【337】 あれから十年お美しい薔薇さまは継母  (いぬいぬ 2005-08-10 00:58:29)


「忘れ物は無い?」
マリア様の像の前で、江利子は娘に問いかけた。
「うん、大丈夫」
そう答える娘を見ながら、江利子は内心「時のたつのは本当に早いわ」と実感していた。
山辺氏に正式にプロポーズされてからはや十年。彼に初めて娘を紹介された時は、まさかこの子をリリアンの高等部に送り出す日が来るとは思いもしなかった。
思えばこの十年、退屈している暇などなかった気がする。最初はなついてくれなかったこの子を自分なりのやり方で手なづけたり、美大に通いながら主婦をこなしてみたり、若い継母という事で好奇の目で見てくる他の父兄達をPTA会長になってやり込めてみたり、その事で娘に怒られてみたり。まさに目まぐるしい十年であった。
「どうしたの?」
遠い目でこの十年を回想している江利子に、娘が不思議そうな顔で聞いてくる。
「・・・あなたももう高校生になるのね。私も年を取る訳だわ」
珍しくしみじみとつぶやく江利子に、娘はこう返す。
「もう三十だもんね」
「・・・その一言多い所は誰に似たのかしら?」
「お母さんしかいないじゃない。三十になると、ボケでも始まるの?」
真顔でそう言ってくる娘を見て、江利子は「この子をからかうのは楽しかったからなぁ・・・そのせいでずいぶん逞しくなっちゃったかな?」などと思っていた。
しかし、まだ江利子も口で負ける気はさらさら無かった。
「そうね・・・お母さんボケちゃったから、あなたにお小遣いあげるの忘れても許してね?」
「なんて卑怯な・・・」
娘の苦々しい顔に、江利子は大いに満足する。
「思えば初めて会った頃なんて、あなたまだ百二十cmもなかったのに・・・あれから三十cm以上背が伸びたのね」
娘の顔を見て懐かしそうに言う江利子の様子に、娘もなんとなくしんみりする。
「・・・・・・この分なら、還暦を迎える頃には三mは行くわね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・お母さん。私、お母さんと漫才してる暇無いんだけど」
「まあ、反抗期ね。どうすれば良いのかしら?」
手を口に当てて悲しそうな顔を見せる江利子に、娘は溜息をついた。
「もういいわ。クラスで自己紹介があった時は、イジワルな継母に悩まされていますって言ってやるんだから」
「まあ、シンデレラみたいね。ガラスの靴はいる?」
嬉しそうに聞いてくる江利子に、娘はもう相手にしていられないとばかりに背を向けた。しかし、江利子のほうがまだ上手だった。
「でも、ガラスじゃアナタの体重支えきれないかしら?」
「ほっといてよ!」
最近、体重を気にしている娘は、思わず振り返ってそう叫んだが、そこに江利子の満面の笑みを見つけ、「またやられた・・・」と後悔していた。
江利子は悔しそうな顔の娘に近付き、タイを整えてやる。
「真面目な話・・・リリアンではきっと素晴らしい未来が待っているはずよ?」
江利子の慈しむような目に、娘も思わず「そうね」と答える。
「出来れば姉と妹を持ちなさい。リリアンの姉妹制度は、きっとアナタに良い変化を与えてくれるわ」
(令さんの事かな?)娘はボンヤリと令の凛々しい顔を思い浮かべた。
「・・・・・・それから、妹の妹。つまり孫もできると良いわね。・・・・・・オモシロイから」
(由乃さんの事か・・・)娘はゲンナリと由乃の怒った顔を思い浮かべた。
(あの人もマトモにお母さんの相手なんてしなけりゃ良いのに・・・)
未だに江利子に勝てない由乃を思い出し、娘はなんだか自分の未来を見たような気がして、益々気が滅入ってきた。
でも、確かにリリアンには楽しい事が待っている気がする。娘がそう思っていると、江利子が急に思い出したようにこう言った。
「そうそう!あなた桃組で、担任は聖だから」
自分は何組で誰が担任なのか。密かにわくわくしていた娘は、血管が切れそうなくらい顔を紅潮させて江利子をにらんだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・娘の期待奪って楽しい?」
「意外とね」
しれっと答える江利子に背を向け、娘は一人でズンズンと入学式の会場へと歩き出した。「いつか負かしてやる!」と心の中で決意しながら。



肩を怒らせて歩く娘の後姿を見て、江利子は祈る。
(マリア様。あの頃の自分に訪れた輝くような日々を、どうか私の大切な娘にもお与え下さい)
あの頃と変わらぬ微笑を見せるマリア像に、十年ぶりに江利子は祈る。
(・・・・・・それから、聖のセクハラがあの子に炸裂しなようにお護り下さい)
割と真剣に、江利子は祈る。


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