「ゆ〜み〜」
……。
「祐巳?」
……。
「祐巳!」
「は、はい!」
大きな声で呼ばれ、祐巳は慌てて顔を上げる。
「もう、何をそんなにボ〜としているの?」
「あっ、すみません。お姉さま」
「本当に大丈夫なの?」
「はい」
心配そうな表情の祥子さまに笑顔を向ける。
「それなら良いのだけれど、しっかりしなさいね。紅薔薇さまなのでしょう」
「あはは」
祥子さまから、紅薔薇さまと呼ばれるのにはなかなか慣れない。
「最近、マリア祭に向けての準備が大詰めで疲れが出ているのかも知れません」
「……貴女は頑張りすぎるから心配だわ。瞳子ちゃんや志摩子たちともキチンと仕事を分けて、無理をしないように……マリア祭に紅薔薇さまが不在なんて事に成らないようにね」
「はい、お姉さま。心配をかけてすみません」
「いいのよ、私は祐巳のお姉さまなのだから」
リリアン高等部を卒業して大学へと進学なされた祥子さまだが、たまにこうして祐巳とデートをするようになっていた。
リリアン高等部の姉妹制度は卒業で終わりになるようなものではないと、改めて実感する。
「それなら今日は良いから、早く帰って疲れを取りなさい」
「いいえ!せっかくのお姉さまの誘いですから、予定通りにしたいです!」
「無理をしなくても良いわよ、送っていくから」
「いいえ!デートを続けましょう。お姉さま!」
せっかくの祥子さまの誘い無駄にはしたくない。
「そう、それなら今日は海ホタルの方に行きたいの、あと帰りに自動洗車というのもしたいのよ」
「もちろんお供します」
祐巳は拳を作り、祥子さまに行きますとアピールする。
「それじゃぁ、行きましょうか」
「はい、お姉さま」
祥子さまと待ち合わせの喫茶店を出て、少しはなれた駐車場に向かう。
そこには渋い祥子さまの車が駐車されていて、祐巳はすっかり助手席に座るのにも慣れていた。
カーナビを機械オンチの祥子さまに代わって操作する。
「さっ、楽しみましょう」
「はい!」
祥子さまの運転で、ゆっくり車が動き出した。
「はぁ〜」
月曜日、祐巳は溜め息をついていた。
体が少し重い。
昨日は大好きな祥子さまとのデートだった。
はしゃぎ過ぎたか?
「ふぅ」
まだ、女の子の日には早いから、単純に疲れだと思う。
「ごきげんよう、紅薔薇さま」
「ごきげんよう」
良くも悪くも祐巳は紅薔薇さま、挨拶もほぼ出会う生徒からかけられるので、返さないわけにはいかない。
生徒の見本としてマリアさまへのお祈りも欠かせない。
挨拶をしながら薔薇の館に向かう。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、紅薔薇さま」
「ごきげんよう、お姉さま」
挨拶しながら二階のサロンに入るとつぼみの三人が出迎えてくれた。
「白薔薇さまと黄薔薇さまはまだみたいね」
「はい」
三人を代表して、祐巳の妹である瞳子が返事する。
「お姉さま、お茶をご用意いたしましょうか?」
本当に気がつく妹だ。
「いいわ、お水を貰える?」
「はい」
祐巳が指定の席に着くと、瞳子がお水をすぐに持ってきた。
「……どうかした?」
ジッと祐巳を見る瞳子。
「いえ、何だか顔色が優れないように見えまして」
「やっぱり、瞳子には分かっちゃうか。うん、少し気分がよくないね。でも、無理はしていないから」
「……」
「本当だよ」
「それなら良いのですが……」
ニッコと微笑みかけて、ようやく瞳子は祐巳を見るのを止めた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、おっと、私たちが最後か」
そこに白薔薇さまと黄薔薇さまが顔を出す。
「それじゃ、会議を始めましょうか」
紅薔薇さまの言葉で皆席についた。
「あっ!そうだ」
会議の前に、一つ用事を思い出した祐巳。
「瞳子、白ポンチョ持ってきているよね?」
今日の放課後には、二年生の健康診断がある。
三年生は明日。
それで以前、乃梨子ちゃんに聞いた話を思い出した。
「はい、持って来てますが……」
「見せなさい」
「えっ?えぇ?」
ここで見せてなんて言えば何故ですかと言われそうなので、姉として命令する。
「早く」
「は……はい」
祐巳がお姉さまモードなので瞳子は渋々従い荷物から白ポンチョが入っている袋を取り出して、祐巳に渡す。
時間もないので、綺麗にたたまれた白ポンチョを取り出し……絶句した。
しかも、両脇の白薔薇さまも黄薔薇さまも固まっている。
白い元の生地は何処へ、よく頑張ったなと思うくらい刺繍が施されていた。
使えないことはないだろうけれど……。
「没収」
「な、何故ですの?お姉さま!?」
当然、瞳子は文句の声を上げる。
「当然でしょう、生徒の見本である紅薔薇のつぼみがこんなのを着てどうするのよ!貴女、去年もフリルとかつけて先生に注意されたのでしょう。没収」
「な、何故それを?!」
瞳子は、そう言いながらキッと乃梨子ちゃんを睨んだ。
正解。
「でも、紅薔薇さま。それを取り上げると瞳子ちゃんが着る物なくなってしまうわ」
「でも、これは流石にやりすぎでしょう。私たちは当然驚いているし、菜々でさえビックリした顔をしているよ。それどころか、リリアンに来て二年目の乃梨子ちゃんにいたってはドン引いているよ」
白薔薇さまと黄薔薇さま、どちらの意見ももっともな話。
「んっ、だから、これ」
祐巳は自分の荷物から白い袋を取り出して瞳子に渡す。
「瞳子とは背丈が同じくらいだから問題ないでしょう」
「こ、これって!お姉さまのですか?」
「そうよ。明日、洗って返してくれれば問題ないから、今日の検査はそれを使いなさい」
祐巳の白ポンチョを受け取った瞳子は目を白黒させている。
「なに、それとも姉のお古は嫌だと?」
祐巳の言葉に、放さないぞと言うように祐巳から渡された袋を抱きしめる瞳子。
「い、いいえ!確かに、その白ポンチョは刺繍のしすぎですから、ありがたく使わせてもらいますわ!」
「素直じゃないね」
黄薔薇さまの言葉に、瞳子は顔を真っ赤にする。
「そう、それならいいわ。ごめんなさいね、会議を始めましょう」
ちなみに次の日に、瞳子が持ってきた白ポンチョはどう見ても新品だった。
それから数日。
「疲れた顔をしているね、紅薔薇さま」
「蔦子さん……」
カメラのレンズが真っ直ぐ祐巳に向いている。
「マリア祭関係?薔薇さまの最初の大仕事だものね」
「まぁね……」
健康診断では異常なし。
「でも、もう少しだから」
「無理しないようにね」
「わかってるよ」
先生が来られたので蔦子さんは自分の席へと戻っていった。
朝の体調不良は、放課後にはすっかり直っていた。
「由乃さん、私、校内の部活回ってくるから」
「分かってる、それじゃぁ、後で」
由乃さんこと黄薔薇さまはクラブ棟の方に向かうことに成っている。
「紅薔薇さまも黄薔薇さまも忙しそうね」
「実際、忙しいのよ。真美さん、あとで新聞部にも顔出すから、新入生歓迎会の参加用紙用意してる?」
「あっ……」
「あに、その『あっ』て」
「あぁ、大丈夫よ。うん」
「本当に?」
「あはは」
由乃さんと真美さんの話を聞きながら、祐巳は先に教室を出る。
「まずは華道部」
華道部や茶道部、吹奏楽部などいくつかの部活は校舎内に部室があり。同好会にもなれば、ほとんどが校内の教室を借りて行うので部室さえない。
山百合会主催の新入生歓迎会とは別に行われる各部活及び同好会の新入生歓迎会、俗に言う新入生勧誘は各部とも力が入るイベントだ。
「さて、急がないと」
祐巳は、華道部へと向かった。
「お姉さま!」
その途中、瞳子に声をかけられる。
「ごきげんよう、瞳子はこれから部活?」
「はい、お姉さまは部活回りですか?」
「えぇ」
「あの私もお供してよろしいですか?」
「いいけれど、部活は?」
演劇部も時間は短いが、新入生歓迎会で公演を行うことに成っており。紅薔薇のつぼみは何と言っても主役が決まっている。
今度の部長さんは、瞳子とは仲が良くないらしいが、なかなかの策士である事は間違いない。
「それは……」
「私も貴女の演技楽しみなんだから、無理な予定変更はダメよ」
瞳子は祐巳の言葉に渋々頷く。
「分かりました、ですが……お姉さまも無理をなさらない様に」
「ありがとう」
やはりこのところの祐巳の体調を気にして声をかけてくれたようだ。
瞳子を部活に送り出し、予定通りに華道部へと今度こそ向かった。
予定の部活を回り、薔薇の館へと戻る。
「ふぅ」
動きすぎたのか、また体調が悪くなっていた。
「あれ?」
階段を上る途中。それは起こった。
頭の中が、ふぁとする感覚。
やばいと思い手すりに手を伸ばすが……。
遅かった。
遠ざかる階段。
そこで視界は黒く変わった。
「……ひく…ひく」
泣き声が聞こえる。
「おね……さ…私が…きについて行けば…」
この声は瞳子だ。
祐巳の可愛い妹。
声の方に手を伸ばす。
ポッムと瞳子の頭を叩く。
「お、お姉さま!?」
「泣かないの……」
瞳子の頭を撫でてやると「祐巳!」と由乃さんと志摩子さんが顔を出す。
「ここは……」
「保健室よ、祐巳さんは薔薇の館の階段で倒れていて先生方に運んでいただいたの」
「私、倒れたの?」
「えぇ」
そこまで体調が悪かったとは。
「福沢さん、目を覚ましたの?」
瞳子たちの様子から、祐巳が目を覚ましたことに気がついた保健の先生が顔を出す。
「少し良いかしら」
瞳子たちが場所を譲り、先生に診てもらう。
「熱は……ないわね。頭痛とかは?」
「いえ、ただ、もの凄く気分が悪くなって」
保健の先生の質問に答えていく。
一先ずは問題がないと成ったが、一応は病院に行くように進められた。
「それじゃぁ、瞳子ちゃんあとはよろしく」
「はい、お姉さまを必ずお家まで送り届けますわ」
瞳子は祐巳の鞄まで持って立ち上がる。
「ちょ、ちょっと」
この忙しい時期に、紅薔薇さま不在は色々不味い。
「紅薔薇さま、今は体調を治すのが先ですよ」
「そうね、マリア祭に紅薔薇さま不在なんて、そちらの方が大変だわ」
黄薔薇さま、白薔薇さまの言うことはもっとも。
「分かった、二人に従うよ」
山百合会の仲間に靴箱のところまで付き合ってもらい、その後は瞳子と一緒にマリアさまにお祈りをして、銀杏並木を並んで帰宅する。
「瞳子、ごめんね」
「本当ですわ、倒れるまで無理をなさるなんて、普段ご自分は無理をするなと自身で言っておられるではないですか」
まったく、その通りだ。
ただ、そこまで無理をしていた気はなかったのだが。
――ぽっむ。
「?」
「お姉さま、少しふらついています。私の肩をお使いください」
見れば、瞳子が顔を真っ赤にして祐巳を支えていた。
「ありがとう、瞳子。無理しているつもりはなかったのだけれど、やはり何処か無理をしていたみたいね」
祐巳は、瞳子に肩を借りながら歩みを遅らせる。
せっかくだし。
……瞳子が珍しく優しいから。
ゆっくりと。
紅薔薇さま祐巳の小ネタねた。
クゥ〜。