冷たい風が、肌を突き刺す十二月の放課後。
白薔薇さま藤堂志摩子は、白磁の様な頬を赤く染めて、薔薇の館に足を踏み入れた。
ギシギシと軋む階段をゆっくりと昇り、ビスケットと称される扉を、静かに開く。
「ごきげん……よう?」
挨拶した彼女の声は、何故か尻上がりになっていた。
『ごきげんよう志摩子さん』
「ごきげんよう白薔薇さま」
「ごきげんようお姉さま」
「んさ子摩志うよんげきご」
室内にいた顔ぶれが、若干の違和感を醸し出しつつ、志摩子に挨拶を返す。
紅薔薇のつぼみ福沢祐巳、黄薔薇のつぼみ島津由乃、紅薔薇のつぼみの妹松平瞳子、白薔薇のつぼみ二条乃梨子。
しかし、そんな彼女たちをさておいて、一番最初に志摩子の目に入ったのは、部屋の中央に位置する人物の姿。
昨年までのクラスメートであり、また個人的にも世話になっている友人、自称写真部のエース──武嶋蔦子。
そして彼女は何故か、上下逆さまだった。
蔦子は、最近は見かけないがバラエティ番組などで人間ルーレットに使われるあんな装置みたいなものに固定されており、ちょうど天地が逆になった状態だ。
(??????)
志摩子は、困惑の表情で、同僚たちの行動を見つめるばかり。
「大丈夫? つらくなったら言ってね」
「よいいてけ続ままのこ、らかだ夫丈大だま、ぁま。ぇねのるえ考とこな妙、くたっま」
この面々の中では、体力面においては一番の蔦子だが、流石に長時間の逆さまはツライのだろう、大丈夫と言いつつも、顔は真っ赤。
いくら固定されているとはいえ、身体は無意識に己を支えようとするし、結果あちこちに無駄な力が入る。
そうなれば当然血流が早くなり、頭に血が上るのも早くなる。
「なか界限ろそろそ、ンメゴ〜〜ん」
「じゃぁ戻すよ」
ゆっくりクルリと円盤が回り、蔦子の上下が元に戻る。
「あ〜、思っていたよりキツイわねコレ」
「ゴメンね無理言って。まだいける?」
「ちょっとぐらいならね」
「じゃぁ、休憩してからもう一度」
「うん」
何をしているのかサッパリ分からず、口出しもままならない。
志摩子は、今この中で一番頼りになるであろう妹に、視線を送った。
しかし乃梨子は、祐巳、由乃に目を向け、小さく首を振ると、あからさまに志摩子から目を逸らした。
なんのことはない、妹もワケが分からないまま、ただ従っているだけのこと。
とりあえず志摩子は、事の推移を見守ることにした。
「それじゃ、もう一度いくよ」
「はいな」
グルリンと円盤が180度回転し、再び蔦子が逆さまの人となる。
逆立ちなんて、一分も出来れば良い方。
30秒も経てば、蔦子の顔は嫌でも赤らむ。
「?るれくてし戻。わだメダ然全りよきっさ、ーあ」
返事も待たず、回転を担当していた瞳子が、再び円盤を180度回転させた。
「はぁ〜〜〜……。もういいかな?」
「あぁ、うん。ありがとう蔦子さん」
円盤を回転しないようにロックし、瞳子と乃梨子が、固定ベルトを外してまわる。
蔦子を降ろし、装置を部屋の片隅に押しやり、テーブルを元の位置に戻す。
そして蔦子を上座に座らせ、
「はい蔦子さんお疲れ様。お礼とお詫びに、イイトコ見繕ったからね」
彼女の前に差し出されたのは、切り分けられたロールケーキ。
しかも、真ん中の一番いいところだ。
香り立つミルクティーも添えられる。
全員が席に着き、ケーキと紅茶で一息吐いた。
「で、結局何をしていたの?」
ようやく落ち着きを取り戻した会議室、志摩子はやっと疑問を投げかけることが出来た。
「寒いでしょ?」
「そうね、冬だし」
疑問符に疑問符で返してきた祐巳に、とりあえず相槌を打つ。
「それでね」
「ええ」
「欲しいと思ったの」
「何を?」
「暖房器具なんて、あったら良いと思うよね」
「そうね」
「だから」
「だから?」
イマイチ要領を得ないが、辛抱強く、相手から答えを聞きだそうとする。
「だから、蔦子さんにお願いしたの」
「どうして蔦子さんなの?」
「ほら、『蔦子』を反対に読んだら、『コタツ』になるでしょ」
それを聞いた志摩子は、思わず瞳子見た。
しかし彼女は、あからさまに志摩子から目を逸らした。
「コタツになったら、少しは暖かくなるかなと思ったけど、そんなこと無かったねぇ」
今尚語る祐巳を、どうしたもんだろう、と思い悩む志摩子の隣から。
「バッカねぇ祐巳さん。蔦子さんを逆さまにしたところで、暖かくなったりしないわよ」
あまり当てにはしていなかった由乃が、一応まともに祐巳を諭しているので、一安心。
「でも、コタツだよ?」
「だからぁ……」
しかし志摩子は、由乃の次の一言で凍りついてしまった。
「だってコタツは、入らなければ意味がないでしょ?」
彼女らとの付き合いは割と長いが、それでも時折見せるこの様な突飛な言動には、困惑させられることしばしば。
志摩子は、来年から薔薇さまとなる彼女らと、生徒会の仕事を問題なくやっていけるのか、不安な気持ちにならざるを得なかった。