「祐巳さん、いる〜?」
ビスケット扉を開けてひょいと顔を出した由乃さんに、祐巳は慌ててしー、と口に指を当てた。
「あ、いた。――何してるのよ、こんなところで。開票結果はとっくに」
祐巳の仕草に一応声を潜めながら中に入ってきた由乃さんは、そこで「あら?」と首を傾げた。
「瞳子ちゃん……?」
信じられないものを見た、という表情で確認してくる由乃さんに、祐巳は声を出さずに頷く。
「へぇ……驚いた。この子、こんな顔もするのね〜」
由乃さんが更にぐっと声のトーンを落とす。
祐巳の肩に頭を乗せて、すーすーと穏やかな寝息を立てている瞳子ちゃん。
由乃さんはそんな瞳子ちゃんの顔を覗きみて、くすくすと笑う。
「かわい〜。寝顔は誰でも天使っていうのは本当よね。ここのところ、ずーっと怖い顔しか見てなかったから、こりゃ新鮮だわ」
「瞳子ちゃん、頑張ってくれたからね」
瞳子ちゃんの頭に手を回して、軽く頭を撫でてあげる。
瞳子ちゃんは「ん……」と僅かに声を漏らしたけれど、相変わらず寝息を立てたままだ。
「実際、私なんかよりもよっぽど走り回ってたし」
祥子さまに訪れた家庭のトラブルと、祐巳の次期薔薇さま選挙。運悪く重なってしまった二つの事態に、瞳子ちゃんは随分と奔走してくれたのだ。
祐巳が祥子さまの役に立てたのも、瞳子ちゃんが祐巳の代わりに選挙の準備をしてくれたから。
祐巳が選挙を無事乗り切ったのは、瞳子ちゃんが祥子さまの事後処理のために動いてくれたから。
きっと、瞳子ちゃんがいなかったら、祐巳は祥子さまとのことも、選挙のことも、どっちも中途半端でダメになっていただろう。
今日、次期薔薇さま選挙の最終日を終えて、瞳子ちゃんが緊張の糸がぷっつり切れたように寝入ってしまったのも、仕方のないことだと祐巳は思う。
だからこのままずっと、肩を貸してあげたい気分なのだけど、現実はそうも行かないらしく。由乃さんはしばし瞳子ちゃんの寝顔を楽しんだ後、「って、こんなことしている暇はないのよ!」と顔を上げた。
「祐巳さん、選挙は投票終わってハッピーエンドじゃないのよ。当選しても今日中に手続きしないと、無効になっちゃうんだってば!」
「分かってる。ちゃんと行くから」
「絶対? 絶対よね? 私、祐巳さんと一緒じゃなきゃ、黄薔薇さまなんて辞退してやるんだから!」
「絶対。約束するから」
だから今はね、ともう一度祐巳は口に指を当てる。
由乃さんはしばし「うー」と苦悩した後、分かったわよ、と背中を向けた。
「後5分! 5分したら今度こそ迎えに来るからね。志摩子さんだって、祐巳さんを待ってるんだから」
「はいはい」
なんだかんだ言いつつも足音を殺して部屋を出て行く由乃さんに手を振って、祐巳はそっと目を閉じた。
本当はゆっくりと眠らせてあげたいけれど、それで瞳子ちゃんの頑張りを無駄にするわけには行かないから。
だから後5分だけ、ゆっくりと休ませてあげよう。
そして瞳子ちゃんを起こす時は、こう言って起こしてあげるんだ。
「おはよう、『瞳子』」って――