一ぃぃぃぃぃぃ!」
叫んだ。
「と、瞳子ちゃん!?」
「演劇部の演技力は世界一ぃぃぃぃぃぃ!」
「えええ!? どうしたの、瞳子ちゃん!? 瞳子ちゃん!?」
「演劇部の演技力は世界一ぃぃぃぃぃぃ!」
何か物凄くやけっぱちに叫び続ける瞳子ちゃんは、両の眼からドバーッて涙を溢れさせていた。
「演劇部の演技力は世界一ぃぃぃぃぃぃ!」
叫び続ける瞳子ちゃんに、祐巳はがくがくと震える。
どうしよう。
「瞳子ちゃんが……アフロに洗脳されたかも!」
「演劇部の演技力は世界一ぃぃぃぃぃぃ!」
『演劇部の遅刻のバツなのですわ』
落ち着いた瞳子ちゃんがアフロでドリル風味にしょんぼりしつつ、ノートで筆談を始めた。
『演劇部のオキテなのです。遅刻したら放課後、指定した格好で指定したセリフ以外を口にしてはいけない、というルールが』
「なんだ、そういうことなの」
瞳子ちゃんがアフロに寄生されたわけではないと知り、ほっと安堵する。
『名前を呼ばれたら叫ぶこと、というのがルールでして』
「ああ、それで。瞳子ちゃんが壊れたかと思ったよ」
「演劇部の演技力は世界一ぃぃぃぃぃぃ!」
「ぅあ……ごめん」
目に涙を浮かべて睨んでくる瞳子ちゃんに、祐巳は手を合わせる。
しかし……なんてことするんだ、演劇部。
面白すぎるじゃないか。
「それにしても……なんでよりによって、アフロで、そんなセリフを」
『苦渋の選択なのです。もう一つの方は、さすがに……』
「もう一つ?」
『はい』
「それってどんなの?」
祐巳の問いかけに瞳子ちゃんがむっと口をつぐむ。
「……教えてよ瞳子ちゃん」
「演劇部の演技力は世界一ぃぃぃぃぃぃ!」
ダムダムと机を叩きながら瞳子ちゃんが悔しそうに叫ぶ。
うわー、面白ー。
『もう一つは、フリフリのドレスで』
「なんだ、そっちの方がまともじゃない」
『セリフが”祐巳さま大好きー!”なのです……』
「あー……それは。うん。こっちの方がまだ、良かったかもね……」
瞳子ちゃんがそんなこと叫びながら放課後の学園を闊歩する様を考えてみる。
翌日のリリアンかわら版にて『衝撃告白!』なんて記事が載るのは確実だった。
『とにかく、今日の4時がリミットなのです。ですので、それまでの間匿ってくださいませ』
「ああ、なるほど。それで……」
何故瞳子ちゃんがここにいるのか、合点がいった祐巳だった。
特に隠れることは禁止されていないのだろう。薔薇の館であれば、一般の生徒はまずやってこない。事情を話して隠れるには好都合の場所である。
「分かった。他ならぬ瞳子ちゃんの頼みだもんね」
「演劇部の演技力は世界一ぃぃぃぃぃぃ!」
「……やり難いなぁ……」
なんか頭痛を覚えながら、祐巳は軽く頭を振った。
リリアン女学園・演劇部。
ちょっと来年度の活動予算を、大幅に削って廃部に追い込みたくなった。
「――うわ!?」
ビスケット扉を開けるや、由乃さんは一歩下がって驚愕の表情を浮かべ、ぱくぱくと声にならない声を上げた。
うん、気持ちは分かる。いきなりアフロに遭遇したら、誰だってそうなるよね。
「アフロ……? え、なんで? パパイヤ鈴木……?」
呆然と呟く由乃さんに、祐巳は事情を話すために立ち上がり――
ふと、悪戯心を発揮する。
「……瞳子ちゃん」
「演劇部の演技力は世界一ぃぃぃぃぃぃ!」
ぼそっと呟いた祐巳に、瞳子ちゃんは机に突っ伏してダムダムと叩きながら、叫ぶ。
由乃さんの顔は更に驚いている表情だった。
これは面白いかもしれない。
今日は乃梨子ちゃんに志摩子さん。他には誰が来るだろうか?
うきうきと由乃さんに事情を伝える祐巳は、大事なことを忘れていた。
瞳子ちゃんが「演劇部の演技力は世界一ぃぃぃぃぃぃ!」と、おとなしく(?)しているのは、今日だけだと言うことを……。
翌日。
アフロヘアーで「山百合会の結束力は世界一ぃぃぃぃぃぃ!」と叫びながら、中庭を疾駆する紅・白・黄色のつぼみの姿が、多くの生徒に目撃された。